④
翌日。
リベルは一人でフィンリスの外へ出ていた。
昨日とは違う街道。
目的地は、街からそれほど離れていない林の近くだ。
依頼はラグ二体の討伐。
何度か戦ったことのある相手だった。
「最近、知ってる依頼も増えてきたな」
少し前なら、依頼書に書かれている名前のほとんどが知らないものだった。
今ではミレア草やセルナ草、ラグやガルクも分かる。
知らないものが減っていく。
それはそれで少し寂しい気もする。
「まあ、まだ知らないことは全然あるか」
掲示板には聞いたことのない名前がいくらでも並んでいた。
フィンリスの周りだけでそれだ。
もっと遠くへ行けば、また何も知らない場所がある。
そう考えると、自然と足取りが軽くなった。
林が近づくにつれて街道を離れ、草の中へ入る。
依頼書に書かれていた目撃場所はこの辺りだ。
「二体だったよな」
辺りを見回す。
風が木々を揺らす音。
草の擦れる音。
少し前なら、全部が同じように聞こえていた。
今は違う。
足へ魔力を流す。
身律。
身体だけではない。
耳へ意識を向けると、周囲の音が少しずつ分かれていく。
風。
鳥。
小さな生き物。
そして。
「……いた」
右奥。
草が不自然に揺れた。
直後、灰褐色の身体が飛び出してくる。
ラグが一体。
リベルは剣を抜いた。
そのさらに後ろから、もう一体。
「二体同時か」
二体のラグが左右へ分かれる。
以前なら、それだけでかなり嫌だった。
どちらを見るか迷う。
一体を相手にしている間に、もう一体が来る。
けれど今は、少し違う。
「まず、そっち」
左手を向ける。
青白い光が集まり、厚い板が現れた。
一体の進路を塞ぐ。
「ギャッ!」
急に現れた壁を避け、ラグが大きく横へ回る。
その間に、もう一体が正面から迫った。
速い。
けれど見える。
足へ流す魔力を強める。
一歩、横へ。
ラグの牙が空を切る。
すれ違いざまに剣を振る。
「っ!」
刃先が毛を掠めた。
浅い。
ラグが着地すると同時に身体を捻る。
次が来る。
リベルも剣を構え直した。
「今の、もうちょっとだったな」
考える暇はない。
最初に板で進路を変えたラグが戻ってきた。
二体。
片方が正面。
もう片方が右。
「だったら――」
青白い板をもう一枚。
今度は正面ではなく、斜めに作る。
走り込んできたラグが板を避ける。
進む方向が変わった。
「そっち行くよな!」
予想した場所へ踏み込む。
剣を振る。
今度は届いた。
「ギャウッ!」
一体が地面を転がる。
倒し切れてはいない。
だが、すぐには動けない。
残る一体が横から飛び込んでくる。
「っ!」
リベルは剣を戻す。
だが、間に合わない。
左手をかざす。
青白い板が現れた。
ガンッ!
ラグの身体が板へぶつかる。
衝撃で板が揺れる。
リベルはその横から剣を突き出した。
だが。
「……!」
刃先が届かない。
ほんの少し。
板を挟んでいるせいで、普段より距離がある。
ラグの身体はすぐそこにあるのに。
あと半歩が足りなかった。
「くそっ」
踏み込めば届く。
けれど、そのためには板の横へ身体を出さなければならない。
その一瞬でラグがこちらへ向けば、今度は自分が危ない。
迷った一瞬。
ラグが板から離れた。
「逃げた!」
距離が開く。
追う。
身律で一気に詰める。
今度は板を使わず、正面から。
ラグが牙を向ける。
その直前で横へ抜け、剣を振り抜いた。
今度は深く入る。
ラグが地面へ倒れた。
「……ふう」
息を吐く。
もう一体を見る。
先ほど斬ったラグも、立ち上がろうとしていた。
「まだか」
リベルは剣を構え直す。
その後の戦いに、それほど時間はかからなかった。
◇
二体の討伐を確認してから、リベルは近くの木の根元へ腰を下ろした。
「前よりは楽だったな」
身律。
顕現。
剣。
できることが増えた。
最初にラグと戦った頃とはかなり違う。
それでも。
「……あと半歩」
さっきの場面が頭に残っていた。
板の向こうにラグがいた。
剣を伸ばした。
でも届かなかった。
踏み込めばいい。
普通ならそれで終わる話だ。
けれど、踏み込めない時だってある。
「剣がもうちょっと長かったら届いたんだよな」
腰の剣を見る。
当たり前だが、長さは変わらない。
短くも長くもならない。
「……ん?」
そこで、リベルの視線が自分の左手へ落ちた。
剣は変わらない。
でも、顕現なら?
手のひらを上へ向ける。
魔力を集める。
青白い光。
前にも作った短い棒を作る。
「これは長さ変えられるよな」
一度消す。
もう一度。
今度は少し長く。
同じ形。
長さだけが違う。
「……できる」
板だって大きさを変えられる。
厚さも変えられる。
作る時なら、ある程度は形も決められる。
なら。
「剣も作れるんじゃないか?」
前にも一度、考えたことがあった。
あの時は、小さな刃を作るだけだった。
でも今なら。
武器そのものを作ればいい。
短い方が使いやすいなら短く。
距離が必要なら長く。
相手や状況に合わせて変えられる。
「それなら……」
さっきみたいな場面でも届く。
リベルは立ち上がった。
もう一度左手を前へ出す。
「剣」
頭の中に、腰へ差した剣を思い浮かべる。
柄や鍔、刃の長さ、形。
魔力が集まっていく。
青白い光が伸びた。
「おお……!」
徐々に形ができていく。
手元から前へ。
剣ほどの長さ。
光が収まる。
「…………」
リベルは完成したものを見る。
長い。
硬い。
先端も一応細くなっている。
だが。
「……棒だな」
剣ではない。
どちらかと言えば、少し平たい棒。
刃らしい部分もあるにはある。
けれど、普段使っている剣と比べればかなり不格好だった。
握る部分も太い。
鍔らしきものも妙な形をしている。
「何で?」
腰の剣と見比べる。
似せたつもりだった。
だが、全然似ていない。
「板はできるのに」
試しに振ってみる。
「重っ」
途中で止めた。
重さの偏りもひどい。
先端が重すぎる。
「これで戦うのは無理だな」
一度消す。
もう一度作ってみる。
今度は少し細く。
刃を意識する。
光が伸びる。
完成。
「……さっきよりは剣?」
少しだけ。
それでもまだ棒に近い。
「難しいな」
板なら、平らで厚ければいい。
棒なら、真っ直ぐ伸ばせばいい。
けれど剣は違う。
握る場所。
刃。
重さ。
形。
考えなければならないことが多い。
「まあ、いきなりできるわけないか」
青白い棒を消す。
失敗した。
でも、できないとは思わなかった。
「帰ったらもうちょっと試してみよう」
腰の剣へ手を置く。
長さを変えられる武器。
まだ形にはなっていない。
それでも、さっきまでなかった考えが一つ増えた。
「よし」
討伐したラグの処理を済ませ、リベルはフィンリスへ戻ることにした。
その時。
少し離れた草の向こうで、淡い色が動いた。
「……あ」
長い耳。
大きな尾。
淡いクリーム色の身体。
「またいたのか」
カーバルだった。
こちらを見ている。
以前より、少しだけ近い。
「いつからいた?」
当然、返事はない。
「戦ってる時?」
カーバルの耳がぴくりと動く。
「見てたなら手伝ってくれてもよかったんだけど」
じっと見ている。
「冗談だよ」
リベルは笑い、歩き始めた。
カーバルを呼ばない。
追いもしない。
しばらく歩いてから振り返る。
いる。
「やっぱりついてくるんだな」
また前を向く。
歩く。
振り返る。
まだいる。
距離は昨日より近かった。
林を抜ける。
街道へ戻る。
途中で何台かの荷車とすれ違った。
そのたびにカーバルは街道から離れ、草の中へ隠れる。
けれど。
荷車が通り過ぎると、また姿を現した。
「今日は帰らないの?」
リベルが聞く。
カーバルは答えない。
「まあ、好きにすればいいけど」
そのままフィンリスへ向かう。
少しずつ人が増えていく。
旅人。
冒険者。
荷車。
遠くには、見慣れ始めた外郭壁。
「そろそろ街だぞ」
何となく声をかけながら振り返る。
まだカーバルはいた。
「……まだ来るんだ」
昨日はこの辺りでいなくなった。
フィンリスの外壁が見えた頃には、もう姿を消していたはずだ。
今日は違う。
リベルが歩くと、カーバルも同時に歩く。
けれど、門が近づくにつれて、その足取りは少しずつ遅くなった。
人が多い。
声も多い。
荷車の車輪。
金属の鳴る音。
知らない生き物の鳴き声。
カーバルの耳が忙しなく動いている。
やがて、足が止まった。
リベルも数歩進んでから気づく。
「ん?」
振り返る。
カーバルは街道の端に立っていた。
門を見る。
リベルを見る。
また門を見る。
「怖い?」
答えはない。
大きな尾が少し低くなっている。
リベルは少し待った。
近づかない。
手も伸ばさない。
「俺は帰るけど」
そう言って、門へ向き直る。
「来るなら勝手に来ていいよ」
歩き出す。
一歩。
二歩。
三歩。
「……キュ」
足が止まった。
「……ん?」
リベルは振り返る。
カーバルがこちらを見ていた。
「今、鳴いた?」
「……キュゥ」
「声出せたんだ」
今まで一度も聞いたことがなかった。
「何?」
カーバルは門を見る。
それからリベルを見る。
「入りたいの?」
耳が動く。
それが返事なのかは分からない。
リベルは少し考える。
「じゃあ来れば?」
再び歩き出す。
今度は、後ろから小さな足音がした。
振り返らない。
足音はまだ止まらない。
門へ近づくにつれて人通りが増える。
そのたびに少し遅くなる。
それでも、逃げなかった。
リベルが門の列へ並ぶ。
しばらくして、横を見る。
「……近くない?」
カーバルがいた。
今までで一番近い。
手を伸ばしても届かない。
けれど、ほんの数歩の距離だった。
「自分から来たんだからな」
「キュ」
「それ返事?」
少しだけ笑う。
列が進む。
やがて、リベルたちの番になった。
「次」
衛兵の声。
「はい」
リベルはギルド証を取り出す。
衛兵が確認する。
「フィンリス支部の冒険者か」
「うん」
「通っていい」
「ありがとう」
証を受け取り、門へ足を向ける。
カーバルもその後ろをついていく。
すると。
「待て」
「ん?」
リベルが振り返った。
衛兵はリベルではなく、その後ろを見ている。
「そいつは何だ?」
「そいつ?」
振り返る。
そこにはカーバルがいる。
「ああ」
「お前の連れか?」
「いや」
リベルは即答した。
「勝手についてきた」
「……勝手に?」
「うん」
衛兵がしばらく黙る。
それから小さく息を吐いた。
「それが一番困る」
「何で?」
「登録されていない定相種を、そのまま街へ入れることはできない」
「登録?」
「ああ」
衛兵がカーバルを見る。
「街の中で問題を起こした時、誰が責任を取る?」
「……あ」
リベルもカーバルを見る。
カーバルは何も知らない顔でこちらを見ている。
「でも俺、こいつを飼ってるわけじゃないよ」
「なら外に残していけ」
「…………」
カーバルを見る。
門を見る。
またカーバルを見る。
「入れたいなら?」
「冒険者ならギルドで登録できる」
「俺が?」
「お前が管理者になる」
「管理者」
「少なくとも、街の中ではそいつの行動に責任を持つってことだ」
「なるほど」
衛兵が門の外を指す。
「登録するなら、そいつはここに残せ。お前だけギルドへ行ってこい」
「こいつ、一人で待てるかな」
「俺が見といてやる」
「助かるよ」
リベルはカーバルの方へ向き直る。
「聞いてた?」
「……キュ」
「分かってないよな」
カーバルが首を傾げる。
「ちょっと待ってて」
リベルは門の内側を指す。
「登録してくるから」
カーバルは動かない。
「勝手についてきたのに、今度は俺が登録しに行くんだな」
少しだけ可笑しくなる。
けれど、ここまで来ることを選んだのはカーバルだ。
街へ入れるなら。
その先は、自分にもやることがあるらしい。
「すぐ戻るよ」
「クゥ……」
小さな声。
不安そうにも聞こえた。
リベルは少し迷ってから、しゃがむ。
手は伸ばさない。
「大丈夫。逃げたくなったら逃げてもいいから」
カーバルの青緑の瞳が、じっとこちらを見る。
「でも、まだここにいたら一緒に入ろう」
立ち上がる。
「じゃあ行ってくる」
今度こそ、リベルは一人で門をくぐった。
数歩進んでから振り返る。
外側。
衛兵の少し向こう。
淡いクリーム色の姿が、まだそこにある。
「……待ってるかな」
分からない。
それでも、まずは登録を済ませないと始まらない。
リベルは少し足を速めた。
向かう先は、冒険者ギルドだった。




