③
それから先、盗賊が再び姿を見せることはなかった。
念のため速度を落とし、周囲を警戒しながら進む。
街道の外には気配もなく、背後から追ってくる足音もない。
しばらくして、マルクが小さく息を吐いた。
「どうやら本当に諦めたみたいだな」
「追ってきてたら分かる?」
リベルが尋ねる。
「分からん。なんとなくだ」
「分からないのかよ」
「分かったら苦労しねえよ。だからお前らがいるんだろ」
「そうだった」
「初護衛で役割忘れるな」
隣から小さな笑い声が聞こえた。
「笑った?」
「笑ってないよ」
「絶対笑っただろ」
「気のせいじゃない?」
セラは前を向いたまま答える。
さっきまで戦っていたとは思えないくらい、いつもの調子に戻っていた。
ただ、時折視線だけが道の脇へ向く。
リベルもそれに合わせて周囲を見る。
風が草を揺らす。
鳥の声。
遠くを走る小さな生き物。
さっきまではどれも盗賊の気配に思えたのに、一度落ち着いてしまえば、また知らない道の景色にしか見えなくなる。
「……やっぱ知らない道は面白いな」
「盗賊に襲われた後に言う?」
「それとこれとは別だろ」
「別なんだ」
「別じゃない?」
「普通はちょっと嫌いになると思うけど」
「道が悪いわけじゃないし」
セラが一度リベルを見る。
「変なの」
「今日何回目?」
「まだそんなに言ってないよ」
「二回は聞いた」
「じゃあ三回目くらい?」
「増えてるじゃん」
「気にしないで」
「気になるだろ」
またセラが笑う。
その横で、マルクが呆れたように首を振った。
「お前ら、戦う前より喋るようになってないか?」
「そう?」
「そうか?」
二人の声が重なる。
一瞬、顔を見合わせる。
「……今のはちょっと嫌だな」
「何で?」
「なんか合わせたみたいで」
「勝手に合っただけだろ」
「それが嫌なの」
「理不尽じゃない?」
「はいはい。喧嘩するなら余所でやってくれ」
マルクが手綱を軽く動かす。
「してない!」
「してないよ!」
また重なった。
今度はセラが先に吹き出した。
「またじゃん!」
「今のはマルクのせいだろ!」
「俺は何もしてねえよ」
街道に、三人の声がしばらく続いた。
◇
昼を少し過ぎた頃、目的地の小さな集落が見えてきた。
フィンリスほど大きくはない。
木造の家々が街道沿いに並び、その奥には畑が広がっている。
「着いた?」
「ああ。ここだ」
マルクが荷車を集落の奥へ進める。
道沿いの何人かがこちらを見た。
荷車に見覚えがあるのか、マルクへ手を上げる者もいる。
「結構来るの?」
「月に何度かはな。マーガレット商会の取引先がある」
「へえ」
「寄り道するなよ」
「まだ何も言ってないだろ」
「顔に書いてある」
セラが横から覗き込む。
「どこ?」
「見るなよ」
「書いてないね」
「だろ?」
「でも寄り道したそうな顔ではある」
「それはそう」
「認めるんだ」
荷車は一軒の倉庫前で止まった。
中から二人の男が出てきて、マルクと短く言葉を交わす。
布が外され、木箱が一つずつ荷台から下ろされていった。
リベルは何となく、例の箱を見る。
後ろから右へ二つ目。
盗賊が迷わず狙った箱。
他と見た目は変わらない。
「気になる?」
隣でセラが言う。
「そりゃ気になる」
「開けてみたい?」
「ちょっと」
「正直だね」
「でも開けないよ」
「偉い」
「俺の荷物じゃないからな」
「そこはちゃんとしてるんだ」
「どういう意味?」
「そのままの意味」
最後の木箱が倉庫へ運び込まれる。
しばらくして、マルクが戻ってきた。
「問題なし。受け渡し完了だ」
「盗賊のことは?」
「話した。向こうでも一応気をつけてもらう」
「例の箱は?」
「中身も確認したが、やっぱり特別な物は入ってねえ」
「じゃあ何で狙ったんだろ」
「それが分かれば苦労しない」
「またそれ?」
「今日は分からんことばっかりだな」
マルクはそう言いながらも、少し考えるように倉庫を見る。
「商会にも戻ったら伝える。最近似たような話がないかも聞いてみるつもりだ」
「何か分かったら教えて」
「何でだ?」
「気になるから」
「だと思ったよ」
マルクが笑う。
「まあ、面白い話だったらな」
「面白くなくても教えてよ」
「注文多いな」
帰りの荷車は軽かった。
空になった木箱をいくつか積み、来た道を引き返す。
行きより足取りも速い。
そして今度は、盗賊の姿もなかった。
◇
「ねえ」
帰り道。
左側を歩いていたセラが、不意に口を開いた。
「リベルって、冒険者になってどれくらい?」
「どれくらいだっけ」
「私に聞かれても」
「そんなに経ってないよ。二週間も経ってないと思う」
「……ほんとに?」
「たぶん」
「今日初めて護衛って言ってたけど、そういう意味?」
「そういう意味」
セラが少し驚いた顔をする。
「もっとやってるのかと思った」
「何で?」
「戦い慣れてたから」
「最近やっとだよ」
「最近?」
「最初は剣もまともに振れなかったし」
「それは嘘でしょ」
「ほんとだって」
「じゃあ、誰かに教わった?」
「ガルドに少し」
「ああ。さっき言ってた人」
「そうそう。怖い人」
「本人の前でも言う?」
「言わない」
「ちゃんとしてるね」
「そこはな」
セラが笑う。
「セラは?」
「何が?」
「冒険者になってどれくらい?」
「私?」
少しだけ考える。
「三年くらいかな」
「結構先輩じゃん」
「そうなる?」
「セラ先輩」
「やめて」
「早いな」
「絶対やめて」
「分かったよ」
「ほんとに?」
「ほんとほんと」
そうリベルが言うと、セラはくすっと笑った。
マルクが御者台から振り返る。
「お前ら、随分楽しそうだな」
「普通だよ」
セラが答える。
「普通だな」
リベルも続く。
「はいはい」
「何だよ」
「別に」
マルクは笑いながら前を向いた。
少しして。
道の脇に、淡い色が見えた。
「あ」
リベルが足を緩める。
「どうしたの?」
「あそこ」
草の向こう。
淡いクリーム色の毛。
大きな尾。
青緑の瞳。
カーバルがこちらを見ていた。
「またいる」
セラが小さく声を上げる。
「結構ついてきてるな」
「行きにもいたよね?」
「いた」
「ずっと?」
「分かんない」
リベルは歩きながら手を上げた。
「よう」
カーバルの耳がぴくりと動く。
けれど、逃げない。
「やっぱり知り合いみたい」
「知り合いなのかな」
「向こうはそう思ってるんじゃない?」
「だったらもうちょっと近づいてきそうだけど」
セラがカーバルを見る。
「行かないの?」
「どこに?」
「近く」
「俺が?」
「うん」
「行ったら逃げるって」
「あ、そうだった」
前に交わした会話を思い出したのか、セラが少し笑う。
リベルはそのまま歩き続ける。
カーバルも動かなかった。
ただ、三人と荷車が通り過ぎてから、草の中を数歩だけ進む。
一定の距離を保ったまま。
「……ついてきてない?」
セラが振り返る。
「ほんとだ」
「いいの?」
「何が?」
「そのままで」
「別にいいんじゃない?」
「気にならない?」
「気にはなるよ」
「なのに?」
リベルも一度だけ振り返った。
カーバルは立ち止まり、こちらを見ている。
「来たいなら来ればいいし、帰りたいなら帰ればいいだろ」
「……そっか」
「俺が決めることじゃないし」
セラは何も言わなかった。
ただ、しばらくカーバルを見ていた。
その後も、姿が見えたり消えたりを繰り返す。
草の陰。
木の後ろ。
少し遠い丘。
追えば逃げそうな距離を保ちながら、それでも完全には離れていかない。
やがてフィンリスの外壁が見えてきた頃には、カーバルの姿はなくなっていた。
「帰ったのかな」
セラが言う。
「かもな」
「ちょっと残念?」
「少し」
「やっぱり」
「でもまた会いそうな気がする」
「何で?」
「なんとなく」
「適当だね」
「そういう時もある」
門を抜ける。
朝に出た街へ戻ってきた。
たった一日離れていただけなのに、少しだけ久しぶりに見える。
荷車がギルド前で止まった。
「よし。二人ともご苦労さん」
マルクが御者台から降りる。
「盗賊は予定外だったが、荷も無事。依頼は問題なく完了だ」
「初護衛成功?」
「成功だ」
「よし」
「嬉しそうだね」
セラが言う。
「初めてだったし」
「盗賊まで出たのに?」
「それも含めて」
「やっぱ変だよ」
「また言った」
「何回目だっけ?」
セラが笑いながらそう言った。
三人でギルドへ入ると、マルクが受付へ向かい、依頼完了の手続きを始める。
リベルとセラは少し離れた場所で待っていた。
「今日はありがとな」
リベルが言う。
「何でリベルがお礼言うの?」
「一緒にやったから?」
「それならこっちも」
「じゃあお互い様だな」
「うん」
少しだけ間が空く。
気まずいわけではない。
朝はまだ、何を話せばいいのか探す時間があった。
今はそうでもなかった。
「……なあ、セラ」
「何?」
「また一緒にやらない?」
「依頼?」
「いや」
リベルは少し考える。
別に、ずっと考えていたわけではない。
今、何となく思っただけだった。
「一緒に組むっていうか」
セラの表情が僅かに変わる。
「パーティ?」
「そう。それ」
「……急だね」
「そう?」
「今日初めて一緒に依頼したのに」
「でも楽しかったし」
リベルは特に迷わず続ける。
「戦いやすかったし、話してても楽しかったから。また一緒にやったら面白そうだなって」
セラが黙る。
さっきまでの柔らかい表情が、ほんの少しだけ止まった。
「……それだけ?」
「それだけだけど」
「私の鎖が便利だから、とかじゃなくて?」
「便利なの?」
「そこから?」
「すごいとは思うけど」
リベルは首を傾げる。
「それが理由なら、鎖だけ誘うことになるだろ」
「鎖だけって何」
「持って歩けないし」
「重いよ」
「じゃあ無理だな」
セラが思わず笑う。
けれど、その笑みは長く続かなかった。
「……ごめん」
少しだけ視線を落とす。
「私は、一人でいいかな」
「そっか」
リベルはそれだけ返した。
セラが顔を上げる。
「……理由、聞かないの?」
「言いたい?」
「いや」
「じゃあいいだろ」
「それでいいの?」
「断られたならしょうがないし」
リベルは肩をすくめる。
「一緒にやりたくなったら、その時言って」
「……そんな感じでいいんだ」
「そんな感じでいいだろ」
セラはしばらくリベルを見ていた。
やがて、小さく息を吐く。
「ほんと変だね」
「今日何回目だよ」
「もう数えてない」
また少しだけ笑う。
そこへ、手続きを終えたマルクが戻ってきた。
「何だ。まだ話してたのか」
「今終わった」
リベルが答える。
「何の話だ?」
「別に」
セラが先に言った。
「そうか?」
「そう」
マルクは少し怪しそうに二人を見たが、それ以上は聞かなかった。
報酬を受け取り、三人でギルドを出る。
夕方のフィンリス。
朝より人通りが増え、通りには店の声が飛び交っている。
「じゃあ、俺は商会に戻る」
マルクが荷車へ向かう。
「また護衛頼むかもしれん。その時はよろしくな」
「今度は盗賊なしで」
「俺に言うな」
マルクが笑う。
「セラもまたな」
「うん。また機会があれば」
「じゃあな」
荷車が通りの向こうへ消えていく。
残った二人も、そこで別れることになった。
「じゃあ私も行くね」
「うん」
「今日はありがと」
「こっちも」
セラが数歩歩く。
それから、一度だけ振り返った。
「リベル」
「ん?」
「……またね」
「ああ。また」
今度こそ、セラは歩いていった。
リベルはその背中をしばらく見送る。
断られた。
少し残念ではある。
けれど、それだけだった。
無理に誘う理由もない。
また一緒にやる機会があれば、その時でいい。
「さて、俺も行くか」
リベルは反対方向へ歩き出す。
初めての護衛。
初めての盗賊。
初めて知った《流律》という枝脈。
知らない道。
知らない集落。
そして。
また一緒にやってみたいと思える相手。
今日も、知らなかったものが増えた。
それだけで十分楽しかった。




