②
草むらの奥で、何かが動いた。
右。
少し遅れて、左も。
リベルは剣の柄を握ったまま、視線だけを動かした。
「何人いる?」
「まだ分からない」
セラの声が低くなる。
さっきまで笑っていた時とは違う。
身体の力を抜き、いつでも動けるように構えている。
腰の鎖へ手を掛けながら、セラが小さく続けた。
「リベル」
「ん?」
「始まったら、私の近くには来ないでね」
「鎖があるから?」
「うん。結構広く使うから」
「分かった」
前に話した時も、近くで見ない方がいいと言っていた。
危ないから。
その意味を、今日初めて知ることになりそうだ。
「マルクは?」
「荷車から動かない」
マルクが御者台の上で答えた。
「護衛は二人に任せる」
「了解」
その直後。
「動くな!」
街道の右側から男が飛び出した。
一人。
続けて二人。
反対側からも草を掻き分ける音が聞こえ、さらに二人が姿を現す。
「五人か」
リベルは周囲を見る。
見える範囲では、それだけ。
全員が武器を持っていた。
短剣。
片手剣。
斧。
棍棒。
服装に統一感はない。
けれど、荷車を左右から挟む位置へ出てきた動きには迷いがなかった。
「荷を置いていけ」
先頭の男が言う。
「抵抗しなきゃ追わねえ」
「……盗賊?」
「見れば分かるでしょ」
セラが小声で返す。
「初めて見たから」
「こんなのにまで興味持たなくていいよ」
「別に興味はない」
「ほんとに?」
「たぶん」
「そこは言い切って」
そんなやり取りをしていると、男が苛立ったように剣を持ち上げた。
「何をごちゃごちゃ喋ってやがる!」
「怒られた」
「リベルのせい」
「俺だけ?」
セラの口元が僅かに緩む。
だが、その手はすでに鎖刃を握っていた。
「最後だ。荷を置いて消えろ」
男が言う。
リベルは荷車を見る。
その後ろにはフィンリスへ続く道。
前には倒木。
左右は背の高い草。
逃げるなら来た道へ戻るしかない。
だが、荷を置いて逃げるつもりはなかった。
「これ、断ったら?」
「戦うことになるね」
「だよな」
「無理そうなら下がってもいいよ」
セラがさらりと言う。
「一人で五人?」
「慣れてるから」
「それはちょっと気になるけど」
リベルは剣を抜いた。
「今日は俺も護衛だから」
一歩前へ出る。
「引き受けたのに、荷物置いて帰るのは違うだろ」
「……そっか」
セラはそれ以上何も言わなかった。
ただ、小さく笑う。
「じゃあ、右お願い」
「了解」
先頭の男が舌打ちした。
「やれ!」
右側にいた二人がリベルへ走り出す。
ほぼ同時に、左側からも一人がセラへ踏み込んだ。
残る二人は動かない。
一人は先ほどから話していた男。
もう一人は荷車を窺っている。
その瞬間。
セラの右腕が大きく振られた。
じゃらりと鎖が鳴り、先端の刃が低い軌道を描きながらセラに迫っていた男へ走った。
「うおっ!」
一人が慌てて足を止めた。
だが。
「……速っ」
リベルが目を見開く。
最初に腕を振った時より、明らかに途中から速度が上がった。
鎖がしなる。
刃が地面すれすれを走り、男の足元を横切った。
飛び退いた男へ追うように、セラが身体を回す。
今度は鎖が大きな円を描いた。
それなのに勢いがほとんど落ちない。
「……今、途中で速くなったのか?」
明らかに何かしている。
ただ鎖を振り回しているだけじゃない。
「見てないで!」
「あ、ごめん!」
右から剣を持った男が迫っていた。
リベルは一歩踏み込む。
足へ魔力を流す。
身体が軽くなる。
振り下ろされた剣を横へ避け、そのまま相手の側面へ回り込む。
「くっ!」
相手が慌てて身体を向ける。
だが遅い。
リベルは剣の腹で腕を打った。
「ぐっ!」
男の手から剣が落ちる。
追撃しようとしたところで、後ろから気配。
振り返ると二人目が来ていた。
「っ!」
間に合わない。
そう思うより先に、左手を向けた。
青白い光。
厚い板が形成される。
ガンッ!
棍棒が板へ叩きつけられた。
「何だこれ!」
板を前に押し出すと、相手が一歩下がった。
その隙に距離を取る。
視界の端で黒いものが走った。
鎖だ。
「危なっ!」
反射的に頭を下げる。
数歩先を、セラの刃が横切った。
「だから近くに来ないでって言ったでしょ!」
「来てない!」
「十分近い!」
「これで!?」
「私には!」
「分かった!」
リベルはさらに右へ移動した。
確かに、これは近くで戦いづらい。
セラの鎖が届く範囲が広すぎる。
「……いや」
違う。
邪魔なのではない。
範囲が広いなら、その外で動けばいい。
リベルは自分の前にいる男を見る。
さらに奥。
別の盗賊が荷車の後ろへ回り込もうとしていた。
「セラ!」
「見えてる!」
鎖が伸びる。
しかし、男はぎりぎりで軌道の外へ逃げた。
そのまま荷車へ向かう。
「そっちは――」
リベルが走る。
身律で一気に距離を詰める。
男もこちらに気づき、速度を上げた。
「邪魔だ!」
短剣を振る。
リベルは身を捻って避ける。
その瞬間。
「後ろの箱だ!」
別の男が叫んだ。
「右から二つ目!」
「……え?」
リベルの視線が一瞬、荷台へ向く。
木箱が並んでいる。
大きさも見た目もほとんど同じ。
だが、盗賊の男は迷わなかった。
一直線に、荷台の後方へ向かっている。
「何で分かるんだ?」
考えるより先に身体が動いた。
男と荷車の間へ回り込む。
剣を構える。
「どけ!」
「嫌だ」
短剣と剣がぶつかり、鈍い金属音が鳴った。
そのまま押し合う。
力だけなら、今のリベルが少し上だった。
「くそっ!」
男が離れる。
まだ追える。
そのまま踏み込めば、もう一撃届く。
だが、左から別の影が荷車へ向かっていた。
「……!」
リベルは追うのをやめた。
左手を向ける。
青白い板を、今度は地面へ垂直に。
荷車の脇へ出現した板に、走り込んできた男が慌てて足を止める。
「またそれか!」
「便利だろ?」
進路が一瞬塞がれる。
そこへ鎖が走った。
「うわっ!」
セラの刃が板の外側を回り込み、男の武器を弾き飛ばす。
剣が地面へ転がった。
「……あ」
リベルが瞬きをする。
自分が作った板。
そのせいで男の逃げる方向が限定された。
そこへセラの鎖が入った。
「今の、狙った?」
セラが聞く。
「半分くらい」
「半分?」
「止めたかっただけ」
「じゃあ半分も狙ってないじゃん」
「でも上手くいっただろ」
「まあね」
セラが鎖を引く。
先端の刃が地面を滑りながら戻ってくる。
その動きが、途中で不自然なほど滑らかに減速した。
リベルは思わず目で追った。
加速だけではない。
勢いを弱めることもできる。
「……面白いな」
「今?」
「気になったんだからしょうがないだろ」
「ほんと変だね」
セラが少し笑う。
「下がれ!」
盗賊の一人が叫んだ。
最初に出てきた男だった。
「今日は無理だ!」
「でも荷は――」
「いい! 退け!」
男たちが次々と草むらへ下がっていく。
「待て!」
リベルは一歩追いかけた。
身律を使えば追えるかもしれない。
逃げる男の背中はまだ見える。
けれど。
「リベル!」
マルクの声が飛んだ。
足が止まる。
振り返る。
荷車。
マルク。
セラ。
そして、まだ反対側の草が揺れている。
他にもいるかもしれない。
「……」
リベルは剣を下げた。
「追わないの?」
セラが聞く。
「護衛だから」
「……うん」
「盗賊捕まえる仕事じゃないだろ?」
「そうだね」
草むらの揺れが遠ざかっていく。
やがて、何も聞こえなくなった。
しばらく三人とも動かなかった。
「……もういないかな」
リベルが言う。
「たぶん」
セラは鎖を手繰り寄せながら周囲を見る。
最後まで警戒を解かず、鎖を腰へ戻してからようやく息を吐いた。
「初護衛でこれか」
「普通はもう少し静かだと思うよ」
「だよな」
「たぶん」
「セラもそこ曖昧なんだ」
「毎回違うから」
リベルは剣を鞘へ戻す。
「でも」
「何?」
「鎖、思ってたよりずっとすごいな」
「……そっち?」
「気になってたから」
「戦い終わって最初にそれ?」
「駄目?」
「駄目じゃないけど」
セラは自分の鎖へ目を落とす。
「《流律》で勢いを変えてるの」
「枝脈?」
「そう、魔力を通したものの勢いを変えられるの」
「だから途中で急に速くなったりしたのか」
「そういうこと」
「へえ......」
リベルは鎖を見る。
「やっぱり面白いな」
「そんなに?」
「だって気になるだろ」
「戦いながら見てるなんて器用だね」
セラが小さく笑った。
「そっちも《身律》使ってた?」
「使ってたよ」
「やっぱり!」
リベルの声が少し大きくなる。
「何でそこ嬉しそうなの?」
「俺も最近できたから」
「《身律》が?」
「うん」
「最近?」
「十日くらい前」
「……最近すぎない?」
「俺もそう思う」
セラが少し不思議そうにリベルを見る。
何か言いかけた。
だが。
「二人とも」
マルクの声で会話が止まる。
「少しいいか」
いつもの軽い調子ではなかった。
「どうした?」
「さっきの奴らだ」
マルクが荷台を見る。
布を捲り、並んだ木箱を確認していく。
「ここ」
後方、右から二つ目。
さっき盗賊が狙っていた箱だった。
「これが何?」
「別に、一番高い荷じゃない」
「そうなの?」
「ああ」
マルクは隣の箱を軽く叩く。
「金だけなら、こっちの方がよっぽど高い」
「じゃあ何で……」
「それだけじゃない」
マルクの表情が僅かに険しくなる。
「全部同じ箱を使ってる。外から見ただけじゃ、中身なんて分からない」
「……あ」
リベルも気づいた。
盗賊は叫んでいた。
後ろの右から二つ目。
迷う素振りもなかった。
「最初から知ってた?」
「そう考える方が自然だな」
セラも箱を見る。
「中身は?」
「特別なものじゃない。少し珍しい素材ではあるが、盗賊が命張って狙うほどじゃない」
「じゃあ、ますます分かんないな」
「ああ」
マルクはしばらく箱を見ていた。
やがて布を戻す。
「とにかく、今は届ける」
「いいの?」
「よくはない」
マルクが御者台へ戻る。
「だからこそ、まず仕事を終わらせる」
リベルは少しだけ笑った。
「同じこと考えてた」
「何がだ?」
「逃げた奴追うより、荷物守る方が先だろって」
「当たり前だ」
「褒めてくれてもいいだろ」
「護衛なら当たり前だ」
「厳しいな」
「ガルドに比べりゃ優しいだろ」
「それはそうか」
セラが吹き出した。
「何?」
「いや。ガルドって人、そんなに厳しいんだなって」
「結構言われる」
「でもリベル、言うこと聞かなそう」
「聞くよ」
「ほんと?」
「……必要だと思ったら」
「それ、聞かない人の言い方じゃない?」
「そんなことないだろ!」
三人は再び歩き始めた。
街道を塞いでいた木を荷車が通れるように端へ寄せた。
マルクが手綱を握り、荷車がゆっくりと動き出した。
リベルは再び右側。
セラは左側。
さっきまでと同じ位置。
「リベル」
「ん?」
「さっきの板」
「板?」
「うん」
セラが前を見たまま言う。
「あれ、結構やりやすかった」
「ほんと?」
「相手の動く場所が分かりやすくなるから」
「じゃあ次もやる?」
「次がない方がいいけどね」
「あ、それもそうか」
「でも」
セラがこちらを見る。
「もしあったら、またお願い」
「了解」
リベルは少し笑った。
初めて一緒に戦った。
事前に決めていたことなんて、ほとんどない。
セラの鎖がどこまで届くのかも。
どう動くのかも。
リベルは今日初めて知った。
それでも、思っていたより戦いやすかった。
「……結構合うかもな」
「何が?」
「いや」
リベルは前を向く。
「なんでもない」
荷車は再び、知らない道を進んでいく。
その後ろ。
誰もいなくなった街道の草むらが、一度だけ小さく揺れた。




