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WILD HEART  作者: 日向 トキ
第三章 選んだ場所

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22/32

①

 翌朝。


「今日は休まないんですね」


 冒険者ギルドの受付で、エレナが少し意外そうに言った。


「昨日休んだからね」


「一日で満足しちゃいました?」


「十分だろ」


「もう一日くらい休んでも、誰も怒りませんよ?」


「別に働かなきゃいけないわけじゃないんだけどさ」


 リベルは受付横の掲示板へ目を向けた。

 何枚もの依頼票が並んでいる。

 採取。

 討伐。

 護衛。

 調査。


 見覚えのある依頼も増えた。

 ミレア草。

 セルナ草。

 ラグ。

 ガルク。


 少し前なら、その横に書かれた報酬を真っ先に見ていた。

 いくら稼げるか。

 宿代を払えるか。

 借金をどれだけ返せるか。


 けれど、今はもう違う。

 借金はない。

 今日稼いだ金を何に使うのかも、自分で決めていい。


「……なんか変な感じだな」


「何がですか?」


「依頼を選ぶ時に、金から見なくていいの」


 エレナがくすりと笑った。


「六十八銀もありましたからねえ」


「思い出させるなよ……」


「もう返したんですからいいじゃないですか」


「返したから言えるんだよ」


「じゃあ今度は、好きなの選んでください」


「好きなの、か」


 もう一度、掲示板を見る。


 同じ採取依頼を受ければ、確実に稼げる。

 ラグも今ならそれほど怖くない。

 ガルクだって、一度は倒した。

 でも。


「せっかくなら、やったことないのがいいな」


 口にしてから、少し笑った。

 今はそれができる。


 視線を動かしていく。

 やがて、一枚の依頼票で止まった。


「……護衛」


「興味あります?」


「興味ある」


 リベルは依頼票を覗き込む。

 フィンリスから街道を進み、荷車を護衛する仕事。

 行って、荷を届けて、戻る。

 文章にすればそれだけだ。


「街の外まで行くんだよな?」


「もちろんです」


「どのくらい?」


「目的地までは半日くらいですね。何もなければ、今日中には戻れますよ」


「へえ」


 知らない道。

 知らない場所。

 それだけで少し気になる。


「これ受けたい」


「決めるの早いですね」


「今、好きなの選べって言っただろ」


「言いましたけど、もう少し悩むものかと」


「知らない場所行けるなら十分」


「リベルさんらしいですね」


 エレナが依頼票を手に取る。


「ただ、この依頼は二人で受けてもらうことになってるんです」


「二人?」


「はい。もう一人は決まってますよ」


「じゃあ、その人と行けばいい?」


「向こうがよければ。たぶん大丈夫だと思いますけど」


「誰?」


「それは――」


「お?」


 後ろから声がした。

 聞き覚えがある。

 振り返ると、一人の男がこちらへ歩いてきていた。


「やっぱりリベルじゃないか」


「マルク!」


 以前と変わらない、人当たりのいい笑顔。

 商人のマルクだった。


「久しぶりだな」


「そうだな。元気そうで何よりだ」


「そっちも」


 リベルはマルクの姿を見てから、手元の依頼票を見る。

 もう一度マルクを見る。


「……もしかして」


「今回の依頼主は俺だ」


「やっぱり!」


 マルクが楽しそうに笑った。


「エレナから聞いたぞ。借金、全部返したんだって?」


「情報早くない?」


「商人は情報が大事だからな」


「俺の借金返済まで必要な情報なのか?」


「面白い情報ではある」


「面白がるなよ」


「最初に会った時は、街へ入る一銀すら持ってなかったからな」


「それは忘れてくれ」


「無理だ」


 即答された。


「私、そんな面白そうに話してませんからね?」


 エレナが横から言う。


「そこは一応言っておきます」


「一応なんだ」


「完済したことはちゃんと褒めましたよ」


「ならいいか」


「いいのかよ」


 マルクが笑う。


「それで、マルクの護衛?」


「ああ。マーガレット商会の荷を少し運ぶ」


「マーガレット商会?」


「俺が所属してる商会だ。そういや、ちゃんと話したことなかったか」


「初めて聞いた」


「だろうな」


 また知らないものが増えた。

 商会。

 それも一つだけではないのだろう。


 聞きたいことが浮かぶ。

 けれど、その前に。


「俺でも大丈夫なの?」


「俺は構わんぞ」


 マルクはあっさり答えた。


「前よりはずいぶん冒険者らしくなったらしいしな」


「らしいって」


「自分で言うものでもないだろ?」


「それはそうだけど」


「それに、今回は一人じゃない」


「あ、そうだった」


 リベルはエレナを見る。


「もう一人って?」


「もう来てますよ」


「え?」


 エレナの視線を追う。

 少し離れた場所。

 壁際に、一人の冒険者が立っていた。


 黒い髪。

 黒を基調とした軽装。

 そして腰には――見間違えるはずもない。

 鎖。

 その先に繋がれた刃。


「あ」


 思わず声が出た。

 向こうもこちらに気づく。

 翡翠色の瞳が、わずかに見開かれた。


「あ、この前の」


「セラだっけ?」


「名前、覚えてたんだ」


「そっちも顔覚えてるだろ」


「顔はね」


「名前は?」


 セラが少しだけ考えるような顔をした。


「……リベル」


「今の間いる?」


「確認しただけ」


「ほんとか?」


「ほんとほんと」


 口元を緩めながら、セラがこちらへ歩いてくる。


「セラさん。もう一人、リベルさんでも大丈夫です?」


 エレナが聞く。


「うん。私は大丈夫」


「リベルさんは?」


「俺も」


「じゃあ決まりですね」


 エレナが依頼票を机へ置いた。

 リベルは改めてセラを見る。

 そして、やっぱり視線はその腰へ落ちる。

 鎖刃。


「……」


「また見てる」


「やっぱ気になるんだよ、それ」


「ほんと好きだね」


「珍しいから」


「前にも言ったけど、近くでは見ないでね。危ないから」


「今日は離れて見てる」


「それなら……まあ」


「いいの?」


「見るだけなら」


「じゃああとでちゃんと見せて」


「それは考える」


「そこは駄目なのか」


 セラが小さく笑った。

 マルクが二人を交互に見る。


「知り合いだったのか?」


「少しだけ」


「一回話したくらい」


 ほぼ同時だった。


「それは知り合いなのか?」


「微妙だな」


「微妙だね」


 今度は意見が一致した。


「なら、今日でもう少し知っとけばいい」


 マルクは気楽に言った。


「護衛は長いぞ」


「往復で一日だろ?」


「一日ずっと一緒なら十分長い」


「確かに」


「まあ、そうかも」


 セラも頷いた。


 ◇


 少しして。

 三人はフィンリスの門を出た。


 マルクが御者台に座り、二頭の獣が荷車を引く。

 荷台には布を被せられた木箱がいくつも積まれていた。


 リベルは荷車の右側。

 セラは左側。

 互いに少し距離を空けながら歩いている。


「護衛って、具体的に何すればいい?」


「周囲を見ろ」


 マルクが前を向いたまま答えた。


「何か起きてから戦うだけが護衛じゃない。危ないものを先に見つける方が大事だ」


「なるほど」


「分からないことがあったらセラにも聞け。俺よりそっちの方が詳しい」


 リベルが反対側を見る。


「だって」


「何?」


「護衛、何回くらいやったことある?」


「んー……何回か」


「雑だな」


「数えてないから」


「じゃあ俺よりは先輩だ」


「護衛は初めて?」


「する側は」


「する側は?」


「前は護衛される側だった」


 セラがこちらを見る。


「それ、経験に入らないと思う」


「俺もそう思う」


「じゃあ何で言ったの?」


「もしかしたら入るかなって」


「入らないよ」


「はい」


 前からマルクの笑い声が聞こえた。


「仲良くやれそうじゃないか」


「そう見える?」


 セラが少し笑う。


「俺には見えるぞ」


「マルク、適当じゃない?」


「商人の見る目を疑うな」


「さっき俺の借金を面白い情報って言ってた人だけど」


「それとこれは別だ」


「絶対適当だろ」


 リベルが笑うと、セラも小さく吹き出した。

 そのまま街道を進む。

 何度も歩いたルーグ平原。

 けれど、今日はいつもと進む方向が違う。

 フィンリスから伸びる街道を、そのまま遠くへ。

 見慣れた草原のはずなのに、少しずつ景色が変わっていく。


「……いいな」


「何が?」


 セラが聞く。


「道」


「道?」


「こっち来たことなかったから」


「それだけ?」


「それだけ」


「変なの」


「よく言われる」


「やっぱり?」


「セラまで言う?」


「だって、道見て嬉しそうにしてる人あんまりいないし」


「知らない道だぞ?」


「道は道でしょ」


「その先に何あるか分かんないだろ」


「……そう言われると、ちょっと分かるかも」


「だろ?」


「ちょっとだけね」


 視線を遠くへ向けた、その時だった。

 街道から少し離れた草の間。

 長い耳が見えた。


「ん?」


 足を緩める。


 淡いクリーム色の毛。

 大きな尾。

 青緑がかった瞳が、こちらを見ている。


「……またいる」


 カーバルだった。

 以前より近い。

 それでも、こちらから距離を詰めれば逃げるだろう。


 リベルは歩みを止めなかった。

 ただ、小さく片手を上げる。


「よう」


 カーバルの耳が動く。

 逃げない。

 その場に立ったまま、通り過ぎていくリベルを見ている。


「知ってるの?」


 セラが気づいたらしい。


「たぶん」


「たぶん?」


「最近よく会う」


「飼ってるわけじゃないんだよね?」


「うん。近づくと逃げる」


「じゃあ、なんで追わないの?」


 リベルは少し考えた。


「追ったら逃げるから」


「……それはそうだけど」


「向こうが近づきたいなら、勝手に近づいてくるだろ」


 それだけ言って、前を向く。

 カーバルがどうしたいのかは、自分には分からない。

 だから放っておく。

 それでも最近は、少しずつ向こうから距離を縮めてきている。

 それで十分だった。


「ふーん……」


 セラは何か考えるようにカーバルを見る。


「かわいいね」


「そこ?」


「そこも大事でしょ」


 少し名残惜しそうに一度だけ振り返り、それから前を向いた。


 ◇


 しばらく進んだ頃だった。


「止まって」


 不意にセラが言った。

 さっきまでとは違う声だった。


「ん?」


 マルクが手綱を引く。

 荷車がゆっくり止まった。


 リベルはセラを見る。

 彼女の視線は、街道の先へ向けられている。


「どうした?」


「……あれ」


 少し先。

 街道を塞ぐように、大きな木が一本倒れていた。


「倒木?」


 リベルが目を細める。


「昨日の風かな」


「違うと思う」


 セラがすぐに返す。


「何で?」


「あそこ見て」


 倒れた木の根元を指す。

 距離があって細かくは見えない。

 けれど、確かに折れたというより――。


「……切られてる?」


 セラの手が、腰の鎖へ伸びた。

 さっきまで笑っていた表情から、緩さが消える。


「マルク。荷車から離れないで」


「ああ」


 リベルも剣の柄へ手を置いた。

 街道脇の草が大きく揺れた。


「……なんかいるな」


「うん」


 セラが短く答える。

 次の瞬間。

 草むらの奥で、何かが動いた。

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