①
翌朝。
「今日は休まないんですね」
冒険者ギルドの受付で、エレナが少し意外そうに言った。
「昨日休んだからね」
「一日で満足しちゃいました?」
「十分だろ」
「もう一日くらい休んでも、誰も怒りませんよ?」
「別に働かなきゃいけないわけじゃないんだけどさ」
リベルは受付横の掲示板へ目を向けた。
何枚もの依頼票が並んでいる。
採取。
討伐。
護衛。
調査。
見覚えのある依頼も増えた。
ミレア草。
セルナ草。
ラグ。
ガルク。
少し前なら、その横に書かれた報酬を真っ先に見ていた。
いくら稼げるか。
宿代を払えるか。
借金をどれだけ返せるか。
けれど、今はもう違う。
借金はない。
今日稼いだ金を何に使うのかも、自分で決めていい。
「……なんか変な感じだな」
「何がですか?」
「依頼を選ぶ時に、金から見なくていいの」
エレナがくすりと笑った。
「六十八銀もありましたからねえ」
「思い出させるなよ……」
「もう返したんですからいいじゃないですか」
「返したから言えるんだよ」
「じゃあ今度は、好きなの選んでください」
「好きなの、か」
もう一度、掲示板を見る。
同じ採取依頼を受ければ、確実に稼げる。
ラグも今ならそれほど怖くない。
ガルクだって、一度は倒した。
でも。
「せっかくなら、やったことないのがいいな」
口にしてから、少し笑った。
今はそれができる。
視線を動かしていく。
やがて、一枚の依頼票で止まった。
「……護衛」
「興味あります?」
「興味ある」
リベルは依頼票を覗き込む。
フィンリスから街道を進み、荷車を護衛する仕事。
行って、荷を届けて、戻る。
文章にすればそれだけだ。
「街の外まで行くんだよな?」
「もちろんです」
「どのくらい?」
「目的地までは半日くらいですね。何もなければ、今日中には戻れますよ」
「へえ」
知らない道。
知らない場所。
それだけで少し気になる。
「これ受けたい」
「決めるの早いですね」
「今、好きなの選べって言っただろ」
「言いましたけど、もう少し悩むものかと」
「知らない場所行けるなら十分」
「リベルさんらしいですね」
エレナが依頼票を手に取る。
「ただ、この依頼は二人で受けてもらうことになってるんです」
「二人?」
「はい。もう一人は決まってますよ」
「じゃあ、その人と行けばいい?」
「向こうがよければ。たぶん大丈夫だと思いますけど」
「誰?」
「それは――」
「お?」
後ろから声がした。
聞き覚えがある。
振り返ると、一人の男がこちらへ歩いてきていた。
「やっぱりリベルじゃないか」
「マルク!」
以前と変わらない、人当たりのいい笑顔。
商人のマルクだった。
「久しぶりだな」
「そうだな。元気そうで何よりだ」
「そっちも」
リベルはマルクの姿を見てから、手元の依頼票を見る。
もう一度マルクを見る。
「……もしかして」
「今回の依頼主は俺だ」
「やっぱり!」
マルクが楽しそうに笑った。
「エレナから聞いたぞ。借金、全部返したんだって?」
「情報早くない?」
「商人は情報が大事だからな」
「俺の借金返済まで必要な情報なのか?」
「面白い情報ではある」
「面白がるなよ」
「最初に会った時は、街へ入る一銀すら持ってなかったからな」
「それは忘れてくれ」
「無理だ」
即答された。
「私、そんな面白そうに話してませんからね?」
エレナが横から言う。
「そこは一応言っておきます」
「一応なんだ」
「完済したことはちゃんと褒めましたよ」
「ならいいか」
「いいのかよ」
マルクが笑う。
「それで、マルクの護衛?」
「ああ。マーガレット商会の荷を少し運ぶ」
「マーガレット商会?」
「俺が所属してる商会だ。そういや、ちゃんと話したことなかったか」
「初めて聞いた」
「だろうな」
また知らないものが増えた。
商会。
それも一つだけではないのだろう。
聞きたいことが浮かぶ。
けれど、その前に。
「俺でも大丈夫なの?」
「俺は構わんぞ」
マルクはあっさり答えた。
「前よりはずいぶん冒険者らしくなったらしいしな」
「らしいって」
「自分で言うものでもないだろ?」
「それはそうだけど」
「それに、今回は一人じゃない」
「あ、そうだった」
リベルはエレナを見る。
「もう一人って?」
「もう来てますよ」
「え?」
エレナの視線を追う。
少し離れた場所。
壁際に、一人の冒険者が立っていた。
黒い髪。
黒を基調とした軽装。
そして腰には――見間違えるはずもない。
鎖。
その先に繋がれた刃。
「あ」
思わず声が出た。
向こうもこちらに気づく。
翡翠色の瞳が、わずかに見開かれた。
「あ、この前の」
「セラだっけ?」
「名前、覚えてたんだ」
「そっちも顔覚えてるだろ」
「顔はね」
「名前は?」
セラが少しだけ考えるような顔をした。
「……リベル」
「今の間いる?」
「確認しただけ」
「ほんとか?」
「ほんとほんと」
口元を緩めながら、セラがこちらへ歩いてくる。
「セラさん。もう一人、リベルさんでも大丈夫です?」
エレナが聞く。
「うん。私は大丈夫」
「リベルさんは?」
「俺も」
「じゃあ決まりですね」
エレナが依頼票を机へ置いた。
リベルは改めてセラを見る。
そして、やっぱり視線はその腰へ落ちる。
鎖刃。
「……」
「また見てる」
「やっぱ気になるんだよ、それ」
「ほんと好きだね」
「珍しいから」
「前にも言ったけど、近くでは見ないでね。危ないから」
「今日は離れて見てる」
「それなら……まあ」
「いいの?」
「見るだけなら」
「じゃああとでちゃんと見せて」
「それは考える」
「そこは駄目なのか」
セラが小さく笑った。
マルクが二人を交互に見る。
「知り合いだったのか?」
「少しだけ」
「一回話したくらい」
ほぼ同時だった。
「それは知り合いなのか?」
「微妙だな」
「微妙だね」
今度は意見が一致した。
「なら、今日でもう少し知っとけばいい」
マルクは気楽に言った。
「護衛は長いぞ」
「往復で一日だろ?」
「一日ずっと一緒なら十分長い」
「確かに」
「まあ、そうかも」
セラも頷いた。
◇
少しして。
三人はフィンリスの門を出た。
マルクが御者台に座り、二頭の獣が荷車を引く。
荷台には布を被せられた木箱がいくつも積まれていた。
リベルは荷車の右側。
セラは左側。
互いに少し距離を空けながら歩いている。
「護衛って、具体的に何すればいい?」
「周囲を見ろ」
マルクが前を向いたまま答えた。
「何か起きてから戦うだけが護衛じゃない。危ないものを先に見つける方が大事だ」
「なるほど」
「分からないことがあったらセラにも聞け。俺よりそっちの方が詳しい」
リベルが反対側を見る。
「だって」
「何?」
「護衛、何回くらいやったことある?」
「んー……何回か」
「雑だな」
「数えてないから」
「じゃあ俺よりは先輩だ」
「護衛は初めて?」
「する側は」
「する側は?」
「前は護衛される側だった」
セラがこちらを見る。
「それ、経験に入らないと思う」
「俺もそう思う」
「じゃあ何で言ったの?」
「もしかしたら入るかなって」
「入らないよ」
「はい」
前からマルクの笑い声が聞こえた。
「仲良くやれそうじゃないか」
「そう見える?」
セラが少し笑う。
「俺には見えるぞ」
「マルク、適当じゃない?」
「商人の見る目を疑うな」
「さっき俺の借金を面白い情報って言ってた人だけど」
「それとこれは別だ」
「絶対適当だろ」
リベルが笑うと、セラも小さく吹き出した。
そのまま街道を進む。
何度も歩いたルーグ平原。
けれど、今日はいつもと進む方向が違う。
フィンリスから伸びる街道を、そのまま遠くへ。
見慣れた草原のはずなのに、少しずつ景色が変わっていく。
「……いいな」
「何が?」
セラが聞く。
「道」
「道?」
「こっち来たことなかったから」
「それだけ?」
「それだけ」
「変なの」
「よく言われる」
「やっぱり?」
「セラまで言う?」
「だって、道見て嬉しそうにしてる人あんまりいないし」
「知らない道だぞ?」
「道は道でしょ」
「その先に何あるか分かんないだろ」
「……そう言われると、ちょっと分かるかも」
「だろ?」
「ちょっとだけね」
視線を遠くへ向けた、その時だった。
街道から少し離れた草の間。
長い耳が見えた。
「ん?」
足を緩める。
淡いクリーム色の毛。
大きな尾。
青緑がかった瞳が、こちらを見ている。
「……またいる」
カーバルだった。
以前より近い。
それでも、こちらから距離を詰めれば逃げるだろう。
リベルは歩みを止めなかった。
ただ、小さく片手を上げる。
「よう」
カーバルの耳が動く。
逃げない。
その場に立ったまま、通り過ぎていくリベルを見ている。
「知ってるの?」
セラが気づいたらしい。
「たぶん」
「たぶん?」
「最近よく会う」
「飼ってるわけじゃないんだよね?」
「うん。近づくと逃げる」
「じゃあ、なんで追わないの?」
リベルは少し考えた。
「追ったら逃げるから」
「……それはそうだけど」
「向こうが近づきたいなら、勝手に近づいてくるだろ」
それだけ言って、前を向く。
カーバルがどうしたいのかは、自分には分からない。
だから放っておく。
それでも最近は、少しずつ向こうから距離を縮めてきている。
それで十分だった。
「ふーん……」
セラは何か考えるようにカーバルを見る。
「かわいいね」
「そこ?」
「そこも大事でしょ」
少し名残惜しそうに一度だけ振り返り、それから前を向いた。
◇
しばらく進んだ頃だった。
「止まって」
不意にセラが言った。
さっきまでとは違う声だった。
「ん?」
マルクが手綱を引く。
荷車がゆっくり止まった。
リベルはセラを見る。
彼女の視線は、街道の先へ向けられている。
「どうした?」
「……あれ」
少し先。
街道を塞ぐように、大きな木が一本倒れていた。
「倒木?」
リベルが目を細める。
「昨日の風かな」
「違うと思う」
セラがすぐに返す。
「何で?」
「あそこ見て」
倒れた木の根元を指す。
距離があって細かくは見えない。
けれど、確かに折れたというより――。
「……切られてる?」
セラの手が、腰の鎖へ伸びた。
さっきまで笑っていた表情から、緩さが消える。
「マルク。荷車から離れないで」
「ああ」
リベルも剣の柄へ手を置いた。
街道脇の草が大きく揺れた。
「……なんかいるな」
「うん」
セラが短く答える。
次の瞬間。
草むらの奥で、何かが動いた。




