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WILD HEART  作者: 日向 トキ
第二章 新しい日常

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20/32

⑨

 翌朝。

 冒険者ギルドの依頼板を眺めていたリベルは、一枚の依頼書の前で足を止めた。


「あ」


 昨日、エレナから聞いた名前だった。


 ガルク。

 討伐数、一体。


 依頼書を外し、そのまま受付へ持っていく。


「これ、受けてみたい」


 エレナが依頼書へ目を落とした。


「ガルクですか」


「昨日はまだおすすめしないって言ってたけど」


「言いましたね」


「でも、ずっとラグだけってわけにもいかないだろ?」


 エレナはすぐには答えなかった。

 リベルの腰にある剣を見て、それから顔を見る。


「一体だけなら、いい経験にはなると思います」


「じゃあ――」


「ただし」


「はい」


 先に返事をすると、エレナが少し笑った。


「昨日も説明しましたが、突進をまともに受けないでください」


「そんなに危ないの?」


「危ないです。ガルクは《衝律》という枝脈を持っています」


「衝律?」


「簡単に言えば、ぶつかる勢いを強める枝脈です。ただ走ってくるだけだと思わないでください」


「……なるほど」


「《顕現》があるからといって、正面から止めようともしないでくださいね」


「……ちょっと考えてた」


「やっぱり」


「でも今やめた」


「それなら結構です」


 受注処理を終えた依頼書が返される。


「あと、ガルクを探しに行く前に、一つ覚えておいてください」


「何?」


「定相種には、冒険者と同じく《相位》と呼ばれる五段階の分類があります。下から、戊、丁、丙、乙、甲です。」


「五段階か......」


「ラグもガルクも、一番下の戊相です。ただし、同じ相位だからといって、同じように戦えるわけではありません。」


「分かった」


「無理だと思ったら戻ってきてくださいね」


「うん。行ってきます!」


「お気をつけて」


◇

 

 ギルドを出ると、そのままルーグ平原へ向かった。

 ガルクを見つけたのは、昼になる少し前だった。


「……あれか?」


 少し離れた草の向こうで、大きな影が動いている。


 ラグより一回り大きい。

 身体は低く、肩回りが太い。

 特に目につくのは頭部だった。

 額から鼻先へ向かって硬そうな角状器官が伸びていて、正面から見ると小さな岩の塊にも見える。


「いかにも突進しますって見た目だな」


 リベルは腰の剣を抜いた。

 金属音に反応し、ガルクの頭がこちらを向く。

 前脚が地面を掻いた。

 頭が下がる。


「分かりやすいな」


 《身律》へ魔力を流す。

 昨日生まれたばかりの、新しい枝脈。

 まだ扱いには慣れていない。

 それでも、自分の身体の内側を魔力が巡る感覚は、昨日より少しだけ分かる。


 ガルクの身体が沈んだ。

 来る。

 そう思った次の瞬間。


「速っ!?」


 地面が強く蹴られた。

 低い身体が、想像していた以上の勢いで一直線に迫ってくる。

 

 リベルは反射的に横へ踏み込んだ。

 ガルクがすぐ横を駆け抜けた。

 巻き起こった風が服を揺らす。


「危なっ!」


 数歩先でガルクが速度を落とし、大きく身体を回した。


「エレナが止めるなって言った意味分かった!」


 あれを正面から《顕現》の板で受け止めるのは危険すぎる。

 昨日までなら、本気で試していたかもしれない。


「やらなくてよかった……」


 リベルは改めてガルクを見る。

 速い。

 ただ、身体を回し、再びこちらへ正面を向けるまでには時間がかかっていた。


「曲がるのは苦手そうだな」


 ラグは跳ぶ。

 ガルクは走る。

 同じように近づいてくる相手でも、動き方はまるで違う。


 再び前脚が地面を掻いた。

 リベルが魔力を外へ伸ばすと、青白い光が形を作った。

 ガルクの真正面ではなく、進路の少し横。

 地面へ接するように、低い板を斜めに作る。


「来い」


 ガルクが走り出した。

 真っ直ぐ。

 速い。

 リベルはぎりぎりまで動かない。

 距離が縮まる。


「こっち!」


 《身律》へ魔力を流し、一気に右へ踏み込んだ。

 ガルクも進路を変えようとする。

 だが、すでに勢いが乗っている。

 

 頭部が青白い板の端へぶつかったと同時に、鈍い音が響く。

 《顕現》した板が地面を滑りながら弾き飛ばされる。


「うわっ!」


 想像以上の衝撃だった。

 それでも、ガルクの進路がわずかにずれた。

 その巨体がリベルの横を抜ける。


「今!」


 身体を反転させる。

 昨日までなら、頭では分かっていても身体が遅れていた。

 今は違う。

 動こうと思った瞬間に、身体がついてくる。


 速度を落としきれていないガルクの側面へ追いついた。

 剣を振る。

 刃が肩の後ろを切り裂いた。

 ガルクが低く鳴き、数歩走ってから止まる。


「硬いな」


 ラグよりも刃が入りにくい。

 それでも、傷を負った側の動きが少し鈍っている。

 ガルクが再びこちらへ向いた。


「もう一回来るか」


 リベルは息を整える。


 正面から止めない。

 速度が乗った後に追いかけない。

 曲がりにくいなら、そこを使う。


「やることは分かった」


 三度目の突進。

 今度は板を作らなかった。


 ガルクが加速する。

 リベルは直前まで正面に立つ。

 近い。

 さらに近い。


「っ!」


 横へ踏み込む。

 《身律》に魔力が流れた。

 身体が思った通りに動く。


 ガルクが横を抜ける。

 その瞬間。

 リベルは反転し、踏み込んだ。

 剣を両手で握る。


「そこ!」


 振り下ろした刃が、先ほど傷をつけた場所へ深く入った。

 ガルクの前脚が崩れる。

 勢いのまま、巨体が草の上を滑った。


 数秒、リベルは剣を構えたまま様子を見る。

 動かない。


「……ふう」


 ようやく剣を下ろした。

 倒れたガルクを見る。


「同じ相位でも、全然違うじゃん……」


 エレナの言葉の意味が、今ならよく分かる。

 同じ相位なら、同じように戦える。

 そんな単純な話ではない。


「知らない相手は、ちゃんと聞いてから戦おう」


 また一つ覚えた。

 リベルは剣についた血を拭うと、腰の小型ナイフを取り出した。


「で、こっちもやるか」


 血抜き。

 まだ上手いとは言えない。

 それでも、どこへ刃を入れるのか迷う時間は、最初よりずっと短くなっていた。


◇


 それから、十日ほどが過ぎた。

 リベルはほとんど毎日のようにギルドへ通った。


 採取。

 ラグの討伐。

 ガルクの討伐。

 時には街の近くで済む簡単な依頼も受けた。


 最初は一つの依頼を終えるだけで一日が終わっていた。

 今は違う。

 採取なら、どこへ向かえばいいのか大体分かる。

 ラグの動きも覚えた。

 ガルクが相手なら、正面には立たない。

 討伐後には血抜きをして、運べる素材を選ぶ。

 重いだけで大した金にならないものを、無理して全部持ち帰ることもなくなった。


 分からなければ聞く。

 一度覚えたことは、次に試す。

 失敗したら、また変える。

 そうやって一日ずつ過ごしているうちに、冒険者としての生活は少しずつ特別なものではなくなっていった。


 《身律》も変わった。

 最初の頃のように、動くたび強く魔力を流すことはない。

 走る。

 止まる。

 跳ぶ。

 剣を振る。

 避ける。

 必要な時に、必要なだけ魔力を流す。

 繰り返すほど、身体の内側にあった細い流れが馴染んでいく。


 《顕現》も同じだった。

 大きな壁を作れば強いわけではない。

 小さな板一枚で相手の進路が変わる。

 足場が一つあれば届く場所が増える。

 細長くすれば、草を分ける道具にもなる。


 形を作れる。

 なら、その使い道はいくらでも考えられる。


「……やっぱり面白いな」


 一人で平原を歩きながら、そんな言葉が漏れることも増えた。

 そして、ルーグ平原へ出るたび、必ずではないものの、あのカーバルを見ることもあった。


 三日間、まったく姿を見なかったこともある。

 だが、次の日には、何事もなかったように岩の上にいる。


「あ」


 リベルが気づく。

 カーバルもこちらを見ている。


「やっぱりお前だよな?」


 一歩近づけば、まだ逃げる。


「そこは変わらないのかよ」


 追わない。

 そうすると、以前ほど遠くまでは離れなくなった。


 また別の日。

 岩へ腰を下ろして昼食を取っていると、少し離れた草の向こうに大きな耳が見えた。


「……いるな」


 あえて見ない。

 そのまま食事を続ける。

 しばらくして横目で見ると、最初より少しだけ距離が縮まっていた。


「腹減ってるのか?」


 大きな耳がぴくりと動く。


「……言葉は分かんないよな」


 食べ物を投げることもしなかった。

 無理に近づくこともしない。


「好きにしろ」


 そう言って昼食へ戻る。

 食べ終える頃には、姿は消えていた。

 それでも、初めて会った時よりは明らかに近い。


「なんなんだ、お前」


 答えは、まだ返ってこなかった。


◇


 金も少しずつ貯まった。

 依頼報酬。

 素材の売却。


 もちろん出ていく金もある。

 宿代。

 食事。

 消耗品。


 それでも、最初の頃とは違った。

 自分で働けば、自分で金を稼げる。


 ある日。

 マルクへ借りていた一銀を返した。


「別に急がなくてもよかったんだが」


「俺が返したかったの!」


「そうか?」


 マルクはそれ以上何も言わず、笑って受け取った。


 その数日後。

 ガルドにも十七銀を返した。


「もう貯めたのか?」


「結構働いたからな」


「無理して全部出してないだろうな」


「ちゃんと宿代は残してる」


「ならいい」


 ガルドは銀貨を受け取ると、それだけだった。

 けれど、その帰り道。

 腰の剣が、少しだけ違って見えた。

 借りた金で買った剣ではない。

 自分で稼いで返した。

 今はもう自分の剣だった。



 そして、さらに数日後。

 朝の冒険者ギルド。

 受付へ向かったリベルは、エレナの前に立つと腰のポーチを外した。


「今日は依頼の前に用事」


「用事ですか?」


「うん」


 中から銀貨を取り出す。

 一枚。

 また一枚。

 十枚。

 二十枚。

 エレナが途中で気づいた。


「もしかして……」


「三十」


 さらに並べる。


「四十」


 最後の十枚。


「五十」


 受付台の上に、銀貨が積み上がった。


「全部返す!」


 エレナが銀貨を見る。

 それからリベルを見る。


「もう貯まったんですか?」


「貯めた!」


「手元のお金まで全部出していませんよね?」


「ちゃんと宿代と飯代は残してるよ」


「でしたら大丈夫ですね」


「マルクにも返した。ガルドにも返した」


 リベルは受付台の銀貨を見る。


「だから、これで最後」


 エレナは銀貨を確認すると、奥へ声をかけた。

 職員が記録を持ってくる。

 冒険者ギルド証と照らし合わせ、金額をもう一度数える。


 少しして。

 エレナが記録へ書き込んだ。


「はい」


 顔を上げる。


「これで、登録時の貸付五十銀は完済です」


「……終わり?」


「終わりです」


「借金ゼロ?」


「ゼロです」


「本当に?」


「何度聞いてもゼロですよ」


 数秒。

 リベルは黙った。


「……よっしゃ!」


 思わず両手を握る。

 近くにいた冒険者が何事かとこちらを見た。

 そんなこと、今は気にならない。


「長かった!」


「まだ一月も経ってませんよ」


「俺の中では長かったの!」


 この街へ来た時。

 門を通るための一銀すら持っていなかった。

 冒険者になるために五十銀を借りた。

 剣を買うために十五銀。

 最初の宿代に二銀。


「六十八銀だぞ」


「よく覚えてますね」


「忘れられるわけないだろ!」


 エレナが小さく笑う。


「でも、本当にお疲れさまでした」


「うん」


「かなり早かったですよ」


「借りてるって思うだけで落ち着かなかったからな」


「リベルさんらしいですね」


「そう?」


「はい」


 リベルは空になった受付台を見る。

 次に、自分のポーチへ触れた。

 中身はさっきよりずっと軽い。

 不思議と来た時より心も身軽な気がした。


「じゃあ、今日の依頼――」


 そう言いながら依頼板へ向きかける。


「……いや」


 振り返る。


「今日はやめようかな」


 エレナが瞬きをした。


「珍しいですね」


「せっかく借金なくなった日だし」


「休むんですか?」


「うん」


 少し考えて、リベルは笑った。


「それも俺が決めていいんだろ?」


 エレナは一瞬だけリベルを見る。

 それから、柔らかく笑った。


「もちろんです」


「じゃあ今日は休み!」


「昨日までずっと働いていましたし、それくらいはいいと思いますよ」


「よし!」


 ギルドを出る。

 朝のフィンリスは、いつもと変わらない。


 店を開ける人。

 荷物を運ぶ人。

 冒険者ギルドへ向かう人。

 通りを走る子ども。

 何も変わっていない。

 けれど、リベルには少しだけ違って見えた。


 今までは金が増えるたび、最初に考えることが決まっていた。

 宿代。

 食費。

 返済。

 次の日を生きるための金。


 もちろん、これからも働かなければ金は減る。

 食べるためにも。

 眠る場所を確保するためにも。

 冒険を続けるためにも。

 金は必要だ。

 でも。


「これから稼ぐ分は、俺が使い道決めていいんだよな」


 何に使うか。

 どこへ行くか。

 いつ働くか。

 いつ休むか。

 すべて自分で決める。


「……いいな」


 口元が緩む。

 何となく腰の剣へ手を置いた。

 細かな傷が増えた、最初の一本。


「次に金使うなら……武器も考えたいな」


 少し考えて、首を振る。


「まあ、今日はいいか!」


 今日は休むと決めた。

 なら、何をするかくらい歩きながら考えればいい。

 リベルは目的もなく、フィンリスの通りを歩き始めた。

 行き先を決めていないことすら、今は少し楽しかった。

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