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WILD HEART  作者: 日向 トキ
第二章 新しい日常

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19/32

⑧

 初めての討伐依頼を終えた翌朝。

 銀月亭で朝食を済ませたリベルは、剣を腰へ差し――そこで一度、自分の格好を見下ろした。


「……足りないな」


 剣はある。

 冒険者ギルド証もある。

 依頼へ出ることだって、もうできる。


 それでも昨日、ラグ三体を持ち帰り、解体場まで見たことで分かった。

 倒した後まで考えるなら、今の装備だけでは足りない。


 その日の午前中。

 リベルはギルドへ向かう前に、いくつかの店を回った。


 最初に買ったのは、小型のナイフ。

 血抜きや、簡単な解体に使えるものだ。

 銀貨二枚と銅貨五十枚。


 次に、細かな道具や金をまとめて入れられる革製のポーチ。

 銀貨一枚と銅貨二十枚。


 最後に、革を巻いた丈夫な水筒。

 銅貨八十枚。


「……結構減ったな」


 店を出て、腰回りを見る。


 剣。

 ナイフ。

 ポーチ。

 水筒。


 昨日よりは、随分それらしくなった。


「まあ、必要な物だしな」


 使った分は、また稼げばいい。

 数日前なら、金が減ることそのものが不安だった。

 今は少し違う。

 仕事をすれば金になる。

 何をすればどれくらい稼げるのかも、少しずつ分かってきた。


「よし」


 水筒を軽く叩き、リベルは冒険者ギルドへ向かった。


◇


「おはようございます、リベルさん」


「おはよう」


 受付へ行くと、今日もエレナがそこにいた。


 挨拶を返した直後。

 エレナの視線が腰元へ落ちる。


「あ。買ったんですね」


「ちゃんと買ったよ」


 リベルは小型のナイフを軽く叩いた。


「血抜き用。あとポーチと水筒」


「少し冒険者らしくなりましたね」


「少し?」


「少しです」


「結構金かかったんだけど」


「装備の値段と冒険者らしさは比例しませんよ」


「厳しいな」


 リベルは少し笑い、依頼板へ目を向けた。


 採取。

 運搬。

 討伐。


 昨日までより、自然と見る範囲が広がっている。

 その中に、ラグとは違う名前の討伐依頼があった。


「これ」


 リベルが一枚を指す。


「ラグより強い?」


 エレナが依頼書を見る。


「ガルクですね」


「ガルク」


「今のリベルさんには、まだおすすめしません」


「そんなに?」


「ラグとは戦い方がかなり違いますから」


「どんなやつ?」


「突進を得意とする定相種です。身体もラグより重いですし、勢いをまともに受けると危険ですよ」


「……板で止めるのも怖そうだな」


「おすすめしません」


「ですよね」


 昨日のラグですら、板越しに受けた衝撃はかなり重かった。

 あれ以上となれば、止めるより避ける方がいい。


 そこまで考えて、昨日の戦いが頭に浮かんだ。

 

 二体目が来るのは見えていた。

 何をすればいいのかも分かっていた。

 それでも、身体が追いつかなかった。


「エレナさん」


「はい?」


「《身律》ってさ」


 エレナがリベルを見る。


「後から持てることもあるんだよな?」


「ありますよ」


「あるんだ」


「ただし」


 続く言葉がある。

 何となく分かった。


「欲しいからって手に入るわけじゃない?」


「その通りです」


「やっぱりか」


 エレナは頷く。


「カディアなどは、生まれた後の経験や環境によって、新しい枝脈が生じることがあります」


「経験で?」


「はい。何を繰り返してきたか。どんな環境で生きてきたか。何を必要としてきたか。そうした積み重ねが、その人自身の変化に繋がることがあります」


「じゃあ、ずっと走ってたら《身律》が生える?」


「そんな単純な話ではありません」


「ですよね」


「何年続けても新しい枝脈を得ない方もいますし、本人が望んだものとは違う枝脈が生じることもあります」


「選べないんだ」


「普通は」


 その一言にリベルの思考が止まった。


「……普通は?」


 エレナも言ってから気づいたらしい。


「リベルさんの場合は、まだ分からないことが多すぎるので」


「ああ……」


 自分の胸元を見る。

 青白い華紋。

 《核華》。

 使っても、何が起きているのか分からなかった力。


「核華って」


「はい」


「枝脈が深く育った先にできるんだよな?」


「基本的にはそうです」


「俺の場合、《顕現》をほとんど使ったことなかったのに最初からあった」


「……そうですね」


「やっぱり変だよな」


「かなり」


「即答だな」


「事実ですから」


 自覚はしていた。

 だが、一つ引っかかる。


 普通は枝脈が先。

 その枝脈を深く育てた先に、核華が成立する。

 自分は違う。

 枝脈は《顕現》一つ。

 なのに、核華は最初からあった。


「……順番、逆なんだよな」


 思わず呟く。


「何がですか?」


「いや」


 まだ何も分からない。

 分からないのに、決めつけるのは早い。

 それでも、胸の奥に小さな疑問が残った。

 

 昨日から欲しいと思っている《身律》。

 普通なら、欲しいだけでは手に入らない。

 でも自分が持つ核華なら。


「……試してみるか」


「何をです?」


「安全な範囲で」


「リベルさん?」


「危ないことはしないって!」


「今、一番信用しにくい言い方でしたよ」


「ちゃんと平原でやるから!」


 エレナが小さく息を吐いた。


「何をするつもりですか?」


「まだ分かんない」


「余計に不安なんですが」


「俺もだから大丈夫」


「何も大丈夫ではありません」


「とりあえず今日は採取にする」


 討伐依頼から手を離す。


「それなら少し安心しました」


「少し?」


「少しです」


「今日そればっかりだな」


 結局、リベルは慣れてきたセルナ草の採取依頼を一つ受け、ギルドを出た。


◇


 ルーグ平原。

 何度か訪れた場所まで来ると、リベルはまず依頼を進めた。


 岩の根元。

 浅い窪地。

 地面の状態を見ながら歩く。


「……あった」


 青白い葉。

 セルナ草。


 最初に探した時より、見つけるまでの時間は明らかに短くなっている。

 採取して袋へ入れる。


「これで六つ」


 あと四つ。


 周囲を見回す。

 人影はない。

 近くに定相種の姿も見えない。

 開けた場所。


「……ここならいいか」


 リベルは袋を足元へ置いた。


 一度深く息を吐く。

 左胸へ意識を向ける。

 

 華紋。

 そして、その奥にあるまだ正体の分からないもの。


「《核華》」


 魔力を流す。

 服の下で、青白い枝の紋様が淡く光り始めた。


 閉じていた蕾がゆっくりと花開く。

 青白い薔薇。


「……やっぱり咲く」


 ここまでは以前と同じ。

 問題は、その先。

 

 前回は何をすればいいのか分からなかった。

 ただ核華を使った。

 それだけだった。


 今日は違う。

 試したいことがある。


「《身律》」


 昨日見たラグを思い出す。


 後脚が地面を蹴る直前。

 身体の中へ流れる魔力。


 ただ速くなる力ではない。

 エレナは以前、身体そのものへ作用する枝脈だと言っていた。


「身体に……作用する」


 腕を動かす。

 足を動かす。

 自分の身体。

 

 今まで何度も感じた。

 頭では分かっているのに身体が遅れる。


「思った時に……ちゃんと動いてほしい」


 その感覚を強く意識する。

 魔力を外へ出すのではない。

 《顕現》とは逆。

 自分の中へ。


「……」


 何も起きない。


「違うか」


 一度、核華への魔力を弱める。

 青薔薇はまだ咲いている。


 もう一度。

 今度はラグそのものを真似しようとしない。


 ラグの後脚。

 あれはラグの《身律》だ。

 自分が必要としているものが同じとは限らない。


「俺が欲しいのは……」


 昨日、二匹のラグを相手にした時。


 見えた。

 でも、身体が追いつかなかった。

 逃げるラグにも追いつけなかった。


「身体を……もっと、動かせるように」


 魔力が流れる。

 胸の奥。

 何かが僅かに動いた。


「……ん?」


 今までとは違う。


 《顕現》へ魔力を流す時。

 自分の中には、決まった道があるような感覚がする。

 そこを通り、魔力が外へ出る。


 今、その近くに。

 何もなかった場所へ。

 細い何かが伸びたような感覚。


「……待てよ?」


 集中する。

 消えそうなほど細い。

 でも、確かにある。


「これって……」


 魔力を流す。

 まだ流れにくい。

 道ができていない場所を無理に通しているような、妙な抵抗。


「枝……?」


 その瞬間。

 華紋の薔薇が、強く光った。


「っ!」


 胸の奥から魔力が広がる。

 外ではなく内側。

 腕や脚、背中。

 身体全体へ。


「……来た」


 分かる。

 今までとは違う。


 《顕現》でもない。

 核華そのものでもない。

 新しい流れ。


「まさか……」


 リベルは自分の手を見る。


 握る。

 開く。

 何も変わらない。


「いや」


 少し腰を落とす。

 一歩、地面を蹴った。


「――うわっ!?」


 身体が想像以上に前へ出た。

 慌てて足を出す。


 一歩。

 二歩。

 三歩。


「待っ――!」


 止まりきれず、草の上へ転がった。


「っ……!」


 仰向けになる。

 青い空。

 流れる雲。


「……痛い」


 数秒。

 そのまま空を見る。

 そして。


「……はは」


 笑いが漏れた。

 身体を起こす。


「動いた」


 さっきまでとは違う。


 地面を蹴った瞬間。

 いつもなら身体が追いつかないくらいの力が、そのまま動きへ変わった。


「もう一回」


 立つ。

 今度は魔力を弱める。

 新しくできた細い流れへ少しずつ。


 一歩。

 今度は飛び出しすぎない。


「……」


 もう一歩。


 走る。

 止まる。

 向きを変える。


「おお……!」


 速い。

 それ以上に動きやすい。

 足を出そうと思えば、足が出る。

 止まろうと思えば、さっきより早く身体が反応する。


 腕を振る。

 身体を捻る。

 跳ぶ。

 着地する。


「これ……!」


 リベルは胸元を見る。

 青白い薔薇。

 その奥に、昨日まで存在しなかった一本の細い枝。


「《身律》……?」


 確証はない。

 検査したわけでもない。

 でも。


 以前見たラグ。

 エレナから聞いた説明。

 そして今、自分の身体へ起きていること。


「……作れた?」


 言葉にした瞬間。

 自分でも、その意味の大きさに気づいた。


「俺が……枝脈を?」


 普通は選べない。

 欲しいからといって手に入るものではない。

 それを自分は。


「……核華で?」


 胸の奥が高鳴る。

 華紋を見る。

 まだ青白く咲いている青薔薇。


「これが……俺の核華?」


 答えは返ってこない。

 当然だ。

 それでも。


 今まで何をしても分からなかった力が、初めて明確に何かを起こした。


「枝脈を……作れる?」


 もし本当にそうなら。

 可能性はいくらでも浮かぶ。


 火。

 風。

 土。

 昨日見たもの。

 これから見るもの。


「……」


 そこまで考えてリベルは止まった。

 エレナの言葉を思い出す。


 枝脈は持っているだけでは育たない。


 使い、経験を重ね、その人自身のものになっていく。


「作れるからって……何でも作ればいいわけじゃないか」


 そもそも、本当に自由に何でも作れるのかすらまだ分からない。


 今回は《身律》を知っていた。

 実際に見て必要だと思った。

 それで初めて何かが起きた。


「……一回成功しただけだ」


 焦る必要はない。

 まず今できたものを確かめる。


「《身律》……か」


 もう一度。

 少しだけ魔力を流す。


 走る。

 止まる。

 跳ぶ。


 今度は転ばない。


「いいな、これ!」


 昨日。

 見えているのに動けなかった。

 その差がほんの少しだが、埋まった気がした。


 もちろん、まだ扱いは下手だ。

 魔力を強く流せば身体が動きすぎる。

 急に止まれば姿勢も崩れる。

 それでも。


「これなら……もっと自由に戦える」


 自然と笑みが浮かぶ。

 昨日よりまた一つ。

 できることが増えた。


「……よし」


 核華への魔力を止める。

 華紋の薔薇がゆっくりと閉じていく。

 けれど、新しくできた流れは消えない。

 そこに残っている。


「......もう少し自分で確かめてみるか」


 一度成功しただけだ。

 これが本当に新しい枝脈なのか。

 それすら、まだ分からない。


「その前に依頼だ」


 完全に忘れていた。

 リベルは袋を拾い上げ、採取を再開した。


◇


「あと一つ」


 それからしばらく。

 セルナ草を探して歩いていたリベルは、浅い窪地の近くで最後の一本を見つけた。


「よし」


 根元を傷つけないよう採取する。

 これで十本。

 依頼達成。


「帰るか」


 立ち上がる。

 その時だった。


 少し離れた岩の上で何かが動いた。


「……ん?」


 長い耳。

 細い身体。

 そして。

 身体に不釣り合いなくらい大きな、ふさふさした尾。


「……カーバル?」


 リベルの足が止まる。


 淡い体毛。

 翡翠色の瞳。

 一瞬、粘着物の中で自分を警戒していた姿が頭に浮かんだ。


「……あの時の?」


 同じ個体なのかは分からない。

 似た姿のカーバルが他にもいるのなら、見ただけで判断することはできない。


 それでも、向こうはじっとリベルを見ていた。


「……」


 一歩近づこうとする。

 カーバルの身体が僅かに低くなった。


「あ」


 リベルは止まる。

 警戒されている。


「分かったよ。行かない」


 その場でしゃがむ。

 両手も見える位置へ置く。


「何もしないぞ」


 言葉が通じるかは分からない。

 それでも、以前のように追いかけることはしない。


 しばらくリベルとカーバルは互いに見合っていた。


「……お前、本当にあの時のやつ?」


 長い耳が小さく動く。


「それじゃ分かんないな」


 当然、返事はない。

 リベルは少し笑った。


「まあいいや」


 立ち上がる。

 今度は近づかない。


 袋を持ち直し、フィンリスの方角へ歩き始める。

 数歩歩いたところで、何となく気になって振り返った。


「……」


 まだいる。

 岩の上からこちらを見ている。


「なんだよ」


 もう少し歩く。

 また振り返る。

 今度は岩から降りていた。

 けれど、逃げてはいない。


「……やっぱり、あの時のやつか?」


 カーバルの耳がまた動く。

 近づいては来なかった。

 リベルも近づかない。


「じゃあな」


 今度こそフィンリスへ向かう。

 少し歩いてから。

 最後に一度だけ振り返った。


 遠く。

 草の間。

 小さな姿がまだ見えていた。


「……また会ったな」


 あの日、助けた直後は近づくだけで逃げた。

 今日は、最後まで逃げなかった。

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