⑧
初めての討伐依頼を終えた翌朝。
銀月亭で朝食を済ませたリベルは、剣を腰へ差し――そこで一度、自分の格好を見下ろした。
「……足りないな」
剣はある。
冒険者ギルド証もある。
依頼へ出ることだって、もうできる。
それでも昨日、ラグ三体を持ち帰り、解体場まで見たことで分かった。
倒した後まで考えるなら、今の装備だけでは足りない。
その日の午前中。
リベルはギルドへ向かう前に、いくつかの店を回った。
最初に買ったのは、小型のナイフ。
血抜きや、簡単な解体に使えるものだ。
銀貨二枚と銅貨五十枚。
次に、細かな道具や金をまとめて入れられる革製のポーチ。
銀貨一枚と銅貨二十枚。
最後に、革を巻いた丈夫な水筒。
銅貨八十枚。
「……結構減ったな」
店を出て、腰回りを見る。
剣。
ナイフ。
ポーチ。
水筒。
昨日よりは、随分それらしくなった。
「まあ、必要な物だしな」
使った分は、また稼げばいい。
数日前なら、金が減ることそのものが不安だった。
今は少し違う。
仕事をすれば金になる。
何をすればどれくらい稼げるのかも、少しずつ分かってきた。
「よし」
水筒を軽く叩き、リベルは冒険者ギルドへ向かった。
◇
「おはようございます、リベルさん」
「おはよう」
受付へ行くと、今日もエレナがそこにいた。
挨拶を返した直後。
エレナの視線が腰元へ落ちる。
「あ。買ったんですね」
「ちゃんと買ったよ」
リベルは小型のナイフを軽く叩いた。
「血抜き用。あとポーチと水筒」
「少し冒険者らしくなりましたね」
「少し?」
「少しです」
「結構金かかったんだけど」
「装備の値段と冒険者らしさは比例しませんよ」
「厳しいな」
リベルは少し笑い、依頼板へ目を向けた。
採取。
運搬。
討伐。
昨日までより、自然と見る範囲が広がっている。
その中に、ラグとは違う名前の討伐依頼があった。
「これ」
リベルが一枚を指す。
「ラグより強い?」
エレナが依頼書を見る。
「ガルクですね」
「ガルク」
「今のリベルさんには、まだおすすめしません」
「そんなに?」
「ラグとは戦い方がかなり違いますから」
「どんなやつ?」
「突進を得意とする定相種です。身体もラグより重いですし、勢いをまともに受けると危険ですよ」
「……板で止めるのも怖そうだな」
「おすすめしません」
「ですよね」
昨日のラグですら、板越しに受けた衝撃はかなり重かった。
あれ以上となれば、止めるより避ける方がいい。
そこまで考えて、昨日の戦いが頭に浮かんだ。
二体目が来るのは見えていた。
何をすればいいのかも分かっていた。
それでも、身体が追いつかなかった。
「エレナさん」
「はい?」
「《身律》ってさ」
エレナがリベルを見る。
「後から持てることもあるんだよな?」
「ありますよ」
「あるんだ」
「ただし」
続く言葉がある。
何となく分かった。
「欲しいからって手に入るわけじゃない?」
「その通りです」
「やっぱりか」
エレナは頷く。
「カディアなどは、生まれた後の経験や環境によって、新しい枝脈が生じることがあります」
「経験で?」
「はい。何を繰り返してきたか。どんな環境で生きてきたか。何を必要としてきたか。そうした積み重ねが、その人自身の変化に繋がることがあります」
「じゃあ、ずっと走ってたら《身律》が生える?」
「そんな単純な話ではありません」
「ですよね」
「何年続けても新しい枝脈を得ない方もいますし、本人が望んだものとは違う枝脈が生じることもあります」
「選べないんだ」
「普通は」
その一言にリベルの思考が止まった。
「……普通は?」
エレナも言ってから気づいたらしい。
「リベルさんの場合は、まだ分からないことが多すぎるので」
「ああ……」
自分の胸元を見る。
青白い華紋。
《核華》。
使っても、何が起きているのか分からなかった力。
「核華って」
「はい」
「枝脈が深く育った先にできるんだよな?」
「基本的にはそうです」
「俺の場合、《顕現》をほとんど使ったことなかったのに最初からあった」
「……そうですね」
「やっぱり変だよな」
「かなり」
「即答だな」
「事実ですから」
自覚はしていた。
だが、一つ引っかかる。
普通は枝脈が先。
その枝脈を深く育てた先に、核華が成立する。
自分は違う。
枝脈は《顕現》一つ。
なのに、核華は最初からあった。
「……順番、逆なんだよな」
思わず呟く。
「何がですか?」
「いや」
まだ何も分からない。
分からないのに、決めつけるのは早い。
それでも、胸の奥に小さな疑問が残った。
昨日から欲しいと思っている《身律》。
普通なら、欲しいだけでは手に入らない。
でも自分が持つ核華なら。
「……試してみるか」
「何をです?」
「安全な範囲で」
「リベルさん?」
「危ないことはしないって!」
「今、一番信用しにくい言い方でしたよ」
「ちゃんと平原でやるから!」
エレナが小さく息を吐いた。
「何をするつもりですか?」
「まだ分かんない」
「余計に不安なんですが」
「俺もだから大丈夫」
「何も大丈夫ではありません」
「とりあえず今日は採取にする」
討伐依頼から手を離す。
「それなら少し安心しました」
「少し?」
「少しです」
「今日そればっかりだな」
結局、リベルは慣れてきたセルナ草の採取依頼を一つ受け、ギルドを出た。
◇
ルーグ平原。
何度か訪れた場所まで来ると、リベルはまず依頼を進めた。
岩の根元。
浅い窪地。
地面の状態を見ながら歩く。
「……あった」
青白い葉。
セルナ草。
最初に探した時より、見つけるまでの時間は明らかに短くなっている。
採取して袋へ入れる。
「これで六つ」
あと四つ。
周囲を見回す。
人影はない。
近くに定相種の姿も見えない。
開けた場所。
「……ここならいいか」
リベルは袋を足元へ置いた。
一度深く息を吐く。
左胸へ意識を向ける。
華紋。
そして、その奥にあるまだ正体の分からないもの。
「《核華》」
魔力を流す。
服の下で、青白い枝の紋様が淡く光り始めた。
閉じていた蕾がゆっくりと花開く。
青白い薔薇。
「……やっぱり咲く」
ここまでは以前と同じ。
問題は、その先。
前回は何をすればいいのか分からなかった。
ただ核華を使った。
それだけだった。
今日は違う。
試したいことがある。
「《身律》」
昨日見たラグを思い出す。
後脚が地面を蹴る直前。
身体の中へ流れる魔力。
ただ速くなる力ではない。
エレナは以前、身体そのものへ作用する枝脈だと言っていた。
「身体に……作用する」
腕を動かす。
足を動かす。
自分の身体。
今まで何度も感じた。
頭では分かっているのに身体が遅れる。
「思った時に……ちゃんと動いてほしい」
その感覚を強く意識する。
魔力を外へ出すのではない。
《顕現》とは逆。
自分の中へ。
「……」
何も起きない。
「違うか」
一度、核華への魔力を弱める。
青薔薇はまだ咲いている。
もう一度。
今度はラグそのものを真似しようとしない。
ラグの後脚。
あれはラグの《身律》だ。
自分が必要としているものが同じとは限らない。
「俺が欲しいのは……」
昨日、二匹のラグを相手にした時。
見えた。
でも、身体が追いつかなかった。
逃げるラグにも追いつけなかった。
「身体を……もっと、動かせるように」
魔力が流れる。
胸の奥。
何かが僅かに動いた。
「……ん?」
今までとは違う。
《顕現》へ魔力を流す時。
自分の中には、決まった道があるような感覚がする。
そこを通り、魔力が外へ出る。
今、その近くに。
何もなかった場所へ。
細い何かが伸びたような感覚。
「……待てよ?」
集中する。
消えそうなほど細い。
でも、確かにある。
「これって……」
魔力を流す。
まだ流れにくい。
道ができていない場所を無理に通しているような、妙な抵抗。
「枝……?」
その瞬間。
華紋の薔薇が、強く光った。
「っ!」
胸の奥から魔力が広がる。
外ではなく内側。
腕や脚、背中。
身体全体へ。
「……来た」
分かる。
今までとは違う。
《顕現》でもない。
核華そのものでもない。
新しい流れ。
「まさか……」
リベルは自分の手を見る。
握る。
開く。
何も変わらない。
「いや」
少し腰を落とす。
一歩、地面を蹴った。
「――うわっ!?」
身体が想像以上に前へ出た。
慌てて足を出す。
一歩。
二歩。
三歩。
「待っ――!」
止まりきれず、草の上へ転がった。
「っ……!」
仰向けになる。
青い空。
流れる雲。
「……痛い」
数秒。
そのまま空を見る。
そして。
「……はは」
笑いが漏れた。
身体を起こす。
「動いた」
さっきまでとは違う。
地面を蹴った瞬間。
いつもなら身体が追いつかないくらいの力が、そのまま動きへ変わった。
「もう一回」
立つ。
今度は魔力を弱める。
新しくできた細い流れへ少しずつ。
一歩。
今度は飛び出しすぎない。
「……」
もう一歩。
走る。
止まる。
向きを変える。
「おお……!」
速い。
それ以上に動きやすい。
足を出そうと思えば、足が出る。
止まろうと思えば、さっきより早く身体が反応する。
腕を振る。
身体を捻る。
跳ぶ。
着地する。
「これ……!」
リベルは胸元を見る。
青白い薔薇。
その奥に、昨日まで存在しなかった一本の細い枝。
「《身律》……?」
確証はない。
検査したわけでもない。
でも。
以前見たラグ。
エレナから聞いた説明。
そして今、自分の身体へ起きていること。
「……作れた?」
言葉にした瞬間。
自分でも、その意味の大きさに気づいた。
「俺が……枝脈を?」
普通は選べない。
欲しいからといって手に入るものではない。
それを自分は。
「……核華で?」
胸の奥が高鳴る。
華紋を見る。
まだ青白く咲いている青薔薇。
「これが……俺の核華?」
答えは返ってこない。
当然だ。
それでも。
今まで何をしても分からなかった力が、初めて明確に何かを起こした。
「枝脈を……作れる?」
もし本当にそうなら。
可能性はいくらでも浮かぶ。
火。
風。
土。
昨日見たもの。
これから見るもの。
「……」
そこまで考えてリベルは止まった。
エレナの言葉を思い出す。
枝脈は持っているだけでは育たない。
使い、経験を重ね、その人自身のものになっていく。
「作れるからって……何でも作ればいいわけじゃないか」
そもそも、本当に自由に何でも作れるのかすらまだ分からない。
今回は《身律》を知っていた。
実際に見て必要だと思った。
それで初めて何かが起きた。
「……一回成功しただけだ」
焦る必要はない。
まず今できたものを確かめる。
「《身律》……か」
もう一度。
少しだけ魔力を流す。
走る。
止まる。
跳ぶ。
今度は転ばない。
「いいな、これ!」
昨日。
見えているのに動けなかった。
その差がほんの少しだが、埋まった気がした。
もちろん、まだ扱いは下手だ。
魔力を強く流せば身体が動きすぎる。
急に止まれば姿勢も崩れる。
それでも。
「これなら……もっと自由に戦える」
自然と笑みが浮かぶ。
昨日よりまた一つ。
できることが増えた。
「……よし」
核華への魔力を止める。
華紋の薔薇がゆっくりと閉じていく。
けれど、新しくできた流れは消えない。
そこに残っている。
「......もう少し自分で確かめてみるか」
一度成功しただけだ。
これが本当に新しい枝脈なのか。
それすら、まだ分からない。
「その前に依頼だ」
完全に忘れていた。
リベルは袋を拾い上げ、採取を再開した。
◇
「あと一つ」
それからしばらく。
セルナ草を探して歩いていたリベルは、浅い窪地の近くで最後の一本を見つけた。
「よし」
根元を傷つけないよう採取する。
これで十本。
依頼達成。
「帰るか」
立ち上がる。
その時だった。
少し離れた岩の上で何かが動いた。
「……ん?」
長い耳。
細い身体。
そして。
身体に不釣り合いなくらい大きな、ふさふさした尾。
「……カーバル?」
リベルの足が止まる。
淡い体毛。
翡翠色の瞳。
一瞬、粘着物の中で自分を警戒していた姿が頭に浮かんだ。
「……あの時の?」
同じ個体なのかは分からない。
似た姿のカーバルが他にもいるのなら、見ただけで判断することはできない。
それでも、向こうはじっとリベルを見ていた。
「……」
一歩近づこうとする。
カーバルの身体が僅かに低くなった。
「あ」
リベルは止まる。
警戒されている。
「分かったよ。行かない」
その場でしゃがむ。
両手も見える位置へ置く。
「何もしないぞ」
言葉が通じるかは分からない。
それでも、以前のように追いかけることはしない。
しばらくリベルとカーバルは互いに見合っていた。
「……お前、本当にあの時のやつ?」
長い耳が小さく動く。
「それじゃ分かんないな」
当然、返事はない。
リベルは少し笑った。
「まあいいや」
立ち上がる。
今度は近づかない。
袋を持ち直し、フィンリスの方角へ歩き始める。
数歩歩いたところで、何となく気になって振り返った。
「……」
まだいる。
岩の上からこちらを見ている。
「なんだよ」
もう少し歩く。
また振り返る。
今度は岩から降りていた。
けれど、逃げてはいない。
「……やっぱり、あの時のやつか?」
カーバルの耳がまた動く。
近づいては来なかった。
リベルも近づかない。
「じゃあな」
今度こそフィンリスへ向かう。
少し歩いてから。
最後に一度だけ振り返った。
遠く。
草の間。
小さな姿がまだ見えていた。
「……また会ったな」
あの日、助けた直後は近づくだけで逃げた。
今日は、最後まで逃げなかった。




