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WILD HEART  作者: 日向 トキ
第二章 新しい日常

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⑥

「どうやって助けるかな」


 リベルはその場にしゃがんだまま、目の前の状況を見直した。

 小さな獣は、ギルムの巣から少し離れた場所で身を低くしている。


 後ろ脚と尾の周りには、半透明の粘着物。

 そこへ枯れ草や土が絡みつき、動こうとするたびに地面へ引き戻されていた。


「グルル……」


「分かってる。近づいてほしくないんだろ」


 牙を見せる獣にそう答える。

 当然、言葉が通じているとは思っていない。

 それでも声を出していた方が、自分も落ち着ける。

 問題は、その周囲だった。


 ギルムの巣。

 地面には、ところどころ粘ついたものが伸びている。

 下手に踏み込めば、自分まで足を取られるかもしれない。


「俺まで動けなくなったら意味ないしな」


 近くに落ちていた小石を拾う。

 軽く投げる。


 ぺたり。


 地面へ落ちた石は、粘着物に触れた瞬間その場へ張りついた。


「うわ」


 つま先で行かなくてよかった。

 リベルは少し考え、左手を前へ出した。


「《顕現》」


 青白い魔力が形を持つ。

 地面の少し上。

 平たい板。

 昨日ラグとの戦いで作ったものよりも、少し広く。


「……これなら」


 足を乗せる。

 沈まない。

 もう一枚。

 さらにその先へ。

 粘着物の上に、青白い板を飛び石のように作っていく。


「これ、結構便利だな」


 戦うために使うことばかり考えていた。

 でも、こういう使い方もできる。

 一枚目へ足を乗せる。


「グルルッ!」


 獣の唸り声が強くなった。


「行くけど、噛むなよ」


「ガッ!」


「今の絶対噛むやつじゃん……」


 とはいえ、ここまで来て帰る気もない。


 一歩。

 もう一歩。

 獣との距離が縮まる。

 長い耳は後ろへ伏せられ、翡翠色の瞳がじっとリベルを追っていた。


 近くで見ると、身体は思っていたより細い。

 大きさは膝より少し低いくらい。

 柔らかそうな淡い毛に覆われた身体。

 その身体には不釣り合いなくらい大きな尾が伸びている。

 逃げられさえすれば、相当速そうだった。


「……そこがくっついてるのか」


 後ろ脚を見る。

 粘着物は毛だけではなく、周囲の枯れ草ごと固まっていた。

 無理に引けば、毛や皮膚まで傷めるかもしれない。


「切るしかないか」


 腰の剣へ手を伸ばす。

 そこで止まった。


「…………」


 大きい。

 近くに獣の脚がある状態で、この剣を振るのは怖い。


「これは違うな」


 剣から手を離す。

 なら。


 左手を見る。


「もっと小さく……」


 魔力を出す。

 細く。

 短く。

 必要なのは剣ではない。

 絡んだ草だけを切れる程度の、小さな刃。


 青白い光がゆっくり形を取る。


「…………」


 できた。

 指先から少し伸びる程度の、短い刃。

 形は少し歪んでいる。

 それでも。


「これならいけるか」


 一歩近づく。


「グルルルッ!」


「待て待て!」


 獣が身体を捻る。

 粘着物が引っ張られ、後ろ脚が止まった。


「暴れると余計取れなくなるって」


 もちろん言っても止まらない。

 牙がこちらを向く。


「…………」


 リベルはしゃがんだ。

 すぐには手を出さない。

 少し待つ。

 獣も唸る。

 リベルも動かない。


「別に捕まえたいわけじゃないんだよ」


 ゆっくり、左手を見せる。


「これだけ切る」


 反応はない。


 いや。

 唸り声が、ほんの少しだけ弱くなった気がした。


「……今だな」


 少しずつ手を伸ばす。

 刃先を粘着物へ近づける。

 獣の身体が強張った。


「大丈夫」


 一か所。

 絡まった枯れ草を切る。

 粘着物が少し緩んだ。


「よし」


 もう一か所。

 今度は尾の近く。


「グッ……!」


「動くなって!」


 顔のすぐ横を牙が掠めた。


「危なっ!」


 慌てて上体を引く。


「噛むなよ!」


「グルル……」


「助けてるんだけどなぁ……」


 文句を言っても仕方ない。

 もう一度。

 今度はさらにゆっくり。


 粘着物そのものを無理に剥がさず、絡まっている草や枝だけを少しずつ切っていく。


「あとちょっと」


 最後に、後ろ脚の下へ絡みついていた枯れ草を切った。

 その瞬間。


「っ!」


 獣が強く身体を引いた。

 ぶちっ、と粘着物の一部が伸び、後ろ脚が抜ける。


「取れた!」


 尾も自由になった。

 次の瞬間。


「うわっ!」


 獣が勢いよく飛び退いた。

 リベルも反射的に身を引く。

 二人の距離が一気に開いた。


「…………」


「…………」


 獣は逃げなかった。


 数メートル先。

 身体を低くしたまま、こちらを見ている。

 後ろ脚には、まだ少し粘着物が残っている。

 けれど歩けないほどではなさそうだった。


「もう大丈夫そうだな」


 一歩も近づかない。


「行っていいよ」


 獣の耳が僅かに動く。

 そして風が揺れた。


「え?」


 獣の身体の周りを、空気が巻いたように見えた。

 次の瞬間。


「速っ」


 一跳び。


 さっきまで動けなかったとは思えない速度で、草原の向こうへ駆けていく。

 あっという間に小さくなり、やがて草の向こうへ消えた。


「…………」


 リベルはしばらくその方向を見ていた。


「行ったか」


 少しだけ寂しい。

 自分から助けておいて何を期待していたのか、とも思う。


「まあ、あれだけ警戒されてたしな」


 助けたからといって、急に仲良くなるわけでもない。

 むしろ噛まれなかっただけ良かったと思うことにしよう。


「よし」


 振り返る。

 ギルムたちは相変わらず巣を直していた。

 こちらの騒ぎにはほとんど興味がなかったらしい。


「俺も仕事戻ろ」


 《顕現》で作った板を消す。

 最後に、短い刃を見る。


「…………」


 小さい。

 形も綺麗とは言えない。

 今までは、顕現で刃を作ったことがなかった。


「剣じゃなくても作れるんだよな」


 昨日、バレンの店で見た様々な武器を思い出す。


 長さ。

 厚み。

 形。

 用途。


「これ、もっと色々できそうだな」


 また一つ、試したいことが増えた。


     ◇


「八……」


 それから少し歩き。


「九」


 岩の陰。

 そして。


「あった」


 浅い窪地に、淡い青白色の葉。


「十本!」


 最後のセルナ草を摘み取り、袋へ入れる。


 中身を確認する。

 ミレア草、十本。

 セルナ草、十本。


「よし」


 今日は戦っていない。

 けれど。

 ニグを見た。

 ギルムを見た。


 枝脈が、生きるために使われるところを見た。

 知らない獣まで助けた。


「草採りだけの予定だったんだけどな」


 昨日も似たようなことを言った気がする。


「まあ、いいか」


 リベルは二つの袋を抱え、フィンリスへ向かった。


     ◇


 街の門が近づいてきた頃。


「…………?」


 後ろで草が揺れた。

 リベルが振り向く。


「何だ?」


 風か?

 そう思った。

 けれど。

 少し離れた丘の上。


「…………」


 二本の長い耳が見えた。


「あ」


 昼間助けた獣がこちらを見ている。


「お前……」


 声をかけた瞬間。


 耳がぴくりと動き、すぐに草の向こうへ消えた。


「…………」


 リベルは少し待つ。

 もう一度姿を見せるかと思ったが、何も出てこない。


「ついてきてた?」


 分からない。

 偶然同じ方向へ来ただけかもしれない。


「まあいいか」


 リベルは再び歩き始めた。

 数歩進んで、もう一度振り返る。

 何もいない。


「…………」


 それでも。

 なぜか少しだけ嬉しかった。


     ◇


「お帰りなさい」


 ギルドへ戻ると、エレナがいつものように迎えてくれた。


「ただいま」


「二つとも終わりました?」


「うん」


「では確認しますね」


 二つの袋を渡す。


 ミレア草、十本。

 セルナ草、十本。


「どちらも問題ありません」


「よし!」


「ミレア草採取が銀貨四枚。セルナ草採取が銀貨五枚。合計、銀貨九枚です」


 銀貨がカウンターへ並ぶ。


「九枚……」


 昨日の四枚より明らかに多い。

 リベルは銀貨を受け取った。


「昨日より増えた」


「二件達成しましたからね」


「これなら宿代払っても余裕あるな」


「だからといって使い切らないでくださいね」


「分かってるって」


 そう答えてから。


「そういえばエレナさん」


「はい?」


「今日、知らないやつ見た」


「またですか?」


「またって何だよ」


「いえ。どんな定相種でした?」


「定相種かどうかも分からない」


 リベルは思い出す。


「大きさは俺の膝よりちょっと低いくらい。四本脚で、耳が長くて、身体は細めだった。あと、尻尾がかなり大きかったな」


 エレナの表情が少し変わる。


「毛は?」


「淡い色。銀色っぽく見えた。」


「……《カーバル》でしょうか」


「カーバル?」


「四足型の定相種です。警戒心が強いので、自分から近づいてくることはあまりありません」


「へえ」


「どうして見たんです?」


「ギルムの粘着物に捕まってたから助けた」


「…………」


 エレナが止まった。


「何?」


「いえ」


「またその顔」


「リベルさんらしいなと思って」


「どういう意味?」


「そのままの意味です」


「絶対何か含んでるだろ」


 エレナは答えず、小さく笑った。


「怪我は?」


「してない。噛まれそうにはなったけど」


「それは怪我の一歩手前です」


「噛まれてないから大丈夫」


「そういう問題では……」


 エレナが額へ手を当てる。


「まあ、無事ならいいです」


「うん」


「カーバルは不用意に追わないでくださいね」


「追わないよ」


 少し考える。


「向こうからついてきてたっぽいけど」


「え?」


「帰りに、ちょっと離れたところから見てた」


「…………」


「何?」


 エレナは少し考えたあと、首を横へ振った。


「いえ。偶然かもしれません」


「だよな」


「はい」


 リベルも深く考えなかった。

 今日会ったばかりだ。

 助けただけ。

 それ以上でも、それ以下でもない。


 ただ、もしまた会ったら。


「次はもうちょっと警戒されないといいな」


「もう会う気なんですね」


「会えたら、だけど」


 リベルは笑った。


 また一つ。

 明日が少し楽しみになる理由が増えた。

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