⑤
翌朝。
銀月亭の一階で朝食を済ませると、リベルは懐の金を確認した。
「……銀貨一枚と、銅貨七十枚」
昨日の初報酬は銀貨四枚。
昼食を食べ、もう一泊しただけで、残ったのはこれだけだった。
「減るの早いな……」
「生きてりゃ金は減るもんだよ」
食器を片付けていたローナが言う。
「朝から現実的なこと言うなよ」
「その現実のために今日も働くんだろ?」
「……その通りです」
「急に敬語になるんじゃないよ」
ローナが笑った。
昨日の午後は、フィンリスの外で少しだけ剣を振ってみた。
バレンに言われたことを思い出しながら、握り方を変え、足を動かし、何度も構えてみた。
上手くなった実感はほとんどない。
ただ一つ分かったのは、やはり剣は持っているだけでは何の役にも立たないということだった。
「今日も帰ってくるんだよ」
「そのつもり」
「新人の“そのつもり”は信用ならないんだよねぇ」
「昨日ちゃんと帰ってきただろ!」
「二日連続で帰ってきたら少し信用してやるよ」
「基準低くない?」
「新人には十分さ」
笑うローナへ手を振り、リベルは銀月亭を出た。
◇
朝の冒険者ギルドは、すでに多くの人で賑わっていた。
掲示板の前へ向かう。
「今日は……」
昨日より、依頼書の見方が少しだけ変わっていた。
報酬だけではなく、場所を見る。
必要な数を見る。
自分が知っている場所なのか。
危険はどれくらいありそうか。
「これ、まだあるな」
昨日と同じ依頼が一枚残っていた。
《ミレア草 十本採取》
《採取地域:ルーグ平原》
《報酬:銀貨四枚》
「昨日よりは早くできそう」
その隣。
見慣れない植物が描かれた依頼書が目に入った。
《セルナ草 十本採取》
《採取地域:ルーグ平原》
《報酬:銀貨五枚》
「五枚」
少し高い。
二枚を手に取り、受付へ向かう。
「おはようございます」
今日もエレナがいた。
「おはよう。これ二つ、一緒に受けられる?」
依頼書を差し出す。
「ミレア草とセルナ草ですね。問題ありませんよ」
「場所も同じ?」
「どちらもルーグ平原です。ただ、セルナ草は少し探す場所が違います」
「どんな草?」
エレナが見本帳を開く。
描かれているのは、淡い青白色の丸い葉を持つ、背の低い植物だった。
「セルナ草は、周囲の魔力を少しずつ葉に蓄える性質があります。魔力回復薬などに使われる薬材ですね」
「魔力回復?」
リベルが身を乗り出す。
「じゃあ、そのまま食べたら――」
「回復しません」
「まだ最後まで言ってないけど」
「昨日も同じことを聞かれましたから」
「学習してる……」
「リベルさんもしてください」
エレナが笑う。
「薬師が加工して、他の材料と調合することで使えるようになります」
「なるほど」
「セルナ草は岩の根元や、地面の浅い窪地などで見つかることが多いです」
「見れば分かる?」
「慣れれば」
「最初は?」
「探してください」
「ですよね」
エレナが依頼用の袋を二つ取り出した。
「それと、昨日より少し岩の多い場所まで行くことになると思います」
「何かいる?」
「《ニグ》や《ギルム》を見かけるかもしれません」
「また知らないやつだ」
「ニグは小型の定相種です。《土律》を使って穴を掘りますが、こちらから近づかなければ基本的には逃げます」
「《土律》か」
土を動かす枝脈。
名前だけでも何となく想像できる。
「ギルムは?」
「硬い殻を持つ小型の定相種です。《粘律》で土や植物片を固めて巣を作ります」
「粘律……」
「巣の周辺には粘着性の強い場所があります。足を取られると厄介なので、見つけても不用意に近づかないでください」
「戦わなくていい?」
「今日は採取依頼です」
「よかった」
「昨日ラグと戦った人とは思えませんね」
「昨日は向こうから来たんだって」
「でしたら、今日は向こうから来ないことを祈っています」
「俺も祈る」
袋を受け取る。
「行ってきます」
「はい。気をつけて」
◇
ルーグ平原へ出る。
同じ草原。
同じ風。
昨日とほとんど変わらない景色。
それでも。
「あった」
街を出てそれほど経たないうちに、リベルは足を止めた。
草の中に、細長い葉。
先端だけが白い。
「ミレア草」
昨日なら、しゃがみ込んで何度も見比べていた。
今日は一目で候補に入る。
念のため形を確認してから摘み取った。
「一本」
少し歩く。
「あ、これも」
二本。
三本。
「……全然違うな」
昨日はどこを見ればいいのか分からなかった。
今日は、目が勝手に特徴を探している。
一度経験しただけなのに、同じ景色から拾える情報が増えていた。
「面白いな」
十本集め終える頃には、昨日ほど時間はかかっていなかった。
「よし。次」
もう一つの袋を取り出す。
セルナ草。
岩の根元。
浅い窪地。
「岩が多い方だな」
昨日より少し遠くへ進んでいく。
しばらくすると、草の間に小さく土が盛り上がった場所が見えた。
「何だ、あれ」
穴。
一つではない。
近くにいくつも開いている。
エレナの話を思い出し、距離を取ったまま眺めていると......
穴の一つから、茶褐色の小さな頭が顔を出した。
「……ニグ?」
丸みのある身体。
特に目立つのは、大きく発達した前脚だった。
向こうもリベルに気づく。
「…………」
「…………」
数秒、見つめ合う。
次の瞬間、ニグが勢いよく穴から飛び出した。
「逃げた」
少し離れた場所へ駆ける。
前脚が地面に触れた。
すると。
「え?」
固そうだった土の表面が、ぼろりと崩れた。
ニグは柔らかくなった土を猛烈な勢いで掻き出し、みるみる身体を地面の中へ潜り込ませていく。
「……あれが《土律》か」
数秒後。
尻尾まで消えた。
「便利だな」
リベルは穴を眺める。
戦っていない。
誰かを攻撃したわけでもない。
ただ、穴を掘るために枝脈を使った。
「…………」
昨日までは、枝脈と聞けばどうしても戦いに使うものを思い浮かべていた。
ラグの《身律》。
自分の《顕現》。
けれど。
「生きるためにも使うんだな」
考えてみれば当然だった。
枝脈は戦うためだけに存在しているわけではない。
その生き物が、この世界で生きるために使っている。
「……もっと色々いるんだろうな」
少し楽しくなってくる。
リベルは穴を避け、さらに先へ進んだ。
◇
岩が増え始めた頃。
「……これか?」
大きな岩の根元。
浅く窪んだ地面に、淡い青白色が見えた。
しゃがみ込む。
丸い葉。
ミレア草より明らかに厚い。
葉脈には青白い色が走り、光の角度によって僅かに透けて見える。
「セルナ草……だよな」
見本と特徴は一致している。
一本目を慎重に採った。
「おお」
近くで見ると、かなり綺麗だ。
「魔力を溜めてるから、この色なのかな」
答えは分からない。
分からないので、余計に気になる。
だが今日は仕事だ。
「まず十本」
岩から岩へ。
窪地から窪地へ。
歩いているうちに、少しずつ見つかる場所の傾向も分かってきた。
「五……六……」
七本目を探していた時だった。
少し先に、妙な塊が見えた。
「…………」
土。
枯れた草。
細かな枝。
それらが不自然に積み重なり、小さな壁のようなものを作っている。
その周囲を、黒褐色の硬い殻を持つ小さな生き物が何匹も動き回っていた。
「……ギルムか」
リベルは足を止めた。
一匹が枯れ草を運ぶ。
別の一匹が、口元から半透明の粘ついた液体を出した。
土と植物片の間へ塗り込む。
上から別の個体が押さえると、ばらばらだったものが一つに固まった。
「巣を直してる?」
一部が崩れているらしい。
ギルムたちは次々と材料を運び、同じ作業を繰り返している。
「《粘律》……」
これも戦っていない。
自分たちの住処を作るために使っている。
ニグは土を掘り。
ギルムは物を固める。
「枝脈って、本当に色々なんだな」
しばらく眺めていたい気持ちはあった。
けれど、エレナから近づくなと言われている。
「邪魔しない方がいいか」
大きく迂回しようとした。
その時。
「…………?」
何か聞こえた。
小さい。
風の音ではない。
「今の……」
足を止める。
耳を澄ます。
「…………」
また。
短く、掠れた鳴き声。
ギルムの巣の向こう側からだった。
「何かいる?」
少しだけ位置を変える。
巣には近づきすぎない。
岩の陰から覗き込む。
「…………」
最初に見えたのは、毛だった。
淡い銀色に近い、柔らかそうな毛。
次に、濃い色の耳。
小さな身体。
「……何だ、あれ」
狼。
いや、それにしてはかなり小さい。
どちらかといえば狐に近い。
見たことのない獣が、地面へ低く伏せていた。
逃げようともがいている。
「動けないのか?」
後ろ脚の一つと、尾の辺り。
そこにギルムの粘着物と枯れ草が絡みついていた。
身体を引くたびに、さらに絡みつく。
「…………」
獣がこちらに気づいた。
顔が上がる。
翡翠色の瞳と目が合った。
次の瞬間。
「グルル……」
低い唸り声。
耳が伏せられる。
牙が見えた。
「……めちゃくちゃ警戒されてる」
当然だ。
知らない相手が近づいてきた。
しかも、逃げることもできない。
リベルはそれ以上進まず、その場にしゃがんだ。
「大丈夫」
通じるかどうかは分からない。
「何もしない」
獣の唸り声は止まらない。
その後ろでは、ギルムたちが巣の修復を続けている。
リベルは周囲を見る。
粘着物。
巣。
動けない獣。
そして、自分の腰にある剣。
「…………」
今日の依頼とは関係ない。
放っておけば、自分には何の問題もない。
セルナ草をあと四本集めて帰ればいい。
それだけだ。
けれど。
もう一度、獣を見る。
必死に身体を引こうとして、それでも動けない。
「……見つけちゃったんだよな」
小さく息を吐く。
そのまま置いて帰れる気はしなかった。
「さて」
リベルはギルムの巣と、足元に広がる粘着物を見た。
「どうやって助けるかな」




