①
冒険者ギルドの扉を抜けると、昼間の熱を残した風が通りを抜けていった。
石造りの建物が並ぶ大通りには、荷車の車輪が石畳を転がる音と、行き交う人々の声が重なっている。
リベルは一度だけ振り返った。
大きな扉の向こうでは、今も冒険者たちが依頼を選び、受付へ並び、仕事を終えて戻ってきている。
ついさっきまで、自分もその中にいた。
そして今は、懐に一枚のギルド証が入っている。
「さて」
隣でマルクが伸びをした。
「俺はここで別れるぞ」
「もう行くの?」
「俺にも仕事が残ってるんだよ。フィンリスまで荷を運んで終わりじゃ、商人は食ってけねぇからな」
「ああ、そっか」
マルクはガルドたちへ向き直る。
「ガルド、ミア、セイル。今回は助かった」
「仕事だからな」
「また護衛が必要になったら頼むよ」
「報酬次第!」
ミアが即答した。
「お前は分かりやすくていいな」
「大事でしょ?」
「大事だな」
マルクが笑い、最後にリベルを見る。
「お前も、まあ頑張れ」
「まあって何だよ」
「今日会ったばっかの新人に、でかい期待かける方が怖いだろ」
「それはそうだけど」
「何かあったらカードで連絡しろ」
「うん。マルクさんも」
「俺に連絡する用事なんかあるか?」
「借金」
「忘れてなかったか!」
「忘れてないよ!」
「なら早く稼げ!」
マルクは声を上げて笑うと、片手を上げた。
「じゃあな!」
「またね、マルクさん!」
人の流れへ入った背中が、やがて通りの中へ紛れていく。
リベルは少しだけそれを見送った。
「……行っちゃった」
「同じ街にはいる。また会うだろ」
ガルドが言う。
「連絡も取れるしな」
「うん」
別れても、もう完全にどこへ行ったか分からなくなるわけではない。
それが少しだけ嬉しかった。
「で」
ガルドが通りの先へ顎を向ける。
「次はお前の武器だ」
「そうだった」
意識が一瞬でそちらへ向く。
「バレンの店って遠い?」
「ここからなら大した距離じゃない」
「剣以外もある?」
「ある」
「槍とか?」
「ある」
「弓は?」
「あるよ!」
「斧は?」
「ある」
「変わった武器とかも?」
「……始まった」
セイルが小さく呟いた。
「何が?」
「質問」
「だって初めての武器屋だぞ?」
「分かってる」
「なら気になるだろ」
「それも分かってる」
セイルの口元が、ほんの少しだけ緩んだ。
◇
大通りから二本ほど脇道へ入ると、人の流れが少し落ち着いた。
代わりに聞こえてきたのは、金属を叩く乾いた音だった。
革を扱う店。
防具を並べた店。
工具や縄、野営道具を扱う店。
リベルは左右へ視線を動かしながら歩いていく。
「ここだ」
ガルドが足を止めた。
派手な看板も飾りもない。
だが入口には槍や斧が立てかけられ、窓の向こうには剣や盾が並んでいる。
「……武器屋っぽい」
「武器屋だからね!」
「そうなんだけど」
扉を開けると、小さな金属音が鳴った。
油と革、それから鉄の匂いが鼻に届く。
「だから、もうちょい細いのねぇのかよ」
「ない」
「そこを何とか!」
「ならん」
店の奥から、若い声と低い声が聞こえてきた。
カウンターの向こうに立っているのは、四十代ほどの男だ。
短く整えた髪には僅かに白いものが混じり、腕と肩には長年物を扱ってきた者らしい厚みがある。
その前には、リベルとそう変わらない年頃の少年。
何本もの細長い金属杭を前に、男へ食い下がっていた。
「もっと本数持ちてぇんだって!」
「この太さより落とせば曲がる」
「別にぶつけるだけじゃ――」
「ぶつけるだろ」
「……ぶつけるけど」
「ならこれだ」
「頑固親父」
「買わねぇなら帰れ」
「客に言うか普通!」
そこで男がこちらを見る。
「……ガルドか」
「よう、バレン」
リベルも男を見る。
「この人がバレン?」
「そうだ」
「バレンとは――」
ガルドの手がすぐ肩へ乗った。
「言うなよ」
「まだ何も言ってないけど」
「今から言う顔してた」
「そんな顔ある?」
「ある」
「何の話だ」
バレンが眉を寄せる。
「何でもない」
「余計気になるだろ」
面倒そうに息を吐いたバレンの視線が、リベルへ移った。
「こいつか?」
「ああ。今日登録した」
「今日?」
カウンターにいた少年が振り返った。
「俺より後じゃん」
「何が?」
「冒険者登録。俺は昨日」
「じゃあ一日先輩?」
少年の口元が上がる。
「敬え」
「絶対嫌だ」
「即答かよ!」
「一日だろ」
「一日でも先輩は先輩だ!」
「器ちっちゃくない?」
「うるせぇ!」
「お前ら」
バレンの低い声が割って入った。
「騒ぐなら外でやれ」
二人とも口を閉じる。
ミアだけが楽しそうに笑っていた。
「初対面なのに仲いいね!」
「よくない!」
「よくねぇ!」
声が重なる。
「ほら!」
「どこが!」
また重なった。
◇
「使った経験は?」
「ない」
「剣も?」
「ない」
「槍は」
「ない」
「弓」
「ない」
バレンが少し黙った。
「何なら使える」
「……《顕現》?」
「武器の話をしてる」
「何もない」
「手ぇ出せ」
言われるまま右手を差し出す。
バレンは掌と指を一度確認すると、壁から一本の剣を取った。
「持て」
リベルが受け取る。
ずしりと腕が下がった。
「重っ」
思わず両手で支えそうになり、慌てて右手だけで握り直す。
「片手?」
「そういう剣だ」
「見れば分かるだろ」
少年が横から言う。
「初めてなんだよ!」
「構えろ」
バレンの声に、リベルは見よう見まねで剣を前へ出した。
腕に力が入り、剣先が僅かに下がる。
「違う」
「どこが?」
「握りすぎだ。肩も上がってる」
バレンが柄を指で叩く。
「手首も曲げるな」
「あ、こう?」
「そうだ」
言われた通りにすると、さっきより剣先が安定する。
「おお」
「まだ持ってるだけだ」
「分かってるけど」
それでも面白い。
冷たい柄。
腕へ掛かる重さ。
刃の厚み。
僅かに重心が前へ寄っている感覚。
リベルは剣を横から覗き込んだ。
「これ、思ってたより刃が厚いな」
「薄けりゃ折れる」
「長さも剣によって違う?」
「使う奴と用途次第だ」
「重さは?」
「同じだ」
「じゃあ、形だけ剣にすればいいわけじゃないんだ」
バレンが僅かに眉を動かす。
「当たり前だろ」
「……なるほど」
リベルはもう一度、剣を見る。
長さ。
厚み。
重さ。
握る部分の太さ。
もし《顕現》で、本当に武器として使えるものを作るなら――。
「おい」
「え?」
「戻ってこい」
ガルドの声で我に返った。
「何考えてた?」
「ちょっと試したいことが増えた」
「またか」
「またって何だよ」
バレンが剣を取り上げ、今度は別の一本を差し出した。
「お前ならこっちでいい」
先ほどより少し細身で、目立った装飾もない。
「普通の鋼だ。特別なもんは使ってない」
握ってみる。
さっきより手に収まりやすい。
「……こっちの方が持ちやすい」
「今のお前にはそれで十分だ」
「いくら?」
「銀貨十五枚」
「…………」
リベルは静かに剣を返そうとした。
「何で戻す」
「一枚も持ってない」
横から吹き出す音がした。
少年だ。
「よく武器屋来たな」
「俺もそう思う」
ガルドがカウンターへ銀貨を並べた。
「銀貨十五枚なら俺が出す」
「本当にいいの?」
「立て替えるだけだ」
「分かってる。返す」
「ギルドに五十枚、マルクに一枚。これで――」
「六十六枚」
セイルが即答する。
「早いな」
「簡単だから」
「冒険者になっただけで借金六十六枚なんだけど」
「まだ依頼一件も受けてないのにね!」
「ミア、それ今言う?」
バレンは銀貨を数え終えると、あっさり受け取った。
「毎度」
「軽いな!」
「俺には関係ねぇ」
「たしかに……」
また横から笑い声が漏れた。
リベルが少年を見る。
「そういえば、名前」
「あ?」
「俺、リベル」
「……急だな」
「知らないままだと気になる」
「めんどくせぇ」
「今日よく言われる」
「だろうな」
少年は呆れた顔をしてから答えた。
「ノア」
「ノア」
「何で二回言うんだよ」
「覚えた」
「ならいい」
ノアは金属杭をまとめ、その横に立てかけてあった長い武器へ手を伸ばす。
柄の先には三本の穂先。
中央だけが長く、左右の二本は外へ開いていた。
「それ何?」
「《戦叉》」
リベルが近づく。
「その杭も使う?」
「使う」
「どうやって?」
「色々」
「例えば?」
「しつけぇな!」
「気になるんだから仕方ないだろ」
「お前、本当に何でも聞くな!」
「それも今日言われた」
「だろうな!」
バレンが低い声を出す。
「ノア。杭はその太さで決めろ」
「まだ言うか」
「細いのは売らん」
「頑固親父」
「帰れ」
「買うって!」
ノアは渋々と杭をまとめ、《戦叉》を肩へ担いだ。
「じゃあな、新人」
「お前も新人だろ」
「俺は一日先輩」
「まだ言ってる」
「敬えよ」
「絶対嫌だ」
ノアは口元を上げ、そのまま扉へ向かう。
「またな、リベル」
「うん。また」
金属音を残して扉が閉じた。
「変わったやつだったな」
「たぶん向こうも同じこと思ってるよ」
ミアが言う。
「俺そんな変?」
三人とも答えなかった。
「何で黙るんだよ」
「ほら」
ガルドが肩を軽く叩く。
「武器は手に入った」
「ああ」
リベルは右手の剣を握り直した。
普通の鋼。
何の特別な力もない、初心者向けの片手剣。
それでも、何度も見てしまう。
この世界で目を覚ました時には、何も持っていなかった。
今はギルド証がある。
連絡できる相手がいる。
そして、右手には一本の剣がある。
「……いいな」
小さく笑う。
特別でもなければ、珍しくもない。
ただの一本。
それが、この世界でリベルが初めて手にした武器だった。




