九話 後輩
今回から霙との共闘。
次回は第一部の山場の一つです。楽しみにしていてください!
数日後、連携の仕方などを確かめる合同訓練をした後に初めて霙と一緒に怪人討伐に向かうことになった。
先日、時雨が眠りこけたせいで一緒に風呂に入り損ねた瀬戸香は一枚の紙に「また今度」と筆で仰々しく書いてから帰っていったそうだ。
約束していたのに果たせなかった分申し訳ないので、居間の壁に飾っておくことにする。
(愉快な人だなぁ)
そんな風に考えながら上を見上げる。
段々と満開期を過ぎて葉桜になってきた町の桜は、これからだんだんと夏に向かっていくことを示唆しているかのようだった。
普段よりも力強く新芽を伸ばす姿は圧巻。
近くの三階建ての旅館の窓と大体同じ高さに枝先が来ている。
当然それだけの巨木は幹の太さも尋常ではなく直径9mはあるだろう。
その根元の周囲を守るように大きな花壇が設置されて、さらにその周りにはベンチなど町の憩いの場が設けられている。今の時期は花のピークではないが、それでも多くの人でにぎわっている。
(何気に美空の後ろについていく以外でここ来るの初めてな気がする。)
桜の木を中心とした広場の北側には、京を管轄する上層部の人たちが勤務する建物「奉行所」がある。
おそらく京の中でトップクラスに大きいその建物のさらに北側には、大きな城が築きあげられている。
かつて京でも大きな戦があったようで、その時に重要な役割を果たした現役の防衛施設兼町の名物である。
時雨は、霙と共に「奉行所」に来ていた。
新たなペアの調整が終わり、正式に怪人討伐を再開できるようになっていたから、これから二人は「奉行所」の役人から怪人の情報を受け取って討伐に向かうことになる。
「うわぁ、大きい…」
霙は思わず建物を見て零す。
京の端の方から来た霙にとっては確かに衝撃的な大きさだろう。
それこそ大地主の家よりも大きな日本家屋の前の大きな門をくぐって中に入り、元は立派な木であっただろう一枚の木の板で作られた廊下を進んだ先にカウンター席が見え始める。
カウンター席を利用するときはそれぞれ番号のついたカードを受け取って付近のソファで待ち、しばらくしたら受付に呼ばれる番号が放送で伝達される仕組みになっていた。
時雨も周囲に倣ってカードを受け取って、霙を連れて落ち着いた緑色のソファに座る。
(席は空いてるね)
ソファは横に長く、何段も並べられているので相当混んでいない限り座れない人は出てこない。
手に持っている白いカードを横断する黄緑色のラインが天井の照明の光を反射させている。
周囲が落ち着いた暗い木の色ということもあって非常に目立つ。
窓は数メートル間隔で、大きな窓は茶色のフレームで縁どられている。
窓のフレームがついている壁の基盤は深緑の土壁。ところどころにキラキラとした粒が光を反射させている。
(ここもすごい建物だ…)
時雨は周囲を見渡して思う。
対して霙は建物そのものではなく、近くにあったものにくぎ付けになっている。
ソファの近くにはかなり大きな水槽、それこそ横幅が150cmはあるだろうものが置かれていた。
その中では南の海の魚とサンゴ達が暮らしている。
水槽の奥行きは60cm、高さは100cmとかなり大型。土台が頑丈で大きなものであるがゆえに時雨からは底より少し上からはもう見上げなければいけない。
水槽の上にあるきらびやかな照明の光は水面の上の方でゆらゆらとしている。
水面自体は鏡のように水の下の世界を映し出していた。
(…きれいだ)
その大きさがこの水槽の魅力と壮大さを引き立てる一因であるのも確かだろう。
時雨はその景色に目を奪われていた。
目線よりも少し水槽の底が来るくらいに高さを調整している台の内側には精巧に作られたからくりが詰め込まれているのだろう。
京に誇るからくり技術の賜物ともいえる癒しの空間は、時雨と霙を和ませる。
ゆらゆらと揺れるサンゴのポリプを眺める霙。少し時雨よりも背が低い彼女は、海の生き物には興味津々なようで、張り付いて見ていた。
ぴんぽん。
その様子を見ていた時雨の下に放送がかかり、時雨の持っているカードと同じ番号が呼ばれた。
名残惜しそうにしている霙に「ほら、行くよ」と声をかけて時雨は指定されたカウンターに座る。
少し自分よりも恐らく年下、といっても13やそこらの少女の挙動に少々戸惑っていた時雨に、受付のアドバイザーさんが声をかけてくれる。
「時雨さんと霙さんですね。」
担当してくれたのは茶目さん。
時雨よりも年上のお姉さんで、雀らしい羽ともふもふとしたハネ毛の目立つ茶髪の髪が特徴的だった。
瞳の色は吸い込まれそうだと思うほど深い黒をしている。
濃い緑色と白色で構成された奉行所の人員の制服を着ていた。
身長は時雨よりも高い。
雀らしい、と表現したが、京の中にはそれぞれ動物や植物の形質を持つ者も少なくない。
例を挙げれば瀬戸香はみかん、霙はウミウシの形質を持っている。
「じゃあ、まず怪人についてなんだけど…」
彼女は少しだけ雑談を交わした後、必要な情報を教えてくれる。
相手は目撃情報によると、ゴマダラカミキリ型の怪人だそうだ。
気候が暖かくなってくると虫型の怪人が勢いを増す。怪人といえどもその辺は虫と同じなのかもしれない。
目撃された場所は京を出て東側に向かった町の裏山。
習性はゴマダラカミキリと同じく樹木を内部から食べて成長し、春先以降に羽化して出てくる。
が、問題なのは怪人が普通のゴマダラカミキリよりも圧倒的に体躯が大きいということ。
人の背を軽く超えるので、その巨体が入るくらいの空洞を木に作る。
出てくるときに巨木が倒れてくるという事故につながってしまうわけだ。
そこまでの資料に加え、口頭で茶目さんが教えてくれた情報には背中の外殻が堅い一方腹は打たれ弱いこと、純粋なパワー系の攻撃手段であること、
脅威になりうるのは掴まれてから巨木を難なく削り取る大顎でかじられることを教えてもらった。
幸い動きは早い方ではない上に等級も低く、キリギリスの怪人のような怪人としての脅威性は持っていないらしい。
話をまとめた後茶目さんは少し微笑む。
「頑張っておいで!」
「はい!」
その言葉に背中を押されるように、返事をして駆け出していく。
霙もそれに続く。
二人を見送った後、茶目はほっと息を吐いてコーヒーを飲む。
少しだけ飲んでコーヒーカップを机の上に置く。
ミシッ…
いきなりピシッと音を立ててカップの取っ手が折れた。
「あら?」
その様子を間近に見ていた茶目さんは独り「ちゃんと帰ってきてよ…」小さな声でつぶやく。
先ほどまで窓の向こうで煌々と差していた日は、厚い雲に覆われ始めていた。
――
時雨は怪人の場所に向かう道中、いろいろ考えていた。
見つからなかった時の対処法、捜索のヒントなどなど少なくとも初出陣の霙を不安にさせたくはない。
いままでこういう準備はほとんど美空がしてくれていたことに初めて気が付いた。美空に感謝するとともに、決心もする。
裏山についたら出来る限りのことをやろう。
京を出てしばらく森の中を歩いた後、町のはずれの住宅地にやってきた。
怪人とは町の向かい側にある裏山に上ってから遭遇するとばかり時雨は思い込んでいた。
大きめの道路を渡って住宅地に入り、入り組んだ細い路地裏の角を曲がる。
「?!」
そして急に目の前に現れたカミキリ怪人に反応が遅れた。
否、反応自体をしていなかったのではなく予想外の遭遇に驚いたことと、軽い恐怖心に駆られて動けなかった。
時雨の後ろにいた霙もまた同様。おそらく数回しか目にしたことのない怪人を前に起こって当然といえる硬直が起きる。
怪人も驚いたのだろう。
弓なりに曲がっていた巨大な触覚がピンッと立った後、反射的に防衛本能か何かに任せて強烈な蹴りを繰り出した。
ガンッ!
時雨はそれをほぼ対処できないままもろに食らう。
蹴られた勢いのまま付近の家の外壁に激突し、ドンっと重々しい音を立てる。
「ぐっ!?」
前のネズミ型やキリギリスのものよりかは断然マシな威力。
それでも横腹に軋むような痛みが走る。
幸い外出中なのか人が騒ぎ始めることはなかったが、住宅地でこれ以上の戦闘は騒ぎを起こす可能性がある。そして何より狭い。
レアケースだが住宅町で万が一怪人に出会ったら、いち早く戦闘向きな場所に変えるのが鉄則。
京の中よりも人里の方が騒ぎが大きくなりやすい。
怪人も京の住人も人間社会では半ば都市伝説扱いになっているために得体のしれない者と定義されているからだ。
「…来た!」
霙は短く声を上げる。
少々せき込みながらも立ち上がる時雨の視界の向こうで、カミキリ怪人はその間に霙に狙いをつけた。
今度は木を軽くかみ砕く強靭な大顎で襲い掛かる。
ビシッ!
時雨はとっさに刀の刀身を伸ばして攻撃するが、堅い羽に弾かれる。
時雨の攻撃では怪人の攻撃を妨害できない。
だが、それが大きな問題にならないことは打合せ通りだ。
霙が大顎で噛まれる前に霙の体が液状に変化し、難なく攻撃を無効化する。
ただの水に噛みつくという予想外の感触と現象によって引き起こされた怪人の動揺が漆黒の複眼の奥に見えた。
「ていっ!」
ガスンッ!
霙は困惑するカミキリの腹部に液状から戻った足で腹部に蹴りをお見舞いする。
液状化。
水系能力の一つ。液状化することにより、
・水中での高速移動
・物理攻撃の無効化
・柔軟な物理攻撃
・細い隙間などの通過
などが可能になる。
カミキリ怪人は思わぬ反撃を受けて浮かび上がった体を、羽を展開して起こす。
「ふっ!」
そこへ、水流操作によって伸ばされた時雨の刀が到達する。
伸びた刀身は怪人をぐるぐる巻きに捕縛してそのまま地面へ叩きつけた。
ドンッ!
時雨は鍛錬を欠かさなかった。
自在に伸びる刀身でできることを考えて、練習し、実現する。
さらに何度も瞬時に出せるよう繰り返した。
庭で丸太を捕縛する練習を含め、この間の時間を使いすぎた鍛錬は決して無駄ではない。
その成果が実戦で生きたのだ。
(進歩はしてる…!)
歩みは遅くとも、停滞しているわけではない。
そのことは成長の遅さを気にする時雨にとって救いとなる事実だった。
刀をさらに伸ばしてすべての足を捕縛する。
そのまま来た道を戻り、道路を超え、森の中の少し開けたスペースに連れ込む。
「行きます!」
霙は時雨の伸ばした刀に添うようにして、怪人に迫る。
体の一部を戻して打撃を加えていくが、怪人は煩わしく思って体を縛られながらも強引に暴れ始める。
ほんの数秒の間に水流操作が怪人の暴れる力で乱され、拘束を解かれた。
「くぅ…!」
警戒した怪人は空中で身をひるがえして背中の羽を展開し、一度距離を取る。
筋肉質な腹部は他に比べて防御力が劣るものの霙の渾身の蹴りでも堪えているようには見えない。
これが怪人。
時雨は何度も怪人と戦ってきたが、それでも威圧感や恐怖感を完全に拭えるわけではない。
冷や汗を流しつつ刀を構える。
時雨が相手の次の行動を見極めようとしている間に、霙は怪人に向かって強烈な蹴りを繰り出した。
「おりゃっ!」
液状化があるとはいえ危なっかしい戦闘スタイルに汗をかきながらも、霙を援護するべく時雨も攻撃に回る。
姿勢を低く、怪人の足を狙った的確な攻撃。
中脚も前脚も時雨には届かない。
(いける!)
『ッ!?』
相手の姿勢を崩すべく体重と勢いを乗せて怪人の後脚に放った剣撃は、見事に怪人の体勢を崩す事に成功した。
「「はあああっ!!!」」
後ろ向きに倒れこむ怪人に向かって霙はラッシュを掛ける。
怒涛の打撃に怪人が耐えかねて、強引に二人を振りほどく。
ガンッ!
ブンッと空気を裂く音とともに振られた剛腕が時雨と霙に直撃する。
攻撃に傾倒していた霙は液状化が間に合わずもろに食らう羽目になる。
そのまま近くの木に一緒にたたきつけられた二人は、すぐに体勢を立て直して怪人に向き直る。
「霙さん大丈夫?!」
「大丈夫です!」
時雨の心配に対し、霙は短く答える。
気合たっぷりだ。
怪人もそれに向き直る形で構えの姿勢を取る。
ゴゴゴ…
「「なっ!?」」
次の瞬間、両者のにらみ合いなど構うものかといわんばかりに地面が揺れ、そして割れる。
そしてその割れ目からメキメキと何かが姿を現した。
それは怪人ではなく、かといってこの間のネズミ型のような怪獣でもなかった。
竜、と形容するべきだろう。
全身は岩のような茶色い外殻に囲まれた4足歩行。
前脚が大きく発達し、地面を掘ることも容易いだろう長く強靭な熊手を彷彿させる黒い爪が光る。
前足の外側にはなんでも引き裂いてしまいそうな刃のような突起が飛び出している。
(なんだこれ…?!)
頭部は巨大な一つの角によって尖った形をしており、丸い背中は細かい鱗や甲殻によって守られていると見た。
次第に大量の土を押しのけ、周囲の木の根であろうものをブチブチと容易く引きちぎって出てきた後ろ脚は前脚に比べれば随分と小さい。
といっても後ろ脚だけでも時雨の3分の2ほどの高さを誇る。
体全体は10m近くもある巨体。
(これは…良くない!)
明らかな異常事態に本能が最大級の警鐘を鳴らす。
未熟でこの存在を全く知らない時雨にも目に見えてわかる脅威に、全身が泡立つような感覚を覚える。
「霙!逃げるよ!」
目の前に得体のしれないモノが現れて硬直している霙に叫ぶ。
「は、はいっ!」
完全に予想外の出来事に固まっていた霙もはっと我に返り、慌てて逃走体勢に入る。
怪人も竜に恐れを抱いているのか羽を展開して飛び去って行く。
しかし竜はその怪人をぎょろ、と大きな目で追う。
そして次の瞬間その巨体から出るとは思えないスピードで怪人を追いかけ始めた。
ザカザカザカ!!!!
重い音を立てて突進するその竜は近くの土に人の背より大きな足跡を作っていく。
ガチンッ!
途中体に引っかかる木をお構いなしにへし折りながらとうとう追いついた竜は、最後に勢いをつけてバクンと大きな口で怪人を一口に食ってしまった。
予想外の事態に瞠目する間もなく、次の標的に自分たちがなっていることを時雨と霙は嫌でも理解しなければならなかった。
(次の標的は…僕たち!!)
向きを変え、竜は再び突進し始める。
時雨たちよりもはるかに速い竜は瞬く間に距離を詰めてくる。
振り返らずとも分かるほどに大きな足音と圧が二人にのしかかってくる。
このまま追いかけっこなんてすれば数秒で餌になる。
そう考えた時雨は水の刀をしならせ、周囲の木に巻きつけて引っ張りどこぞの蜘蛛男みたく空中を駆けて見せる。
集中を切らせば間違いなく地面に落ちて、そのまま追いつかれるだろうという緊張感。
周囲の木に巻きつけては刀身を帯ゴムのような性質に変化させては砲弾となって空中を飛びぬけていく。
(危っっない!)
一瞬巻きつけが甘かった。
勢いが衰えることはなったが、軌道がぶれる。
もう少し操作がぶれていれば失敗していただろう。
しかし時雨自身この使い方はぶっつけ本番。
長くは集中が持たない。
(あ…)
背筋が凍った。
今度は完全に水流の操作を誤って巻きつけそこなったが最後、時雨たちは勢いを失う。
落下を始めた二人の下では恐ろしい竜が待っている。
ひょろひょろと戻っていく刀身と木に覆われてわずかしか見えない空が目の前に見える。
時雨はこれまでかと観念しかけていた。
「先輩っ!」
霙は液状化で目立つ動きをして竜の狙いをそらせる。
まんまとその動きに釣られた竜は二人を食べ損なう。
霙の右足を代償にして。
液状化して攻撃そのものは無効化したと言えども、喰われてしまえば元通りにはならない。
(…嘘!?)
数秒遅れて液状化が解けてく太ももから下がなくなった足があらわになる。
人の血とは異なるウミウシの青い体液が滴り落ちていく。
空中で身動きもうまくとれない霙は苦悩の表情を浮かべる。
「ぎっ…!」
痛くないはずがない。
発狂するような激痛に苛まれるはずなのに、霙は竜から意識を逸らさない。
そして後輩の生き残るための勇気のある行動、というよりも後輩が足を失ったという圧倒的な危機感は時雨を現実に向き直させるには十分すぎた。
あらかた戻ってきたと刀身を構え直し、霙を抱えて着地する。
(向かい合ったはいいけど…どうする?!)
少なくともこの竜から逃げる隙を作るか、それとも竜を退散させることはまず絶対条件。
時雨は相手の体を観察する。幸い竜も竜ですぐには襲い掛かってこない。
外殻は間違いなく怪人よりも硬く時雨の攻撃はほぼ通るとはいえないだろう。
少々残酷な決断だが、時雨は覚悟を決める。
「はあっ!」
刀身を伸ばして、竜の大きな目に渾身の一撃をぶつけた。
流石にこの一撃は効いた。いかに竜といえど目という構造は硬くすることができない。
ガアアアアア…
上半身を持ち上げてもだえる竜は、耳をつんざくような悲鳴を上げる。
思わず耳をふさぎたくなるような音量を堪えながら、時雨は大急ぎで先ほどまでと同じ木を伝う形で空中を駆け抜けていく。
しばらくの間距離を取り続けたのち、後ろを確認して竜が付いてきてはいないことを確認してほっと一息をつく。
しかし心臓の早すぎる鼓動と狭まって苦しくなった気管支の感覚は消えない。
「霙…!」
霙の怪我は間違いなく重症のそれだった。流れ出る体液は止まらない。
あまりにも多すぎる体液の損失は命にかかわり得る。
「ぐぅっ…」
交戦による興奮が収まっていよいよ激化してきた痛みにもだえ始めた霙を抱えて、医療も応急手当の心得もない時雨はせめて早く京に戻って医務室に連れて行くことしかできない。
時雨は霙を抱えて走り出した。
遠くから雨が降る前の独特な匂いがする。




