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八話 転調

 約数週間。

 桜が花を開き、満開ではないにせよ大きく咲き進んだ頃。

 すでに春の息吹が大気を覆っている。


 これまでの間に時雨たちは数多くの怪人と戦い、確実に実力を伸ばしていた。

 ヤモリの怪人、猫の怪人、カラスの怪人、例を挙げるときりがない。


 その間に美空は急成長を果たした。


 召喚術の適用可能範囲は今や200mと大幅に上昇し、夜の学校に行った時よりもはるかに利便性が増している。

 さらに召喚物の同時召喚可能量も5体から8体に増加したそうだ。彼女の努力と経験が実ってきているのだろう。


「…」

 

 しかし時雨に関してはそうではない。能力の質も、身体能力も伸びていないわけではないのだが。

 ただ早すぎる成長をする美空のペアとしてはつり合いがとれていないのは明らかだった。


 そこで上層部は美空をもう少し実力のある人と組ませるようにすることにしたらしい。

 ひとまず時雨と美空のペアは解散という形で。


 この原因はなにも美空の成長速度だけではない。

 自分の成長速度にも問題があるのも明確だった。


 ほぼ同時期に訓練を積んでいた仲間たちに対しても、確実に差が開きつつある。

 美空と同じように速い人は階級が上がっている。


 京ではそれぞれの実力に合わせて階級で分けられるシステムだ。


 下から順番に見ていくと、


 白

 黄

 緑

 青

 赤

 紫



 と色の名前で区別される。

 無論同期の大半は白。


 昨日同期たちは等級3の怪人を単独で撃破している。

 

 それができていないのは時雨ぐらいだ。

 時雨は気を付けていたつもりだったが、美空によりかかりすぎていた面が大きかったのだろう。


 日々の鍛錬は欠かしてはいない。

 ただ実際に怪人と戦う時に主に動いて貢献してくれているのは美空だった。


 時雨は自分が別にこの道に適している人材ではないことぐらい自覚している。

 

 だが、ここまで明確に差を見せつけられると堪えるものがある。

 でも諦めるつもりはなかった。努力は続けた。


 他にやることや、やりたいこともないから毎日朝から夕方まで。

 庭を利用した素振り、足運びの練習。術を使う練習。

 

 自分の身体機能を伸ばすために限界まで訓練して、ある程度できるようになったら美空に怪人っぽいものを召喚してもらって実践。


 もちろん進歩自体はあって水の操作にはだいぶ慣れてきた。


「はあ…はあ…」

 

 鍛錬の度に激しく形で息をする。

 汗が伝い、地面を丸く濡らす。

 

 一応目標があるから。強くありたいという感情があるから。

 

 だから努力を続ける。

 美空も伸び悩む時雨に対して優しくしてくれた。

 でも、それが返って辛く胸を締め付ける。


 とうとう美空のペアが決まって、一度この家を離れることになるらしい。

 

 相手の居住区と離れすぎているためである。

 しばらく留守になる美空は時雨にこの家を任せることにしていた。


(…落ち込むな…!)

 

 美空の足を引っ張らなくていいからと、無理やり自分を納得させようとする。


 でも、内心悔しくてたまらない。感情に呼応して拳が血の気を失うほど硬くなる。

 苦悩する時雨を放っておけなかったのだろう、美空は黙って時雨をぎゅっと抱きしめた。


「時雨ちゃんがすっごく努力しているのは知ってるし、それが大事なことだってことも知ってる。でも、無茶はしないで。

 確信はないけど、無茶したら時雨ちゃんが時雨ちゃんじゃなくなっちゃうような気がするの。」



 しばらく抱きしめられた後、美空はそっと手を離した。

 

 自分の藍染の服にできていた皺と美空に抱きしめられていた感触が寂しく残る。

 時雨は慌ただしくメンバーの打ち合わせに向かう美空の背中を、呆然としながら眺めていた。



 ――――

 数日後。

 後輩が時雨と二人組を組むことになった。

 人事部に相手の情報について教えてもらって詳細を確認する。


 名前を霙。

 うっすら青みを帯びた白の長髪だが、先端は黒い。赤い眼鏡をかけた女の子。

 

 自分よりも少し背が高い。そしてなにより目を引くのは、頭にあるウミウシを彷彿させる2つの丸っこい触覚だ。


 京は広い。

 多くの住人と施設を抱えるこの場所はまるごと平野を利用したかのような広さを誇り、端から端まで移動するとなれば徒歩で普通2日はかかる。

 写真と経歴が記されている数枚の資料に目を通し終わると少し伸びをする時雨。

 

「んぅ。帰るか」

 

 もうすぐ午前10時になるくらいだろう。今日は時雨自身には任務も何もないのでせめて美空から預かることになった家の方の手入れをした方がよさそうだ。

 

 手入れが行き届いていない状態で人を迎えたりしようものなら美空が悲しむに違いない。

 そう思いたったらすぐに家に走って帰る時雨。


 すっかり暖かくなった風を全身に浴びて、少なからず自分が焦っているのが目に見えてわかる。

 

 はっ…はっ…

 

 そんなに消耗するような運動はしていないのに呼吸が浅く、微妙に苦しい。


 邪念を振り払うようにして速度を上げて走ること1分弱。

 最寄りの人事部から自宅に帰ってきた。


 入口付近を彩るように植えられたシロツメクサはすっかり地面を覆っている。もうしばらくしたら白い花を咲かせることだろう。

 さらに奥に進めば葉っぱを展開しつつあるモミジや松、少し遅れて芽を動かし始めたサルスベリ、花が終わったばかりの椿などが待っている。


「よし。やってみよう」

 

 まずはこれらの水やりから開始する。

 庭の真ん中にある水道の蛇口をひねり、飛び出す水を水流操作でどんどん撒いていく。


 円状にまき散らしながら必要に応じて向きを変えて満遍なく水を与えていく。

 水流操作の修行も兼ねた水やりを行う中でひとつのアイデアが浮かぶ。


「鞭のように水を使えるなら、相手を捕縛する用途にも使えるかも…」


 独り言のようにつぶやく時雨はいろいろ試すことにした。

 ひゅうっと風の勢いが少し増した。


 ――――――

(しまった…)


 

 そして15時。

 ひどく疲れ切った顔の時雨は、まだ全く家の中の掃除を行っていないことに気づいて顔面蒼白になっていた。


 後輩が来るのは15時30分。二人分にしてはそこそこ大きい家を残り30分で掃除しなければならない。

 すでに霊力をスカスカになるまで使った後の重くなった体に鞭打つようにふらふらと家の中に入っていく。


 雑巾掛け、壁や取っ手のふき掃除…

 なんとか間に合った時雨は倒れ込むように竹製のイスにもたれかかる。

 

 ふぇ~~と抜けた声を漏らしつつ、だらけきった体とは裏腹に頭の中だけは常に自分の現状を考え続けていた。


 自分が明らかに出遅れていること。

 この現状の打開には何が必要なのか。


 疲れ切っているはずなのに、妙に頭が冴えて眠気など微塵も感じなかった。



 そうして数分の後、オレンジ色の光が窓を通して時雨を照らし始めたころに玄関のチャイムが鳴る。

 ぴんぽん、という聞き慣れた高いチャイムが時雨の鼓膜を震わせた。

 

 少々のドキドキと共にインターホンを見て情報通りの子が来ていることを確認し、玄関から迎え入れるべく扉を開ける。

 

 自分が他よりも劣ることに悩まされている自分が後輩の事をちゃんと見てあげられるのか。

 そこに一抹の不安を抱えながらも相手には伝わらないように装った。


 反対側の町から来て、玄関の前に来た後輩は少しぐったりとした様子だった。

 写真では上に向いていた触覚もへにゃりと垂れ下がってしまっている。


 「長距離移動して大変だったでしょ、上がって休んで。」


 汗ばんだ様子で疲れ切った彼女を早く休ませてあげようと思い、手招きして入るよう促す時雨。

 しかしこの霙という子は不安げな目でこちらを見て、その後視線を斜め下に逸らしてしまった。


 冷たい風が吹いて沈黙の時間が流れる。

 どうしてあげたらいいのか分からなくなって困惑する時雨は、自分がちゃんとやっていけるのかと心配する気持ちが一層強くなった。


 ぎこちない雰囲気になっていたが、家の前の道からその空気を吹き飛ばすかのような明るい大きな声がかかる。


「やっほー!時雨ちゃん!お久~!」

 

 明るいオレンジ色の、サイドテールにまとめられた髪が向こう側で揺れる。

 瀬戸香だ。

 美空と仲のいい同期だと聞いているが時雨自身との交友はあまり深くない。

 

 時雨が少し戸惑っている間に瀬戸香は霙に声をかける。

 

「初めましてかな?瀬戸香だよ!よろしく!時雨ちゃんの新しいペアの子だよね?ささ、入って入って!」


 勢いのままに美空の家に入らせていく瀬戸香。

 霙はあわあわしながらそのまま瀬戸香に促されて家を上がっていく。

 

 その途中で瀬戸香は時雨の方を振り返って親指を立てる。

 わざわざ時雨を手伝ってくれるつもりなのだろう。

 時雨は瀬戸香に感謝しつつも自分がこの点においても未熟なのかとさらに落ち込んでしまう。


「どうぞ…」

 

 霙をひとまず居間に上げて座布団の上に3人で座る。

 全員の間には低いテーブルがおかれている。

 暗い木目調の長方形型のテーブルは和の部屋にぴったりのインテリアだった。

 美空がこだわりぬいているのだろう。


 その黒っぽい木の節がぐるぐるしているのが時雨の目に初めていやなものに映った。


 とりあえず長い辺で向き合う形で時雨と霙が座りその間にある短い辺に瀬戸香が座ってくれる。

 

 その後は瀬戸香の助けもあって順調に互いの自己紹介が済んで一旦休憩に入った。

 時雨は霙と瀬戸香用に茶菓子を持ってくると言って一旦席を外す。

 

 台所に向かっていく時雨を見送った後瀬戸香は座布団を横に並べて横になった霙に声を掛ける。


「ねぇねぇ、霙ちゃんから見て時雨ちゃんはどんな感じ?」

 

 少しの間霙はじっと瀬戸香を見つめた後戸惑いながらも答える。

 なんだか余裕がないそんな感じだと思った。



「悪い人ではないんでしょうけど...うんと…少し頼りないというか...」


 遠慮がちに少し目を逸らしながら答える霙を見て瀬戸香はうんうんと頷きながら、「良い人だよ。時雨ちゃんは。」と半分独り言みたいに瀬戸香は目をつむって答える。

 

 そしてしっかりと霙を見て、「あの子真面目だからしっかり面倒見てくれると思うよ。だから安心して仕事できるからね。」と霙に説明する。

 その様子を見ながら霙はふぅん、と少しだけ声を出す。


 時雨からあまり先輩というような印象を感じなかった分、頼りなさそうだとは思いつつも親しみを感じる霙は少し姿勢を変えて横向きに寝そべる。

 

 

 おおよそ特段高い階級でもないのに立派な建築に驚きながらも、安心するような木と畳の香りで少しずつ和んできていた。

 緊張でガチガチだったのは時雨だけでなく霙も同じ。

 

 視界の端に移った照明器具から降りてくる白い光を一層眩しく感じながら霙は少しだけ微笑む。



「おまたせ〜」

 

 そこへ時雨が盆に3人分の茶菓子を乗せて戻ってくる。

 明るい緑色で半透明のお茶を、ガラス製の急須から質素ながら上品なつやを持つ湯のみに注ぐ。

 

 立ち上る湯気が白い光に照らされているのを眺めた後、霙は茶菓子を見つめる。


 一つは梅の花をモチーフとしたであろうふんわりとした丸みを帯びた白いねりぎり。

 二つ目は金魚鉢か水槽を上から見たようなゼリー状の中に水草と赤いキンギョの模様を持つ和菓子。

 三つめは羊羹。奥に行くにつれて濃くなる紫色が上品な印象を与える。


 その中から好きなのを最初に選ぶように霙に言う時雨。

 その言葉を聞いて霙は少しだけ迷った後金魚鉢を選んだ。


 その後、瀬戸香が羊羹を選ぶ。

 残った梅を時雨が取って茶を配る。


 いただきます、とみんなで手を合わせて合図した後それぞれ口に運んだ。


 美空がこだわって選んでいる「巳風堂」の和菓子はおとなしい甘さを放つ。

 

 特に霙はここのお菓子を初めて食べるようで、目を輝かせていた。

 ねりぎりに使われる白あんこは和菓子づくり、そして原材料の豆の作り方の両方で味に大きな差が出る。


 ねりぎりが美味い店はいい店だと言われている。

 美空のチョイスに感謝しながら時雨も思わず表情がほころぶ。


 ゆったりとした団らんを過ごした後、霙はお風呂に入りたいと言う話をしてきた。

 

 確かにそのはずだ。京は交通機関らしいものがあまり発達していないために歩いてくるのは大変だったことだろう。まだ春とはいえ霙が汗をかいている。


「じゃあさ、みんなで入ろうよ!」

 

 瀬戸香が嬉しそうな顔ではしゃぎながら提案してくる。

 驚いて目を見開く時雨と困ったような顔をする霙を見て、瀬戸香は「はぇ?」と素っ頓狂な声を上げる。


「ごめんなさい先輩、一人で入らせてください…」

 

 と霙は何か気まずそうに言った。

 

 ひとまず時雨はお風呂を入れに行くことにした。

 霙には先に入ってもらうことにする。


 二人ともそそくさと距離を取り始めたので瀬戸香は少ししょんぼりしていた。

 普段美空とかぐや相手にやっている距離感だったのがまずかったのだろうと猛省しつつ、自分の距離感の取り方に「私のバカ!」と心の中で愚痴を言う。


 風呂の湯を沸かし始めたことを確認した時雨が戻ってきた頃には霙も自分の大きなバッグから着替えやらシャンプーやらを取り出し始めている。

 

 時雨は少し悩んだ後、瀬戸香のそばに座ってそっと耳打ちする。

 

「お風呂、後で一緒入ろっか?」

 

 少々照れくさそうにしている時雨は瀬戸香と目を合わせられなかったが、瀬戸香は一瞬目を見開いた後にぱーっと笑顔になって「うん!」と返した。

 その後しばらくの間瀬戸香は嬉しそうにニマニマしていた。


 その様子を横目に見ながら,美空ともこんな感じだったのかなぁと少々物思いにふけっていた。でも、時雨は二人が入っている間に風呂に向かっていく霙を見送る。

 

 

 急に気が緩んだのだろう、昼間からの疲れがどっと押し寄せてきて一気に眠くなっていく。

 瀬戸香の肩にぽすっと寄りかかるようにして寝入ってしまった時雨には、瀬戸香の声はほとんど聞こえなかった。

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