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十話 偉業

数分進んだあたりで、いきなり知らない傾斜の山道に出た。


(ここは…)


 道路の横には雑木林が、そして反対側には草の生え放題な傾斜が広がっている。

 周囲の木々が高く、人の手が行き届いて無いやけに土地の低い場所…おそらく付近の町が盆地に作られたか何かでこの山道よりも標高が高いのだろう。

 

 ぐったりとしてしまった霙を抱えながら、帰り道を急ぐ。

 車が通れるように舗装されたアスファルトの道は少しだけ走りやすい。


ミシミシ…

 

 突如先を急ぐ時雨たちをあざ笑うかのように、軋むような音を立てていきなり5、6Mはありそうな立派な木が音を立てながら時雨たちを追うように倒れてくる。



(危ない!)

 

 慌てて霙を抱えたまま前方に飛び込み、間一髪で回避に成功する。

 そして一拍遅れてズズウン、と重々しい音とともに木が地面にたたきつけられた。

 もし巻き込まれていたらと思うとぞっとする時雨の背中は凍り付くように冷たい。


(…!安心するな!)

 

 まだ先を急がなければならない。

 急いで立ち上がって走り出す。



 数刻遅れて、バキガキと厚い樹皮を突き破って時雨の後ろでゆっくりと倒れてきた木から怪人が出てくる。

 カミキリ怪人。

 

 先ほどのカミキリの怪人とフォルムが似ているが大きく異なる点がある。

 体格がもう少し小さく、鮮やかな青と黒のカラーリング。



 ルリマダラカミキリの怪人。

 小さいながらその風格は先ほどのカミキリ怪人とは桁違いだった。



 等級4。


 先ほどとは明らかに異質な気配を後ろに感じる。


(…!)

 

 今までに戦ったことのない、自分とは不釣り合いなくらいの強者。

 青のカミキリ怪人は静かにこちらを睥睨している。

 

 僅かに青み掛かった黒い複眼が時雨を捕らえていることは振り返らずとも直感で分かる。

 背筋が凍る。体がこわばり、頭は真っ白になっていく。


(逃げるしかない!)

 

 しかし時雨は無理やりにでも体を動かして、走った。

 負傷した後輩を巻き添えにするつもりか!

 そう自分を叱咤して無理やりにでも動き出す。


 そしてその哀れな時雨の行動を怪人は感情を交えない無垢な目で見ていたが、目にも止まらぬ速さで瞬時に時雨の背後に迫り、後頭部をつかんで地面にたたきつける。


 ガンッ!!

 

 霙が衝撃で吹き飛ばされ、ごろごろと道路の上を転がる。


「がっ…!?」

 

 そして時雨は意識が飛びそうになるくらいの強い衝撃を受けて平衡感覚を失い、立ち上がることができなくなる。

 そして強くつかまれた頭の中で鋭く響くような痛みが鋭く反響している。


(あ…)

 

 そんな状況で時雨の頭の中は確実な死のイメージで埋め尽くされる。

 絶対に敵わない相手。逃げる事すら敵わない相手。

 逃れられない死に対する恐怖心が、時雨の中に渦巻いていく。



 いつしか薄れていく感情。驚異的な力を持つ怪人に遭遇した時、だれもが抱く恐慌。

 あまりに格上の怪人は、たった一回の行動で時雨を木偶に立ち戻らせる。


「せんっ…ぱい…っ…!」

 

 だがもはや身動きすら取れないくらいになってしまった霙が、空しく時雨に手を伸ばす。


(…!あきらめちゃだめだ!)


 その後輩の姿が、時雨に自分が折れてはいけない理由を思い出させた。

 といっても時雨の頭の中は真っ白のままだ。守らなければならない後輩の存在が、考えずとも時雨の体を突き動かした。


(立て!!立て!!みんなを守れるように強くなるって決めたろ!!!)

 

 今までにないくらい力を込めた手が、地面を鳴らす。

 時雨は立ち上がらなければならない。

 そして怪人に向かって向き直る。


『…』

 怪人は時雨をしゃがんだまま見つめている。

 何を考えているのかなんて時雨にはちっともわからない。



 生き残るには、勝つしかない。


 でも、こいつに? ひとりで?


(…だまれ)

 

 そんな弱っちい言葉を押し殺して、怪人を倒すことだけを考える。

 救援を呼べる道具も手段も持ち合わせていない。


 まだ迷いはあった。恐怖心もあった。体が震える。汗ばんでくる。

 体を動かしにくい。足が硬直している。


 ザッ!

 足が動いた。

 

 そんな状況でも、体だけは自然と動く。


 刀身を限界まで引き伸ばし、縦横無尽に駆け回らせる。

 そして時雨自身も移動を繰り返し、相手を翻弄する動き。

 相手の攻撃を食らわないことを優先に、相手を中心に動き続ける。


 ブンッ!!

「…ひっ!?」

 

 怪人は動じない。しばらくは時雨の行動を見ているだけだったが、静かに時雨の動きを観察し、鬱陶しいその小さな存在を叩き潰さんと細くとも筋肉質で先ほどの怪人よりもはるかに凝縮された腕が迫る。

 時雨はそれを間一髪ギリギリで回避する。


 近くを通り過ぎていく腕の周りに巻き起こる風圧で分かる。

 直撃したらまず真っ二つだ。

 

 (出来る限り規則性が生まれない、予想されない動きをしろ!)


 規則性が生まれたら時雨に明日はない。



(しんどい…でもっ…!!)


 すさまじいプレッシャーに押しつぶされそうになりながらも、時雨はただ避けるだけでは済まさない。

 水の刀身を経路上に残しつつ、少しずつ怪人を包囲する。


 とても永く思える数十秒の攻防の末に、水の檻が完成した。

 幾重にも重なった水の帯は怪人を包囲する。


(今…!!!)


 その帯が完成すると同時に時雨は大きく後ろに後退する。


 直後、怪人の周囲に出来る限り展開された帯を時雨は一気に絞る。

 水の帯は即座に縮小して檻と化す。怪人を絞め殺さんという勢いで襲いかかった。


 バシィッ!!!!


『ギッ…!!?』

 

 完全に不意を突かれた怪人はなすすべなく拘束され、そのままギシギシときしむ音を立てて明確なダメージを負う。

 背中の甲殻は凹み、腹部や脚部が締め付けられて次第に皮膚を突き破って体液があふれ始める。

 

 今の時雨にできる最強の技。

 

 攻撃を繰り返す中で水の帯を作り、相手を後に絞め殺すことを目的とした技。

 限界まで水流操作で刀を帯として保ち続ける以上、時雨にかかる負荷も大きく連発はまずできない。


(…これで決まらなかったら…!)

 

 確実にこの技で決めるときにしかこの技は放たない。

 後がないと言えば確かにそうだ。


 だがこの際手段を選ぶほどの余地があるわけではない。


ブシュ…メキ…

 

 命の危機を感じて振りほどこうと怪人がもがけばもがくほど、檻は怪人を追い詰めていく。

 やがて右の触覚、左の前脚、右の真ん中の脚が破損する。


(うっ!!?)

 

 だが、怪人を仕留めきれない。我慢比べで限界に先に達したのは時雨の力だった。

 水が振りほどかれてはじけ飛ぶ。そして、ゆっくりと刀身へ戻っていく。


「かはっ…!」


 自分の呼吸も忘れるくらい必死になって締め付けていた反動。

 視界が暗くなり、不明瞭になる。

 

 過剰に酷使した水流操作により体が重く鈍り、体のバランスを保つことすら困難になってひざを折る。


(次…!どうする!?)

 

 だが負けを認めない。少しでも回復して次につなげる。

 自分だけでなく後輩の命まで危険にさらされている状況が、たとえどんなに苦しくても甘えを許さない。


 だが不幸にも怪人は時雨に対しての認識を変えた。


 怪人は時雨への認識が「暇つぶしのおもちゃ」だったが、怪人は怒りを覚え始めていた。

 本来なら怪人にとって取るに足らない存在が、自分を負傷させた。この苛立ちが、怪人の猛攻に火をつける。


(相手の雰囲気が変わった…動け!)

 

 少しでも回復したい時雨にはこの状況は明らかに不利。

 嫌でも動かなければならなくなる時雨は重い体に鞭打って移動を始める。


 だが足取りの重くなった時雨の動きは怪人にとって非常に緩慢な動きでしかなく、時雨の抵抗も戦略もあえなく怪人に蹂躙される形で無駄になる。

 走り出した時雨を腕でたたき落とし、その後頭をつかんでたこなぐりにする。


ガンッ!ゴンッ!

 

 ゴマダラカミキリの怪人よりもはるかに重く速い攻撃は、時雨の肉体を抉っていく。



 そこにあったのは蹂躙。といっても子供が苛立ってオモチャに攻撃するようなもので、全力で壊しに行っているような動きではないだけまだマシだったろう。

 もし本気なら時雨は数秒もしないうちに死んでいた。


 それでも一方的な戦い。抵抗することなんてできない。

 

 時雨は何度自分の弱さを呪ったことだろう。

 ここ最近になって自分自身に向き合って。その度に打ちのめされて。でも諦めずに頑張り続けて。


 でもどうしても届かない壁が自分の前に立ちはだかり続ける。きっと美空やみんななら軽々と飛び越えてしまうようなものであったとしても、時雨にとっては高い壁だった。


 強すぎる痛みが連続しすぎてほとんど感じられなくなってくる。

 どのくらいの怪我をしたんだろう。それすら分からない。

 度々赤くなっては色あせていた視界がぼやけた。


 そのとき。


 ポツン。

 一つの雫が垂れる。


 そしてその雫は数を増して、勢いを増して天から降り注いでくる。

 

 (雨…!)


 


 そしてその雨は薄れかかっていた時雨の意識をはっきりさせる。

 (雨だ!)


 時雨は水そのものを生み出すことができるわけではない。水を操作するだけ。

 でも、今周りは大量の水があふれかえっている。


(まだ…なんとかなる!!!)

 

 この水をすべて使えば届く。愛刀の見た目以上に多い水だけで届かなかったとしても、これだけの水があればあの怪人にだって対抗できる。


(こっのおおお!)

 

 ぐっしょりと濡れた体を無理にでも動かして、半ばサンドバックに飽き始めていた怪人の胴体を刀で突き刺す。


『!?』

 

 といっても刺さりはしない。比較的柔らかいとされるカミキリ型怪人の腹部ですら時雨の攻撃を通さない。

 それでもいきなりの反撃に驚いた怪人は一度距離を取る。


「はあ…はあ…」

 びしょぬれになってさらに重くなった時雨の体は、もはや移動などできるようなものではない。

 動き回って形成するような檻はもう作れない。


 ボロボロな体。

 でも眼だけは、怪人をまっすぐにとらえていた。

  

(溜めろ…!)

 

 やることはただ一つに決まっていた。

 キリギリス怪人を倒した、鬼道の技。その真似をする。


 完全に見様見真似だ。粗削りな事この上ない。

 それでも時雨は実行する。自分でも驚くくらい頭の中だけはクリアな感覚。

 今だけは実現できそうな気がする。というよりも実現できなければ待っているのはただ死一つだけ。


 ゴウゴウと音を立てて、雨が集まり、刀身を巨大化させていく。

 強引に底上げされた威力。当然消耗しきった体では放てば最後身動きなどできなくなるだろう。

 だから今度こそこの一撃にかけるしかない。


「勝負だ…!」


 初めて見る光景ながら、その危険性を察知した怪人は真っ先に時雨を潰しにかかる。


 バシッ!

 だが時雨は迫りくる怪人の足元の水が意思を持った蛇のように絡みついて怪人の脚を引っかけ、転倒させる。

 さらに水たまりの水を利用して捕縛し、こちらの攻撃が妨害されないように保険を掛けた。


『…!』


 そして時は来た。 


「あああああああああああああああッ!」

 既に限界は近い、というよりも超えている時雨は身動きが取れなくなった怪人に渾身の一撃を放つ。

 

 重くて自分の方が振り回されそうなくらい背伸びした威力の攻撃を必死に制御しながら、倒れこむように怪人を叩き斬る。


 ドドドドド…


 重い水流は怪人の胴体を豪快に抉った。

 だが時雨はその様子を見届けることはできない。


 過剰な身体機能の酷使によって時雨の意識はぐらり、と崩れる感覚とともにといきなり途絶える。




 ――――――





「…」

 

 見慣れぬ天井。双葉のマークが天井にたくさんついていて落ち着かせるような雰囲気だ。

 ここは京にある病院。

 比較的症状やケガの度合いが重い人たちが多く運び込まれて治療を受ける場所だ。

 

 時雨が来るのは初めてのことで、一瞬どこにいるのか全然把握できなかった。

 まだ鈍く重い体を頑張って起こして周囲を見れば、京の病院特有の白い花の模様のついた壁が見える。


 そして少し遅れて体中に痛みが走る。


 「っ」

 

 思わず猫背になって痛みに耐える。痛みが少し引いた辺りで横目で近くの窓の外の景色を見た。

 雨はもう止んだのだろう。雨音はほとんど聞こえない。


 動きの鈍くなったガラスの表面についている水滴がゆっくりと下へ流れていく。

 すっかり暗くなった外は街の明かり以外ほとんど見えず、どのくらい雲が残っているかまでは見えなかった。

 窓に残る水滴が街に溢れる温かい光を乱反射している。

 

 そしてすでに水がたどった跡に触れた水滴は、今までの動きが嘘のようにすーっと姿を消していった。

 病室は6階。

 こんな高い場所から街を一望したことは初めてだった時雨は、その美しさに少し釘付けになる。


「目が覚めた?」

 

 窓を見ている時雨を見て、看護長の直葉さんが声をかけてくれる。

 黒い少し長めのボブカットに茶色の瞳の垂れ目。かなり大人びた見た目の白衣姿は魅力的な彼女をひと際輝かせていた。


 身長は美空よりも少し高いぐらい。少しひかえめの大きさの胸の近くにはぬいぐるみのくまのついたピンをつけている。

 

 幹部の一人である直葉さんが直々に時雨の面倒を見ているということは、かなり重症だったのだろう。


 彼女は能力や技術、知識がすべて医療系最高峰として有名である。

 弟子や後継者も育てているらしく、彼女の敏腕のおかげでここ十数年で医療技術が格段に向上したらしい。



「一対一で等級4の怪人に勝ったのはすごいことだよ。でも怪我がひどいからしばらく療養が必要だね。」


 救出してくれた他のメンバーから聞いた話によると、どうやら青のカミキリ怪人を仕留めるまでには至らなかったようだ。

 怪人もかなり重症を負ったためその場から逃げていったという。

 他のメンバーが気が付いたのは大きな衝撃音によるものらしい。少なくとも無理やり出した最後の攻撃が偶然にもSOSとしても機能したようだ。


 ルリマダラカミキリの怪人が羽化直後で身体能力が本来よりも低かったため今回はなんとかなったが、あと数時間戦闘開始が遅かったら生き残れていなかっただろうと言われた。

 

 確かに危ない橋を渡ったのはそうだが、そうしなければまず生き残れなかっただろう。

 というより時雨は霙の命も掛かっていたから体を張れたわけで…



「!! 霙は?!」


 そしてようやく一番大事なことを思い出す。

 右足を失ったという後に響く重症。自分がもっとしっかりしていれば起こりえなかったはずの悲劇に胸を痛めながら、霙の安否を問いただす。


「あの子なら心配ないわ。全治二週間といったところ。傷はふさいでおいたからあとは彼女の自己再生の天賦でゆっくり戻っていく。むしろあなたの方が重症だからね?」


 そう直葉さんに言われた。

 時雨はぱちくり、として狐につままれた顔をする。


 全治二週間。


 自己再生って部位欠損まで修復できるのか。

 自分が必要以上に深刻に受け止めていたことが発覚して少し恥ずかしくなる。

 だが、しばらくの療養で足が元に戻る事が分かって安心していたのも事実だった。


 時雨はこの時初めて病室の温かさを感じることができた。


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