六十三話
雨宮の意識は過去へ過去へと遡る。
不思議な空間。ずっと暗い宇宙のようなトンネルを進んでいく。
ここでは足が付く場所はなく、ずっと宙に浮いて進む。いや戻る過程にあった。
雨宮は思案した。
過去に戻ると言ってもどの時点がいいのか。
ホシの問題が目前になった辺りではまず教えてくれやしないだろう。
どのあたりに戻る?
自分が初めてアビスを授かったとき?
それとも躬恒がいたとき?
(やるしかない)
悩んでも仕方がないと雨宮は腹をくくった。
まずは躬恒がいたときの地球との接触。
いきなりトンネルは姿を消して何気ない空間に戻っていった。
それは何百年も前の京。
懐かしい部屋の姿。
かつて若輩だった自分が生活していた部屋だ。
ふと部屋のテーブルの上にある鏡を見てみる。
変わらない。
姿は今とちっとも変わらない。
今はもっと姿を変えているであろうこの家の姿だけがただ懐かしかった。
「雨宮~」
そして今はもういない友の声。
部屋の引き戸の近くからその声は聞こえてきた。
曇りガラスの向こうで白い髪がゆらと動いていた。
「躬恒…」
ぽつりとつぶやいた。
今目の前にある彼女は確かにここに存在していた。
それでも彼女はやがて死に助けることはできない。彼女の聲が鼓膜を震わせると同時に心も揺らいだ気がした。
「雨宮?」
様子が違う彼女は不思議そうに声を出した後、扉を開けてこちらを覗き込んでくる。
「ああ。すまない少し考え事をしていた。躬恒、何か用?」
雨宮は何気ない風を装って彼女に聞き返す。
「…あ、そうそう、今日お祭りがあるんだって!一緒に行こうよ!」
快活な少女は元気いっぱいの笑顔で雨宮をお出かけに誘う。
雨宮はその言葉を聞いて胸がずきりとした。
もしここで断ったとて歴史は変らない。
「すまない…ちょっと用事があって難しそうだ」
雨宮は申し訳なさそうに断る。
躬恒は雨宮の様子をじっと見ていた。
「そっか~、じゃあ仕方ないね」
また今度行こうね!
と言葉を残して去っていく。
そしてまた静寂が雨宮を包み込んだ。
雨宮は、ぐっと足に力を入れて立ち上がった。
そして靴を履いて、家の戸締りをして出かけていく。
夏の気温。
夏にしては涼しいと感じた。
太陽は何百年経とうとその輝きはほとんど変らない。
――――
「おや…珍しいね」
暗い空間の中で地球はつぶやいた。
椅子に座ったまま振り返りもせずやってきた者へ挨拶をする。
空間の中へ入ってきた雨宮は緊張した面持ちで歩みを進めた。
「教えていただきたいことがあるんですが」
「なんだい?」
「適性が中途半端なアビスの力を強引に適応させる方法ってあるんですか?」
「どうしたんだ急に?」
「もし…躬恒にそれをしたらどうなりますか?」
「…多分人格が壊れてしまうね。無理矢理してしまうと。アビスに完全に飲まれてしまう。でもそんなことをする必要はないよ。だってそれをした所で仕方ないんだから。」
「躬恒は苦しんでます。すでに暴走でしょっちゅう問題を起こして、明るく振る舞っていますが時折夜泣いています。少しだけでも使ってあげられないでしょうか」
ずきり、と胸が痛んだ。
「…少しだけ、か…難しいね解除はなかなかできないし」
「本当にできないんですか?」
「少なくとも私は解除の方法を持っていない。」
「私は…?できる人がいるんですか?」
「デミスにはそれを解除できるやつもいる。…ところで雨宮。何故この話を聞いたんだい?」
「…先程躬恒のことで相談したのですが…」
「違うでしょ」
ずいと彼女は距離を詰めた。
「わざわざ過去に跳んで聞きに来たんだ。他に理由があるでしょ」
「!!」
「実のところね、私自身は時間に干渉する能力はない。でもね、君が時間を戻ってきたことくらいはわかる。」
考えてみれば確かにそうかと思えた。
彼女から作り出された力である以上は感知されてしまうのもやむを得ない。
あと嘘をつくのは無理だ。
見定めるような瞳を見て理解する。
「数百年後…後輩が破壊のアビスを扱いきれずに困っている」
雨宮は正直に話した。
雨宮は完全に話しきっては時間を戻る前とほとんど同じ結果になってしまうだろう。
ホシが動き始めたという時点でそれは地球の危機であり、それを滅する破壊の権能は不可欠。
すでにヒントは得た。
何一つ隠さず正直に答えた。
「…」
ふむん、と唸った彼女は考え込んでいた。
「なるほど、君が聞きに来たのもうなずけるね。」
疑問が解決してスッキリしたのか急に上機嫌になって椅子の上でゆらゆら左右に揺れ始める。
てっきり解決策を教えた代わりに何か要求されるものだと思っていた。
しかし彼女は特段何も言うこともない。
意外にも思ったが、同時に表に出していないだけで何かを企んでいるのかもしれない。
そういう怖さはあった。
雨宮は後から条件を追加される前に帰還することにした。
――――
「…」
「戻ってきましたか」
見慣れぬ天井。
自分は寝込んだ部屋に戻ってきたのだ。
そばでは草薙の部下が近くに待機してくれていた。
「ああ。一つだけ分かった」
雨宮はぐっと拳を握り締めようとした。
でも感覚は戻り切っていないからほんの少しばかりぴくりと動くだけ。
それからほかの者を呼んで情報を共有する。
デミスが解除する方法を持っていると。
しかし困ったものだ。
少なくとも時雨をホシにぶつけるのは危険すぎる。
ウツシマのやられ方を見るに瞬殺されるリスクの方が高い。
それに下手に当たらなかったとしてもあの攻撃が炸裂すればとんでもない被害が待ち受けている。
かといって美空に頼るのも問題だ。
彼女がその方法を知っている確証はないし、なによりあの状態の時雨を相手にしなければならない。
もし何かあってからでは遅いのは明らかだ。
大人たちは大いに悩んだ。
いかに時雨を止めるか。
安全な方法はないのか。
しかし今回ばかりは若者の行動がすべてを変えた。
――
少女は嘆いた。
家族が帰ってこないことを。
ごく小さな怪人を作り出して探索させた。
どれも甲斐なく帰って来る。
たまたま町の中へ入り込んでいた一体を除いて。
その怪人は情報を掴んだ。
意図的に美空に秘匿されていた時雨の状況。
アビスの暴走。
そして行方不明になったこと。
美空は動かずにはいられなかった。
『本当に行くの?』
どこからか聞こえてくる声。
ウラシアだ。時折自分に語り掛けてくる存在。
それは本来のデミスとしての人格。
「当たり前でしょ」
美空は答えた。
『君に情報を秘匿していたということは、君を時雨に合わせたくないからだよ。』
ウラシアはたしなめる。
美空は一番アビスの攻撃を受けたときの影響が大きい。
だからこそ暴走している時雨の目の前にはいかせたくない。
かつて自我がはっきりしていなかったウラシアは京の中で暴れた。
幹部級の力でも抑え込めなかったというのに、アビスが加わるだけで状況が一変した。
それだけデミスにとってアビスは大きな存在だ。
もし不用意に遭遇して大けがでも負ったら…
「分かってるよ。でも、だからって家族をほっとけっていうの?」
美空はウラシアの言外の通告へ反論する。
『…止めても行くのね』
ウラシアは半ばあきらめたかのようにため息をついた。
『そうね。あなたは行くわ。大事な子のためだものね。私ではなく、ほかでもないあなたの意思で行くのよね』
『暴走を止める方法はあるわ。』
「!!」
美空の髪が揺れた。
『でもあなた自身にも危険はある。そこは覚悟しといて。』
そう言って止め方を教えてくれた。
ウラシアはすっと笑ったように思えた。
――――
京から遠く離れた場所。
そこは人の少ない海岸だった。
細かい砂がバニラアイスみたいな色をして、冷たい海水に濡れている。
海の風を受けてヤシの木が揺れる。
温暖な地域と言えど気候に合いそうにないヤシの木はいくらかの葉を茶色く枯らしてなお冬に耐えていた。
海の向こうには多島美が見え、その合間を真っ白な大きな橋が通り抜けていく。
ここは冬でも乾燥している。
だからからっとした晴天が空を追っている。
砂浜は寒さゆえかカニ一匹すら動いていない。
近くには公園があるらしく白いいすやテーブルが設けられている。
誰もいない静かな空間には波の音だけが響いていく。
そこに時雨はいた。
右腕だけが怪物のまま。
怪物の装甲が外れなかった。
時雨はただ海の向こうを眺めているだけ。
くすんだ視界では向こうの島も橋もよく見えない。
押し寄せては引いていく渚に佇んでいた。
「誰」
時雨はつぶやいた。
後ろにやってきた少女。
彼女が長く一緒に住んできた相手だというのも分からなくなっていた。
美空は歩みを進める。
細かい砂が靴の内側に入ってきてくすぐったい。
時雨の本能たるアビスが目の前の存在を完全に理解した。
倒すべき敵であり、抗原であると。
刹那時雨の全身は再び怪物の姿へ切り替わった。
余波だけで突風が吹いて砂が舞い、ヤシの木が大きく影を動かす。
「時雨ちゃん、帰るよ」
美空も相対する。
白く長く伸びた髪に、宇宙のような瞳の色。
白いドレスがたなびいて頭上には太陽系のようなヘイローが浮かび上がる。
先に踏み出したのはアビス。
目の前の存在を一切の躊躇もなく屠りにかかった。
地面が暗く輝く。
アビス由来の蒼い光が輝いて地面が音もなく爆発する。
美空は上へ飛んで回避。
「はっ!」
天から降り注ぐ隕石。
無数の流星群となって海岸を激震させる。
激しい弾幕攻撃は容赦なく怪物の体を削っていく。
しかし怪物は進み続けた。
鎧が砕けて煙を上げようともまっすぐ立ち向かった。途中で地面の空間から弓を取り出す。
和弓以上に大きな弓を難なく引いて発射する。
弦がギリギリとなって、妙に音の低いツルネが響く。
美空は防御しようとして触手を展開したが、触手を強引に引きちぎる。
ガクン、と力が抜けて美空は高度を下げてしまう。
(これが…アビス…!!)
ウラシアの自我が長期間消えたのも納得できるほどの効果。
これが地球が身を守るために生み出した免疫の力だ。
美空は戦慄する。
そんなことなどお構いなしにアビスは跳躍した。
今度は槍を取り出して美空に向かって放つ。
寸分たがわず心臓を穿とうとした槍を、なんとか触手で跳ね除けて位置をずらす。
それでも肩に直撃する形で食らってしまう。アビスの力が流れ込んできてさらに美空を追い詰める。
「くっ…!」
美空は強引にビームを零距離で放って怪物を押し返した。数m吹き飛ばされた怪物はまた突進してくる。
休む間を与えないつもりらしい。
少なくとも自分一人で対応しきるのは困難。
怪人が複数体姿を現す。
テッポウエビに、イカ、ウミガメ。
それぞれの形をした怪人が怪物の行く手を阻む。
テッポウエビは発達した腕で勢いよく衝撃波を出した。
バァン!!
怪物であっても強引に押し戻されるような威力。
強引に距離を取らせて時間を稼ぐ。
(乱されてる…そんな感じ)
美空は肩で息をしながら思考する。
アビスの攻撃は文字通りデミス特攻。
デミスの体の組織を破壊しつつ、仕組みを狂わせる性質を持っていた。
だから美空の霊力のコントロールや感覚がおかしくなって動きが阻害される。
「ふっ!」
再びビームを放つ。
やや粗い操作にはなるが仕方がない。
怪人では数秒稼ぐのが精いっぱいだろう。
だからこそ牽制して長く怪人を持たせる。
ビームを大剣の腹でガードする怪物。
ゴウン、と音が響いて怪物の足が砂浜にめり込む。
抑え込んだように見えたが怪物は角度をずらして受け流してしまう。
近くにいたテッポウエビにビームが直撃して腕が吹っ飛ばされる。
バシィ!!
即座にイカの足が怪物を捕縛する。
ウミガメが波動を発して怪物へ攻撃する。
ウミガメの放つ波動は固いものに対してのみ絶大な効果を誇る。
だからイカごと撃ったとてイカに影響はない。
鎧が砕けていくが、怪物はそう簡単にはやられない。
攻撃を受けながらも強引にイカの足を引きちぎって拘束を解く。
さらに反転して双剣にイカを切り刻む。
バラバラになった怪人はそのまま砂浜に力なく落ちていった。
その時。
光が収束する。
先ほど美空が放った光線。
それは大きく曲がって知覚されないように戻ってきていた。
怪物の周囲に回り、怪物を焼き始める。
美空から新たに放たれたビームまで加わり、激しい熱と光を放つ。
ゴゴゴゴ…!!!
地響きまで伴う光は怪物を焼き尽くそうとする。
『ーーーー!!!!』
怪物は吠えた。
激しい痛み。
自分を焼き尽くそうとする確かな脅威。
このままでは自分が死ぬと。
だからこそ怪物は突進した。
激しい青い光を放ち、地面を揺らす。
それはアビスの放つエネルギーのほんの一部だ。
それでもなお今までの攻撃やエネルギーよりもはるかに強大な力。
それがひとたび放たれればここら一帯の地面が吹き飛び、余波だけで周辺の海岸が波にのまれるほど。
ビリビリと震える大気を感じとって美空は戦慄する。
(これが…アビスの本気!!)
自分が喰らえば間違いなく死ぬと直感的に理解すした。
――――
『まずはアビスに大技を放たせること。攻撃に一辺倒になった時じゃなきゃ効かないわ』
ウラシアに教えてもらった暴走の解除方法。
それは専用の光線を当てること。
他の光線と使い勝手はかわらない。
でも難易度は高い。
なぜか?
大技を凌ぎながら当てなきゃいけないから。
『できる?』
「当たり前でしょ」
ウラシアが確認してくるが、美空は即答する。
――
来た。
時が来た。
美空に緊張が走る。
大技を迎え撃つために防御策を取ろうと思っていた。しかし相手の気迫を見て、恐らく防御が意味をなさないのではないかと思ってしまった。
砂浜に大穴を空けながら走ってくる怪物。
次第に光は増して行く。
「やることは一つ…!」
美空も力を溜める。
やがて空はまるで夜になったかのように暗くなり星空が姿を現す。
遠くで星々が瞬く。
怪物の周囲へ光の柱が乱立した。
激しい光を放ちアビスの光に対抗する。
怪物もその危険性を理解したらしくそれらを回避しながら突っ込んでくる。
光の柱は美空の意思に従い、自在に動いてあるものは怪物に攻撃を加え、あるものは進路を防ぐ。
かつて遠藤を屠った大技。
大技に大技で対抗する。
怪物は大きく跳躍した。
拳にエネルギーを収束させて。
ここで隙ができた。
「今!!」
美空は特殊な光線を放つ。
空中ならこれを避けるのは不可能。
光線を怪物は避けた。
身を翻すでもなく。
位置がするりとしたへ移動した。
ビームは虚しく遠くへ向かっていく。
(嘘…!?)
美空へ拳が直撃した。
音もなく海岸に衝撃波が響き渡っていった。
――――
美空は消えようとしていた。
砂浜に力なく倒れ伏して。
だんだんと破壊のエネルギーが普及していき、砂になって消えていく。
『美空。それはだめだ』
ウラシアはつぶやく。
真っ白な空間のなかで消えゆく美空に手を伸ばす。
そっと手のひらで頬に触れた。
『君だけは、消えちゃいけない』
ウラシアは寂しそうな顔をしていた。
瓜二つの顔で、愛しそうに美空を見つめる。
『最初は君のことを疎ましく思ってた。でも君は確かに私だった。でも、同時に君は君でもあった。前の私なら間違いなく君の消滅に何も感じなかった。…でも、私は君の生き様を誰よりも近くで見て愛おしく思ってしまった。』
『だから…私が肩代わりしよう』
ウラシアの手にエネルギーが伝わって行く。
身体が崩れて行く。
変わりに美空の崩壊が止まる。
震える手で美空から手を離して立ち上がるウラシア。
『さよなら。もう一人の私』
ウラシアは静かに消えていった。




