六十二話
京は大混乱に陥りながらも次第に落ち着いていく。
何万もの防人が動くことで怪人は確実に数を減らしていた。
沈静化に要した時間は約40分。
その数字が京の持つ実力を物語っている。
しかし山荘はそうもいかなかった。
人員は圧倒的に少ない。
空を埋め尽くすような数の怪人を相手にすることはできず、瞬時に家が倒壊した。
ある程度片づけてから足早に山荘にたどり着いた颯は息を飲んだ。
襲ってきた数体の怪人を斬り伏せて状況を整理する。
(もっと怪人が多いものだと思っていた)
少ない。
山荘に来た怪人の数の方が多かったはず。
高屋の言葉や念視持ちの人員の調査で数を把握している。
なのに今襲ってきた怪人はわずかに3体。
一気に攻められると思っていたし、そもそも空を覆いつくすほどの数もいない。
(何かに怖気づいている)
颯はなんとなくそう思った。
そもそもイナゴの怪人は上級怪人にしては弱いにしてもこそこそ隠れる必要があるようなやつではない。
それだというのに怪人たちは物陰に隠れていた。
逃げたというには不自然だ。
脅威がなければこの山の中の植物質の者を食べつくしてしまうはず。
振動が響く。
音もなく、ただ地面が小刻みに揺れていた。
颯はそれに気が付く。
颯は風のように駆け出した。
――
怪物は戦っていた。
数万を軽く超える数の怪人を一人で相手にしていた。
手数で勝負するべく双剣を使いながら容赦なく怪人を両断していく。
その威力たるやこの上なく、外骨格をまるで紙のように簡単に切り捨てていく。
それでも数の暴力の前に苦戦はする。
全方位に向けて常に攻撃するなんてことはできやしない。
だから至る所に打撃を食らい、鎧は欠けていく。
それでも怪物は吠えた。
自分が受けた攻撃の何倍もの数の攻撃を繰り出して屠り続けた。
「…雨宮!」
その怪人の竜巻の横を颯は降りていく。
視線の先にあったのは大穴。
視力の良い彼の目は確実に雨宮を見つけ出した。
すぐに着地して雨宮の容態を見る。
力なく仰向けに倒れていた彼女は気絶したまま動かない。
首に攻撃を受けたであろうことは容易にわかった。
(首の骨が折れている…しかし生きてはいる)
颯は冷や汗をかいた。
雨宮という者がこれほどの負傷を負ったのかと恐れた。
そして今なんとか生きてはいるようだがこのまま放置すれば死んでしまう。
颯はすぐに上へ飛んだ。
深緑の風を巻き上げて遥か遠くの方角へと飛び去って行った。
それは目にもとまらぬ速さで一つの球だけを残していく。
「これは…」
ある男はつぶやいた。
空からまっすぐ自分に向かって落ちてきたその球。
球の周りでは風が巻いていてそこから僅かに声が聞こえてきた。
(これから俺は渓葉の里へ向かう。山の中にいる脅威を頼んだ)
そう風は確かに伝えてきた。
相も変わらず速い人だと男は舌を巻いた。
自分も追い風の加護を受けてかなりの速度でやってきたというものだが、颯は先にはるか遠くに行ってしまう。
「…本当に幹部っていうのは無茶苦茶だな」
男は笑った。
黒い髪に漆黒の角。
その体の内に煮えたぎるほどの熱を帯びたその男は肩に鯨包丁を担いだ。
「じゃあ、行きますか」
鬼道はすぐに走り出す。
その腰には紫の札。
幹部だけが持つ確かで高貴な札の紫が輝いていた。
――――
怪物は立っていた。
ぼろぼろになりながらもたった一人で怪人の群れを倒しきって見せた。
やや疲弊した様子を見せる怪物は本当にただただその場所に立っている。
やや傾き始めた日差しは冬だからか少し温かみに欠けていた。
怪物は足音を聞いて何かの接近を知る。
数は一人。
なんだ。
誰だ。
怪物は振り向く。
その先には一人の鬼。
鬼は怪物の姿を見て理解した。
こいつは時雨だ。
不穏な話を聞いていた。
そして確かに現実に恐れていたことが起こったのだ。
アビスの怪物は一切の躊躇なく攻撃してきた。
「らあっ…!」
アビスの双剣が振り下ろされた時鬼道は目にもとまらぬ速さで包丁を振り抜く。
通常の京人よりもさらに大柄なアビスは容易く上に打ち上げられた。
驚愕したらしい。
目を見開く様子など見えない。
すぐに着地して構え直す。
それでも空気の振動が鬼道が確かな脅威であると認識したことを示している。
「時雨…目、覚ませよ」
鬼道はまっすぐ包丁を構える。
彼の相貌は間違いなく本気の目。
それは相手の力量が分かっているから。
幹部の身になったといはいえ相手は脅威に間違いはなかった。
少し油断すれば殺される。
自分は時雨を止めるために今やつと戦う必要がある。
鬼道にできるのは呪いの解除でも暴走の沈静化でもない。
叩き潰して止めることだけ。
ゴウッ…!
彼の思いに呼応して静かながら力強い熱波が音を立てる。
真っ黒だった髪は紫に燃え上がり瞳孔は鋭いバツ印へ。
二対の数珠のように紫色の炎が胴体を巻いた。
それは鬼道の本気の姿。
かつてイノシシの怪人を倒した時よりもさらに大きくなった力を以って怪物に相対する。
「はあっ!」
鬼道は駆け出した。
靴裏から僅かに火花が散る。
動作に伴う僅かな火花でさえ紫に染まる。彼の作り出す熱が、炎がほんのわずかな物であっても絶大な熱気を帯びた。
今度は鬼道が先手。
流れるような動作で怪物の視界から消える。
斜め後方。
真後ろでもなく視界の端から攻め込んだ。
当然視界の端で動いたものを攻撃しようとする怪物。
突き出された拳の先には紫色の炎だけが残されていた。
予想外の状況に怪物は動揺したように見えた。
次の瞬間鬼火は爆ぜた。
勢いよく、確かな威力で怪物の外殻を焼いていく。
しかもそれだけではない。
内側まで浸透した鬼火は怪物の体を蝕み始める。
慌てて破壊を使って排除しようとしたその時、包丁は振り下ろされた。
鬼道ははるか上へ飛んで隙ができたところに渾身の一撃を見舞う。
寸分たがわず怪物の肩に直撃する。
ガアアアアン!!!
硬いもの同士がぶつかり合う音。
包丁は確かに肩にある突起をへし折ってやすやすと外殻に傷を作る。
しかしそれだけの威力をもってしてなおも怪物の致命傷にはならない。
「…やるな」
鬼道は複雑な表情でつぶやく。
以前イノシシの怪人と戦った時に折れた鯨包丁の一部が回収されてもう一度鍛錬され直した。
その際にほかの素材も用いて強化されたそれは間違いなく一級品。
その包丁の性能に加えて鬼道の膂力まで加わったのにも関わらずこれで決まらない。
(やることは変わらなねぇ!叩くなら折れるまでッ!!)
鬼道は再び攻めに入る。
怪物はそれを迎え撃つ。
今度は大剣を地面から取り出した。
拳では対応しきれないと判断したらしい。
怪物は鬼道に向かってそれを振り下ろす。
その大きさたるや鬼道の鯨包丁が小さく見えてしまうほど。
鬼道はそれを包丁の腹で受け止める。
そして僅かな一瞬の間。
僅かに刀身をずらして勢いを流していく。
まともに受けたらやばいと分かっているからこその技術での対応。
さらに鬼道は止まらない。
受け流すという動作をしながらもさらに突き進む。
勢いの乗った鬼道の膝蹴りが怪物の腹に命中する。
怪物は即座に吹っ飛ばされた。
鬼火を纏う蹴りの衝撃が山を激震させる。
しかしその紫の炎は山へと広がることはなかった。
「…!!」
山の斜面を転がり落ちる怪物。
とっさに斜面から双剣を取り出して斜面に突き刺して難を逃れる。
しかし周囲には無数の鬼灯。
丸く輝く紫の光。
無数の鬼灯がやがて怪物の周囲を囲う。
「はあああっ!!」
鬼道は鬼灯を解き放った。
鬼灯は勢いよく爆ぜて爆炎となり怪物を焼き尽くしにかかる。
はるか遠くからでもわかるくらいに明るく、紫の炎の柱が上がった。
天まで突き抜けるような柱は近くにあった雲を蒸発させていく。
真っ白な雲が消え失せてなお柱は輝き続けた。
最後に大きくバツ印に爆ぜる。
「…いない?」
鬼道は信じられないという顔をした。
爆発の中心部には確かに怪物の姿があった。
流石に鬼道の高火力といえどもアビスをすべて蒸発させるなんて芸当はできやしない。
消えたのは不自然だった。
「…」
鬼道は奇襲を警戒したが結局怪物は姿を現さなかった。
――――
「…っ」
雨宮はふと目を覚ました。
見知らぬ天井。
「まだ起きちゃだめや」
急いで起き上がろうとしたけれどもすぐそばにいた少女に止められる。
まぶしい金髪に毛先や前髪が赤に染まった美しい少女。
心配そうにのぞき込む様子を見て、なんとか踏みとどまる。
「…しぐれ…時雨はどうなった…」
雨宮は目の前にいる少女へ問う。
自分の心配よりも先に後輩のことを案じた。
「時雨は…今行方不明なんだ」
少女「秋音」は視線を落としながら事実を告げる。
顔見知りでもあるから、秋音としてもあの子のことが心配だった。
「すぐにでも探し…っ!」
無理やり体を起こして動こうとする雨宮。
しかし体の自由は全然なかった。
「だめやっていうとる!あんた首の骨が折れてたんや!」
秋音は叱る。
雨宮は動ける状態ではない。
そもそも首の骨が折れて生きていること自体が稀有だ。
当然そんな重傷で動けるはず等ない。
渓葉の里の医療のおかげで何とかなっているが、その技術をもってしても瞬時に体を復帰させることは不可能。
神経系はまだうまく作動しない。
最低限生きるのに必要な部分を優先したからだ。
「…」
雨宮は黙り込む。
先輩と言う立場でありながら時雨を止めてやれなかった。
それがとても悔しい。
「…京に情報共有をさせてほしい」
雨宮はしばらく黙り込んでいたがふとつぶやいた。
秋音はえ、それなら多分大丈夫だけど…と言った。
「あれは通常の暴走ではない」
雨宮はようやく冷静になれた。
自分がするべきことで、なおかつできること。
それは自分が見たものを共有することだ。
やがて数日して使節が派遣されて雨宮は自分の持ちうる情報のすべてを提供した。
――――
時雨は河川敷に座り込んでいた。
アビスの怪物としては鬼道の鬼火に焼かれて一度は沈静化している。
あの後そのまま崖の下に落下し、流れていた川に水没した。
水の民であるがゆえに溺死こそしなかったが、意識がないために下流の方まで流されていって今にいたる。
意識を取り戻した後は川で捕まえた魚を焼いていい感じに焼き上がるのを待っていた。
(燃えにくいな)
時雨は思った。
当然だ。
枝といっても湿ったものまで入れてしまっては焼くのは大変。
時雨の視界はぼやけてノイズが入ってしまっている。同様にすべての感覚が鈍くなってしまっており、これでは湿った枝かどうかは分からない。
しばらくして時雨は魚を持ち上げて食べた。
味気なさそうに咀嚼して飲み込んだあと寒空にぽつりとひと言を放り出した。
「味のしないガムみたい」
魚の身はまだ半生だった。
そのことを時雨はもはや知る由はない。
『ゴ』
そこへ怪人が現れた。
ブラックバス怪人。
大柄で筋肉質な怪人はまたまた足の生えた気持ちの悪い魚である。
時雨はそれの殺気にはすぐに気がついた。
傍らにおいてあった刀を持って迎撃態勢に入る。
怪人が動くよりも早く時雨は走った。
足が水しぶきを激しく上げて飛び散らせる。
即座に怪人に接近して刀を振るった。
寸分たがわず鰓に吸い込まれた刀は容赦なく怪人の鮮血を引っ張り出す。
『ゴッ、ゴッ!!』
怪人は悲鳴を上げながらもすぐに反撃をしてきた。尾鰭で時雨を強打する。
時雨はふっ飛ばされて冷たい石の上を転がって行く。
時雨は体から水を滴らせながら起き上がった。
圧力を発動させる。
ブブブと振動音が響き渡り、足元の河川の表面がきめ細やかな波を立てた。
いつもよりも遥かにがさつな操作。
それがはたから見れば水に触れてよくわかる。
怪人は強烈なタックルを繰り出す。
時雨がそれをガードする。
ビリビリと腕が痺れる感覚があった。
しかし強引に押し返す。
怪人はそれを認識するやいなや胴体をくるりと回して鱗で刀を滑らせて尾鰭を叩き込む。
時雨の横腹に直撃して時雨はまた地面を転がった。
怪人はさらに連撃を加えようとしてくる。
時雨は、怪人に対して人差し指をそっと向けた。
(…!?出ない!!)
時雨が違和感を感じた。
今まで使いこなしていたはずのあの水の力。
しかし何の反応もない。
その一瞬を突いて怪人は強烈な攻撃を叩き込む。
尾鰭で何度も攻撃し、さらに口からビームを吐いて時雨を近くの岩盤へ叩きつけた。
崩れた岩を押しのけて立ち上がる時雨。
服は破れ身体には傷が見える。
ビームは身体を腐食しているようだ。
しかし時雨はそれになんの感情も抱かなかった。
痛む体を労ることもなくまた歩き出して攻撃へ移る。
時雨は感情が希薄になっていき、また目の前の動くものを殺しにかかる怪物に変貌していった。
――――
時雨に干渉した存在。
それは紛れもなく地球。
雨宮は彼女に会ったことがある。
それは深淵に触れたときであり、免疫としての運命を持つことになったまさにその時だった。
自分の場合はまったく問題はなかった。
能力に適した体をしていたから。
しかし時雨の場合はそうではない。
恐らくホシが暴走を始めた時点で重要なのは破壊の権能。
なかなか適合しない時雨を見て焦っていたのかもしれない。
同時に独自の変化をした時に肝心のホシ相手に対応できなくなることを恐れたとも考えられる。
地球の真意は分からない。
それでも無理やり破壊として目覚めさせたのは確かだった。
そこまで雨宮は話す。
「…時雨…」
召集を受けてやってきた一団を取りまとめる草薙は辛そうな顔をしていた。
身近にアビスがいたという人材だからこそ呼ばれたが、この事実を聞くのは残酷とも言えた。
「…だから断ってもよかったのに」
雨宮は草薙を見て言う。
弟子のことを大事にしているのはよく知ってる。
「いえ、無視はできないですから」
草薙は首を横に振る。
一度アビスの関連する友人を失った。
絶対に同じ悲劇など起こさせないという覚悟があった。
「雨宮さん、何かもとに戻す方法はないんでしょうか」
おずおずと傍にいた草薙の部下が質問する。
雨宮はその言葉を聞いて目を伏せた。
「…知っているなら話してるさ」
しばしの間沈黙が流れた。
「なら…地球に聞くのが一番早いんじゃないかな」
草薙はしばし考えた後に言う。
沈黙の間考えていたらしい作戦。
「無理だ。地球は私たちとは全然違う存在だ。考え方も感覚も全然違う。そもそも教えてくれるとは考えにくい」
雨宮は冷たく言う。
まるで外気温に冷やされたかのような冷たさは雨宮自身の胸を刺した。
それに聞いたことを理由に何か条件をふっかけられるかもしれないと告げた。
「雨宮、過去に戻って聞いてみてはどうだろうか」
それでも草薙は真剣な目で雨宮に言った。
「!!」
雨宮は目を見開く。
「あなたの力は現在を変えられない。少なくともあなた自身以外は。あなただけが過去に戻ったなら安全に聞き出せるかもしれない。でも…無理強いはしません。僕はあなたの能力について知らなさすぎる。だから本当の意味であなたの苦しみを理解できるわけじゃない。だから…」
草薙の言葉を遮って雨宮は言った。
「やってみよう。打てる手は打つべきだ」
それはお互い様。
心の傷を承知で草薙を読んだのは自分。
それに雨宮から見てまだ若輩のやつが踏ん張っているのだ。
自分が何もしないというわけにはいかない。
それに時雨を救うために、可能性があるならやらない手はない。
ある意味必然と言うべきか、それとも偶然かは分からない。
決して浅からぬ共通点を持つ草薙の言葉だからこそ雨宮の思考はクリアになったと思う。
やがて暗雲が立ち込めていく空の向こうで微かな雷鳴がおどろと響いた。




