五十七話 矛盾
「何事!?」
町中で突如として生じた衝撃波。
町そのものを揺らし、多くの人を飛び上がらせた。
押し寄せる人の波を統制しながら時雨はその方角へ視線をちらとやる。
「危険ですから下がって!」
美空がすぐに柵を作り場を封鎖する。
押し寄せる人たちの混乱を複数人でなんとか収めていた。
衝撃波が起こった場所からは煙が上がる。
真っ黒な煙が渦を巻くように立ち上っていた。
空が暗く見えてしまうほどの黒さ。
異様な光景に目を疑うが時雨は見てしまった。
煙のなかにちかっ…と赤い光が瞬くのを。
「!!」
時雨はいてもいられず駆け出す。
「…!ちょっと!?」
美空は時雨の行動に驚く。
追いかけようとする美空を瀬戸香が制止する。
「…行かせて上げてください」
霙もやってきて美空に言う。
「私も見ました…煙のなかに微かな赤い光が出てました。」
霙はすぐに時雨のいた位置について場を固める。
今度は一次的な避難誘導を行う。
美空は霙の言葉を聞いてこくりと頷いた。
空は昼間とは思えないほど厚い雲に覆われている。
――――
(赤い稲妻に、この方角…!間違いなく晴斗が関連している!)
時雨は全速力で町中を駆け抜けていく。
多くの場所で統制が行われており、しかも避難経路にもなっているから道を走ることはできない。
すぐに跳躍して屋根の上に飛び乗ってそこから圧力と水流操作、液状化まで駆使して加速していく。
ゴオオ!!
「っ!」
どこからともなく激しい嵐が巻き起こって時雨は即座に回避しようとするが時雨の右腕だけが巻き込まれる。
勢いを失い、地面に液状化したまま着地。
時雨は体を元に戻して右腕を確認した。
「熱い…いや…冷たい…!?」
とんでもなく違和感のある感覚だ。
熱いとも冷たいとも感じる。
そしてそれは単なる錯覚ではなかった。
それを物語るように右腕が煮えたぎりながら凍てついている。
すぐに周囲を見回して状況を把握した。
「磯垣さん…!!」
時雨は思わず声を上げた。
恐らく晴斗と同じ部屋にいたのだろう。
瓦礫の横で、あれだけ隙のないように感じていた彼がいともたやすく気を失っている。
ぐったりとした体をゆするが反応がない。
気絶しているだけで死んでいるわけではないのは確認できた。
ひとまずは最悪の事態には至っていない。
時雨が胸をなで下ろした時。
足音が聞こえた。
そちらへ振り返ると変わり果てた晴斗の姿があった。
「…!」
時雨は確信する。
これは間違いなく脅威だ。
晴斗がなぜこうなったのかは分からない。
晴斗の体からは黒い湯気のようなものが立ち上がり、髪は真っ白になって揺らめいている。
瞳は片方が黒くなり、もう片方はわずかに青色が入った白色。
両腕にはカマのようなものが生えてきている。
片方は白銀の刃のように光り、もう片方は光を吸い込んでしまっているかのような真っ黒。
瞳の色とは互い違いになった対照的な色。
「ナン…デ…」
片言になっている晴斗は涙を流しながらぎこちない動きで左手を伸ばす。
時雨は彼が助けを求めていると思ってすぐに駆け出した。
しかし晴斗の意図はそうではなかったらしい。
ゴウ、と空気の塊が押し出される。
だがそれは一方向だけではない。
「ぐっ…!?」
反対からも押しつぶすように空気の壁が迫ってきていた。
時雨は反射的に受け止める。
圧力まで全開にして迎え撃つが時雨の骨がきしみ始めた。
(今は…磯垣さんがいるから、液状化で対処できない…!)
時雨は痛みに耐えながらぐっと深呼吸する。
落ち着け。
慌てたらだめ。
「!」
時雨の内側からあふれる奔流。
薄紫色の光が輝き出す。
罔象紫水。
時雨の母から受け継いだ大切な力。
「はっ!」
壁から跳ね返って水が執事にかからぬように絞り、放出する。
ゴゴウと音を立てて空気の壁を打ち砕いていく。
時雨は執事に影響がないように前に出て晴斗に相対する。
晴斗は今錯乱しているのかそれとも暴走しているのか。
その原因は見ればわかる。
未知の力だ。
やることは一つ。
晴斗を止める。
晴斗は低く構えた。
腰を落とし、半身になって右腕の鎌を向ける。
見たことのない構えだ。
まるで彼が晴斗ではないみたい。
時雨はそんな風に考えながら襲を起動して刀を取り出す。時雨も刀を構えた。
刀へ紫水が浸透し、時雨の体と同様に輝き出す。
「…!」
大きく踏み込んできたのは晴斗。
目にもとまらぬ速さで駆け抜けてくる。
わずか数メートルの距離。
その距離が埋まるのには1秒もいらない。
時雨は迎え撃つ。
確かに速い。
だが対処できないほどではない。
向かってくる鎌に対して刀を添わせ少しずつ下へ軌道を変える。
同時に刀は上へ紙一重でずれた。
一閃。
確かに刀は晴斗の肩に直撃した。
同時にエネルギーが爆ぜる。
しかし。
「っ!」
重心など知ったことかという物理法則を無視した動きで晴斗は縦向きに旋回する。
足から生えてきた別の鎌が時雨を襲った。
すんでのところで横に回避した時雨。
時雨の髪が数本綺麗に切断されてはらりと宙へ舞う。
耳の端が切れた。
血が噴き出して空中に躍り出る。
時雨は即座に飛びのいて後ろへ下がった。
先ほどまで時雨がいた場所へ透明な液体がぽたりと落ち、土へしみこんでいく。
(なんだ…今の)
時雨はぐっと手で耳から垂れてきた液体を拭って晴斗へすぐに意識を戻す。
晴斗はゆらりと立ち上がる。
動き方が不気味だ。
眼ははっきりと開いているが焦点が合っていないというか、生気がないと感じさせた。
相変わらず身体から黒い煙が上がっている。
しばらくは線香の煙のように空中へゆっくりと漂っているらしいがやがては消えていく。
晴斗は猛進する。
時雨が構えようとした時、一気に何も見えなくなった。
目が焼かれるような痛みが走り思わず目を閉じた時雨は鎌の一撃をもらうことになる。
「ぐっ!?」
時雨は音で判断して鎌の接近自体は把握できたが胸の辺りを斜めに切り裂かれた。
時雨は靴底を滑らせながら後退する。
目をこすり、ようやく視界が戻ってくる。
「!!」
時雨の眼前には既に彼が迫ってきていた。
今度は紫水を放ち強引に相手を吹っ飛ばす。
ボゴン!
と弾ける音が町中へ響いていく。
押し流されるように少年は向かいの建物に叩きつけられ倒壊した建物の下敷きになる。
建物が壊れてしまった。
だがそれを気にしている余裕はない。
晴斗のことだ。たいして効いてはいないだろう。
(今までの攻撃の特性…規則性がないわけじゃない)
時雨は構えながら思案して結論を導き出す。
相反する2つの事象を同時に引き起こすことだ。
灼熱と凍結。
板挟みにする向きの空気の壁。
そして今の真っ暗闇と閃光の両立。
3つ目に関してはただ片方だったなら数秒もかからずに視界を取り戻せただろう。
時雨としてはこれ以上の考察はできない。
瓦礫を易易と押しのけて少年は立ち上がる。
今までとは異なる目つき。
ようやく少年の目に時雨が脅威であると見えたらしい。
空気が変わった。
より激しく黒い煙が巻き起こる。
心臓を直接握られているかのような恐怖感。
全身の体が凍ってしまったと錯覚するような重圧。
本能的な恐怖が強引に引っ張り出された。
でも時雨はすぐに持ち直す。
ふっ…!!
大きく息を吐いて力を入れ直した。
紫の輝きを取り戻す以上に一層強く光を纏った。
(晴斗を…止める!)
それは強い意志だ。
晴斗を京の敵になんてさせない。
原因は分からないが今の晴斗は彼の本意ではない。
それだけは分かる。
彼のこころに傷を作らせないため。
誰も傷つけさせずに、彼を止める!!
大きな渦が巻いた。
それは真っ黒な渦ではなくまさしく渦潮であった。
激しく円状に展開し万物を取り込む激流だった。
晴斗はそこへ巻き込まれて強引に取り込まれる。
例の熱と冷気を使ったようだがあいにくの激流に水量だ。そんな数秒で攻略などできない。
通常の向きとは反対向きに飲み込まれ上へ向く漏斗の先へふっ飛ばされていく。
ゴウッ!!
晴斗の目が追いつかぬほどの速度ではるか上空へ放り出される。
「〜〜っ!!?」
声にならない声を上げる晴斗のすぐ横で時雨は構えた。
かつてヤミカゲを屠り、魔神の残穢を跡形もなく消し飛ばした雫。
それは曇天とはいえ雲以外に日を遮るもののない空が夜に見えるほど雫は輝いていた。
見開かれる晴斗の目が光を反射する。
きらりと光ったと思った瞬間、轟音と衝撃波が世界を駆け巡る。
音が大きすぎてもはや音として聞こえないほどだった。
雫は鮮やかに輝き出し僅かな残像を残して晴斗を遥か遠くへ押し流す。
音としては聞こえない振動は文字通りの衝撃波として響き渡り、200mも下の京の街並みを襲う。
木が悲鳴を上げるように大きく唸り、家が大きく震え一部の瓦は吹き飛んだ。
京から2km離れた山の中へ少年は叩きつけられる。
硬い岩盤が簡単に砕けて山の一部が崩れていく。
時雨は足裏に発生させた雫を爆発させて弾丸よりも早く移動する。
こんな速度なので急ブレーキなどかけられたものではない。
晴斗の近くの地面に液状化した状態で自分の体を叩きつける。
バシャンッ!!
という盛大な音を立てて土を丸ごと円状に吹っ飛ばした。
「…ク」
晴斗は崩れていく山の一部を押しのけて立ち上がった。流石に全て得意な打撃で受けられるといえどもあの威力の前では効かぬはずはない。
彼はよろめいた。
「オオオオッ!!」
だが雄たけびを上げて衝撃波を生み出す。
地面が震え、時雨は思わず吹っ飛ばされた。
「ぐっ!?」
防御姿勢も何も取れずに近くの岩盤へ叩きつけられる。
「!!」
息をつく暇もなく晴斗は腕から生えた鎌で攻撃してくる。
真っ黒と真っ白の斬撃をギリギリで回避するがどれも危なっかしい。
相手の速さも相まって気を抜けばすぐに切り裂かれてしまいそうだ。
「アアアアアアッ!!」
攻撃が勢いを増し、速度を増し、攻撃範囲まで拡張する。
36連撃。
絶え間ない斬撃。
時雨の腕が千切れかけるほどに切り裂かれ、腹に穴が開き目がつぶれる。
(このままじゃ…!!)
時雨は焦燥する。
強引に水砲で自分ごと吹き飛ばそうとしたが失敗した。
体が動かないわけじゃない。
だが確かに動きが鈍かった。
ズバババババババ!!!
抵抗する間もなく時雨は切り刻まれた。
「…」
晴斗は文字通りバラバラになった時雨を見て踵を返す。
間違いなく死んだと解釈した。
もはや生存しているとは思えない。
心音ももはや響くことはなかった。
しかしぞっとする寒気が晴斗を振り向かせる。
そこにいたのはバラバラになった体を強引にくっつけているアビスの怪物だ。
ガチガチ、とおおよそ生物らしくない硬く冷たい音が晴斗の鼓膜を震わせた。
瞬く間に自分の体をくっつけ終わった怪物は何も言わず、晴斗の腹を穿った。
突き抜けることはない。
しかし晴斗には相応のダメージが行く。
「ゴッ…!?」
血反吐を吐きその場にうずくまる晴斗。
さらにアビスは容赦なく晴斗を蹴り飛ばした。
山の斜面から放り出され下の街に転がっていく。
それを一切の躊躇もなく追いかけていく。
まごうことなき怪物だった。
地面から大剣を引っ張り出し晴斗へ振り下ろす。
ガギン!!
晴斗は寸前で鎌で受け止めて見せる。
晴斗の足がアスファルトにめり込む。
「ハアッ!!」
周囲を包み込む灼熱と絶対零度。
急激な両方向への温度変化がアビスの外殻だろうが関係なく損傷させていく。
アビスは堪らず後ずさりするがすぐに大剣を横にぶんまわして投擲する。
思わぬ反撃に驚いた晴斗の無防備な腹部へ直撃した。
毬のように地面を転がる晴斗。
しかし大剣の一撃だろうとそれが致命傷には至らない。
受け身を取って立ち上がる。
どうやら晴斗がこの姿になってから耐久力が跳ね上がったらしい。それに伴って今までは効果があったアビスの力も打撃に変換されてしまって、強引に能力を抑え込むことができなかった。
晴斗は再び嵐のような連斬を繰り出す。
即座にアビスも双剣を引っ張り出して応戦するが、手数は明らかに晴斗の方が上。
捌ききれずにアビスの装甲に深い傷が入っていく。
吹き荒れる連斬の最後には蹴り。
作用と反作用がどちらもアビスの向きに発生し、通常の倍の力で蹴り飛ばされる。
近くの大木をへし折って転がっていくアビス。
あまりの猛攻にとうとう膝を折る。
「クッ…ウッ…!!」
苦しみ悶え始める晴斗。
頭を抱え、平衡感覚を失ってふらふらと二三歩歩いた後に倒れ伏した。その後もうめき声を上げながら二転三転する。
それは力の代償であり、少しずつ復活してきた晴斗の自我が苦しむ様子でもあった。
友を傷つけた。
しかし体の自由は晴斗に戻ってくるわけではなく相変わらず体だけが暴走したまま。
「グアアッ!」
晴斗の身体から膨大なエネルギーが放たれて周囲の木々をいとも簡単になぎ倒していく。
ゴウン!!
重い音が響きエネルギーの波及を強引にとめる。
それは浪。
紫に輝いて膨大なエネルギー同士がぶつかり合う。
意識を取り戻した時雨は体を回復させながらなんとか晴斗のエネルギーを抑え込む。
(これ以上は危険だ!山が崩れたら街に被害が行く!)
輝きが勢いを増して晴斗の黒いエネルギーを飲み込んでいく。
かつてのヤミカゲの力を洗い流したように瞬く間に浄化した。
「はああああっ!!」
勢いを増して、その場を紫の波が包み込んでいく。
そして弾けた。
「はあ…はあ…」
時雨は荒い息をなんとか抑えようとする。
当然だ。
何度も攻撃を受けた。
特にラッシュで受けた傷は死んでもおかしくないほど。アビスの力で強引に復帰こそできたものの反動は尋常ではない。
視界が眩みうまく立てなくなる。
その間晴斗も動ける状態ではなかった。
その後しばらくはお互いに倒れ伏したまま。
しかし、その状態もずっとは続かない。
先に起き上がるのは晴斗。
再び力が溢れ出す。
時雨はなんとかそれを知覚して立ち上がろうとする。
でもまだ万全とはとても言えず、膝をついた状態でキープするしかない。
「オオオオオッ!!」
少年は吠えた。
黒い煙は勢いを増して噴き出しもはやジェットのように彼の体を押し出す。
風を身に纏い、刃の付近を滞留し始める。
「くぅ」
時雨は苦しい体を起こして罔象を起動する。
刀まで浸透させる余裕はないから自分自身の身体だけ。
羽衣がゆらゆらと揺れる。安定していない証拠だ。
でも戦うしかない。
晴斗をまだ止められていない。
じり、と円を描くように2人は距離を取って相手の動きを観察する。
そして間もなく戦うの火蓋が切られる。
「はあっ!」
「ッ!」
今度は時雨から攻撃する。罔象紫水の纏わないいつもの刀は水流操作で不規則に変化する。
長く展開してしなり晴斗を襲う。
ドォン!バチン!!
「グッ!」
体中を滅多打ちにされて身体が軋む晴斗。
動きが鈍くなってふらつく。
だが晴斗はすぐに体勢を戻す。
そして反撃に出た。
足を、胴体を、腕も激しい打撃が襲う。
しかし晴斗は走った。
身体にどれだけ痛みが走ろうとも彼は止まらない。
時雨に渾身の拳を叩きこむ。
ゴンッ!
顔面にクリーンヒットする。
「うぐっ!」
時雨はそのまま殴り飛ばされた。
ただならぬ怪力ゆえに山の斜面から放り出されることになる。
そのまま下にあったアスファルトの上に落下した。
液状化を使って落下の衝撃を受け流す。
その上から大気が震える音が聞こえる。
そこには熱く煮えたぎりながらも凍てつく錨の姿があった。
大きさは横幅15m。
間違いなく時雨を狙って振り下ろされるはずだ。
(っ…!これがここに落ちたら…!)
町は数キロに渡って更地となるだろう。
幾つの命が失われるかわからない。
時雨は深呼吸をして指先に力をためる。
手が輝き出す。
もう一度あの雫を使うしかない。
そうでなければ相殺はできない!
街へあれを落としてしまえば晴斗は大罪人となってしまうだろう。
そして静かに雫を指先に移動させる。
あまりの眩さに辺りは暗くなるが錨はそれでも輝きを失わなかった。
両者の溜めはほぼ同時に完成した。
時雨は少し晴斗よりも早く発射する。
雫が、上へと昇っていく。
錨は隕石のように下へ落ちていく。
永遠に思えた、両者が衝突するわずか数秒。
そして触れた瞬間に眩い光が辺りを埋め尽くした。




