五十六話 時に関わる者たち
「時雨は大丈夫そうでした、っと…」
雨宮は飛紙と呼ばれる伝達物で伝言を飛ばす。
雨が降りしきる中、容易く水を弾いて空の向こうへ飛んでいった。
一度病院の建物の外に出るとひたすら涼しい空気が広がっている。この頃はもう秋らしい気候だ。
宛先は高屋。今回哲郎と会話したことも含めて紙に書いて報告している。
雨宮は飛紙が飛んでいくのを確認した後病院の建物の中へと戻ることにした。
空は相変わらずの鈍色で雨がざぁざぁと京の街へ降り注ぐ。空を病院の窓越しに見た雨宮はしっとりと空の向こうを見つめていた。
「おや雨宮さん。ここに来るとは珍しいね」
そこへ声をかけてきたのは通りすがりの草薙。
複数人の弟子の様子を見に来たようだ。
「まあ…頼まれてきたので」
雨宮は左側に垂れ下がった髪の先をくるくると指で巻き取りながら答える。
雨宮からすればかなり年下の幹部だ。距離の取り方に少々困る。
幹部相手におちょくるのもなんだか気が引けるし。
でも理由はそれだけじゃない。
「…高屋さんかい?」
「ああ」
雨宮は淡々と返して、そのまま黙り込む。
沈黙が病院の待合室の中を包んでいく。
窓からすり抜けてきた籠もった雨音だけが響いている。
「実は…頼みがあるんですが」
「いやです」
草薙はおずおずと雨宮に相談するが雨宮は振り向きもせず、ただ正面の窓の景色を見たまますぐさま断る。
「そこをなんとか」
粘る草薙。腿の上で拳を握りしめた。
はあ、と雨宮はため息をつく。
「あなたのことです。どうせまた弟子のことでしょう。」
自分のことよりも弟子のことを優先しがちな草薙のことはある程度分かっている。最近だって時雨のことを任されたわけだし。
「…時雨のことは特別です。アビスに関連する子を中途半端にほっとけませんし。」
雨宮は草薙のことを見る。
そもそも自分の弟子は自分でなんとかしろよ、という目に草薙は一瞬たじろぐが、それでも再度お願いする。
「話だけでも聞いてくれませんか」
「…聞くだけだ」
雨音は次第に激しくなった。
窓の外にある中庭のソテツの葉が揺れ、雫を弾く。
――――
翌朝。
夕方から夜にかけて降っていた雨は流れていき、葉の上に朝日を拡散する露とぐっと冷え込んだ空気を残して去っていった。
京はしばらく暖かい空気が立ち込めていたが、今は半袖ではとても寒い気温になった。
「…さぶ」
家の玄関を開けてすぐにぴしゃりと閉めた少年は一つ短い言葉だけを外に閉め出した。
播磨である。小さな庭に植えてあるトケイソウの花はとっくに終わっていて、茶色くなった花がらの先で種が作られている。
少年はクローゼットから上着を取り出して羽織り、再び外へ出ていった。
――
そして数時間後。
播磨は御影山へ来ていた。
標高1000mくらいのところを易易と通過し、襲ってきた大型動物も完封して難なく突破してする。
たった一人。播磨にとってはこの地帯は全く苦にならない。美空と並んで同期の仲でも飛び抜けた実力を持つと評価される逸材であった。
にしても汗をかいたり呼吸が荒くなったりすることは多々ある。
動きに問題はないのに自信はなさげ。
彼は自分を高く評価できないのか…それとも…
「おお、播磨くん」
森を抜けた先で声がかけられる。
先輩たちが既に野営を始めていた。
人数はざっと10人ほど。
普段ならこんな大人数で御影山に陣取ったりはしないのだが、秋が深まってくると発生するある問題への対象のために毎年こんな感じで野営して対処するものがある。
「頼りにしとるで!」
先輩方がすぐ椅子とかを持ってきてくれる。
播磨はありがとうございますと礼を言って座らせてもらう。
御影山の秋の風物詩。
それは惑茸。
涼しくなってきた頃に生えてくる謎のキノコだ。
宿主は木の根ならなんでも生える…どころか大半の動物にすら寄生してしまうとんでもないやつだ。
彼らの胞子を吸い込んだり体内に取り入れてしまうと幻惑作用で突飛な行動に出る迷惑極まりないやつである。
その効果の詳細についてはいろいろとまずいので敢えて触れないが、京では超危険なものとして取り引きが禁止されていた。
生えてくる時期になったら対処できる能力持ちを面接で慎重に選別して送り出すしきたりがある。
播磨はあいも変わらず自信なさげな顔で下を向いたまま座っていた。
「どうした、こういうの初めてだから緊張してる?」
女性の先輩がまあかわいいと言いながらお茶を持ってきてくれる。
播磨は少し目線を上げてこくりとわずかに礼をする。
「大丈夫だよ、播磨くんの活躍は聞いてるから。緊張することないって。」
元気づけてくれる先輩の言葉を受け取ってほんの少しだけ微笑むことができた。
しかしすぐに思案したあとまた元の表情に戻ってしまう。
それから定刻通り作業は開始され、各々山の中を探索し始める。
スリーマンセルを基本として先輩に引き連れられて播磨は仕事をこなした。
――
「すごいじゃん!惑茸がどこにあるのか、どこを胞子が飛んでるのか完全に理解してるじゃん!」
先輩は上機嫌だった。
行く先々で播磨は一回も違うことなく場所を特定しなんなく仲間に知らせてみせた。
「…!」
だが褒め言葉を受け取る間もなく播磨はすぐに何かに感づいた。
全員の前に出て片手だけ広げて仲間を下がらせる。
「…!」
仲間もすぐに異変に気がついた。
山の地面を覆い尽くす枯れ葉のカーペットの上を何かが歩いてくる。
ドスン、ドスンと決して軽くはない音。
振動で木が揺れて1枚の枯れ葉がはらはらと上から落ちてきた。
かさり、と乾いた音を立ててカーペットのなかに紛れ込む。
それと同時に目の前の相手の全貌が明らかになる。
『グルォ…』
3mはある巨体に、ゴリラのような筋骨隆々の身体。剛腕は丸太のような太さ。
そこらの木など簡単にへし折ってしまうに違いない。
しかし一番の特徴はその体色。
森のなかにはとても溶け込んでいるとは言えない鮮やかな白と青。
「なんだ…こいつ…!!」
先輩の一人が後退りする。
こいつは先輩でも知らないらしい。御影山で異常が起こるのは珍しくはない。
しかし恐らく御影山で長いこと仕事をしている先輩の様子を見れば、異常の中の異常であることに間違いはなかった。
『オオオオオ!!!』
激しい咆哮を上げ、魔物は襲いかかってきた。
叩きつけられた剛腕が山を大きく震わせる。
――――
「また…飛んだ。」
雨宮は御影山を駆け抜けながら一人零す。
彼女は素早く異変を感じ取って風のように山を登り駆け抜けていく。
途中で逃げ惑う防人に出会い、事情を聞いて状況を粗方把握した。
(まただ。)
強烈な違和感。時折自分の居場所がほんの少しだけ後方へずらされる。知覚はできるが抗えるかは不明。ほかのものはそれに気がついていないらしくそれを気にかける様子はない。
「時間が戻っている…!」
雨宮は驚愕に目を見開いた。
駆け抜けた先で轟音が響く。
そして同時にまた少し雨宮の位置が下がる。
そして雨宮は見た。
「…!」
剛腕に叩き潰されて血しぶきを飛ばす播磨の姿。 しかし時は戻り、播磨は元通りになって魔物の体勢もほんの少し前に戻った。
「ほんの僅かな時間を…巻き戻している」
雨宮は目を見開きながら呆然と立ち尽くした。
彼はミスをしなかったのではない。
いつもの任務で相手を完封したのも惑わすキノコの場所を知っていたのも。初見殺しと名高いカマキリの怪人を負傷なしで倒したのも。
全て自分が致命傷を受けたり仲間がやられてから寸前で巻き戻していた。だからその先に何が起こるのかを知っていた。
「普通じゃない」
それを実行するにはどれだけの胆力がいる?
絶望的な苦痛に間違いない。他の人が知らないだけで彼は何百何千と体をきり裂かれ、食われ、叩き潰されて死んできたも同然。
それでも彼は目の前で戦い続けた。
雨宮だから見えた。
時間に干渉する力を持っているからそれを見ることができた。
草薙は…正しかった。
播磨について相談して答えを得られるのは雨宮しかいない。確かに彼を見ることができるのは雨宮だけだ。
時間系の能力は貴重だ。京人の中でも極稀にしか生まれない。同じ時代に2人いるのも結構珍しいくらいだ。
ズバン!!
雨宮は素早く動き、魔物を切り裂く。
またたく間に巨体をバラバラにした。
目を見開く播磨へそっと振り返って雨宮は手を差し伸べる。
「…その戦い方…苦しかっただろう。」
雨宮はそっと声をかけた。
播磨の瞳がきらりと揺れて静かに嗚咽を漏らしす。
雨宮は掴まれた手をぐっと握って彼を立ち上がらせた。
他のメンバーに言葉の意味はわからない。
でも2人は播磨のことをその夜の間、そっとしていた。
――――
「草薙。」
雨宮は道場に出向いて声を掛ける。
草薙は真剣な顔でどうでしたかと問う。
雨宮は、自分が見たものを話した。
「そう…だったんですね」
草薙は何とも言えない顔をした。
それはそうだ。能力のおかげで何とかなっているだけで相当な無茶を繰り返しているに違いない。
師匠としてはそれを気にせずにはいられないだろう。
「だが…確かに有意義な力だとは思う」
雨宮の言葉に草薙はえっ、と声を上げる。
「私のとは違って戻って過去を変えられるから。」
「!」
草薙の目が見開かれる。
「私が時を戻ったところで、それは私しか変わらない。例え過去に戻って旧友を助けたところで…術で今に戻っても旧友はいない。過去は変えられないから。」
雨宮は珍しく目を伏せた。
草薙はじっと雨宮の言葉を聞いていた。
「私のは…虚しい力だ。星に対抗する強大な力だ。でも、それだけ。失ったものは返ってこない。」
雨宮ははるか上にある天井へ手を伸ばした。
まばゆい照明の光を遮り目を細める。
「…」
草薙はぐっと拳を握りしめた。
自分もかつて旧友を失った。助けられなかった。もしあの子を助けることができていたら。今からでもあの時に戻れたら。
何度思ったことだろう。
考えても意味なんかないことくらいわかっているのに、夜寝る前にずっとそのことについて考えてしまう。
なまじこの人が時間に関連する力を持っていることを考えればその虚しさは想像しきれない。
でも…自分たちが守ってきたものもある。
草薙はそう言おうとして口を閉ざした。
この言葉に偽りはない。
それでも失った悲しみがなくなるわけではない。
それを草薙は身をもって知っている。
だから雨宮にその言葉を言えなかった。
「…あの子にまた怒られてしまうだろうね」
雨宮は寂しそうに笑った。
「ですね」
草薙も返す。
二人の心の傷となった旧友は同じ人だった。
時を超えて、年が離れた二人の幼馴染としていたある女の子。
――――
『雨宮!』
その子は雨宮と同世代の子だった。
快活な女の子。
彼女もまたアビスの力を持っていた。
不完全な「創造」の権能を持っていて適性が中途半端だからよく苦労していた。
以前山荘でちらと話をしたその子である。
ほとんど真っ白な髪に少しぼさっとしたロングヘア。
ところどころに赤い毛が混じり、ふわふわとしている。
目は輝く青色。
常に天衣を身にまとう子だった。
その天衣は彼女の意思に関係なく発生して常に彼女の周りにあるらしい。
当時の大人たちはその子について噂していた。
突如として空から降ってきたと。
きっと天の一族に違いないと言われていた。
『躬恒、遅いよ』
雨宮はそう返す。
躬恒というその子はえへへ、ごめんと笑ってごまかしていた。
何度か任務に赴いては成功をおさめ、確かな実力を持っていた。
しかしある時。
雨宮と躬恒で任務に赴いた際、雨宮が突如出現した禁足地「淵灘」へと転落した。
雨宮を追いかけて躬恒は自ら禁足地へと飛び込み、激しい生存競争の末になんとか雨宮だけを逃がす。
そして彼女は淵灘の底へと沈んで帰らぬ人となった。
――――
それから200年ほど経って今度は草薙のもとへ現れた。
同じように天から降りてきて幼馴染として一緒に育つこととなる。
草薙は最初からいろいろできた。
武器の扱いもうまく、どんな武器でも使いこなせた。
しかし草薙はそんな自分が嫌いだった。
自分は誰かを傷つけることが上手なやつなんだって心底自分をなじった。
ちょうどその頃は京と別の組織で戦乱が起こっていたからそのことも助長して草薙を追い詰めた。
『そんなことないよ』
その子は言った。
『君は誰かを守ることができる男だよ。その力でたくさん人を守ってきた。君は傷つけることが上手な子なんかじゃない』
いつもはお調子者という感じだったのにその子はずっと自分に寄り添ってくれた。
真面目なときは至って真面目。
かなりのお人好しだから悩む人は友人に限らず放っておけない子。
その言葉は草薙をずっと支え続けてくれた。
彼女の言葉のおかげで自分を認められるようになった。
そこから百年近くかけて幹部にまで至り、実力をつけて京の名だたる英雄へ。
でも。
御影山の頂上。
時として出現した禁足地「夜海」。御影山の頂上付近の雲が実体化してある地域を生み出す。
10人余りで重要な任務のために行動していた隊を飲み込んだのだ。
その中には草薙もその子もいた。
雲の上に現れる幾多の龍に襲われて隊はほぼ全滅。特に脅威だったのは殺すたびに色が変わって蘇る巨竜。
圧倒的な力とそれを常に押し付けられる持久戦に耐えかねて、残り僅かな人数だった隊もほぼ死んだ。
その子も例外なく真っ二つに切り飛ばされた。
助けに走った草薙の目の前で、その子はあっという間に死んだ。
『うわああああああああああああッ!!!!』
草薙は怒りに任せて光剣を龍に向かって全力で放った。
龍を倒すことはかなわない。
しかし偶然にも軌道がそれて夜海を真っ二つに両断した。
夜海は崩れ、一人だけ草薙は山の中へと落ちていった。光の剣は御影山に文字通り大きな谷を作ったという。
その谷に落ちた草薙をどんな猛獣も襲うことはなかった。
だから一人だけ無事救助された。
――――
「草薙…私は贅沢なことを言っているかもしれない。でも、もう失いたくない」
雨宮はずっと瞑想したあと言葉を紡いだ。
「…俺も同じです」
草薙も言う。
贅沢かもしれない。
もう何百年もある人生のなかで、誰一人死なせないなんて無茶なのは分かってる。
でも贅沢だっていい。
理想を追い求めなければその実現もないのだから。
理想というのは今手が届かないけれど確かに輝いて見えるものだから。
少しでもそれに近づけたい。
思いは同じだ。
できないって思ってたらずっとできない。
例え自分が理想を見届けることができなくても。
実現に少しでも近づけるのなら。
京人が足を止める理由はない。
――――
黒い渦が巻いた。
それは夜の闇のように京を飲み込んでしまうようで、しかし同時に京を照らし出す光のようでもある。
京の一角で渦が巻く。
秋が終わりを告げて冬が始まる。
動き出した。
一つの鍵が。
これからさらに激動の時が始まる。




