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五十二話 渓葉の里

「おーい」


 ずっと真っ暗な空間の中。

 誰かの声が聞こえた。


 時雨はしばらくはぼんやりとしていたが、はっきりと意識を取り戻すと勢いよく体を起こす。


「あ、起きた」


 時雨は急いで周囲を見た。

 何の変哲もない和室。

 左側には障子、右側には襖。

 6畳ほどの小さめの部屋。


 上につり下がっている照明のヒモが時雨の近くまで降りてきている。

 紐の先には蓄光タイプのハート型のアクセサリーが付いていて、ゆらゆらと揺れていた。


 上から振り注ぐ照明をふんだんに受けたそれは明るい場所でも少しだけ光っているように見えた。


 隣の布団には美空が寝ている。


 まだ寝ているがそこに美空がいることを確認出来てほっと胸をなでおろす。

 

「…ここは?」


 時雨は目の前にいる知らない少女に尋ねる。

 

「ここは渓葉の里やで。君たちがなんか里の近くで倒れてたからね~連れてきたの」


 まぶしいほどの長い金髪。

 ややオレンジ色が入っているというか、赤みが強いというか。

 そんな感じの髪色だった。


 前髪の一部分は真っ赤になっている。

 不思議な色合い。

 

 服装は灰色のセーターと黒いスラっとしたズボン。この時期にしては暖かい恰好をしていた。



「そう…なんだ…ありがとう」


 里の近くに倒れていたということはおそらく禁足地が消滅したのだろう。なんとか生き残ることができたということか。


「あ、そうだウチ誰やって感じよな。ウチは秋音。よろしくな」

 

 秋音はにっこりと笑う。

 なんだか秋の紅葉を感じさせるような綺麗な人だった。


「…よろしく秋音さん。僕は時雨。この子は美空。助けてくれてありがとう」


 時雨は精一杯の感謝を伝えた。

 ええて!ええて!と嬉しそうにしている秋音さん。

 いい人なんだろう。


 「失礼するぞ」

 部屋の外から声がかかる。

 時雨は驚く間もなく声の主は襖を開けて入ってきた。


「わらわはここの里長じゃ。調子は大丈夫そうか?」


 里長さんらしい。

 身長は低く140cmやそこらだろう。

 子供にしか見えぬ女性。 


 しかしその風格や気配はただものではないと感覚的にわかる。多分若いのは見た目だけだろう。


 霊力が感じられることから京人であることも確か。そもそも歩き方に隙が無い。

 相当な手練だ。


「あ…えっと…おかげ様でだいぶ良くなってます」


 時雨は緊張してたどたどしくなりながらも答える。

 この言葉に一切の嘘はない。

 禁足地を渡り歩く中で負った傷も決して浅くはなかった。

 しかしそれらは治癒されている。


 流石に大きな傷はまだかさぶたが残っていたりするが、それでもハイレベルな治癒を受けているのは間違いなかった。


 里長はすっと目を細める。

 何か見定めるような里長の表情に時雨はちょっとびくっとした。

 

「それはよかった。しばらくはここで療養しておくようにな。けがはともかく…禁足地にいたのじゃろう?」


 ふっと表情が柔らかくなって里長は言う。

 

「!!」


 里長は振り返りざまに禁足地のことを口にする。

 黒い瞳が吸い込まれそうなほどきれいだった。


「また様子を見に来るからの。」


 里長はそっと襖を閉めて去っていった。

 呆然とする時雨に秋音が補足説明する。

 禁足地に対して特段驚いている様子がなかった。


「この辺は禁足地の発生が多いんだ。ごくまれに遭難する人がいるの。」


「発生が多いのに遭難する人はまれなの?」


「…生き残れる人少ないから」


 秋音さんの言葉に時雨はぞっとする。

 思わず身震いした。


「あ~、怖がらせたらごめん。さっき体験したばかりやもんね」

 

 秋音さんはごめん、と手を合わせて謝ってくる。

 時雨はいやいやと手を振った。


 答えるときに戸惑っていたのはこのせいだろう。

 秋音さんが言いにくいことを自分が聞いてしまったんだ。


「少し歩けそう?」

 秋音さんは訪ねてくる。


「多分、いけます」

 時雨は体の調子を軽く確かめてみる。

 まずは立ち上がって歩いてみた。

 少しふらつくことはあったがその後は問題なく歩けるみたいだ。


「じゃ、ついて来て。」

 うきうきとした様子で秋音も支度を始める。

 近くにおいてあったチェック柄のニット帽を被っている様子がなんだかかっこいい。

 部屋の外に出ると一段下がって土足用の廊下だった。


 襖を閉めて時雨は部屋の外に出る。

 廊下は綺麗な黒っぽい艶のある石材で作られていた。

 壁も黒の目立つ少しきらきらとした石材。

 時雨が見たことのないものだった。

 このあたりでこういう石が取れるのだろうか。


 京人が住んでいるあたりここらへんも霊力に関係する場所のような気がする。

 

 目の前は畳よりも遥かに大きな窓があって、そこからはふんだんに外の様子が垣間見えた。


「わぁ…!」

 広がっていたのは秀麗な紅葉の姿。

 山の向こうは赤だったりオレンジ色だったり黄色だったりが混ざ織り交ざる秋一色。


 ここは標高が高いから紅葉が早いんだろう。

 おそらくは桐谷よりも高地に位置するはず。


「出口はこっちや」

 秋音さんは先に廊下を歩いていく。

 角のところで曲がると玄関があった。


「靴はこれ使って」

 来客者用の下駄を貸してくれる。

 柔らかい色の木目に、紺色の緒の下駄。


 つやのある上質に作られ手入れされていることが窺えた。


「なにからなにまでありがとう。秋音さん、やさしいね」

 テキパキと色々してくれる秋音さんに感激する。

 時雨は下駄を履いて秋音さんに礼を言った。


「いや~、そうでもないんや…その…えっとな?君に謝らなきゃいけないことがあってさ…」

 

 照れくさそうに言った後、気まずそうに目をそらしてもじもじとする秋音。

 時雨が疑問に思っていると秋音さんは恥ずかしさと申し訳無さが混じる声で説明する。


「雪で服がびしゃびしゃだったから服を着替えさせてもらったんやけど…なんや…その…見ちゃったんや。ずっと女の子やと思ってて油断しよった…」


「?」


「はえっ!?い、いわせんといてや…!ちんちんやちんちん!」


 顔を真っ赤にして秋音さんは言う。


「…ちんちんって何?」

 きょとんとした時雨は聞き返す。

 純粋な疑問だった。


「え…?」

 抜けた秋音さんの声が静かに響いて消えていく。

 

 ――

 

 秋音さんは顔を真っ赤にしながら説明してくれた。


「…とんだ拷問やで…」

 説明し終わると秋音さんは手で顔を覆ってうずくまった。


「ご…ごめん…なさい」

 時雨は謝る。

 時雨自身はそういう知識がなかった故の事故である。時雨はそういうことに対してあまりにも無頓着過ぎた。



「ちょっと前から生えてきて、なんだろうこれ…って思ってたんだ。教えてくれてありがとう。」

 時雨は微笑んだ。


「え?ちょっと前?そういうのって最初からあるもんじゃない?」

 秋音さんは驚いて聞き返す。


「ううん。最近まで何もなかったんだ。足の間には。生えてきてからはなんか違和感すごいんだ…」

きゅっと時雨は服で股間を押さえた。


 

「不思議なこともあるんやね…」

 秋音さんはますます不思議な子やと思う。

 恥ずかしい話をしているという感覚はあまりに不思議な話にふっ飛ばされて消えてしまった。


 ――――


 その後は里の中をいろいろ見て回らせてもらった。

 医療関係の特色のつよい施設が多くて驚きの連続。恐らく京の医療機関よりもハイレベルなものもあるだろう。


 そういえば剣も渓葉の里に行くって言ってたよな。

 彼にも会えるかな。

 

 久しく会ってないからどうしてるのか気になる。

 腕は直ったのだろうか。


 その夜時雨はそんなことを思いながら布団についた。しかし興奮のせいなのか、それとも慣れない環境で緊張しているのかどちらなのかはわからないけれど寝れなかった。


 時雨は一人起き上がって外の風を浴びる。

 夜の風は冷たかった。

 本当にここは寒くなるのが早いんだなと実感する。

 

 暖かい格好を用意してくれたことに感謝だ。

 今までの夏用の服装では寒かっただろう。


 そもそも時雨は水だから寒くて困るというのはあまりないけども。


「寝れんかったようじゃな」

 後ろから声がかかる。

 里長だ。


 真っ黒な髪をすっと耳に乗せながら歩いてくる。

 隣まで来て同じ景色を眺め始めた。


 身長が20cm近くも違うのが隣まで来るとよく分かる。見下ろすかたちになるのがなんとなく申し訳なかった。

 かといって目線を合わせるのもなんだか子供扱いしているみたいで違う気がする。


「秋音から聞いたぞ。ちんちんの説明をさせたようじゃな」


「すみません…」


「悪気はなかったんじゃろう?そもそも関心が薄いはずじゃ。なにせ童は水の民。それに自分らのことをろくに知らんのじゃろう」


「!?」

 時雨は驚く。この人も水の民を知っているんだ。  京ではあまり話に聞いたことがある、って程度の人が多いから知っている人は珍しいと思った。

 

「最初は知り合いに似ておるな〜もしかしたら、と思った程度なんじゃが途中で生えたって話で確信したわ。水の民は最初は雄になり、あとから雌に性転換するからのぅ」


 里長はなんだか懐かしむように話していた。

 そういえば藤原さんもそんなことを言ってたような気がする。

 


「おっと、本題を忘れるところじゃった。童。うちで修行していけ。きっとためになる。」

 里長の提案に時雨は驚く。

 突然だったから時雨は戸惑ってしまった。


 里長の言葉は言外にこの里にもうしばらくとどまれという意味が込められている感じもする。


 そしてそれはほぼ強制。

 断ることができない。

 そんなふうに感じた。

 威圧も含んでいたと思う。



「…はい」

 時雨は受け入れた。

 きっと里長は時雨に何かしら施そうとしている。


 遠くの山の上に浮かぶ星空の青い星が瞬いた。


 ――――


 数日後。

 動いても良くなった時雨は修行を開始する。

 まずは里長に現状どのくらいできるのかを見せることになるらしい。


 里で作られた戦術人形が相手だ。


「はっ!」


バチン!!

 

 時雨は軽やかな動きで鞭状に変化させた刀を振るう。複数の人形に同時に攻撃を加えて見せた。


 しかし人形はこれだけではやられない。

 すぐに体勢を立て直して攻撃に出る。


「いっ!?」

 ギュイイン!!という音を立てながら人形の腕が発射される。


 ロケットパンチ。

 完全に不意を突かれた時雨は殴り飛ばされてしまう。


「そんなのもあるのか…!」

 時雨は起き上がって構え直す。

 この里の技術も侮れたものではない。


 修行用のグローブが付いてなかったらやばかっただろう。

 人形たちはざっ!と一斉に動き出す。

 それぞれが別の動きをしていた。


 ある者は旋回して回り込み、ある者は正面から突撃する者がいる。


 時雨はどれを注視すべきか分からなくなった。


 まずは正面に来た人形へ意識を向ける。

 少なくともその場に留まるのは危険だ。


 迎え撃つように時雨も前進する。

 姿勢を低くして足を攻撃する姿勢。


「!!」

 しかし跳躍して避けられた。

 それに単に避けただけではないということを知らしめられる。


 その後の複数回の攻撃が全て回避しされた。

 複雑な攻撃だったはずだ。


 リーチも、軌道も。


 (動きが…完全に読まれている!?)

 驚愕する事態に思案する間もなく、人形の連携攻撃でぼこぼこにされた。


 仰向けになって大の字になった時雨。

 人形の攻撃が止んでからそのまんま寝転んでいた。


「ん〜、それでよく生き残ったのう」

 空を見上げる視界に里長がひょこりと入ってくる。


 ぐぅの音も出ない。

 ミヅハノメを起動してもう一回やってもほぼ同じだった。


「そりゃそうじゃ。そう簡単に攻略されても困るしのぅ」


 里長はころころと笑う。


「でも流石に種明かしせねばな。童の行動が読まれてる理由をな。」


 時雨はすぐに起き上がる。

 ずっと気になっていたやつだ。

 最初の方はともかく最後のほうになればなるほど行動が読まれるようになった。


 どうやっていたのか知りたい。


 ――――

 

 合気法。

 その特徴は相手の気を感知して状況、相手の動きが少し先読みできること。

 さらに自分の気を意識することで動作の間のラグを極限まで減らすことが可能な技法。

 

 体術または剣技などの近接と遠距離用の術をほぼ同時に扱う「両刀型」を目指すなら必修の技法とされる。

 修行の内容はまず気を感知できるようになることと、実際に動く前に心の中でイメージしておく練習だ。


 それから2週間以上励み続けた。

 最初は全然うまくいかなかったが繰り返し繰り返しやるうちにつかめてくる。

 少なくとも実戦で出せるほどにはなった。


「うむ、できるようになっとる」


 時雨は安堵してその場にへたり込んだ。

 流石にずっと張りつめてやっていたから助かる。


 正直紫水の扱いには困っていた。

 もともと自分は近接型なのに術の内容は遠距離の大規模攻撃。


 簡単に切り替えることなどできるはずもなかった。

 それを多分里長は見抜いていて、それを解決するために合気を教えてくれたんだ。


 さらに数日かけて別の技法も学ばせてもらえるらしい。


 ――


 「重心法…」

 この世に物理法則がある以上重心は存在する。

 進行方向と逆向きに重心があればどれだけ力があってもそれ相応のスピードは出ない。

 重心を移動させる方法で、素早く動けるようにということだろう。


 自分が完全に浮いているときに進行方向と逆の方向に地面を蹴る。

 そうすれば重心がマイナスに作用することはない。


 運動神経のいい者なら無意識にできる初歩ともいうべき技法。

 それと同時にできるものとそうでないものの間に大きな差を生む技法でもある。


 「そうじゃ。それを学んでいないというのもおかしな話ではあるがな。誰に教えてもらっとったんじゃ?」

 

 足を延ばしてつま先に手を伸ばすストレッチをしながら聞いてくる里長。

 だいぶ日が上がってきた分日光に照らされて里長のただでさえ白い肌が眩く色を失っている。


「草薙さんです。」


「あぁ、あやつか。で、その師範は御信じゃな。なるほどあやつらならまず無意識下で行えるよのぅ。お主に教えんのも無理はない。」

 

 つま先から手を放して額に手を当て納得したように上を向く里長。こちらに向き直って言葉を続ける。


「御信は自分を天才ではないと言い張りおるが、間違いなく持ってる側のやつじゃ。そうでないやつらに教えるのもあまり向いて無かろう。あやつの言う天才の基準となる対象が悪いだけじゃ。」

 

 目を伏せて下を向く。

 よくよく見るとまつげが長い。

 かわいらしい人なのに口調のせいで頭がバグる。


 しかしあの御信さんと比較しても圧倒的な人…気が遠くなるような話である。

 

 現状幹部の中でも上澄みだろうあの人のことを思えば、にわかに信じがたい話。

 カブトムシの上級怪人の時の戦いを聞けばなおさら。


 彼女との間には相当な壁と差があるのは間違いなかった。表情に出ていたのだろう、里長が一息ついて声をかけてくる。


 「知りたそうじゃな。このことをあの小娘に話さぬなら教えてやってもよい。」

 小娘…美空のことだ。

 どういう理由があるのかはわからない。

 でも約束するくらいなのだから、大切なことだと思う。


「約束します。」


「あやつの育て親じゃ。六花。相打ちとはいえ一人でデミスを討ち取った前代未聞の女よ。」


 六花。

 その名前で完全にわかった。

 美空が時々教えてくれる女性。


 写真を見せてもらったこともある。

 雪のような白い肌と髪。その人は美空が幼き日のある日忽然といなくなったらしい。

 その原因は里長の言葉通りだ。


 美空はいつも気丈にふるまっているが、幼い時に、それもいきなりの別れとなれば心の傷として残っているに違いない。

 確かに話すべき内容ではないだろう。


「あと…もう一つ話したいことがある。だがそれは決していい話ではない。今聞く覚悟はあるか?」


 里長は時雨に向き直って伝える。

 真剣な瞳を見て時雨は思わず息を飲む。


「お主に関する話じゃ。」

 

 周囲の虫の音が急に止んだ。

 空気がいきなり冷たくなったように感じる。 

 

「…聞きたいです。」


 ——


 思い出せばそれはずっと残酷で非情な現実の話だった。

 しかしそれは同時に歪な救済を伴う奇劇であった。時雨はそれを受け入れるまでに相当苦悩しただろう。


 時雨はその現実を誰にも言わぬと心に誓った。

 特に親愛なる少女には必ず知られないようにと。

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