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五十一話 禁足地

 「…」

 時雨は目を覚ます。

 身震いして起き上がった。


 寒い。

 まだそんなに寒くなる時期ではないはずだ。

 せいぜい秋の始まりといったくらいで…

 そう思って起き上がると目の前には白銀の世界が広がっていた。

 

 見渡す限り高い山々が見える。

 そのどれもが雪に覆われていた。


 まばらに生える常緑樹っぽい木の様子を見て、明らかに植生が今までいた神社の周辺とは明らかに違った。


「え…?」


 時雨はひとり呟く。

 現在地は不明。

 晴斗たちは?


 美空は?

 時雨は少しずつ歩き始める。


 さり、さりときめ細やかな雪を踏む音だけが響く。まるでふわふわのかき氷みたいな細かさだった。


(普通の雪よりもかなり柔らかい…!どういうこと?)

 

 周囲に足跡もなければなにかが通った後もない。

 静かな場所だった。


 そう。静か。

 何かがいる形跡も気配もなかった。


 でも。


「ゴウッ!」


 短く低い雄たけび。

 それが無かったら時雨は気が付くまでもなく喉笛を切られていた。


「っ!?」

 鋭い爪の引っ掻きを辛うじて手で受け止める。

 つう、と血が滴り落ちていく。


 目の前にいたのは真っ白な毛の猿。

 見たこともない種類だ。


 顔は赤い皮膚がむき出しになっていた。

 至近距離でその顔を見ると怖い。


 すぐにミヅハノメを起動する。

 完全に未知の存在。

 出し惜しみしている場合ではない。


「ッ!?」


 どさん!

 雪が舞った。

 

 全力を出してなお時雨は力負けして地面に押さえつけられる。

 ギリギリと反対側のツメが時雨に食い込んできた。血がにじんで雪を染める。


「このっ!」

 時雨は液状化して強引に抜け出し、大きく距離をとった。

 初見で意味の分からぬ動きに猿は困惑したらしくこちらをじっと見つめて威嚇している。


(なんだ…こいつは!)

 時雨は身構えてすぐに襲を起動して武装する。

 相手とわずかな取っ組み合いで危険性を悟った。


 上級の怪人くらいの力。

 

「キィイイイイイイイッ!」


 甲高い雄たけびが聞こえて時雨は思わず耳をふさぐ。

 それは合図だった。

 木陰や雪の塊の影から、一斉にサルたちが姿を現した。ざっと16匹以上。


 時雨は青ざめた。


 待て待て待て!

 このレベルのやつらがこんなにごろごろといるの!?


 時雨の思考が硬直する。

 サルたちはいっせいに飛び上がり、時雨へ攻撃を仕掛ける。


「っ…!」

 

 液状化しようとも僅かな隙をついて爪で引っ掻き、殴り、数の暴力で圧倒された。

 そもそもタイマンで相手しても危ないくらいなのに完全に多対一。


 勝てるはずはなった。


 ドオオオンッ!!


 自分もろとも緊急で水砲を至近距離で炸裂させ雪の足場ごと崩した。

 こうでもしなければ時雨はやられていただろう。


「キィィィエエエエ!!?」

 衝撃と、崩落する地面。

 サルたちは予想外の出来事に驚き、ある者は巻き込まれて落下し、ある者は水砲に直撃してぶっとばされていく。


 時雨も例外ではなく、崩れていく雪の中に埋もれていった。



 ――――


「はっ…はっ…」


 数分後時雨はなんとか雪の山から脱出する。

 上に降り積もった雪の重量は半端ではない。


 京人でなければ即圧死だったろう。

 強引に能力を使って掘り進んで地上へ出ることができた。

 

ぼすん。

 

 時雨はそこで力尽きるように倒れ伏した。

 腕の損傷が激しいし首も一部切り裂かれている。

 水の民だからこそなんとかなっているが体を構成する水は失われた。


 ぐっと体を起こして周囲の状況を確認する。

 時雨は目を見開いた。


「…美空!」

 目の前に横たわっていたのは美空だった。

 体の一部が瘴気に侵されたままの状態。

 なんとか呼吸はしているがうなされているように息が荒い。


(なんとかしたい…けど僕は何もできない…!)

 時雨に解呪の知識はないし、治癒関連の天賦もない。だから時雨は美空の状態をよくすることはできなかった。


 (晴斗は巻き込まれていないから…あといるとしたらかぐやさんと巫女さん…?)


 探す?でもどうやって?

 ぐるぐると疲弊しきった頭で考える時雨を背後から狼が襲う。


「っ!?」

 

 こちらも白銀の毛並み。


 雪景色に溶け込むような体色に加え、音もなく気配もなく近づいてきた。

 時雨は押さえつけられてかみつかれる。


「ああっ!!?」

 時雨は悲鳴を上げる。

 強引に振りほどこうとするが力ではあちらの方が上。


 さらに2匹加勢しようとこちらに走ってきているのが視界の端に見えた。

 時雨は再び液状化で抜け出す。


 しかしかみつかれていた部分までは適応されず、時雨の肩は大きく抉れることになる。


「はぁ…はぁ…!」

 

 すぐに距離を取り、狼の体を一気に水妖ではたく。吹っ飛ばしはしたがあまり堪えている様子がない。


 今度は狼は大きく口を開けて極低温のブレスを放ってきた。


「嘘?!」

 時雨が回避するよりも早く足が凍結される。

 水の民の体の構成物のほぼすべてが水。

 通常の人間や京人のようにほかの物質が混ざっていないために凍結させる能力には弱い。


 動けなくなったところへ狼が襲い掛かる。


 その時。

 光線が放たれた。


 全員の意識外から放たれたそれらは正確にに木々の間を縫って器用に狼に命中する。


「「「ギャンッ!!」」」


 鋭い悲鳴を上げて、体を焼かれた狼たちは近くに着地する。それでもまだ戦うつもりはあるようだ。

 

 威力が普段より落ちているとはいえ光線を受けてあまり応えていないところを見るに耐久力もかなりあると見えた。

 

 グルグルと唸りながらゆっくり歩いて位置取りを調節している。


 今度は時雨だけでなく美空まで視野に入れて包囲し始めたようだ。


「…時雨…ちゃ…」


 美空はなんとか声を上げる。

 ようやく気を取り戻したはいいものの、体を動かすには無茶な状態。とても身動きなどできなかった。


 時雨はすぐに美空を守るべく接近する。

 今度はミヅハノメを使う。


 やはりこれが前提になってくる。

 そのぐらい敵が強い。

 だが狼は背を向けた時雨を逃がしはしなかった。


「ぐっ!?」

 後ろから爪を立てて時雨の肉をえぐる。

 一度背を向けてしまえば気配のないこいつらの動きを感知などできない。


 無防備な背中から鮮血を噴き出し時雨は姿勢を崩す。


「このっ!!」

 時雨は怒り、圧力まで全開にして水妖を振るう。

 素早く風を切る音とともに狼たちは一刀両断された。


 いくら攻撃の威力を上げたとはいえ今度は完全に切断できてしまうとは。防御力の傾向が全くつかめやしない。

 胴体から真っ二つになり力なく倒れ伏す。


「!!」

 死んだ狼は即座に溶けるように雪と同化して消滅した。時雨は目の前の光景を信じられぬという顔で見届ける。


 やはりこの場所は普通ではない。

 こんな現象など聞いたことがない。


「時雨ちゃん…ちょっと状況…整理しよう」

 召喚物を生成し、木でできた簡易式のテントと見張りを行う怪人を召喚する。


 樹上で見張りを行う複数のエナガと、地面を駆け回る真っ白なオコジョ。さらに上空から見張る鳶。

 

 時雨は美空に頼まれて近くの木の下へ美空を運び、そこを一旦の拠点とすることにした。


「…ひどい怪我だね」

 美空は時雨の様子を見て心を痛める。

 体中傷だらけだ。


 既に渦と戦った後でそこまで余力もないというのにかなり厳しい戦いを強いられただろうと考えた。


「…美空の方こそ…」

 時雨も困った顔で美空を見つめる。

 しばらくまともに動けなさそうじゃないか。


 さっき召喚物を作る時だって無理したはず。

 声も出さずうずくまっていた。


「多分…ここは禁足地。」

 美空がぽつりと木の天井を仰ぐように寝返りを打ってこぼした。


「…禁足地…?」

 時雨は聞き返す。名前だけなら知っているけどもその実態を知らなかった。


「幹部でも少人数だと全滅する可能性のある危険地帯よ…」


 時雨は美空の言葉にぎょっとする。

 時雨を襲ったのは激しい絶望感だった。


 それって自分たちが死ぬって考えるやつじゃ…


「禁足地って…一時的に現れては消えていくの。何らかの要因でね。だから…なんとか消えるまで耐えきれれば生き残れないことはないよ」


 美空はにっと笑う。

 時雨は涙を浮かべた。


 美空だって、震えてるじゃんか。

 美空だってここは初めてのハズ。


 怖くないはずなんてない。

 敵が強くて異常で数が多い場所。

 幹部でさえ危険という場所にたった2人の経験の浅い防人が遭難したのだ。

 

――

 

 禁足地。

 有名な場所は3つ。


 海に面する場所で発生する「淵灘」。

 御影山の山頂にて発生する「月下雲海」。

 そして今回時雨たちが迷い込んだ「終末凍土」。


 終末凍土は割と歴史の浅い新手の禁足地だ。 

 それ故に情報も少ない。


 ――

 

「…」

 しばらくの沈黙が流れる。

 ずっと二人とその周囲にいる召喚物以外はずっと静寂を保っていた。


 救助を待つか?

 晴斗たちがきていないならきっと助けを求めてくれているはず。

 流石に禁足地に放り込まれたことまでは把握していないかもしれないけれど。


 幸い片やほぼ水、片や超低温から超高温まである宇宙空間でも平気な星の子。

 寒さ対策にはそこまで困らなかった。


 水は流れて動いていれば先ほどのオオカミのブレスという例外さえなければ凍りつくことはない。


 南極で眼球が凍らないのと同じだ。


 

 今は静かなはずなのに時雨の体の中でずっと心音がうるさいくらいに響いていた。


「時雨ちゃん」

 美空がそっと時雨の手を握る。


「大丈夫だから」

 美空は優しく声をかけた。

 時雨は何も言わずこくこくと頷いて涙をぬぐう。


 ゴオオオオオオオオオッ…


 遠くで音が響いていた。

 時雨たちは思わずその音の方角を見る。


 上空で竜巻もかくやという勢いで雲が渦巻いていく。

 周囲の山よりもはるかに高い場所。

 厚く黒い雲の向こうには光があるらしく内側からわずかに照らしていた。


 そして稲妻のようにひときわ明るくなった瞬間、異様な影が見えた。


 細長い体だった。

 三日月のような翼。

 翼の大きさは胴体よりも大きい。


 一目見て、こんなに遠くからぞっとするような存在感。そして得体のしれない何かが二人の体を硬直させた。


 この「凍土」には何かがいた。

 ぷつぷつと鳥肌が立って時雨は立てなくなった。

 体が震えて、すぐに逃げ出したいという衝動と動くのが怖いという本能が互いに主張し続けた。


 美空も黙って時雨の手をぎゅっと握りしめた。


 ――――

 それからしばらくは特に謎の存在も動きがない。

  

「なんとか…動けそう」

 美空はふらふらと立ち上がった。

 時雨は慌てて手を差し出す。


 よろと体勢を崩した美空が咄嗟に時雨の手をつかんだ。


「そんなにすぐ動かなくても…」


「だめ。動かなくていいならそれに越したことはないけど…近くに来てる。」


 この場所では停滞していてはいけないんだ。

 一度場所を捕捉されたら大量のやつらが襲いかかってくるだろう。まず包囲されたら終わりだ。


 そもそも美空の限界も近いのでそんなに召喚物を作り出せない。


 オコジョが慌ただしく帰ってきた。

 エナガも相当警戒しているらしく機敏に動き回っていた。


「すぐ近くに何か来てる。気が付かれないように動こう」


 美空は時雨を引っ張る。

 緊張が表情に出ていた。


 時雨もすぐに事態を理解しすぐに立ち上がる。

 オコジョは周囲の気配に気を配ってくれていた。


 いかに音がしなくとも足をついたときの僅かな振動までは無くならない。


 それを探っているのだ。

 召喚物たちの様子を見ながら時雨たちは移動を開始する。


 どちらに進むべきかは正直わからなかった。

 雪山の常識に則れば登るも降りるも危険。


 だからといって動かないわけには行かない。

 この山には恐らくおかしな生物たちが闊歩している。


 植生もおかしい。

 雪が降り積もっているのに、周囲の木々は針葉樹でもなければ落葉樹でもない。


 大きな濃い紫色から青色の葉が茂っている。

 しかもところどころに変な黒いキノコが生えていたりする。


 足音を忍ばせながらできる限り降りることも昇ることもなく横へ移動していく。


「グォ…」


 低い唸り声が聞こえた。

 時雨も美空も足をピタリととめる。


 グレーの毛。

 何よりも目立つのはその巨体。


 軽く5mは越えようという巨大なクマだった。


「〜〜っ!!」

 声にならない悲鳴を上げる。

 直後熊の手が2人の若人を薙ぎ払った。


 バァンッ!!

 大きな音が響き2人は文字通り殴り飛ばされる。

 道中にあった木が幹からへし折られて雪になって消えていく。


 木をへし折ってなお勢いのやまぬ2人はごろごろと数十メートルもの間山道を転がっていった。


「がぼっ」

 美空が血を吐く。

 雪が真っ赤に染まった。

 結構な量の血を吐いて美空は動けなくなった。


 時雨も腹を裂かれた。

 どくどくと血が流れていく。

 しかし時雨の血はすぐに無色透明になって雪の中へ染み込んでいく。


「ぐ…」

 時雨も歯をかみしめて地面にはいつくばった。


 立て!立て!

 すぐ立て!


 このままじゃ2人とも餌食になる!!


 時雨は無理やり身体を起こした。アビスの力を引き出し拳を地面に叩きつける。


 ゴウウウウン!!

 波のように雪が揺れて岩盤を砕く。


 クマにもその破壊のエネルギーは伝わり内側から亀裂が入っていくのは見えた。


 衝撃はまたもや不安定な山の岩盤を削り、ごっそりと崩落していった。


―――― 

 

 何時間経過しただろうか。

 美空と時雨は雪をかき分けてなんとか外側に出ることができた。


 クマに襲われた後何度も何度も襲撃されては崩落させてなんとかやり過ごしてを繰り返している。


「っ!」

 外は猛吹雪。

 目を開けられないほどの強風と雪。


 これでは移動などできたものではない。

 標高はどこまで下っただろうか。


 そんなことすら分からない決死行だった。

 吹雪が止んでも猛獣は襲い掛かってくる。


 既に手負いの二人が太刀打ちできはずもない。

 命からがら生き延びてを繰り返していった。


「はあ…はあ…」

 二人は歩いていく。


 すでに限界など過ぎている。

 既に相手にした猛獣は180体を超えただろう。


 しかももれなく上級怪人に匹敵する個体。

 当然まともにそれらの相手をできるはずもない。


 何度死にかけたことだろうか。



「グルル…」

 まただ。

 この凍土は侵入したものを返すつもりはないらしい。


 今度は巨体の白虎。

 白銀に黒い縞模様が入っていた。

 水色の目をぎらりと輝かせている。


「ガウッ!」


 目にもとまらぬ速さで美空が抑え込まれた。

 喉を圧迫し、窒息死させようとする。


「あ…ぐ…!!」

 美空はもがくが白虎を押しのけるにはあまりにも非力だった。


「うああああっ!」

 時雨は限界近い力を振り絞りアビスの拳を叩き込む。


ドン…!

 

 破壊のエネルギーは既に尽きかけている。

 微弱な力は巨体に僅かな苦痛を与えるだけしかできない。虎を止めることはできない。


 「…美空!」

 既に意識がもうろうとし始めている美空になんとか手を伸ばす。

 

その時。

 

「キュオオオオオオオオオオオオオオオッ!」

 美しい鈴の音のような声が響き渡った。

 同時に吹雪が止み、視界がクリアになる。


 空が再び渦巻き光を照らしていく。

 ダイヤモンドダストが舞い、光を反射して輝いた

 凍てつくような風が吹いた。

 それは見た目優しいようで、残酷なまでに平等に命を奪いに来る。


 ここで生活している生物なども例外ではなくその空気に触れるなり雪へと戻っていった。

 白虎は溶けて消えていく。

 

「がっ…げほっ…げほっ…!!」

 美空はひどくせき込んだ。

 血の気を失った顔でうずくまりほとんど動けなくなる。


 その様子をなんとか視界に収めている時雨も立ち上がることなどできない。

 美空に何とか這って近づいて手を伸ばす。



「…!」


 月の形をした影が時雨たちの後ろに現れた。

 20mは超えようとする巨体。

 光を遮り暗い日陰の中に時雨たちを包み込んだ。


 先ほど目にした上空の何かだ。

 胴体の中央には薄い水色をした水晶らしきものがあり、雪の結晶のような模様が迸っている。


 翼も同様だった。

 鋼色の刃翼が展開されている。


「…!」

 時雨は振り返ることすらできなかった。


 すぐ近くにいる存在が一体何なのかは全く見当がつかない。

 ただ本能がひたすらに畏れ多い存在だと警鐘を鳴らしていた。


 握る手ががくがくと震えている。


 この存在がその気になれば息を吹きかけるだけで時雨も美空も亡き者となるだろう。

 まるで溶けていく雪のように二人は儚い存在だった。


 息を失い、虚ろな目をした美空はぼんやりとつぶやいた。


「六…花」

 きっと美空はもう周囲を感知できていないのだろう。幻覚の中で一人つぶやいた。


 「キュオオオオオオオオオオ…」


 何かはくるくると旋回し姿を消した。

 遅れて激しい吹雪が辺りを覆って真っ白に染めていく。


 二人は雪の中へと消えていった。 

 

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