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四十六話 焦燥雨

「速すぎる…!」


 時雨は焦っていた。

 アメンボの素早いこと。


 時雨の水中の機動力は高い方のはずだ。

 液状化と水流操作を併用することで地上よりもはるかに速く移動できる。


 ただ圧力の方は水中での扱いに全く慣れていないものだからうまく推進力につなげることはできない。


(練習不足…!)

 

 アメンボは川下の方へ向かっており時雨にとっても向かい風ならぬ向かい波。

 それでもなおアメンボは時雨よりもはるか先の水上を走っていた。


 時雨は川の中を駆け抜けていく。

 岩を瞬時に躱し奥の方にある影を追いかけていく。


 時雨の速度は既に軽く時速50㎞オーバー。


 『ギョヨ!』

 アメンボはさらに速度を上げる。


 時雨は瞬時に水を操作しアメンボの足を捕まえようとするが、簡単にはいかない。

 飛び跳ねて避けてしまうのだ。


 アメンボの進行方向に水でバリケードを敷けたら楽だが時雨の操作はそこまで遠くまで及ばない。


(逃げられる!!)


 時雨は即座に左手をアビスに変化させて水全体に力を波及させる。


 ゴゴゴ…!!

 

 水の中へ青い波動が駆け巡り、水の状態がおかしくなった。

 ザバンザバンとあべこべな方向へ水が動いていく。

 そして大いに荒れるに荒れた。


 ドパァンッ!


 時雨もその荒波にもまれることになるが、アメンボもアメンボで苦労させられたらしい。

 バランスを崩し怪人は慌てて飛翔しようとする。


 そこへ時雨の右手に握られた愛刀が到達した。

 素早く怪人を捕縛しきった。


「はあっ!」

 時雨は即座に水から飛び出しアビスの腕を叩きつける。


『ギッ!?』

 青い雷が爆ぜた。

 破壊の力が怪人へ流れ込み怪人の体を破壊していく。


 短い断末魔を上げて怪人は粉々になっていった。

 時雨は怪人を倒したことを確認するなり岸の方へ上がった。


「ふぅ」

 時雨はようやく一息つく。

 髪からぽたぽたと水が滴り降りていく。


 それらを振り払うようにぶるっと身震いした。


「時雨ちゃん!」

 そこへ瀬戸香が駆け寄ってくる。

 炎の力で追いかけてきてくれていたのだ。

 時雨はすぐに陸へ上がる。

 

 ドシャアアアアンッ!!


「「!?」」


 少し離れたところで雷が落ちたようだ。

 気付けばすっかり空は暗くなっている。


 雷が鳴ったと思うといきなり勢いを増してどしゃぶりになった。


 ザアアアアアアアアアア…


 慌ただしく瀬戸香と時雨は帰らされることになる。

 

 ――――

 

 京に戻ってから時雨は水流操作を駆使して二人の服や髪にしみ込んだ水分を除去しておいた。

 お互い別々に用件があるらしいので奉行所で時雨と瀬戸香は別れる。


 時雨は自邸に戻ったらしい。


「…よし」

 

 瀬戸香は時雨を見送った後傘をさして街中を歩いて行く。

 深い緑色の和傘の下は少し暗かった。


 しかしその割には雨の日の明るさを反映している傘の裏側が不思議だった。

 奉行所から歩いて6分くらい。


 少し大通りから外れた街並みが目に飛び込んでくる。

 京の技師たちが集う街だ。


 瀬戸香は地図を見て目的地がここだと知る。

 すぅと深呼吸をして扉をノックした。


「どうぞ」


 中から返事が返ってきたので工房の中へ瀬戸香は入っていった。


「あの、依頼なんですけど…」

 瀬戸香はおずおずとして職人の前で注文を言った。


 瀬戸香は基本自分の拳で戦うから武器関連のところには来たことがない。

 だからどういう態度で挑むのが正解なのかはあんまり知らなかった。


 相手の方は結構真摯に聞いてくれる。ありがたい。


 職人の中ではそこまで名の知れた人ではない。

 そもそも有名どころになると瀬戸香の所持金ではなかなか手を出せないだろう。


 良くても中堅どころの鍛冶工房に任せるのが普通だ。

 今回はお試しって感じだし。

 

「うむ…分かった。そうだな…君の能力の仕組みを教えてくれるかい?」

 

 名門ではなくともれっきとした職人は即座に思いついたのか使用者のことを掘り下げる。

 京では武具は使用者に合わせてオーダーメイドするのが基本だった。

 雨の降りしきる音の中、打ち合わせが進んでいく。


 ――――

 

「…美空?」

 時雨は自邸にたどり着くなり全く人気のない自邸の様子を疑問に思った。

 照明はつけっぱなし。


 椅子は引いたまま。

 ただ美空だけ忽然と姿を消していた。


(おかしい…)

 時雨は考え込む。

 美空は今日用事はないと言っていたし。


 何か急用でなにか出かけなきゃいかなくなったのだろうか?

 でもそれならそれで召喚物で連絡してくれるはずだし。


 ぷつっ。


 美空からもらった腕輪がいきなり切れた。

 前、美空は助けてほしいって思ったらこれを切ってと言っていた。


 勘だ。

 確証はない。


 ただ本能的になんだか嫌な予感がした。

 腕輪が切れたのは…美空からのSOSじゃないのか。


 ぞわっと身の毛がよだつ思いがしてじっとしていられなくなる。

 何かわかるものはないか?

 

「!」

 慌てて部屋の中を見渡す。

 

 すると部屋の中から何か見つけた。

 真っ白な光。

 とても小さいけれど確かに何か光っていた。


 時雨はそれに近づいてみる。

 部屋の隅で光り輝く紙きれが落ちていた。


 美空が何か残したメッセージだろうか?

 そっと左手で拾い上げようと触れたその時。



 バチッ。


 触れた瞬間アビスの力が作動した。

 すると紙切れが爆ぜて真っ白な空間への入り口が広がる。


「!?」

 時雨が驚いている間に入り口はみるみる小さくなっていく。

 すぐに飛び込まなきゃ消えてしまうと見えた。


「このっ!!」

 

 時雨はアビスの右手で強引に入口をこじ開けて中に入った。

 中に入った途端目の前はどこまでも真っ白な空間だけが広がっている。


 ここが一体何なのか、美空がどこにいるのかを考え始めたその時。


「…ネズミか」

 男の声が聞こえた。


 不自然極まりない虚無の空間の中でただ一人の男が立っていた。


 白髪頭にクロノメッシュの入った長身の男。

 灰色のコートを着た男だった。


 見た目の年齢は若い。

 霊力は感じないから人間だと思う。


 だが霊力とは異なる謎のエネルギーも感じるがゆえに確信は持てない。

 時雨はこの男を見た瞬間すぐに臨戦態勢に入った。

 体が考えるよりも先に対応する。


 そうでもしなければ時雨は瞬殺されていた。

 斬撃が液状化した時雨を八つ裂きにする。


 (…!)

 時雨は即座に後ろへ下がった。

 

(何されたのか…ほとんど分からなかった!)

 時雨は冷や汗が出るのをなんとか抑えながら相手に集中する。


「殺すつもりだったんだがな」

 

 男は辟易したように言う。

 即座に時雨を切り捨てようとした辺りなんとなくヤバイやつだというのは分かった。

 他を攻撃することに一切の躊躇がない。

 

 同時にまぎれもない強者だ。

 

 彼を前にした時雨には逃げるという手段もあった。

 だがそれは無理だと時雨は理解してしまっている。


 ザッ!

 圧力を水流操作を全開にして全力の速度で相手の手をかすめる。

 かすめただけだ。


「…貴様」

 男は低く威嚇した。

 時雨の狙いが何なのか理解したらしい。


 (美空だ!やつが手に持ってる玉は…!美空だ!)


 時雨は男の威圧にアビスの威圧で返す。

 二つの威圧がぶつかり合い、空間がビリビリと揺れる。

 少なくとも気後れしていては対抗できない。


 時雨はアビスの力まで使って再度攻撃を仕掛ける。

 狙いは玉の奪還。


 何らかの力で美空は玉の中に閉じ込められているのだ。

 美空だと分かるのは彼女がデミスだから。

 アビスの視覚からはそれが目立って見える!!


「そうか…貴様が磯垣の…」

 男は攻撃を難なく回避しながら納得したようにつぶやいた。


「!?」

 時雨は相手の口から執事の名が出たことに動揺して動きがぶれる。

 その隙を一切見逃さず男は再び斬撃を見舞う。


 シュインッ!!

 鋭い音を立てて弧を描く斬撃が時雨を切り刻んだ。


 液状化が間に合わない。

 義手は問答無用で輪切りにされた。


 ガシャガシャと修理したばかりの義手が地面らしき場所に音を立てて転がる。


 時雨はアビスの装甲を展開していたことで致命傷は免れたが、装甲が切り裂かれ血が噴き出す。

 いつもの時雨の血とは違って流れ出た後透明にならないどころか、深い青色の液体がしたたり落ちていた。


 時雨は汗をかき肩で息をしながら血走った目で男をとらえる。

 瞳は黄金色。周囲は深い藍色。


 化け物の目に片側が染まりながら時雨は美空を奪還しに走る。

 (体が勝手にアビスで守ってなければ死んでた…!!発動するだけでもキツい…!)


 荒い息になりながら時雨は男に攻撃を仕掛ける。

 それでもどんどん勢いを失い、バランスを失っていく時雨では男に一切攻撃は届かない。

 あれだけ訓練してもものにできていないんだ。

 土壇場でそれがうまく使えるようになるなんて都合のいいことはない。


 男の攻撃を何度も受けた。

 時雨の攻撃はほとんど通用しなかった。

 ただでさえ実力で及ばないのに時雨は受けたダメージに比例して動きが鈍くなっていく。


 意識がもうろうとし始めて視界もブラックアウトしようとした時。

 時雨は突然後ろに引っ張られた。


 そしてわずかな視界の中でかろうじて自分が空間の外側に放り出されたのを理解してしまう。

 

(これ以上は…!ダメ!)

 美空の声が聞こえたような気がした。

 このまま戦えば時雨は…



 「…!」

 声にならない声を上げて時雨はもとの自邸の畳の上に落ちた。

 時雨はなんとか体を起こす。


 そこはいたって美空がいないこと以外は普通の自邸の部屋だった。

 時雨は光のない目で周囲を見渡す。


 白い光はもうない。

 そこらへんにアビスの力を使ったとてあの空間へは入れなかった。

 時雨はそのことがわかるとその場に屈みこんで叫んだ。


「ああああああああああああああああああ!!!」


 悲痛な叫びだった。

 また自分が弱いせいで。


 誰かがいなくなるんだ。

 静かな和室の中でただ一つだけ大きな音が響く。


「ちゅい…?」

 

 時雨は鳴き声に反応して即座に振り返る。

 振り向いた先にいたのは小さなキクイタダキだった。


 ほんとうに小さな体を机の脚の影にかくしながら時々ちらとこちらを見ている。

 心配してくれてるみたいだ。

 多分時雨を後ろに引っ張ってくれたのはこの子なんだろう。


 この子は…怪人。


 美空が時雨のために生み出した怪人なのだろう。

 見た目は一切キクイタダキと変わらず愛らしいころんとした小鳥だった。


 時雨が落ち着いたと見えてキクイタダキは机の脚の影から躍り出てパタパタと近寄ってきた。


 「ちゅい!ちゅるるちゅい!」

 一生懸命話してくれているのだろう。


「…ごめん…なんて言ってるのか分からないよ…」


 時雨は左手にキクイタダキを乗せて涙目で語り掛けた。

 キクイタダキはきょとと首を傾げた。


 

 ――――

 

 それからというもの、時雨は急いで上に美空が連れ去られたことを報告。

 上層部がすぐに動いてくれると言ってくれた。


 時雨はそれで少しだけ安心した。

 京の人たちがなんとかしてくれる。

 そう自分に言い聞かせた。


 でも鼓動はそれを切り捨てていたと思う。

 叫んでいた。

 大丈夫じゃないって。


 信用していないわけじゃない。


「大丈夫ですか?」

 ぽん、と時雨の肩を手がつかむ。


 執事さんだった。

 落ち着いているようだ。

 いつも美空のことを気にしているはずだから何も焦っていないなんてことじゃないんだと思う。


 この人はなんとか周りを不安しないように抑えているんじゃないか。

 肩に置かれたときの手がほんの少し力んでいたのがそれを物語っている。


「磯垣さん…!」


 今にもまた泣きそうな時雨を執事はそっと抱き留める。


「だめですよ。私が止めなかったら無理してしまうでしょう。」

「でも…!」


「大丈夫です。万が一など起こさせません。」

 穏やかな声だった。


 でも、同時に真のある声だった。

 執事の覚悟が垣間見える、そんな声。


 時雨ははっとして執事を見上げる。

 

「ちゅい!」

 近くで見守っていたらしいキクイタダキがぴょこりと執事の肩から顔を出した。

「わっ?!」


 時雨はびっくりして思わず後ずさる。

 なんだ君か…と胸をなでおろす。


「この子…怪人ですね。美空さんが残したのでしょう。」


「でもなんて言ってるのか全然わからなくて」

 

 時雨はうなだれる。

 せめて話してくれたなら何かヒントがあっただろうに。

 美空のことだから無意味に托したりしないだろう。


「私は分かりますよ」

 執事は涼しい顔をして答える。

 時雨はほんとかなと懐疑的に執事のことを見ていた。


「ちゅい。ちゅるる、ちゅいちょちゅい。」

 執事に身振り手振りも加えて説明するキクイタダキ。

 執事はふむふむ、と頷いて聞いていた。


「…時雨君。桐谷へ行きましょう。私がしてあげられるのは送ることだけですが」


「…へ?」


 ――――


 執事がクルマを走らせてくれた。

 不思議なゲートを通り、ぐるぐると橋の上を回ってからほぼ一直線の道を進んだ。


 これは高速道路と言うらしい。

 前車に乗った時の道は一般道だった。

 それに比べて高速道路は車の速度が全然違う。


 時速100km近い速度で駆け抜けていく様子は時雨からしてもかなり新鮮だった。足の速い京人ならもっと速いとは思うが、時雨からしたら高速道路の走行はかなり速いと思えた。


「落ち着きましたか?」

 執事が運転しながら声をかけてくれる。

 ごおお…とずっと走行音が響いているから若干聞きにくいけど、京人の聴覚は易易と執事の声を聞き分けた。


「…少し」

 時雨は答える。少なくとも前ほど焦ってはいない。

 キクイタダキの言葉を受け取った執事のことを信じている。それにキクイタダキを残していった美空のことも。


 桐谷にヒントがある。

 それは別におかしなヒントであるわけではない。


 水の民にまつわる池。

 不思議な水の存在。


 時雨はなんとなく分かり始めていた。

 流れていく木々を興味津々に眺めているキクイタダキを横目に見ながら時雨は拳を握る。


 黒い車は山々の間を縫いながら作られた道をひたすら走っていった。


 ――――――


「着いた…」

 やや懐かしい風景が時雨を出迎えた。

 前回来た時より随分と涼しくなっている。

 季節がまた変わり始めているということだろう。


 空は晴れ。

 前回は曇りだったり雨が降ったり散々だったから晴れた桐谷の空は目新しい。

 青い空の向こうでうろこ雲が浮かんでいる。


 標高が高いこのあたりは気温の変化が早いみたいだ。

 町の中心ではなく少し外れた場所。


 中心は観光地になっているから渋滞しがちである。


「では、私はこれで」


 執事は窓越しに時雨に挨拶する。

 時雨もぺこりと礼をした。


 執事はそのまままっすぐ車を走らせていく。

 時雨は黒い車を見送った後まずは以前世話になった親方を訪ねることにする。


 住宅街の方を見て回ったが壊れた家屋などは綺麗に修繕されていた。

 町の被害が結構すごかったがこの復興具合は京や政府からの援助のたまものだろう。


 親方の家も傾いていたのも直っていることに気がつく。

 コンコン、と戸を叩く。


「あいよ」

 

 親方は扉を開けて時雨の姿を見るなり「おお」と嬉しそうに言った。

 腕のケガも直ったようで今は桐谷焼の製作にもう取り掛かっているようだ。


「あの影が去った後、やはりあの水が出るようになった。」

 家の中で椅子に腰かけて二人は話をした。


「また桐谷焼が作れるようになったな」

 

 親方はかなり嬉しそうだった。

 しばらく作れていなかった分これから取り返す勢いで作るのだろう。


「また…水源を見に行ってもいいですか?」

 

 時雨はそわそわして親方に尋ねる。

 話したいことはたくさんある。

 でも、今はここに何かを探りに来たんだ。


「おう、いいぞ。また案内いるか?」


「いえ、前教えてもらったところは覚えてますから」

 

 時雨は流石に作業中の親方をそこまで拘束するわけにはいかないだろうと考えた。

 あくまで時雨が求めたのは許可。

 親方はそうかと言って椅子から立ち上がる。


 「気を付けてな」


 親方の言葉を受けて時雨は軽く礼をする。

 扉を開けて時雨は駆け出していった。


「?不思議な子だな…なんであの子からもあの水を感じるんだ?」

 

 親方は陶器を作りながらちょっと時雨の出ていった方を眺める。

 その問いに答える者はいなかった。


 ――

 「ここだ」

 時雨は田んぼの脇の水源に立ち寄った。

 以前普通の水が出ていた場所からは紫の光沢の強い水が流れ出ている。


 (この水は確か農業には適していないんだっけ)

 

 既に農作物は収穫されきっていて被害を受けているものはなかった。

 水が出始めた以上これからしばらくの間ここは畑として使われることはないだろう。


 時雨はじっとその水を観察していたがそっと手を出して触ってみる。

 触った感触ではそこまで水と変わらない。


 しかし粘り気が水より強いのは確か。

 土とぶつかった部分は泡が形成されている。


(水流操作には対応していないのか…)

 

 時雨は自分の能力で操ることができないのを確認する。

 一体これが何なのかは分からない。

 どんな物質で、どんな起源があるのか。

 


 しかしそれでもなおこの水は確かに時雨の運命を変えるのに十分な代物だった。

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