四十四話 真氣覚醒
翌日、美空は一人で京を離れてかつて訪れた町へ戻ってきた。
住宅街が立ち並ぶ特段都会みたいな高い建物はそんなになかった。
小さな公園の中でもひまわりが数本咲いている。
公園の周りには住宅が広がっていて、それが原因で日照時間が短いのだろう。
ひまわりは京で見たものに比べて背が低かった。
人の行き交う様子はない。
(久しく来てなかったね)
美空は周囲を見渡す。
町並みはまったく変わっていないようだった。
ふと一時期世話になった2人の男のことも気になりはしたが、今回は会わないほうがいいだろう。
また面倒ごとに巻き込んでしまってはいけない。
前は戦闘しながら移動していたから、どうやってあの廃工場へ行くのか分からなかった。
結局少し迷いこそしたものの、数分もすればなんとか辿り着いた。
「着いた…」
変らぬ廃れた工場の鉄の匂い。
錆びた鉄の製品の一部の混ざる粗い敷石がじゃりじゃりと音を立てる。
(…いない?)
美空は周辺を探したが遠藤の姿はない。
時間が間違っているわけではないはずだが。
「!」
美空はその場から勢いよく退避する。
わずかに遅れて衝撃波が美空を襲った。
ズンッ!!
美空の身体能力をもってしても完全には避けきれなかった。
飛び退いた時に背中に衝撃の一端を受ける。
「…っ!」
美空は冷や汗を流す。
いきなりの超高威力の攻撃。
敷石は一瞬の内に吹き飛び下にあったであろう砂地までごっそりと削り取られている。
「…遠藤…!」
美空は体勢を立て直した後上を見る。
かつて拍手しながら降りてきた屋根の上に青年は立っていた。
美空はその姿を見て、ゾッとする。
(今までとは…全く違う…!)
表情、そして佇まい。
青年のありとあらゆる容姿が本物の殺気をまとっていた。
これから青年は初めて本気を出すのだ。
「はっ!」
美空は即座に形態変化する。
髪は桃色から銀へ。
瞳は黄金色から黒へ変わる。
真っ白な瞳孔はきゅっと小さくなっていた。
少しでも気を抜けばやられる。
本能的にそう感じた。
「ふっ!!」
青年は屋根を蹴って美空へ突撃する。
反動で屋根は弾き飛ばされようという勢いで大破し、外壁にヒビが入る。
勢いをつけた拳を触手で受け止めた。
ブチィッ!!
しかし青年の攻撃の威力に耐えきれず触手は3本とも千切れる。
触手を千切ってなお青年の勢いは止まらない。
「がっ…!?」
青年はタックルに切り替えて美空に激突する。
美空の全身が悲鳴を上げる。
声を出すことすらままならず付近の倉庫を崩した。
ドオオンッ!!
前とは比較にならない威力。
美空は難なく倉庫を貫通し近くの民家を突き抜けていった。
3軒ほど突き破ってようやく勢いが止まる
横倒しになっていた美空はなんとか立ち上がる。
「げぼっ…」
多量の血反吐を吐いた。
痙攣する体を無理やり起こす。
たった一発。
防御を貫通した上でこれだ。
まともに受ければ命はない。
「!!」
そこへ間髪入れず次の衝撃波が襲う。
今度は凄まじい音とともに民家を吹っ飛ばした。
ゴオオオオッ!!
「〜〜〜〜っ!!?」
美空は山のような瓦礫とともにふっ飛ばされる。
衝撃が止んだ後なんとか山を押しのけた。
(遠藤…こんなに強かったなんて…!)
美空は目元の血を拭って遠藤を視界にとらえる。
「…」
一切の隙がない歩きでじりじりと寄ってきていた。
彼の周囲から50匹は超えるダツが突進する。
遠藤でも流石にこの量は捌ききれない。
ザザザンッ!!
ダツの硬く鋭い口吻が遠藤の身体に突き刺さる。
「…!」
しかしその前に半数以上が叩き落とされているのが分かった。
口吻の刺さった場所から血が流れるが彼はお構いなしに歩き始める。
ギュンッ!!
美空は光線を放った。
一直線の極太のビームだ。
直撃すれば硬い怪人だろうが丸焦げにできるだけのエネルギー量。
遠藤は僅かなステップで避けてみせた。
そして足をつくと同時に美空へ急接近する。
「っ!!」
気がついたら目の前。
美空もじきに接近されることは分かっていた。
だが。
(速すぎる…!)
反応できていないことはない。
でも避けるには遅すぎる。
ドドドドドドン!!
美空の身体へ6発の拳が叩き込まれた。
美空の身体を衝撃がぐちゃぐちゃにしていく。
ほぼ反応できずにまともに食らった。
「っ…がぼっ…!?」
美空の皮膚は衝撃に耐えかねて破裂して筋肉繊維が堪らずに千切れる。
骨が砕けた。
いたるところから血が噴き出し美空はその場にへたり込んだ。
(立っ…?)
それだけに飽き足らず、美空は脳震盪を起こし平衡感覚も周囲の状況も分からなくなる。
自分は今どうなっている?
横倒しになってるの?
それともまだなんとか立ってるの?
遠藤は…今何をしようとしてる?
分からなかった。
何も。
――――
一人の若人が池の元へやってきた。
その池は京のやや僻地にあって人通りは非常に少ない。
池は大きく、夏の満月の月を白く反射させている。
まるで空がもう一つあるみたいだった。
おだやかな水面が風に揺れてきらきらと光る。
『…時雨ちゃん?』
池のほとりに座る若人の背中に聞き慣れた声がかかる。
『…美空』
時雨は声の主の名前を呼んだ。
『奇遇だね』
美空は乾いた笑顔で時雨の隣に座り込む。
水面はまた静かになった。
目の前のまん丸い月を眺めながら時雨はほろりと涙を流す。
『あれ…なんで…』
自分でも分からない感情があふれでてきて涙を手でぬぐう。
ぎゅっと、美空は何も言わず時雨を抱きしめた。
時雨は優しく抱きしめられてただぎゅっと美空の服を掴む。
『最初からできるわけないよ』
いつぞやの言葉。
前もこうして時雨が泣いて落ち込んだ時に美空が言った言葉だった。
時雨はゆっくり美空に話し始めた。
今日もアビスの力の制御の訓練をしていたこと。
最初のうちは伸びていたけれども、全身に発動させるとなると維持するのに精いっぱい。
とてもそれを使って戦えるような状態ではなかった。
それが何日も続いた。
時雨だけでなく執事も苦い顔をしていたそうだ。
自分が期待を裏切ったんだと、そう思わずにはいられなかったみたい。
美空はそこまでの経緯をゆっくり聞いて目を伏せる。
今時雨を抱きしめながら時雨から美空の顔が見えないのが幸いだと思った。
(きっと私も、執事さんと同じ表情をしているから…)
美空は時雨をもう少し強く抱きしめた。
まだ。
もう少しだけ。
私の顔がこの子に見えないように。
『美空』
『なあに?』
『美空も…困ってる?』
時雨の言葉に美空は少しどきりとした。
美空の瞳が揺れる。
『どうして…そう思ったの?』
『なんとなく…かな』
時雨は涙目のまま微笑んだ。
美空にはその顔は見えなかったけれど声でこの子が微笑んだのは分かった。
『…そう…なの』
『僕の悩みを聞いてもらったから…次は僕の番だと思うの』
『…』
美空はひどく悩んだ。
時雨に自分の不安を打ち明けていいのか。
時雨を戦場に立たせたくないこと。
死んでほしくないということ。
でも戦場に立たないでというのは時雨にとって酷なことだろうと思う。
時雨の仕事であり今までの努力とか積み上げてきたものを真っ向から潰すことだから。
『…』
美空は口ごもった。
時雨を抱っこしたまま視線を池の月に移す。
綺麗な白い月だった。
冷たいようで、でも温かい白だった。
まるでもういないあの人みたいに。
『…美空?』
時雨は美空の様子の変化に驚いて声を掛ける。
美空は一層時雨を強く抱きしめて離そうとしなかった。
唇を噛んでぐっと押さえようとしていた感情がどうしようもなく溢れ出してきた。
雫が池のほとりの草のうえに落ちて月明かりをきらりと反射させる。
もし。
ここで伝えなかったら。
時雨はずっと戦い続けるんだと思う。
それでいつもみたいに無茶をするんだ。
…いつかはふっと、居なくなってしまうかもしれない。
傷つけちゃうかも知れない。
でも。伝えとかなきゃって思った。
『私ね。私ね…!』
『うん』
『時雨ちゃんに死んで欲しくないの…!戦場に、立って欲しくないの…!』
『…!美空…!』
美空の言葉に時雨は動揺する。
『僕は、戦わなくちゃいけないんだ。磯垣さんが言ってた。僕の持ってるアビスの力じゃなきゃ、デミスを倒せない…!』
必死に時雨は言った。
ここが自分の居場所だと思っている。
自分の存在意義だとそう信じて疑っていなかった。
まるで戦力外通告みたいで時雨はひどく慌てふためく。
対して美空は時雨を突き飛ばした。
彼女らしくない乱暴さだ。
時雨はドスンと地面に尻もちをついて美空を見る。
まるで信じられないものを見たという感じで。
時雨が言おうとした時、美空のあふれる感情の声に気圧される。
『嫌だ!私はっ…!君まで失いたくない!君まで失ったら…私は…!』
美空の育て親は突如としていなくなった。
この間やっと会えた肉親もこれから殺さなくてはならない。
美空にとっての家族。
大切な家族は時雨しかいない。
時雨まで失ってしまったら…
考えるだけで怖い。
月明かりが美空の顔を優しく照らす。
きらりと水滴がきらめいた。
『お母さんのことは…!私が何とかするから…!』
必死な叫びだった。
誰にも打ち明けたことはなかった。
周りの人がこれを聞いてしまったら遠慮してしまって、遠くに行ってしまいそうだったから。
でも確かに美空の思いだ。
ルリマダラカミキリの怪人の時もそう。
影と戦った時もそう。
美空はひどく肝を冷やしてきた。
あの子までいなくなっちゃうんじゃないかって。
ずっと不安に思ってきた。
時雨は美空の様子を涙目のまま見つめている。
時雨は少し悩んだようだけどすっと落ち着いたようにそっと立ち上がった。
『…戦場に立たないで…っていうのはごめん。それはできない。でも、死なないでってことなら約束する。』
時雨はまっすぐ美空のことを見てはっきりと言う。
美空は時雨の様子を見てぐっとかみしめるようにしていた。
『…約束だよ』
美空はぽつりと零す。
『うん。約束。』
時雨は左手の小指を差し出した。
美空ははっとする。
静かに右手の小指を差し出して絡ませて。
いつも鍛錬しているから時雨の指は少し硬かった。
月明かりに照らされたまま2人は言葉を紡ぐ。
『『指切りげんまん嘘ついたらハリセンボン飲〜ます』』
二人して揃えて言ったあとは静かに指を離す。
美空はそっと手のひらの上で真っ白なリングを作り出す。腕輪くらいの大きさだった。
『これ。助けて欲しい時は、早めに切って。何があっても助けに行くから。』
美空は時雨の左腕を持ってそっとそれに通す。
『うん。』
時雨は頷いた。
美空はもしこの輪が勝手に切れたら助けに来てとは言えなかった。
池の上の月が明かりが一層強くなった気がした。
――――
「…そう…だった」
倒れ込んで動かなくなっていた美空は手をついて身体を起こした。
既にボロボロの身体。
ホントは動いちゃいけないような重傷。
自身の周りは赤く染まってしまっている。
「約束は…私も守らなきゃいけないじゃんか…!」
瞬時に折れた腕を生成した白いギプスで固定する。
他にも折れた骨を内部から補強したり傷口を塞いだりしていく。
失った血が戻るわけでもなく、蓄積したダメージはそのまま。
再び銀髪へ変わりちぎれた触手は元通りになった。
3本全てを展開する。
さらに召喚物もとい怪人を複数体作り出す。
どれくらいの時間が経ったのか美空にはわからない。
「待ってた…ってそんな感じだね」
目の前に佇む青年の姿を捉える。
金髪が風に揺れて、青空みたいな瞳が美空のことをじっと見つめていた。
「はっ!」
美空はマンタを召喚し、背中に乗って移動を開始する。
さらにカラッパがマンタの上で盾の役割を担う。カラッパの横にはシャコが待機する。
マンタも複数空中を舞った。
ダツが、ハコフグが、そしてクラゲが美空の周囲を囲った。
(この体じゃ遠藤と渡り合えない…!)
移動、防御、攻撃、補助の全ての役割を召喚物で補う。
タツノオトシゴが波動で美空の傷を癒すが、大怪我ゆえに効力は薄い。
ドドンッ!!
ダツが遠藤へ突進した。
遠藤は間一髪避けてみせるが避けた先の見えないクラゲの触手に毒を注入される。
「…!!」
麻痺毒。
遠藤の体の融通が利かなくなり、動きが阻害された。
前回打ち込んだ毒とは異なる種類。
一瞬の隙を作りその間にマンタに乗って美空は距離を取って光線を自在に操って攻撃する。
ズドドドッ!!
複雑な軌道を描いた光線は遠藤を容赦なく襲った。
麻痺しているにも関わらず光線の一部を避けてみせるが流石に捌ききれずに身を焼かれる。
「オオオッ!!」
遠藤は身を焼かれながら強引に突破して美空へ跳躍する。
遠藤の免疫がこの短時間で麻痺毒を解消したのだ。
「!!」
美空が反応すると同時にマンタが背中を傾けて美空を別のマンタのうえに落とす。
わずかに遅れてマンタは遠藤の蹴りに砕かれた。
蹴りの姿勢にある遠藤の横腹を、シャコのパンチが炸裂して斜め下へ殴り飛ばす。
ドンッ!!
遠藤は弾丸となり廃工場の建物に激突した。
すでにガタが来ていた工場はあっけなく崩れて瓦礫の山となる。
そして爆発した。
遠藤が一気に瓦礫を上にはじき飛ばす。
瓦礫が高速で飛散し数多の召喚物を粉砕していく。
「っ!」
美空に直撃しそうになったコンクリートの塊を、なんとかマンタが美空から軌道を逸らして真っ二つになる。
美空はそのまま地面に落下した。
「あぐっ…!!」
落下の衝撃で傷口が開く。
また血が流れ始めた。
無理やりギプスを増強してなんとかする。
美空はこれ以上はほとんど動けない。
流れ出した血が純白の鎧を滑っていく。
ドドンッ!!
召喚物をすぐに出しはするものの遠藤の投擲を防がせるので精一杯だ。
もはや隕石かというような威力と大きさは強化された召喚物でも簡単に粉砕する。
とても数を増やしたりこの場から離脱できる状況にない。
遠藤は瓦礫の投擲は止めて再び接近する。
(うそ!?)
一瞬にして美空の上に来た遠藤はそのまま震脚を繰り出す。
美空は身をよじって避けるがそれでも衝撃が駆け巡っていく。
ギプスが砕ける。
美空は数回地面を転がった。
遠藤は地面に這いつくばる美空を見てひとりごとのようにつぶやく。
「迷わなくていイ。その力は君のものダ。」
「…!」
美空は遠藤の言葉にはっとする。
前にもこんなことを言われた気がする。
美空は恐れていた。
まだ自分の力のことを。
頑張って抑え込んでいたけど危険な力に違いない。
デミス由来の力の制御や使い方は教えてもらった。
でも美空はデミスの力の解放のやり方は教わっていない。想定よりも早く母親が変貌してしまったから。
また前京で混乱を引き起こしていたみたいに自分を見失うのではないか。
その不安がずっと付きまとっている。
美空は拳を固めた。
(…大丈夫なわけ…)
呼吸が浅く速くなっていく。
「…ならおしまいだ」
迷う美空の元へ遠藤が歩み寄る。
身体強化がさらに強く発動し赤いオーラまで伴い始めながら。
そして遠藤は足を構えた。
美空の頭を一撃でつぶすため。
全力で放った蹴り。
ゴッ!
それを美空は受け止めた。
とっさに盾を作り出して防御するも盾は簡単に割れた。
衝撃波が周囲の砂利を一個残さず吹き飛ばしていく。
「…約束したから…!私は…!死ぬわけにはいかない!」
白い輝きが増して美空の周囲に光の壁を形成する。
強引に遠藤は押し出されて大きく距離を取らざるを得なくなった。
「ごめん…時雨ちゃん…!もし私が私でなくなったら…止めて頂戴!」
美空はこの場にいない家族へ語り掛ける。
大丈夫。あの子は一人じゃない。
ちゃんと人を頼れるから。
前止めてくれた時もそうだった。
大丈夫…!
自分に言い聞かせてデミスの力を高めていく。
遠藤は思わず目を腕で庇う。
閃光が駆け巡った。
光が収束して美空の姿があらわになる。
頭上には白い複数の輪が組み入った天使の輪っかのようなものが出現する。
その中心には黒い球体。
服装は白いドレスへ姿を変えていく。
背丈は少し高くなり髪も長くなった。
銀髪がまぶしく太陽の光を反射させる。
胸元の青い光の列がドレスの上からでもわかるくらいに輝いていた。




