四十話 神格の脅威
それからというもの時雨は頑張ってリハビリを行い、復帰できるようになった。
最後の健康診断の時直葉さんがふと零す。
「腕、ほんっっっとにゆっくりだけど再生してきてる?」
時雨はえっ?と声を上げた。
直葉さんによるとわずかに失ったばかりの時と今の腕の長さが違うらしい。
当時の写真も含めて比較させてもらったが確かに戻りかけているような感じだった。
比較の写真がなければ全く気が付かなかっただろう。
「今、君の中には再生に関係する因子がない。何か別の要因があるのかな…?」
直葉さんは考え込んだまま。
時雨は呆然と彼女の横顔を見ていたが、やがてなんだか嬉しくなった。
腕が治るかもしれない。
そう思うとわくわくするようなそんな気がした。
「そっか…」
時雨は自然とにやけてしまう。
でもゆっくりということだからしばらくは義手に頼ることになる。
前のは壊れてしまったから新しいのを新調してもらわねばなるまい。
時雨は病院から出て大きく外の空気を吸った。
(心地いい)
なんだか久々に空を直に見た気がする。
今回は負傷具合が大きくて長い期間の治療になってしまったから余計にそう感じるんだろう。
晴斗はもうしばらくの間療養が必要となるそうだ。
もともと生きてる方がおかしいレベルだったから仕方あるまい。
「俺も早く動きたいぞぉ」
困った顔をして愚痴っていた晴斗の顔が思い浮かぶ。
思わず笑ってしまった。
街はすぐに復帰している。
京の住人のほとんどは何かしらの能力を抱えており、防人以外でも多くの職業でも活用されているおかげだ。
土木系や生成系などの能力によりはるかに早いスピードで復興できる。
「もうほとんど直ってる…」
街の中を歩いていると時雨に声がかけられる。
「時雨。体調の方は大丈夫か?」
あまねさんだ。
影との戦い以来に会う。
彼女は比較的軽症で済んだらしく多少包帯は巻いているが元気そうにしている。
鬼道を庇って多く余波を浴びた教官はまだ療養中だと聞いた。
幹部ともなると自己回復力も高いから大怪我をしても数日で復帰してしまうが、今回ばかりはそうもいかないらしい。
「はい。もうだいぶよくなりました。」
時雨は答えた。
「時雨。君に呼び出しがかかっている。これから甲鄰館に行くぞ」
あまねさんは言った。
どうやら時雨にそれを伝えに来てくれたらしい。
にしても幹部が自ら動くだなんて普通ならありえない。
もしかして、と思って時雨は尋ねてみる。
「あまねさんも呼ばれたんですか?」
「立会人としてね。なんでも今回会うやつは財団の人間だからな。一度その姿を見たが多分害はない。でも一応。」
なるほどと時雨は納得する。
多分晴斗が行っていた人だろう。
「ほかに呼ばれている人はいますか?」
「君と、美空だけだ」
「!!」
時雨はなんとなく話の内容を理解する。
多分自分と美空ってことはアビスとデミスに関する話だ。
「行きましょう。」
妙に真剣な顔になった時雨を見て少し驚いたように見えたが、あまねさんは「ああ」と返した。
――――――
甲隣庵。
それは外部の人間を招き入れた際の客室だ。
京のやや外側に位置する。
中くらいの建物だが客を迎える施設らしく中身は豪華。
京の格式高い建物が使用されている。
時雨はここに来るのは初めてだ。
どきどきしながら扉を開けて中に入る。
「うわっ!?」
たぬきの形をした陶器が出迎える。
予想外だったのでびっくりした。
気を取り直して靴を脱ぎ端っこに揃えて置く。
あまねさんも後からついてくる。
靴を見る限り美空はもう来ているようだ。
この館の3階の小さな応接間だった。
襖をそっと開けて時雨は挨拶する。
「時雨です。初めまして」
仰々しくお辞儀をした。
「ああ。そんなに緊張しなくて大丈夫だよ。」
優しい男性の声が聞こえた。
黒いスーツに身を包み、いかにも真面目そうかつ仕事ができそうな人。
その向かい側に既に美空が座っていた。
「ささ、座って座って」
美空も笑ってぽんぽんと隣の座布団を叩く。
「2人はもう…知合い…ですか?」
時雨は既に美空とお客さんの距離が初対面のそれではない事に気がついて戸惑う。
戸惑いながらも二人の顔を交互に見てお客さんと目が合ってついついぎこちない敬語になってしまった。
「うん。」
時雨の様子をほほえましく思っていたらしい美空が答えてくれる。
「そっか」
時雨はちょっと安心した。
美空が既に知り合いの相手なら安心できるというもの。
「えっと…磯垣さん…話って何ですか…?」
時雨は焦る気持ちから単刀直入に聞いた。
あまねさんと一緒にここに来る間に名前は聞いていたから、間違っていないよねと少し心配しながら。
「…時雨君、美空さん。あなたたちにデミスを倒してもらいます。」
爆弾発言だった。
「「!!」」
二人の目が見開かれる。
あまねさんでさえ驚きの様子を隠せなかった。
これが二人の若人の激動の時代の幕開け。
――――――
其の日の夜。
夜になるとりんりんと虫の音が聞こえてくるようになった。
秋頃とは違う種類の虫らしく、別にきれいな声かと言われるとそうでもない。
遠くの田んぼからはカエルの大合唱も聞こえてくる。
「お母さん…」
美空はぎゅっと枕を抱きしめてたまま寝付けずにいて、ふとそんな言葉をこぼした。
「…美空?」
同じ部屋で寝ていた時雨がふと声を掛ける。
この子も同じように寝られなかったようだ。
「…ごめん、起こしちゃった?」
美空は申し訳なさそうに謝る。
「ううん。もともと寝付けなかったの」
時雨は微笑んでみせた。
美空はその様子を見、ほんの少しだけ安心できたような気がする。
「ねぇ…ちょっとお話しない?」
美空はもじもじとしながら話をすることにした。
なんとなく時雨の声を聞いていたいと感じる。
それに誰かに自分の悩んでいることについて話したかった。
「うん」
時雨は断る気などサラサラなかった。
迷うことなく同意する。
「あのね時雨ちゃん。お母さんは…本当はいい人なの。前会った時、ずっと大事にしてくれてた。」
「うん。」
「お母さん、『神格』なんだって。」
「神格…」
時雨はその言葉を聞いて驚いた。
神格とは。
神として崇められた存在が信者の信仰力によって存在を昇華させたもの。
規模にもよるが幹部と同等かそれ以上の力をつけることもあるという。
ただ神格となって以降は信者が途絶えれば神格となった者自体も消える。
さらに信者のこころが汚れたり、害意を多分に含むようになるとその影響を受けるそうだ。
精神汚染に加え能力も邪神となっていくという。
「…ってことは…美空のお母さんは…」
「うん。天来会の信仰対象なの」
美空は吐露する。
天来会は人間の街で布教される巨大なカルト宗教の類だ。
もともとはイルミューンに関わった町の人々が彼女を信仰し始めたのが由来で別に怪しい宗教ではなかった。
でもイルミューンが地球に降り立ったのは随分と昔の話。
時の流れとともにその教えは曖昧になる。
さらにイルミューンに対する神聖思想もなくなり形骸化していった。
信者が残り少なくなった頃、カルト宗教の台木と化したのだ。
乗っ取られた。
しかもたちの悪いことに乗っ取ってきた人々は本気でイルミューンのことを神だと信仰していた。
それも歪んだ形で。
だからイルミューンも次第にその影響を受けるようになっていった。
ここ数十年で天来会は信者を増やしに増やした結果、とうとう耐えられぬほどの精神汚染を受けることとなる。
そして性格が変化してあのような暴挙に出た。
「これが…磯垣さんが言ってた事の顛末。」
「そんな…」
時雨はなんともひどい話だと思った。
本人の意志は介在していないのに。
そんな酷い目に遭わされているのかと思わざるを得なかった。
「…なんとか…ならない…んだよね。」
「…」
美空は黙り込んだまま頷く。
彼女としても母親を救いたいというのは当然だろう。
この間よくしてもらったのもあるだろうから余計に。
精神汚染をする信者の数は圧倒的に多いけれども、中にはちゃんと元の理念で信仰している人もいるんだとか。
極論精神汚染する側の信者を殺せば汚染を止められないでもない。
だがそれは信仰力の急激な低下を招き、イルミューン自体に大きな損傷を与えることでもある。
それに非人道的な行動を嫌うイルミューンは磯垣に絶対にそんなことしないでねと伝えていたそうだ。
「…じゃあ…本当に…僕たちは美空のお母さんを…殺さなくちゃいけないの…?」
「…」
美空は一層力強く枕を握りしめた。
無言が時雨の問いに対して残酷なまでの回答を示す。
時雨も黙り込んでしまった。
――――――
ほぼ同時刻。
いや、この場所に時間の概念があるかどうかは分からない。
どこまでも真っ白で何もない空間が広がっている。
そんな空間の中を駆け抜けていくのは激しいぶつかり合いだった。
空間の中で相対しているのは二人。
「君が来るのは意外でした。」
執事は穏やかに告げる。
でもその言葉の上には僅かな緊張の色が乗っていた。
「財団を抜け出したやつを放っておかないことくらい、貴様は理解していたはずだ」
淡々と告げる男。
白髪の中に少しメッシュ状に黒の混ざったパーマ。
瞳は遠目から見れば白目と混同してしまうくらいの淡い白色。
その背丈は高く鍛えられた体が目立つ。
灰色のコートを身にまとうこの男は財団の幹部の中でも上位に位置する。
財団の2位。
彼は仲間から空白と呼ばれる。
「本当は?」
執事は問う。
空白はちっ、と舌打ちをして彼を睨みつけた。
「相変わらずいけすかんやつだ。」
「…それはお互い様でしょう。」
執事は返す。
「貴様の企みが私にとって…いやあの人にとって邪魔だ。だから貴様を消しに来た。」
空白は手のひらを向ける。
すると彼の背後から真っ白な剣と真っ黒な剣が相当な数姿を現す。
「…やはりあなたは月行の人員だったのですね。」
執事は構えた。
月行。
それは15年前の災厄の元凶だ。
既にその者は命を落としている。
それでも尚今に至るまで大きな影響を残している最悪の男だ。
「フン…その口ぶりからしてある程度見当はついていたようだな」
無数の剣が執事に襲いかかる。
対して執事はシールドを張って迎え撃つ。
剣はシールドに吸収されて行くが、やがてひび割れを起こす。
執事は目を細めてシールドに吸収させたエネルギーを解き放った。
周囲を波のように襲う衝撃波。
空白も防御姿勢に入らずを得ない。
「貴様がホシ様の側近であることは分かっている。どうせ貴様は勝手にいろいろと手を回しているんだろう。」
防ぎきった空白は問いかけた。
今度はひときわ大きな剣を手に取り、構える。
執事はただ拳を前にして構えた。
彼の質問には沈黙で返す。
(彼に内容を知られるわけには行かない。何としてでもこの場を切り抜ける。)
執事は決意していた。
ホシ様の願いを叶えるべく如何なる困難であろうと打ち砕いてみせると。
(敬愛するあの人を、これ以上苦しませはしない…!)
つぅ、と汗が頬を伝う。
相手は財団の中でも加賀に次ぐ実力者。
執事も幹部相当の実力はあれど彼相手に確実に生き残れるというわけではなかった。
(いいや。違う。生き残れないかもしれないなどということではない。何があろうと生き残るのだ。)
——
(嗚呼、嫌だ。その目が嫌だ。)
執事の様子を見て空白は心の中で悪態をつく。
こいつは敵だ。
邪魔でしかない。
ホシ様が正気を失った今ようやくこいつを成敗できるというものだ。
((終わりにしよう。))
両者の思いが偶然にも重なり命を削り合う戦いが幕を開ける。
それは外の時間であれば夜が明けるには十分な時間であったし、この空間でなければ甚大な被害を生み出したであろう大激突だった。
――――
「朝…?」
いつの間に寝てしまっていたのだろう。
美空は目をこすって身を起こす。
昨日の晩は寝付けなくて時雨と少しの間お話した。
時雨は既に何処かへ出かけたみたいで空の布団だけが並んでいる。
今日から特訓の日だった。
デミスを倒すための。
複雑な気持ちを抱えたまま支度をして家を開ける。
道場に着いたらボロボロの執事の姿があった。
「えっ!? だ、大丈夫ですか?!」
美空は予想外の事態に驚きを隠せず慌てて近づいて問い質す。
「…問題ないさ。財団を抜け出した以上悶着くらいある。」
(本当に、これだけで済んでよかった)
執事はぐっと噛みしめるようにしている。
美空もその様子を見てどう言うべきか分からなくなった。
少なくとも彼にとって大きなことが自分の知らない間に起こっていたのだろうということは察した。
「訓練…できるんですか…?」
執事は既にボロボロである。
腕からも額からも血を流している。
こんな状態でできるのか?
やって大丈夫なのか?
「当然です。無理なら先に病院にお世話になってますよ」
執事は乾いた笑いをしてすっと立ち上がった。
美空は先に時雨が来ているものと思っていたがここに時雨の姿はない。
「時雨は…?」
「彼はまた後です。今頃瀬戸香さんと組手をしていることでしょう。」
あ、そっか。
美空は納得した。
アビスとデミスがすぐ近くで鍛えるとなれば何が起こるかわかったものじゃない。
執事が心配したのはアビスの暴走だろう。
何かあってからでは遅い。
イルミューンを想定して模擬戦をするにしてもまだ早いということだろう。
執事はそこまで考えているということだ。
「では…お願いします」
美空はまっすぐ執事の方を見て答える。
「ええ。始めましょう」
2人用には広すぎるくらいの道場が揺らいだ。
――――
まだ夜が明けてそこまで時間は経ってないはずなのに既に蒸し暑いくらいだった。
道場の扉や壁の格子付きの窓から吹き込んでくる風が心地よい。
「時雨ちゃん久しぶりだね!」
瀬戸香は嬉しそうに声をかける。
「うん。」
時雨も準備運動をする傍ら答える。
特に時雨が同期とは違う行動ばかりしているので会う機会がほとんどなかったのだ。
それこそ彼女と会うのは霙が初めて自邸に来た時以来といってもいいだろう。
瀬戸香は既に準備ができているようだ。
準備運動をするでもなくじっと目をつぶって瞑想してるみたい。
「じゃあ、よろしく」
時雨は襲を起動して構えを取る。
「うん。負けないからね。」
瀬戸香も目を開けて不敵に笑う。
今日は二人が模擬戦をすることになっていた。
「はあっ!」
先制したのは時雨。
道場の床をドンと蹴る音が響いて瀬戸香に突撃する。
瀬戸香も時雨の動きに即座に反応し拳を構えた。
お互いに別々に鍛え上げた成果同士がぶつかり合う。




