四話 夜の学校
前回のキリギリス怪人の討伐から約一週間。
三日月がぼんやり見える朧月夜は冷え込んでおりまだまだ肌寒い。
…こんな日に時雨と美空は京の外の町のある学校の校舎の中にいる。
ひゅうっ…
冷たい風が相変わらず吹いている。
なんで二人はこんなところに夜中に来ているのか。
事の経緯はこうだ。
数日前、「怪奇現象の起こる学校の校舎を調査してほしい」という依頼が舞い込んだのだ。
依頼の要因となった出来事は18時以降の学校にいるはずのない人影が現れる事、いきなり誰かが学校の敷地内でワープする、ということだった。
『えっ!?私ですか?!』
この依頼に対して、美空に白羽の矢が立った。
美空の持つ能力がこの任務に適しているからである。
白
彼女は絵に描いたものを具現化して召喚することができる。
召喚物は視界などの情報を彼女自身と共有することも可能であり、今回の謎を追うのに効率がいいのだ。
が、当然これには制限が存在する。
召喚物の美空から離れることができる範囲が15mくらいなのだ。
つまり、敷地内に入らず召喚物にだけ調べさせるということは現状できないわけである。
『え…えっと…つまり…』
美空は血の気を失った顔で整理する。
彼女はお化けみたいな得体のしれない類が大の苦手なのだ。
彼女自身も嫌には嫌だが報酬が「庭用の高級な置き石」であるがゆえに断れない。
庭園に置く岩といえば安くても一個でウン万もする代物であるため、普通に購入するよりも今回の報酬で入手するのが近道であるわけだった。
上層部も多分狙って報酬に入れたのだろう。
『せめて一緒に誰か来てもらえないと…!』
そして美空は時雨も道連れにしたわけである。
『ご、ごめん美空…別の予定があるから…』
同期の女の子たちは気まずそうに断っていた。
理由の中には怖いというのもあっただろう。
「…夜の学校ってこんな感じ…なのね」
時雨は、夜の学校がどんなものかを知らなかった。
だから校門の前に立って少しずつ感じ始めた恐怖心がきっかけとなって、今更ながら自分の選択の何が間違っていたのか頭の中でぐるぐる考え始める。
「時雨ちゃん、そ、側にいてね…」
ぎゅっと、美空は時雨の腕を掴んで離さない。
時雨はコクコクと頷く。
うっすらとぼやけて見える朧月が今までに感じたことがないくらい不気味に見えて仕方がない。
彼女があらかじめ描いておいた召喚物は、蝙蝠 狐 ネズミ ヤモリ カナブンの五種類だ。
出来れば早めに終わってほしいと願う。
二人して顔に血の気を失った白い顔をしながら校門をくぐり、ウワサの校舎に向かっていく。
ところどころアスファルトで舗装され、月の光で妙に黒光りしている道を通って、東側の校舎にたどり着く。
(今のところ…異常はないはず)
美空は恐る恐る周囲を見ながら分析する。召喚物も何かをつかんだ感じではない。
時雨にとっては自分の役回りがただ美空の近くにるだけな分負担が重くないことがせめてもの救いだが、基本的に役割をほぼ受け持っている美空が真っ青になってるのが気の毒でならない。
(美空の顔色がすごく悪い…本当に大丈夫かな…)
時雨は美空が心配でならなかった。
一層美空が時雨を強く掴むようになっていることからも美空の負担の大きさが窺える。
一番発生率が高い東側の木造校舎の玄関口から入り、古めかしい下駄箱の間を抜けて廊下に差し掛かる。
(ここからが本番…よね?)
比較的古い校舎なのだろう、古い木の匂いがすっと鼻に入ってくる。
二人から見て右側は校庭の見える窓、左側は教室。
「…っ」
相変わらず青ざめた美空が不憫でしょうがない。ずっと震えているし、今にも気絶しそうである。
「美空、いったん落ち着いて…休もう。一回休もう!」
彼女の呼吸が浅く速いことに気が付いた時雨は美空をなんとかなだめる。
近くの廊下の壁にもたれかかる形で座り、美空を落ち着かさせる。
「…!!」
美空の目が見開かれる。
数分間の会話を交えて美空の緊張が少しほぐれると同時に異変が起こった。
蝙蝠が消えたのだ。さらにその移動先で蝙蝠が超音波で認識した何かが彼女に共有されたのである。
それは人の形をした何か。蝙蝠が把握した対象との距離は約15m。
そして時雨たちと蝙蝠の間にある距離を考えれば蝙蝠との長くても30m程度と絶妙に近いのである。
方向は斜め上。おそらく上の階にいるのだろう。
「ぶくぶく…」
噂通りの現象を目の前にして恐怖のあまり泡を吹き始め、そのままがっくりと気絶してしまう美空。
「えっ!?美空!?」
時雨には召喚物からの共有がないので状況が正確にわかるわけではない。
美空が気絶してるということは異変を感知したということだろう。
時雨は彼女を支えつつ、いったん校舎の外に出るべく駆け出す。
ダンッ!
薄暗い空間を遮るような下駄箱の間を通って外へ出ようとしたとき、強く足元を蹴りつけるような音がした。
「うわっ!?」
その音に驚いて美空に肩を貸していることもあってかバランスを崩す時雨。
走っていた勢いのままにすっ転んだ二人の前に現れたのは、明らかに体躯の大きいネズミ。
『…チュウ』
背が高い生き物ではないので見上げることはない。ただし大型犬に匹敵する大きさ故、異様な光景であることには変わりない。
「これは…異獣!?なんでこんなところに?!」
時雨にとって初めての「異獣」。
性質は怪人と同じ。怪人との違いは人の形をしていないこと。
動物の体そのままに大きく、そして変質した彼らは戦い方が異なる。
(他のネズミは…いない…)
体が大きくなったために群れる習性はなくなったのか、たった一匹であることは幸いといえた。
仮にネズミたちが大群で来ればまず二人とも骨になることだろう。
『ちー』
暗闇の中で光るネズミの爛爛として紅い目は、時雨たちを大きさの十分な餌として捉えたようだ。
直後、ネズミが襲い掛かってくる。
ザッ!
外敵を捕らえて捕食するような生物ではないネズミの狩りの動きを予想できなかった時雨は、意識が曖昧な美空を庇うように身をひねって攻撃をかわそうとする。
ガリガリッ!
体躯の割には小さい、しかし爪単体で見ればかなり大きい爪に引っかかれた。
戦闘用の軽装甲冑の表面を激しく削る音に冷や汗を流す。
(生身で受ければ大けがは免れない!)
一旦態勢を整えたいが、背中を向けるのは悪手だと背筋が警告していた。
第一美空を抱えたまま逃げるのは無理だろう。おそらくは全力疾走したところで相手のほうが速い。
(やるしかない!)
ゆっくりと後ずさりして美空を自分の背後の壁に寄りかからせた後、腹をくくってネズミに向かって構える時雨。
玄関の上の方にある小さな窓から、朧越しの月明かりが水を照らす。
(…!状況は良くない。)
正面衝突は避けたい。
だが自分が避ければ美空に危害が及ぶ状況が、選択肢を狭くする。
ざり。
靴の裏で、僅かな土が音を立てる。
時雨が選んだのは防御姿勢。
両方の小太刀を前に構え、前方からの力に耐えるべく脚の位置を前後に少しずらす。
ヴヴン、と低い音が鳴って水が展開する。
水流操作で刀身を展開して円い障壁を作った。
記憶を失う前から持っている二振りの小太刀は、水流操作に水そのものを生成する効果はないにも関わらず刀身を自在に伸ばすことができる。
(狙うは攻撃後の隙へのカウンター!)
『…?』
ネズミも得体のしれない刀の挙動を警戒してか、すぐには攻撃してこない。
夜の湿っぽくて冷たい風が凪いだ。
刹那、意を決したネズミが突進してくる。
ドドン!
通常に比べ何倍にも増した質量と運動エネルギーの暴力が時雨を襲う。
(重っ…!?)
下駄箱がある玄関のコンクリートの床に散らばった砂が、押し戻される靴の裏と擦れてざりざりと音を立てる。
牙も爪もこちらへは届かない。
だが、力負けしている以上このままでは校舎の壁と板挟みになるのは明確だった。
(壁が…無理なら…!)
水流の精密な操作で、真っ向から対抗する壁ではなく横へ受け流す皿へと形を変えた。
バシャ…
変形に意識を向けすぎて強度が落ちたのだろう、水で作られた障壁が一部乱れて水に戻っていく。
『ぢっ!!』
相手の防御を破るべくその皿の崩れた部分に力を集中させるネズミ。
(今!!)
時雨はその瞬間を逃さず一気に角度をずらす。
ドシイィン!!!
いきなり力を横に流されたネズミは勢いそのまま時雨たちの右斜め後ろの下駄箱に大きい音を立てて激突した。
ぼとぼと…
幸い後ろが壁であったため重々しい金属製の下駄箱が倒れることはなかったが、数回ぐらぐらと大きく揺れ、いくつかの上履きが飛び出してくる。
申し訳ないと思いつつ、一度動きの止まったネズミに跳躍する時雨。
空中で身をひねり、体重を乗せた両手の小太刀を同時に振り下ろす。
「はああっ!!」
渾身の一撃。
バチィン!!
盛大な音が鳴る。
斬れない。
ネズミが硬いのか、時雨の力量が悪いのか分からないがここで勝負が決まらなかった。
(嘘!)
ちゃんとダメージは通っていたようで、痛みに悶絶するネズミ。
『チューッ!!ヂューッ!!』
しかしその痛みゆえに暴れ出したネズミの尾に、時雨は弾き飛ばされてしまう。
ドンッ!
重い衝撃を受けて軽々と宙を舞い、空中で抵抗もできず吹っ飛ばされた時雨は向かい側の壁に激突する。
「がはっ…!?げほっ!?」
背中に強い衝撃が走り、息ができなくなる。肺の中の空気が強引に押し出された影響で後から一気にせき込んだ。
(やばい…!)
酸素が不足してもやがかかるように悪くなる視界の中で何とか捉えたネズミは、今にもこちらへ反撃せんとする剣幕だった。
このままではまずいとは分かっても、手足が思うように動かない。
『『『『キュゥーン!!!』』』』
そこへ、美空の召喚物たちが駆けつけてくる。
美空が意識を取り戻したのだ。
『ヂュ!?』
突如邪魔しに来た召喚物たちに意識が向いたネズミは、そちらに攻撃を仕掛ける。
カナブン型が辺りをブンブンと飛び、ネズミ型が尾をかじり、狐型が抑え込むように襲い掛かる。
ヤモリは背中にひっついている。
ダダン!ドン!
召喚物の総攻撃を受けながらもネズミはうっとおしいとばかりに暴れまわった。
「時雨ちゃん!」
その傍らで美空は素早く時雨を抱えて召喚物「飛翔靴」を呼び出して猛スピードで校舎外へ飛びだした。
その名の通り空を駆ける靴の効力でさらに高く飛翔し、近くにあった自転車小屋の屋根の上に避難して、ようやく落ち着くことができた。
「ごめん、時雨ちゃん…」
「美空が謝ることじゃないよ」
時雨はまだ息の粗さを隠せずにいながらも、申し訳なさそうに謝る美空をなだめて、ひとまずどうすべきかを話し合う。
こちらが助けられたことに関してはいったん置いておくことにする。ネズミが来るまで余裕があるわけじゃない。
「「ネズミは討伐するよ」」
ハモったことに2人は驚いた顔をして、そのあとにっと2人で笑う。
あんなのが学校に入り浸れば犠牲者がでかねないだろう。
京の外側にいる人間は霊力がない上に体が強くないとも聞く。
(ちょっと安心した…)
お化けが関わらなければいつも通り頼もしい様子の美空にほっとしている時雨は、ふと空に視線をやる。
夜空を覆っていた朧雲はいつの間にかきれいさっぱりいなくなって、半月に少し満たないような月が光っていた。
「…そろそろおろしてくれない?」
美空はごめん、と言って時雨をお姫様抱っこ状態からおろしてくれた。
ちょっと心音が早くなってるのは緊張のせいだ。多分。
…召喚物の反応が消える。ネズミがすべて倒したのだろう。
主に探索用だったとはいえ十分すぎるほどに時間を稼いでくれたくれたのは見事としか言えない。
ネズミも時雨たちの匂いをたどり、校舎の外へ出てくる。
(もう出てきた…)
鼻をひくひくさせながら辺りを見回す巨大なネズミを見て、至近距離とはまた違った大きさを感じる。
やっぱり怖いと思ってしまう時雨をよそに美空はネズミに狙いを定め、指先から光線を放つ。
ビュンッ!!
寸分違わず放たれた光線は一直線にネズミの体を穿つ。
急所をついたのだろう、藻掻く間もなくネズミは動かなくなった。
「ていっ!」
美空は遠くから空のかるたを投げて、ネズミに命中させる。
ネズミはかるたの中に吸い込まれていった。
(えっ!??)
時雨はそれを目の当たりにして目を丸くする。
自分が苦戦していた相手を瞬時に屠ったことが、何よりも二人の実力差を物語っていた。
時雨が接近戦だが決め手に欠ける攻撃手段であること、そして美空が遠距離から高火力を放つ点で同じ土俵というわけではないが、時雨は自分の非力さを改めて痛感させられる。
(うそん…)
ちょっと苦々しい思いをする時雨に、美空は振り向いてにっと笑う。
微妙な気持ちを悟られまいと。
ーー悟られたら美空はすごく気を遣うだろうからーー
こちらも微笑み返す。
少なくともネズミの一件は終わったが、本来の任務である異常の確認が終わっていない。
「美空、任務の続きに戻ろうか」
自転車小屋の屋根から軽い音を立ててアスファルトに飛び降りる。
振り返って手を差し伸べようとした時雨の指先が空中で凍りついた。
そこには、誰もいなかった。
さっきまで隣にいたはずの少女の体温も風に流されてしまったかのように跡形もなく消えている。
「……美空?」
当然返事はない。
湿った夜風がヒュウと喉を鳴らし、時雨の細い肩を通り抜けていくだけだった。
頭上の月は再び厚い雲の向こうへと隠れていく。
次回はとうとう物語の核心に迫る回になります。ぜひお楽しみに。




