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三十話

 比較的小さな工房だった。


 それこそ10人が作業するにはスペースが足りないんじゃないかってくらい。

 高い天井からは縦長のLEDが垂れ下がってきている。


 同時に入口の斜め上と窓の近くにはハエトリ紙がぶら下がっていた。

 何気にハエトリ紙は初めて見たから驚いた。

 見た目は平たくて太い輪ゴムをねじってそのまま固めた感じ。


 

 コンクリートの床に無骨な分厚い木の板でできたテーブル。


 奥の棚の方にはたくさんの箱や過去の作品であろうものたちが置いてあった。

 昔ながらの蛇口。少しずつ錆び始めている排水溝と水受け。


 ところどころを見ると、歴史がありそうな建物だった。


「親方~!客人や!」


 横開きの木の扉を開けて特に人が見えないなと思っていた時雨は横の女性の大声にびっくりする。

 上の階があるらしく工房の真上から足音が聞こえてきて、階段を下りる音が聞こえ始めた。


 隣の部屋に降りてきたかと思うと、やがて入り口と同じく横にスライドするタイプの扉を開けて親方さんが入ってくる。


「珍しいな今時客人なんて」


 とぼりぼり首の後ろをかいていた。

 職人らしい初老の男性。

 白髪と黒い髪がだいたい半々くらいの短い髪と、それを少しかきあげる水色のバンダナ。


 作業着は深い青色で白いショートパンツと作業しやすそうな軽装であった。


「お邪魔します。」

 

 時雨は挨拶する。


 女性は壁際から椅子を持ってきてくれて、座ってくださいと言ってくれる。

 ありがとうと礼を言って座る。


 親方も近くにあった椅子に腰かけた。


「うちに何か用か?」

 

 親方は尋ねた。


「あ、ちょっと私が先に説明するわ」


 時雨がどこから話すべきか僅かに悩んだのを見たのだろうか割り込んできた女性は、親方に先ほどの出来事を説明する。

 あらかた聞いた親方は、あーーーと低く唸る。

 先にまず弟子を助けてくれてありがとうと礼を述べてから本題に入ってくれた。


「池か…悪いが厳密には分からん。ただ昔から山奥に行ったら不思議な人間が住んどって、池の付近に住んどるってのは言われとる…だが何十年も前の話だし、正確に場所を掴めてるわけじゃあないんだよな。一つ言えるのは本当に山の中にあるってことだけ」


 あんまり力になれずに済まんかったなと親方は言う。

 いえいえ、そんなことはと時雨は慌てる。

 歴史によると水の民が滅びたのは15年前。他の何らかの理由で移動していったのかも。

 時雨はなんとなくだが仮説を立てた。


「池探すなら山に入らないけんが…お前ひとりでいくつもりか?たしかに君は超人らしいが」

 

 心配する様子の親方。


「大丈夫です。あと…どうしてもその池を見とかなきゃいけなくて」

 

 だから行きますと時雨は語る。


 うむむ、と親方はずっと悩む。

 明確な位置がわからぬ池を探すためにかなり険しいこの山岳地帯に一人で入らせるのか…

 本当に悩ましかったらしい。


 かといって助け船を出せる人間などそうそういない。

 だが途中でふと思い出したような顔をして、「もしかしたらほんの少しだけ力になれるかもしれん」といってついておいでと工房の横の建物に案内してくれた。


 ――

 

 少しだけ埃っぽい倉庫は地下室にあった。

 こちらも木でできた棚がいっぱいに並べられている。

 その棚の中にはたくさんの陶器の作品が陳列されていた。

 店のほとんどを埋め尽くすくらいの作品は少しだけ埃をかぶって、誰かに使われるのをずっと待っているかのようだ。


 そしてそのどれもが時雨にとっては不思議だった。

 霊力もしくはまた別の力を含んでいるのを感じる。

 確実に霊力とは断言できない。


「うちの工房で作ってる『桐谷焼』だ。この付近で採れる不思議な水と地元の粘土を組み合わせて作る陶芸。今は全然水がとれんで作りょうらんけどな」

「その池とこの水は無関係だとは思えん。なにかヒントがあるかもしれんぞ」


「!多分…あります。この水は、何処で取ってましたか?」

 

 時雨はすぐに問う。

 

「今は取れないとこしか知らんけど、それでもいいなら案内するで?」

 親方は時雨の問に答えてちょっとした提案をする。


「お願いします!」

 

 時雨が頼み込むと、親方はよし分かったと言って身支度を始めるように言った。

 多分出かけたらそのまま探しに行くつもりだろ?と言われた。時雨の考えはだいたい読まれているらしい。

 もしくはまたまた顔に出ていたのだろうか。


 ――

 

 準備を終えたら工房を出て少し歩いて中心の町から少し離れた山の麓にやってきた。


 山の麓の付近は畑や田んぼが広がる田舎の姿である。

 観光地として栄えた中心街から離れればすぐに様変わりする。


 もともと桐谷という町はかなり田舎であったのだろう。

 鉄道が走る駅もバス停もちょっと遠いし、なにより便数が少ない。

 

「ここだ」

 

 田んぼの近くにあった水がわき出る場所を確認する。

 今は何の変哲もない水源だが昔はわずかに紫色を帯びたきれいな水が流れ出ていたらしい。

 ちなみに、その水はちょっと粘り気が強いそうだ。海水よりさらに少し粘り気があるくらいだと言われている。

 

「どんな感じだ?」


「うむむ…」


 この水は稲作には向かないので、それが出なくなって数年立つまではここは田んぼではなかったらしい。

 時雨はちょっと確認して特段ヒントを見つけられなかったので周囲を確認して別の場所に案内してもらうことにした。


「こっちだ」

 

 次の場所は少し山に入ったところ。

 傾斜のそこそこあって、人によって踏みならされた道。

 その幅は決して大きくはな、2人並んで歩こうと思えば片方が落っこちそうになるくらいだ。

 先頭を親方、真ん中を時雨、後ろを女性の順番で歩いていく。


(道があんまり舗装されていないけど、踏み鳴らされてはいる…)

 

 脇道には大きさがまちまちの木が立っていた。

 その根元付近には少し背の高い草がのびのびとしている。場所によっては小さな黄色い花の姿も見えた。

 

 その山道の途中にある大きな黒い岩の隙間から水が出ていたようだ。

 3つほどの凹凸の激しく人の背なんかよりもはるかにでかい岩だった。


(うわ、いかにもって感じ)

 

 ちょうど屈んだらちょうどよく注げる高さにその水源跡はあった。今度は田んぼ付近のものとは違って水すら出ていない。


 もう少し先に行けば本当に獣道か山道。

 傾斜も今までよりもさらに険しくなる。地面から露出した岩に、傾斜にたくましく生える木があるため登るのはなかなか大変だろう。

 親方からは案内できるのはここまでだと教えてもらった。


「無事に帰って来なさいね。今夜あたりにでもうちに寄っていきなさい。寝床と飯は保証したる。」

 

 案内してくれただけでなく時雨の寝床を提供してくれる親方優しさに少し感激する時雨。

 

「わざわざありがとうございます。行ってきます」


 時雨は深々と礼をして山道を登っていく。次第に崖ですか?と問いたくなるようなさらにキツイ傾斜になっていくが、なんなく時雨は登っていく。

 普通の人間なら命綱と崖に引っ掛けるような道具は欲しいくらいだ。でもスイスイと登っていって時雨は本当に小さくなってしまった。


「まあ…わしらが心配するようなもんじゃないか」


 そう呟いて、親方は弟子の女性を引き連れて工房に戻る。



 —---


「ふぅ」

 

 本当に長いこと山道を進んだ。

 軽く息を切らす程度に動いた時雨は一旦周囲の状況を確認する。


 見渡す限り本当に背の高い落葉広葉樹ばかりである。はるか上では淡い緑色の葉の集団が顔を見せている。

 照葉樹林である御影山の麓の風景とは全然違った。


 昔に倒木してかなり朽ちている木の姿があった。

 深い緑色の苔がだいぶ覆っている。


(ここは…)


 土の状態は長年かけて堆積したふかふかの腐葉土。それに交じって太い木の根が顔を出している。

 遠くにはオオルリのさえずりが聞こえる。どちらに進めばいいのかは正直なところ分からなかった。


 どちらを向いても同じように森の姿をしているから参考にならない。

 このあたりは水のせせらぎも何も聞こえぬ静寂。

 ここの周囲には水源がないようだ。


(もう少し上に行こう)

 

 もっと広い範囲を見たいので時雨は圧力を使用して上昇する。

 木の幹や枝を液状化しながら避けていくとやがて林冠に到達した。

 林冠の上に行くと視界はほとんど葉っぱばっかりなので下の様子は分からない。


 かといって下の景色を見てもほとんど変わらなかった。

 が、もう一度林冠から顔を出したときに時雨は気が付いた。


(まだ高いところがある。)

 

 もう少し上に登ってみたほうがいいかもしれないと思ってそこから飛び出して上昇していく。

 ただ液状化と水流操作だけだったら木を伝って少しずついかなきゃいけなかったところを、圧力のおかげで一気に空中を進んで山を上ることができた。

 数十メートル分上昇した辺りで葉っぱの中をかき分け、山の中に入る。


(ここならどうだ?)

 

 景色はそんなに変わらない。

 この山の標高はそんなに高くないようだ。


 もう少し登ったら山頂にたどり着きそう。

 他の山を探索したほうがいいのだろうかと思った時、たまたま右側から吹いてきた風が時雨に何かを知らせる。


「!」

 

 はっとする時雨は、風の吹いてきた方向へ歩き出す。最初はもしかしたらというくらいにしか思っていなかった。


 だが近づくとやがて確信へ変わる。

 感覚的に、なんだか懐かしい気配、それとも空気。


 少しずつ高鳴る鼓動。

 穏やかな山の中の香りに混ざり不思議な香りが鼻へ入ってくる。


「これは…!」


 果たしてその池は確かに実在した。

 透き通るような水の色だった。


 しかし特別な水ではない。時雨は感覚的にそのことを理解した。

 池の真ん中あたりや、沿岸部には様々な種類の植物が生えている。


 スイレンのように葉を水面に浮かべ、可憐な白い花を咲かせているものであったり、上に細長い葉を伸ばして紫色の花弁を伸ばすもの。

 ソーセージみたいな部分を身に着けたものもあった。


(霊力を受けているわけではない…?)


 もっと奥の方を見れば、集落跡が近くにある。


 見れば本当に長いこと使われていなかったために随分と朽ちてしまっていた。

 瓦礫がところどころ崩れているし、あまざらしになった木船はひどく痛んでしまっている。

 木材をメインに作られた建築物はそんなに京の建物とは変わらない。


(ここが…水の民の集落だったのかな…?)

 

 強いて京と比較すればもう少し簡素な家が多い。


 池の周りはほとんど草が高く茂ってしまっている。

 もはや時雨の身長よりも随分高いだろうという草ばかりだった。


 だからその草よりも背の高い建物しか見えない。

 集落の上には特段大きな木は存在しないため空が見えている。

 日が傾いてきたのだろう。曇りなのも相まって薄暗くなり始めている。


(あまり時間はないかも)


 時雨は池に近づいてよく見てみると、池ではなく湿地みたいだということに気が付いた。

 足を付けども靴の上に水面が来ない。


 3重ほどの波紋が時雨から離れていく。

 トンボが一斉に飛び立っていた。


 黒い羽を広げて優雅にスイスイと飛ぶチョウトンボ、ほんとうに細い体の黄色いイトトンボ。


 羽を斜め前に出して止まっていた真っ赤なトンボ。

 それぞれ京の外で見られる霊力を伴わない種類ばかりである。


「わわっと?!」

 

 時雨が湿地を進むと向こうの方でオタマジャクシが逃げていく。

 浅い湿地は踏むと泥が巻き上がって足跡をなぞるようにもやを広げていく。


 3メートルほど進むといきなり深くなった。

 それまであった地面がなくなってそのまま下へ落ちていく。


(油断した…)

 

「!」

 

 水の中にも人工物がたくさんあった。

 いくつかは岩や石、泥に埋もれている。


 建物や船の影には小魚がたくさん隠れていた。

 時雨の存在に気が付いて奥の方へ身を隠しに行った。


(息苦しくはない)

 

 時雨は水の中だろうと息ができた。

 それこそ昔美空に湯船で潜水して遊んでいた時だったろうか。

 水の中で呼吸してもなんら問題がないことに気が付いた。


 美空はすごく驚いていたのを思い出す。

 

 水流操作で推進力を得る。

 ゆっくりと周りを見て回る。

 

(相変わらず水がきれいだ。)

 

 深いところは日が届きにくくなるものだが十分に明るい。

 深い部分はだいたい半径13mくらいといったところでまあまあ大きかった。


 埋もれてしまっている建物のことを考えればもっと大きかったのかもしれない。

 時雨はそんなことを思いながら探索する。


『あら』

 

 声がした。


 時雨は驚いて声がした方向に振り返る。

 水に透き通る体。実体はないのだろう。

 

 女性の姿だった。

 紫色を帯びた輪郭がなんとかその存在の視認性を上げていた。

 くらげみたいな形にまとめたロングヘアに体の周囲に展開している羽衣。


「…あなたは」


雨侍 鈴音(あまじ すずね)。昔ここに住んでいた水の民よ』


『…ずっと待っていたわ。大きくなったのね。』


「…お母さん…?」


 祖父の言葉を思い出す。

 お母さんならまだ意思が残っているかもしれないって。

 やっぱりこの人が…

 

『そうよ。お母さんよ。でも私はもうこんな形でしかあなたに会えない…抱きしめてあげることもできないわ』


「…っ」


 目の前にいる母の姿は見えない。

 かすかに見えるのは輪郭と羽衣だけ。

 顔立ちすら分からなかった。


 彼女の言葉通りに実体がないのだろう。


『私はずっとあなたになにもしてあげられなかった。ねぇ…こっちに着て頂戴』


「?」

 時雨は零体に近づく。

 そっと、人差し指を時雨に向けてふわりと紫色のベールを時雨に授ける。

 ベールは時雨の体の周囲に羽衣のように展開した後やがて時雨の体内へとしみこんでいった。


「…今のは?」


『私があなたにしてあげられる最初で最期のプレゼント。時が来たら、きっとあなたの力になる。』


「…」

 息が詰まる。

 まだ会ったばかりなのに。

 たったこれだけの面識だからか、それとも別の理由があってか胸が苦しい。

 


『名前を聞かせて。本当はもっともっとたくさん話したい。でも私がいられる時間は本当に少ないの。』


「時雨だよ。」

『時雨…そう、素敵な名前をもらったのね。』


 寂しそうに母は笑った…ような気がする。

 顔は見えないけれど声がそんな感じだった。


 嬉しそうで、でもその中に確かな寂しさを内包した声。

 それに釣られてだろうか。

 少し泣きそうになって、その時にさっきもらったベールがかすかに光った。

 

『時雨…会えてうれしかったわ。』


「…!お母さん、待って」


『ごめんね時雨。もう時間が無いの。』

 

 ゆっくりと溶けるように霊体が消えていく。


『あなたにあげたさっきの水があなたの中にいる限り、時々会えるわ。今のところは…さよならよ』


「…お母さん」


 ふわりと溶けて泡となり、完全に姿を消してしまう霊。

 彼女の残した不思議な言葉を頭の中で繰り返しながら時雨はしばらくの間考え込んでいた。


 母の言葉を一言も忘れてはいけない気がして。

 何度も、帰り道の間反芻し続けた。


 ーーーー


 

「あ!帰ってきた!」

 

 里の女性が手を振ってくれている。


 もうすっかり暗くなっている空の下女性と親方が待ってくれていた。

 本当に夜になってから帰ってきたものだからずっと心配させていたのだろう。


 ごめんなさい、と時雨は謝る。

 

 親方は「いいさ。見つかったか?」


 そうと問うてくる。

 時雨は先ほどまでの話を思い返す。


「見つけました。…でも分からないことが増えました。」


 親方はそうか。と短く言って街の中を歩いていく。

 街のはずれにある工房から少し歩いたあたりでだんだんと高い建物が見え始めた。


 木造の少々古臭い建物や同じ木造の大きな建物が並んでいた。

 窓の付近にはそれはとても煌びやかな光が漏れ出ている。


(意外だ…ここだけすごい賑やかだなんて…)

 

 ここは温泉地らしく街のはずれとは違って人だかりがあった。

 街中に入ってから少し狭い通路に入っていくとまた雰囲気の違う建物が見えてくる。


 親方曰く観光地と、地元民の居住区が少しだけ離れているようだ。

 観光地に比べて明かりも乏しく閑散としている。


 その中の小さな一軒家の扉を開けた。

 昭和辺りに作られた建物だという。

 時雨は昭和がどの時代なのかは分からなかったけれど、昔なのだろうと思いをはせる。

 

 時雨は嗅ぎなれない匂いにそわそわしていた。


「今日はうちに泊まって行きな。旅館は基本開いてないしな」

 

 親方は声をかけてくれる。


 女性はぱたぱたと階段を上っていく。

 自邸に比べれば確かに小さな部屋と家だ。


 それでも安心感があった。

 その後はみんなで机を囲んでご飯を食べた。


 山の幸が目を引く料理だった。

 その場所に根付く温かみを感じながら、静かに時雨は桐谷での短く怒涛な滞在の火蓋を切った。


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