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三十一話

 山から帰ってきてみんなが寝静まった頃。


 もう深夜の時間だっただろう。

 月がやがて落ち始めたときである。


 時雨は一人だけ寝れずにいた。

 ずっと目がさえていて寝付ける様子もなかった。


 京人ゆえのスタミナの多さもあるだろう。山を登って散策したからといってそんなに消耗しない。

 だがそれ以上に時雨は母の言葉をずっと考えていた。


(ほとんど聞くことができなかった。本当にギリギリ会えたのだろう。)


 詳しくはおじぃちゃんに聞くしかあるまい。

 自分の家族がどんな人だったのか。母もほんの少しだけしか見れなかったし、父に至っては全く知らない。

 兄弟はいたのだろうか。どんな人だったんだろう。


 そして母からもらった水はなんだったのだろう。

 きっとこの地の陶器に関連する水なのだろうとは思われるが、体に入って以降は全く分からない。

 取り出すこともできないようだし使うこともできない。


 (時が来ればまた話せると母は言っていたから、まだその時ではないということなのかも)

 

 ひとまずはまた自分で頑張るべきなのかもしれないと時雨は一人思った。


 ガタガタ…と隣の部屋で音がした。


 「!」

 

 もう2人を起こしてしまったのかとは思ったが、そもそも女性は2階で親方ももう少し離れた場所で寝ているはずだった。

 ぞぞっと背筋が凍るような気がして時雨は念のため襲を起動して臨戦態勢に入っておく。


 そっと音を立てないように襖を開けて隣の部屋の様子を見る。

 明かり一つないが京人の視力ならある程度見える。


 部屋を左から右へ見渡していく。

 畳の床に、木の小さなテーブル押し入れを仕切る襖。


 真正面にある窓は特に割れているわけでもない。


「うわっ!?」

 

 一通り部屋の中を確認したあと時雨はふと天井を見てぎょっとする。

 はりついているのは大きな黒いクモ。


 その大きさは足の端から端までで1mほど。

 明らかに霊力の影響を受けた巨大グモである。


 影響を受ける前はどうやらハエトリグモだったらしく巣を形成しているわけではない。

 そしてクモは天井から飛び降りてくる。


「ふんっ!?」

 

 液状化して時雨は即座に退避する。

 一度距離をとった。


 与えられている部屋は狭所。

 体格の大きなクモはいるだけで部屋のスペースを埋めてしまっている。


 退避できる場所が少ないが時雨なら特段問題はない。

 それにしてもと時雨は考える。


 ここは怪人が異様に多い。他の地域ならもっと少ないだろう。

 恐らくは枯渇気味であるとはいえ特殊な水が関係しているといったところか。


 昔水が枯渇していなかった頃はもっと怪人が多かったのかもしれない。

 もしそうなら京人との関連もいくらかあっただろう。


(そういえば女性も親方も能力の使用について特段言及していなかったし、困惑していなかった。)

 

 この里には京人の存在がある程度知られていると見て間違いない。

 池に生息していたトンボもオタマジャクシも霊力の影響を受けていなかったのは不思議だが、それにはまた別の理由があるのだろうと思う。


 ハエトリグモはしばらくキョトキョト顔を傾けて時雨の様子を探っていた。

 奇襲攻撃が通じなかったからだろうか。



 このでかい蜘蛛を野放しにするのは危険であるのは間違いない。

 普通に人くらい食べてしまいそうだ。


 時雨は静かに刀を構える。

 紫がかった髪を揺らし、ふっと姿を消す。


「ふっ!」

 

 蜘蛛の本体へ強烈な一太刀を浴びせる。

 痛みに悶絶して暴れ出すよりも早く返す力で水平斬りを見舞う。


(等級が高いやつじゃなくてよかった…!)

 

 蜘蛛はそのまま動かなくなった。

 かるたを突き刺して吸収させる。


 足音も起きないように圧力で推進力を得て、壁にぶつからないように鋭い連撃を繰り出すのは正直賭けだった。

 操作にそんなに慣れていないものだからたまたまうまくいっただけ。


 手汗がにじむ左手で襲を起動し、義手と刀を収納する。

 そして時雨は与えられた部屋に戻って再び布団に入った。


 その後はぐっすり眠れた。


 ――――

 

 小鳥の鳴き声で目を覚ました。

 日が昇っていない頃でも鳥は起きているらしい。

 早寝早起きがデフォルトなのだとか。


 種類によっては夜にも鳴く鳥もいるらしい。

 知らずに聞いたら不思議な気持ちになりそうだ。

 

 午前5時頃だった。


 もぞもぞと起き上がろうとしてまだ周りが寝ていたら迷惑になるかと考えて耳を澄ます。

 隣の部屋の方で既に話し声がしていた。職人だということもあって朝が早いのだろう。


(大丈夫そうだ)

 

 時雨はそっと布団から起き上がって部屋から出る。

 台所の方で軽く朝食を作っていた親方が時雨に気がついておはようと声をかけてくれる。


 時雨はおはようございます、と挨拶を返す。


 親方の手元を見ていると見慣れた光景が目に入って来た。

 汁椀にかやくを入れてお湯を注ぐ。

 油揚げみたいなかやくの中には具が入っていてたちまちほぐれて全体に広がっていった。


(これ京の外にもあるんだ…!)

 

 簡単ではあるけれど、いくらご飯と味噌汁をみんなで食べた。

 親方にこれからどうするのかと聞かれて時雨は一度帰ると答えた。


 今度はおじいちゃんに教えてもらうことがある。

 山荘に帰る準備をしなければなるまい。


 そうかと言って親方は味噌汁を飲み干した。

 いつ頃出るかは、正直まだ決めていない。

 早いほうがいいのだろうが、なんだかこの町にもう少しだけいたほうがいい。そんな気がした。


 昨晩の蜘蛛みたいな例もあるしこの間女性が怪人に襲われたばかりだ。


 相変わらずの曇天。

 鈍色の空を遮るように他の家が立ち並んでいる。


 時雨はごちそうさまでした、と完食した朝ごはんの容器を流しに持っていって自分で洗った。

 ほう、と親方は感心したように声を漏らした。


「大体お昼前には出ようかなと思ってます」

 

 時雨は皿を吹いている途中に振り返って、親方に今後の予定を伝える。


 親方はそうか。と短く言ってそのまま悩んだ様子を見せた後「気ぃつけてな」と言ってくれた。

 ここの人たちも暖かい。

 居心地の良さを感じる時雨は思わず微笑む。


「でも…お世話になったので何もせずに帰るのも何なので…少しお手伝いできることありませんか?」

 

 時雨は少しはにかみながら質問する。

 すると女性がひょっこり廊下から顔を見せてきて、あ、じゃあお願いしようかなと手を挙げて答える。


 時雨は喜んで、と返事をしてこっちこっちと手を招く女性の後へついていく。

 こげ茶色の髪がきれいだった。

 小さな窓から差し込む雲越しの大人しい朝日に照らされてその艶を輝かせている。


 そのまま町の中へ出て倉庫の付近へ戻ってくる。

 怪人の襲撃の痕跡が残ったまんまの倉庫はなんだか物寂しそうな雰囲気を醸し出していた。


 少し傾いた壁。

 目視ではわかりにくくとも開きにくくなった扉がそれを物語っていた。

 倉庫の奥の方にしまい込んであった陶器を女性は持ってくる。


 結構な重さがありそうなのに、よっこいせという声とともにひょいと上げてしまった。

 時雨はそれを見てすごいと感じた。


 人間の生身はもう少し弱いイメージがあったが、筋トレをすることでかなり変わるのだろうと見えた。

 女性が持ってきた陶器は前運んだものと同じくらいの大きさで抱えなきゃ運べなさそうだった。

 

 おそらくこれは甕だろうかと時雨がまじまじと見ていると、女性は割れないように分厚い青い布でぐるぐる巻きにした。


「これを運びたいんだけど、私のことを守ってくれない?一部の陶器は怪人に狙われてしまうの。」

 

 神妙な顔で女性は頼み込んでくる。

 断る理由などない時雨はうなずく。


 もし今すぐに急襲されても大丈夫なように襲を起動して義手と刀を取り出しておく。

 準備OKです、と合図を送ると女性は小走りで自宅付近まで移動を開始する。


 両手がふさがっている女性の代わりに時雨が扉を閉めて鍵をかける。

 その間も怪人の気配を探った。


 周囲に今のところ気配はない。

 すぐに女性のそばまで駆け寄って引き続き周囲を警戒する。

 

 少しだけ坂になった車一つ分の道路のわきを通り、幅の広い用水路の上にかけられた橋の上を通る。


 水中の生物の様子にも異常はなし。

 怪人の姿もなければ水辺の生物がおびえている様子もない。


 基本的にそこらの野生動物の方が周りの環境の変化には敏感である。

 空も異常なし。

 いつも通りの曇天だ。


(なのにこんなに不気味だと感じるのはなんで…?)

 

 梅雨時だから仕方のないことなのだろうけども、ここ最近はなかなか晴れているところを見たことがない。

 かといって雨がずっと降っているわけでもないのが不思議だった。


 少しずつ息を切らし始めた女性は一度地面に陶器を置いて息を整える。

 流石にずっと持ったまま移動するのは難しいのだろう。


 腕の筋肉も少しずつ疲れてくるはずだ。

 時雨は女性が休んでいるのを見たあと引き続き周囲を警戒する。


 前は怪人が数体群がっていたので相当陶器が怪人を呼んでしまうものだと思っていた。

 しかし今ばかりは怪人が出てこない。


 時雨が来た時に本当にたまたま襲われていただけなのだろうか?

 そんなに誘引しないのだろうか。


 いろいろと思考を巡らせる。

 

 ――――


 ()()()()()()()()()

《・》 

 なんとなくでしかない。


 しかし確実な脅威が首をもたげて二人を睥睨しているような、そんな気がした。

 時雨の肌は鳥肌が立って周囲がどうにも気になる。


「…」

 

 トンボや周囲の生き物は相変わらずゆったりしている。

 気のせいだとは思いたい。


 上空を暗い雲が流れて生暖かい空気が二人を撫でる。


 その時だった。

 何もないはずの地面からゆらりと3体の真っ黒な()が姿を現した。


 ゆらりと立ち上がる影はゆらゆらと横に揺れながら立ち上がる。

 おおよそ人間と変わらぬ形。影だけなら人間と間違えてしまいそうだ。


 しかし大きさは人間よりもやや小ぶり。150cm前半といったくらいで時雨よりわずかに小さい。


 影は急に勢いよく首らしいものをもたげて顔のような部分に赤い光を浮かべる。

 3つの赤い逆三角形の形に並ぶ光は、まるで目のようであった。


「っ!!」

 

 目が合った瞬間にぞっとするような不気味さ。

 なんとも得体のしれないものであるという感じが怖い。

 初めて見るタイプの脅威。


「逃げて!」

 

 時雨は即座に女性を逃がすべく走らせる。

 時雨も女性を守るように移動を開始した。


 影は3体同時に追いかけてくる。

 影のうち一体は腕を伸ばすようにして攻撃してくる。


 先端は鋭い爪のようになっているため当たったら危険。

 刀で弾き返そうとするも、刀をすり抜けた。


「!?」


 不意を突かれた時雨は液状化するのも間に合わず左の鎖骨から右の鎖骨にかけて切り裂かれる。

 血が噴き出すと同時に予想以上に深く攻撃されたことで時雨は動揺する。

 

「!?時雨さ…」

 

 様子を見かねて女性は青ざめた顔で時雨を心配するが、時雨はすぐに「いいから!走って!」と叫び返す。

 言葉を飲み込んだ女性は再び走り出す。


 「…今度の狙いは僕なんだね」

 

 時雨は低く構えながら影三体を威嚇する。


 先ほど腕を伸ばして攻撃してきた影は時雨を狙って攻撃していた。

 さらに3体とも時雨の前でとどまり女性を追いかけていないことから見ても明らか。


 ふっ、と時雨は息を吐いて、大きく吸い込む。

 

 (落ち着け。)


 自分自身に無理やり言い聞かせる。

 これまでに戦ったどの相手よりも強いかと言われればそうではない。

 ただどの相手よりも不気味だった。


 得体のしれない存在。

 怪人でもなければアビスでもなく、人でもなければ星でもない。

 なんの目的で自分が狙われているのかははっきりとはしない。


 だが一つだけはっきり言えることはまだ自分が狙いでよかったということだ。

 女性を守りながら相手をするとなると何かしら失うことになっていただろう。


「手加減なしだ」

 

 時雨は狐面を取り出して被る。

 紫に染まる髪。


 出し惜しみはなしだ。

 得体の知れない奴ほど全力で対処したほうがいい。


 影に向かって時雨は攻撃を仕掛ける。

 狙いをつけた影はおじけづく様子もなく即座に迎撃してきた。


(速い…かつ変則的!)

 動きは左右にぶれて見える。

 しかし俊敏な動きだからこそその見え方が罠になるといった感じ。


 視覚に頼りすぎると不意を突かれるタイプ。

 

 そんなのは後から思い返しての分析。

 時雨は影の胴体を切断するも、時雨もまた傷を負う。

 腕に切り傷を負うことになった。


 

 まだ表面を切られただけで済んだ。

 圧力まで使った完全に手加減なしの状態にもかかわらず普通に相手の攻撃が届いた。

 保険として回避の方に動きやすい行動にしていたのが功を奏したと言えよう。


 時雨は空中で姿勢をひるがえし、即座にアスファルトを蹴って次の影に狙いを定める。

 影はいきなり地面に消えた。


「!」


 時雨は慌てて急停止し辺りを確認する。

 不意打ちで来た別の影からの攻撃が今度は時雨の胸から腹にかけてを切り裂いた。

 血が飛び散る。


「あぐっ!?」

 

 歯を食いしばりながら時雨はさらに体を反転させて攻撃してきた影の腕を両断した。

 影に隙ができるが、また別の潜ってきた影が割り込んできてそれ以上に攻撃を加えられない。


 姿勢を咄嗟に低くして攻撃をかわすも先ほど胴体を分断したはずの影が時雨の足を捕まえた。


 ぐらりと後ろに急に引っ張られて体勢を崩す時雨を2体の影が攻撃する。

 とっさに液状化していなそうとしたが、関係ないとばかりに爪が時雨をえぐる。


「ぎっ!?」


 液状化から戻って明らかになる傷口。

 腹から右足にかけて複雑な模様を描く傷跡ができていた。


 さらに間隔を置かず影は3体同時に攻撃を仕掛けてくる。

 休ませてくれるつもりはないらしい。

 絶妙にタイミングが違う影の動きをいなし続けるのは不可能だった。


 鋭い斬撃に、重い打撃。

 影は変幻自在に体の構成を変えているようでなかなか戦術を把握できない。


 義手が悲鳴を上げ、腹からは血があふれ出し、足の力が抜ける。

 そして打撃を受けた顔面は狐面によってなんとか軽傷で済んだ。


 ボロ…と狐面の一部が崩れる。

 時雨の黄金色の左目があらわになる。


 「…!」

 

 時雨は焦る。大事にしてくれと言われたばかりの狐面が、壊れた。

 泣きそうな目で狐面を見る時雨に容赦なく時雨に襲い掛かる影。


 悲しむ間をも与えてはくれなかい。


 「うわああああああああっ!!!」

 


 時雨は直後に叫ぶ。

 それが悲しみだったのか怒りだったのかは分からない。


 ただ雨が降り始めた閑散とした街の道路で深淵の怪物が咆哮を上げる。

 青い稲妻と衝撃が走り周囲を吹き飛ばした。


 その咆哮に呼応するように山の中から何か巨大なものが動き出す。



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