二十三話
翌朝。
「ん…」
隣からの苦情を除けば何事もなく美空は朝を迎えた。
昨日知り合ったばかりの男2人はまだ寝ている。
梅雨時の薄暗い雲のせいで分かりにくいが、ここ最近は日照時間がどんどん伸びている。
六時前にはすでに明るくなり始めていた。
美空は自分用に与えられた小さな部屋に布団をしいて寝ていたところ、急な激しい雨音で目を覚ました。
「ここにいても大丈夫なのかな…」
美空はもともと京の人を巻き込まないために離れたわけだ。
人間の街なら知り合いもほとんどいないし、なんとかなると思っていた。
しかし今知り合いを作ってしまったということを考えると、また移動するべきなのかと考えるようになった。
まだ1日も一緒に過ごしたわけじゃないからと頭の中で自分を説得する。
のそのそと起き上がって布団を畳んで身支度を整えた。
(基本的には外出しておいた方がいい)
2人とあまり近すぎる距離にいないほうがよさそうだ。
別の部屋で寝ている彼らを起こさないようにそっと扉を開けて、アパートを出る。
持ってきているものはそれこそ紙と鉛筆のみ。
召喚物の小さな手提げを作ってそれらをまとめてしまい込む。
比較的朝早い時間帯だと思ったが人間はこの時間帯にもそこそこ動くらしい。
(行列というわけではないけど…目があるのは良くないな…)
住宅街の外れまでくれば大きめの道路を車がひとつふたつと通り過ぎていく。
この街では美空は迂闊に能力を使えない。能力関連はほぼ都市伝説であるため、変に騒ぎを起こしかねないからだ。
できる限り普通の人間のふりをして歩いていく。
本当ならビルの上を跳ねて移動したいところだけれども今ばかりは我慢する。
宛もなく、ぶらりと町中を歩いていく。
ぽつりぽつりと雨がわずかにふり始めた。
「いたいタ」
付近のビルの屋上から1人の男が美空のことを見ていた。
黒と白のチェック柄のキャップを被り、きめ細やかな金髪を微風に揺らす。
海のような青い瞳に美空の後ろ姿が映る。
カジュアルな黒のパーカーと、クリーム色のジーンズ、黒ベースに黄色のラインが入ったスニーカーを身につけたその男は美空から目を離し、踵を返す。
「行きますよ、兄弟。」
後ろに控えていた2体の怪人の間を通り、男は目にも留まらぬ速さで跳躍した。
一体はカタツムリ怪人、もう一体はコガネムシ怪人。
男に続く形でコガネムシ怪人も飛翔する。
カタツムリ怪人はその場に溶けるように姿を消した。
――――
「美空さんがおらん…」
たつは8時くらいに起きて、家の中のチェックを始めてすぐ気がついた。
「まあ、流石に出てったんだろう。片付けしてくれたのはお人好しだったからなんだろうけど…ほぼ初対面の人の家にそんな長居はしないだろ」
心配するたつの横で、アニキが声を掛ける。
アニキとしては流石に研究の一部を行う場所で人を寝泊まりさせるのは少々気を使うところがあった。
研究成果を見られるのは怖いから。
「やっぱり探してきます!」
たつはバタバタと慌てて外出の準備を始める。
「街で見かけた時、悩んでいる様子だったんです…!心配だ!」
「勝手にしろ。」
アニキは必死な様子のたつを見てこの言葉だけを発した。
言葉の字面とは反対にどこか優しい声色だった。
たつはアニキの言葉を背中に受けて勢いよく駆け出していく。
雨はぽつりぽつりと降っている程度で傘を持つほどではない。
やや水たまりのあるアスファルトの上を駆け抜けていくたつ。
たつはかなり身体能力の高い人間である。元陸上部の彼が奏でる音に、野良猫がのそっと顔を上げ、木の上のシジュウカラが群れで飛び立っていく。
休日ということもあって車通りは多いわけでもない。
天気が悪いこと以外は穏やかな日であった。人は雨の日にはなんらかの必要がない限り外出しないために、すれ違う人が少ないのだろう。
(どこいったんだ?)
住宅街を中心に探し回るたつ。
美空の居場所に見当はつかないけれども近くにいるのではないかと考えていた。
ガコン。
突如、排水溝のフタが大きな音を立てる。たつはその音に思わず振り返る。
やがて音を立てたフタは持ち上がり、下から不定形の何かが出てくる。
カタツムリの怪人。
ぬめりとした体。軽く長さが3mは越していそうな巨体が出てくる。背中に背負った殻は大人1人もしくは2人くらい余裕で入りそうな大きさだ。
身長が高い方であるはずのたつでさえ見上げなければならない不気味な巨体は本能的な恐怖を引きずり出してくる。
「ばっ…化け物!!」
驚くあまり一度は後ろ向きに転んだたつだったが、すぐに起き上がって逃走する。
相手はカタツムリなので足が速い方ではない。
たつはみるみる距離を開けていき、曲がり角を曲がって身を隠した。
追いかけられていた時に聞こえていたずりずりという重々しい音は聞こえない。
なんとかなったか、とほっと息をつく。
『ヴォ…』
ぬるんっと、何もないはずの地面からゆっくりと現れるカタツムリの怪人。
恐怖に青ざめるたつをそのまま飲み込もうと覆いかぶさってくる。
ドンッ!!
しかし寸前で大きな衝撃とともにカタツムリ怪人は大きく横にふっとばされる。
道路の向こうから、猛スピードで美空が駆けつけてきた。
光線を発射し寸分たがわずカタツムリ怪人の目を穿ち横から強引に吹っ飛ばした。
「…美空さん…!」
「話は後で!今は一旦逃げて!」
美空はたつに向かって叫ぶ。
体勢を崩したカタツムリは起き上がるのに苦労していたようで、ようやく構えの姿勢をとった。
たつは戸惑っていたが美空がもう一度叫んだら走って姿を消した。
先ほどの光線の跡は焼けたようにカタツムリから黒い煙を上げてこそいるが、そのダメージを補うようにみるみる傷が治っていく。
(再生能力持ち…!)
厄介な性質に少し顔をしかめながら美空は再び攻撃を仕掛ける。
召喚物「蝙蝠」が飛行しつつ、美空と似た小規模の光線を放って美空をサポートする。
あまり大きい召喚物は街を騒がせてしまうので使用は控える。
カタツムリ怪人は美空に対してブレスを放つ。
強い酸。
ドドド…
かなりの量だ。
美空は寸前で召喚物の盾を作って防御したはいいが、完全に防ぎきれず袖や上着の一部が溶けてしまう。
またふとももの地肌にも酸がかかり、その部分は瞬く間に爛れてしまった。
(痛ぅ…)
不快な痛みを感じつつも美空は確かにカタツムリが脅威であると認識する。
低く見積もっても等級4。
火力だけをみれば5にも届きそうだ。
単純なブレスの威力の高さが盾で防ぎきれなかった要因だろう。
(すでに作ってある召喚物の盾は残り5つ。)
周囲の家に危害が及ぶことを考えれば避ける手段は取りにくい。
ブレスを撃たせていいのは多くてもあと5回だけ。
冷や汗をかく美空はカタツムリを確実に穿つべく光線の照準を絞る。
(まずは探る…!)
先ほどの光線の効き具合を見る限り衝撃にはかなり強い体のようだ。
しかも光線の熱の部分による攻撃だってそもそもの効きが悪い。
再生能力も考慮すれば仕留めきれないのは明らかだった。
そこで複数の光線を束ねて捻り、体の内側まで攻撃を通す作戦をとる。
狙うのはまず心臓部分。
「ふっ!」
束ねた光線を一気に放出する。
カタツムリは避けることはできない。
溶けるように移動するには制限があるらしくその避け方はしなかった。
ワープで回避するようなら光線を曲げて上空に飛ばし、周囲を破壊しないようにするつもりだった。
だがカタツムリは迎撃の形をとる。
先ほどと同様にブレスで迎え撃つ。
(やばっ!?)
局所的に貫くことを想定した光線では広範囲のブレスを防げない。
ブレスの中心部分だけが光線により焼き払われてその周囲の部分は美空を覆いつくす。
ゴゴウ、という急激な流れを生み出して川のようになった酸は道路のアスファルトも家の周囲の壁も簡単に溶かしてしまう。
シュウシュウ…
壁の向こうにいた小さなトンボは酸がかからなかった尻尾以外は完全に溶け切ってしまった。
様々なものが溶かされたことで気体が大量に発生する。
カタツムリはそのままそこに突っ立っていた。
対して、美空は大きくせき込む。
まるで煙幕のように周囲を包む気体は何を含んでいるのかわからない。
(盾ほとんど使わされた…!)
手で鼻と口を抑えながら状況を確認する。
盾を複数使ったとはいえやはり防ぎきれるものではなく上の服はほとんど溶かされてしまった。
部分的には残っているがもはや布切れのような状態。
またズボンの方も右足の裾はほとんど溶けてしまった。
いくら丈夫な京人であったとしても何度も浴びれば危険な代物である。
残っている盾はあと一個のみ。
「!!」
周囲の煙が揺らぐ。
カタツムリが追撃を加えに来た。
地面に溶けるように姿を消した後、美空のすぐ近くで再び姿を現す。
ズズゥン…
容赦なく巨体から繰り出されるのしかかり攻撃。
靄のせいで接近にほとんど気が付かなかった美空は回避行動をとるが、巨体故に逃れきれない。
ズシン、と重々しい音を立てて美空が地面に押し付けられる。
カタツムリは巨大な刺舌を体内から取り出す。
『ヴェ』
非常に鋭利かつ巨大なそれは京人であっても致命傷を受けかねない代物だった。
勢いをつけて美空を串刺しにしようとした瞬間、カタツムリの動きが止まる。
『オ…オ…』
そして横倒しになって美空を拘束できなくなり、力なくその場に倒れ伏した。
起き上がろうとするも力なく足っぽいなにかを空しく動かすだけで、もはや動ける状態ではなくなった。
「強かった…」
美空は立ち上がってカタツムリにかるたを突き刺す。
カタツムリの巨体はかるたに吸い込まれていく。
ブレスに対抗するために放った光線は、ブレスと衝突したとて確かにカタツムリに直撃するはずだった。
だが美空はあえてブレスの半ばで霧散させた。
そのエネルギーは靄がかかっているうちに蝙蝠が回収していた。
靄がかかっているままならエコロケーションで周囲を把握できる蝙蝠だけが自由に行動できる。
そしてカタツムリに気付かれることなくエネルギーを回収しきった蝙蝠を隠れさせた。
美空は敢えてダメージを負って相手に好機と思わせて攻めさせ、背後から蝙蝠で急所であろう場所を攻撃したわけである。
ワープ紛いの能力は連発ができない理由があるのは先ほどの行動で分かっている。
だからこそワープを使った直後の隙をついて確実に仕留めに行った。
(本当に危なかった…)
美空は急いで紙に服の絵をかき、召喚させる。
召喚された服を急いで着て一度たつがいる家へ急ぐことにする。
あれほど力のある怪人は京付近ならともかくとして、京から遠く離れた人間の街に現れるのは不可解であった。
それにただの人間であるたつが狙われてしまうなら美空が守らねばたつは死んでしまう。
(二人は無事なのか確かめないと…!)
美空は全力で駆けた。
今だけは人目を気にせずに。
5秒足らずで二人のいる住宅の前につく。
鍵は掛かっていなかった。
ガチャンと勢いよく扉を開ける。
直後、ドゴンと衝撃音が響いた。
美空はその音を聞いてすぐに奥のリビングに走る。
リビングではコガネムシ怪人が研究者の男の胸ぐらをつかんでいた。
たつは兄貴分を救おうと応戦したのだろう。
全く歯が立たなかったためにリビングの端で血を流して転がっている。
「…っ!」
美空は怪人をにらみつける。
コガネムシ怪人は複眼で美空を一瞥すると科学者を放り投げる。
狭い部屋の壁に打ち付けられて力なく倒れ込む。
そのまま気を失って動かなくなった。
『ッ!!』
美空に向き直る怪人は勢いよく跳躍して美空に突撃する。
かつてのキリギリスの怪人とは比較にならないほど強烈な拳を美空はギリギリで受け止める。
手が激しくしびれるのを感じながら、召喚物「タツノオトシゴ」を召喚する。
このタツノオトシゴは治癒能力を持っており2人の手当てを行うように仕向ける。
(お願い!間に合って!)
だが目の前の怪人から一瞬目を離してしまった美空は怪人の膝蹴りを食らう。
「がはっ…!」
激しい衝撃が発生し、玄関の扉とその周囲の壁がたやすく打ち砕かれる。
勢いそのままに外に吹っ飛ばされた美空は曇り空の下、数回地面を転がった。
横腹を押さえつつ今度は相手から目を離さない。
(またなんでこんなに強力な怪人が…!?)
純粋なパワーに特化した甲虫系の怪人。
こちらはカタツムリの怪人とは違い小柄であるものの、力にほとんど差がない。
そしてこちらの方が圧倒的に素早いため、先ほどのカタツムリとはまた違うタイプの強さがある。
(でも…やるしかない)
美空は立ち上がってすぐに構えの姿勢をとる。
マンタの召喚物とシャコの召喚物を出す。
マンタは美空の移動手段。シャコはパワーアタッカー。
シャコは構えの姿勢を取り、マンタも美空の近くに陣取る。
ブウウン…
怪人は自然体でその様子を見ていたが背中の翼を展開し、空を舞う。
それを追いかけるように美空とシャコもマンタに飛び乗って空を移動する。
美空自身は光線による遠距離攻撃を、シャコは接近された時の対処に当たる。
「はっ!」
8本の自在に曲がる光線を怪人にけしかける。
怪人は素早く飛翔し、そのすべてを体をひねるようにして回避する。
避けきった後怪人は姿勢を整えてゴウゥ、と大きな音とともに突進してくる。
空気を強引に押し出すほどのスピード。
その速度は今までに美空が戦ってきた怪人よりも速い。
あっという間に距離を詰められる。
バコンッ!!
だがマンタの上にいたシャコが迎撃する。
今作れる召喚物の内、近接で最も火力の出るパンチ。
怪人の腹部に見事命中させる。
姿勢がブレた怪人に向かってさらに追撃。
『ヌゥ・・・ッ!』
怪人はバランスを完全に崩して落下していった。
美空はチャージしていた光線をもう一度使い回転する檻を怪人の周囲に形成する。
先ほど命中しなかった光線も加勢するように収束する。
やがて光はその眩さを増し内側の怪人を焼き尽くす。
キイイイイン…
思わず目をかばうほどの光が発せられた後、丸焦げになった怪人が姿を現す。
しかしわずかな微風によりそのまま倒れ、炭となって風に吹かれて消えていった。
こうなってしまった以上はかるたを作れないが、今ばかりは仕方がない。
本来なら出すべきではないマンタを使ったために短期決戦は必須だった。
(…乗り切った)
美空は素早く地面に降りる。
飛行している間に大きく移動したことにより人気のない工場の敷地の中に入っていた。
既に廃止された場所らしく建物の劣化がある程度見られる。
シャッターの末端は錆びて赤茶色になっていた。
「ブラボー!」
工場の屋根の上に人影が見える。
パチパチと拍手をしながらふわりと浮いたと思えば、ゆっくりと地面に降りてくる。
金髪がゆらりゆらりと揺れていた。
美空は警戒の姿勢をとる。
「まさかオレの兄弟二人相手にだいぶ余裕があったとはネ」
謎の青年は少し帽子のつばを指で上げて美空を見つめる。
青い瞳が目の前の景色を反射させている。
「兄弟って…あなたは怪人なの?」
美空は尋ねる。
「そうサ。オレは怪人ダ。母上から生み出された一人の怪人サ。」
「母上…?」
「君のお母さんでもあるヨ。デミスの1柱、イルミューン。」
「私を怪人だって言いたいの!?」
美空は激昂する。
皆を脅かす怪人と一緒くたにされるのは美空としてはかなり屈辱的なことだった。
曇り空はまた一段と暗くなって風が強くなる。桃色の髪が強く風になびく。
「正確に言うと君は怪人じゃなイ。同じ母から生まれたとはいえ、君はデミス。正真正銘の娘。オレは怪人。母上から生成される細胞みたいなもの。君の方が上位の存在サ」
「…」
「本来ならネ」
「…?」
「君はデミスとしてはあまりにも弱すぎル。デミスは強大な存在故に巡る因果も大きイ。今の君では通用しなイ。そう遠くないうちに滅びるだろウ」
「余計なお世話。私強いよ」
美空は青年の会話に耳を傾けるのはやめた。
そもそも会って間もない。信用できる相手じゃない。
それに相手の言葉を聞いているととても嫌な気持ちになる。呼吸が速くなる。
まるで揺さぶりをかけられているようでとても気持ちが悪かった。
「じゃア、試してみようヨ」
青年は上着を脱ぎ棄てた。
「君が本当に強いのカ」
美空は応戦せざるを得なかった。
雨は上がり、ところどころ晴れ間が見え始めた昼時の空の下。
激しい力がぶつかり合い、周囲の街には突風が吹いた。




