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20/22

二十話

 日が昇り、すっかり霧も晴れた頃。

 時雨は深夜に寝ていなかった分を補う仮眠を済ませた。

 涼しい白い布団から身を起こす。


(…そっか…)

 

 見慣れぬ天井にやや驚いた。

 でもほんの少し遅れてそりゃそうだと納得する。

 

 古い木の香りが時雨を和ませる。

 襖を開けて廊下に出た。


 時雨が与えられたのは2階の比較的小さな部屋。

 奥行きが少し長い長方形の部屋だった。


(ここに以前誰か生活してたのかな)


 恐らく泊まり込みの客用の部屋なのだろう。

 しかしこの邸宅で客人として宿泊する人はそんなにいないのか、かすかに他の人のにおいがするくらいで基本的には使われていた形跡がない。


 部屋を出ればすぐ左に階段がある。

 階段の付近はなにか不思議な匂いがする。使われている木がここだけ違うのかもしれない。


(…この匂い…嫌いじゃない)

 

 階段を少しずつ降りた時に、下からじぃさんが呼んでいる声が聞こえた。

 急いで階段を下りた先の廊下のところにじぃさんが立っている。


「時雨くん、電話」

 

 そう固定電話の前で受話器を渡してくる。

 妙に真剣な顔をしていたので何かと思ってもしもし、と電話の先の相手に挨拶すると激しい怒声が噴き出してきた。


『時雨えええええええ!!!お前ええええええええ!!!』


「ひっ…!?」

 

 時雨は情けない悲鳴をあげる。

 電話越しでも分かるくらいの激しい怒り。

 彼が彼らしくないくらいに本気で怒っていた。口調も全然違う。


『散々探し回ったんだぞ!!外には怪人とかもいるんだから何か起っちまうかもしれないって!!!』


「はっ…はいっ!!すみません!」


『今回は!たまたま高屋さんとこにたどり着いたからよかったが!!!そうじゃなかったらどうなってたかわからないからな!!!』



 おどおどしながら時雨は受け答えをする。

 しばらくは説教が続いたがひと段落したら、優しい声、そしてひどく安堵した声が聞こえてきた。



『無事でよかった…心配したんだぞ』

「…すみません」


 みんな時雨を心配していたのだ。

 なんの断りもなく勝手に飛び出していったのだ。


 怒らないはずがない。心配しないはずがない。

 自分の未熟さと身勝手さを恥じるとともに、改めて京のみんなのやさしさを感じた。


『今高屋さんのとこにいるんだろ?せっかくそこに来たんだ。雨宮もいるし、しっかり学んで来い。アビスの使い方。』

 相手は締めくくった。


「はい」

 時雨は真剣な表情で答えて、そのあとはありがとうございます、失礼しますと言って電話を切った。


 その様子をずっと見守っていたじぃさんは時雨に声をかける。

 じぃさんの目は少し悲しそうで、それでも懐しい思い出を振り返るような眼をしていた。


「さっき京の人にさんざん言ってもらったんだ、わしがまた同じことを言う必要あるまい。雨宮、この子の訓練を頼めるかい?」


 時雨とは反対方向の廊下の先へ声をかける。


 スパァン!

 

 直後二人の横の襖を勢いよく開けて少女が現れる。


 金髪の髪が照明の光を反射させていた。

 いきなり現れたことに驚きつつも、時雨は挨拶する。


「ああ」

 

 短く返事をしただけで雨宮は黙ってしまった。

 一切表情筋も動かない顔でそうとしか言わないので、時雨は戸惑ってしまう。


 そっけない人なのかな、と時雨はたじたじしていた。


「時雨さんですね、よろしく」

 

 雨宮は頬の横でピースサインを作り、ポーズを決める。

 何の表情変化も伴わぬ陽気なポーズに驚く時雨をよそに雨宮は問いかける。


「アビスの力、制御したいのだろう?力になろう。」

 

 さっきまでのフランクなポーズから戻って真面目に問いかけてくる。


「!」

 目を見開く時雨。


「今から道場に行こう。一刻も早くものにしなきゃな。食われるぞ。アビスに。」


「えっ…」

 

 さらっと怖いことをいう雨宮。

 ペースと人柄が全然つかめない少女。


 でも時雨はまっすぐ彼女の方を見ていた。

 これから自分はこの人からアビスの制御を学ぶのだ。


 周囲を危険な目に会わせないように。

 何より京の役に立つために。


 時雨は雨宮の後ろについて行って、大きな道場の入口をくぐる。

 頑張り時だ。



 ――――――



 夕暮れ時。

 邸宅の周囲においしそうな料理の香りが漂う頃。



 道場の中で時雨はボロ雑巾のように転がっていた。

 雨宮はその傍らにヤンキー座りをしながら時雨の様子を見ていた。


「…多分苦労するね、君」

 

「…」

 

 物言わぬ時雨だが、雨宮の声はちゃんと聞こえている。

 自分に才能がないことは分かっているから少しでも粘ってやるしかない。


「おっと勘違いしてくれるなよ。これは君の問題じゃない。体質にアビスが中途半端にしか合ってないのさ。」


 どうやって時雨の思考を読んだのかは分からないが、雨宮は補足説明する。


「体質に合わなければアビスに耐えきれずに爆散するか、受肉して乗っ取られるかの二択。しかし君は自我を保っている。しかし能力が自由に使えるわけじゃない。」


 雨宮が言うにはアビスには種類があって、4種類「時間」「空間」「創造」「破壊」からなる。

 しかしその能力に体がある程度しか合わなければ制御が難しくなってしまう。


 大抵その立ち位置にいる人は苦労するらしい。

 しかし苦労だけというわけではなく、何かの拍子に折り合いがついて能力保持者の精神に呼応して能力が独自の物に変化するんだとか。


 そこまでいけば制御の難しさはほぼなくなる。

 ただ、制御できるようになるまでの道のりは長くなってしまうのでデメリットの要素が強いのは変らない。



「私の知り合いに合わなかった子が一人いるけどね、その子は若くして死んでしまった。」

 

 雨宮は遠い目をして語る。


 

 雨宮の指導はアビスがどんなものかまず知るために時雨を暴走させては無力化するというのを繰り返すものだった。

 暴走したアビスを軽くあしらうあたり相当な熟練者なのだろうが、時雨としてはたまったものではない。

 アビスの自己回復機能があるとはいえ時雨はボロボロである。


 雨宮は死んでしまった似た境遇の人を知っているからこそスパルタなのだろう。

 時雨の体は動かずとも、まだ心は折れていない。


 時雨は無理やり体を起こして「もう一回お願いします」と頼み込んだ。

 しかし雨宮はきっぱりと断った。

 

「今日はもうおしまいだ。君のアビスに関連することは分かったから。明日から君用の訓練をしよう。君は今日は休むんだ。」



 まだ消化不良…そもそも時雨の訓練の記憶の大半はないため当然であるが…な時雨をなだめる。


「そうだな、まだ動けるなら山菜摘みを手伝ってもらおうか。」


 時雨は「えぇ…」という顔をする。


「なんだ時雨。ただ修行を付けてもらうだけで飯まで食わせてもらえると思ってるのか?」


 雨宮はふっとほんの少しだけ笑って答える。

 笑って、といったが冗談で言ってるのか本気で言っているのか全く分からない。声色の変化も薄く表情の変化もない。


 時雨は背後に雷が走るような衝撃を受けたような顔をする。


「…頑張ります」


 次第に日が暮れていく遠くの山際に赤いような、それとも赤紫色に染まる景色が見える。

 東側はすっかり夜模様といった具合。

 いくつかの明るい星がすでに輝き出していた。


(もう夜になるんだ…なんだか長かったような、短かったような…)

 

 今日の一日はもう終わるのだ。

 時雨は体中が痛いのを我慢しながら、雨宮と2人で積んだ山菜が入った竹籠を抱え込む。


 雨宮は少しこだわりが強いようで少し森の中に入っていった。

 時雨が心配するような人ではないので大丈夫だと思われる。


「ここから先は私のこだわりだから君までついてこなくてもいいよ。君の体も限界に近いだろう」


 見事に体の調子を見抜かれている。

 受けたダメージのせいですっかり体が動かす度に痛むようになってしまった。


 彼女がどれだけの戦いを経て、どれだけの猛者を見てきたのかは想像すらつかない。


 本当に何年生きたら彼女のような人になれるのだろう。

 ふと考えてみるが、そもそも自分がいくつなのかもしらない時雨は途中で考えないようにした。

 

 きっと結論は出ない。

 空を見上げれば三日月が明るく輝いている。

 山の上だからだろう綺麗な星空が見えた。


 無数の青い星々を囲うように天の川が流れている。


 さらさらと少し湿気を帯びた風が吹いて、時雨の甚兵衛を揺らす。

 ひらひらと舞う甚兵衛の袖。


(痛…?!)


 鋭い痛みが遅れて時雨の右側の腕を襲う。

 刃物で切られたような鋭い角度の切り傷。


 血が噴き出す中時雨は慌てて周囲を警戒する。

 雨宮さんがいないときに、襲撃。


(隙をついたのか、それともこの時を待っていたのか…)


 ザッ…と本当にかすかな音が鳴る。

 

 明確な脅威は暗闇の中に潜み、そして動き出す。

 今度は足。

 内ももを切るようにナイフが襲いかかってくるものの今度は液状化して対処する。


(相手は…一人!)

 

 ナイフが飛んできた方向に向き直る時雨。


 そして外敵はその時雨の背後から襲い掛かる。

 時雨は今度も音で判断できた。


 反転して蹴りをお見舞いする。

 クリーンヒット。


「…!」

 

 確かな感触とともに相手が後ずさる。

 そして地面に狐面が落ちた。


 白をベースに紫の柔らかい曲線が描かれた狐面は、持ち主の顔から離れて地面に軽やかな音を立てて転がる。

 時雨が蹴った相手の顔があらわになった。



(…この子は…?!)


 時雨と瓜二つの顔。

 異なるのは紫色の長い髪。

 瞳の色は黄色。


 黒い色の軽やかな和服は既にボロボロで、穴が開いていたり裂けていたりしている。

 泥臭さのある見た目。


 ただまっすぐ少女のような何かは時雨をただ見つめている。


 その目はまるで時雨を見定めているようだった。

 妙な居心地の悪さを感じた時雨は少し後ずさりをする。


(!来る!)

 

 靴裏と柔らかい腐葉土がこすれたと同時に、相手は再度突撃してくる。

 月明りに輝くナイフを手に持ち、紫の少女は時雨に再び襲い掛かった。


(!!)

 

 

 時雨は相手の動きに違和感を感じた。


(遅い!)

 

 否、時雨と紫の少女は同じくらいの身体能力である。

 なまじ低い身体能力故に自分より優れた身体能力を持つ相手に慣れすぎた時雨にとっては遅かったのだ。


 身をひるがえしてナイフを躱し、時雨は再び蹴りを入れる体勢に入る。


ゴゥン!

 

 次の瞬間、時雨の横腹を何かが穿つ。

 ナイフではない。少女ではない。


(な、これは…!?)

 

 時雨はその何かに吹っ飛ばされていった。

 霊力を感じた。

 恐らく少女の能力。


 周囲の空気を圧縮してまるで槍のように突撃させてきたのだ。


 月夜で分かりにくい手元。

 液状化されると効きが悪いから、ナイフで攻撃する態勢で接近し、寸前で能力による攻撃で確実にダメージを通そうとしてきたのだ。


(…戦い慣れてる)

 

 確かに時雨とは同じくらいの身体能力だ。

 だがはるかにあちらの方が戦い慣れている。

 環境を利用するのが上手い。

 相手の能力を把握して解決策を瞬時に打ち出す思考力。


(この子は僕より強い…!)


 時雨は腹をくくらなければならない。

 雨宮との訓練で疲弊した後の体。

 明らかに不利な対面。


 時雨は今刀を持っていない。

 だが体術もいくらかできる。


 全力で挑まなければやられるのはこちらの方。

 時雨は構えを取ってそれに呼応して少女も臨戦態勢に入る。


 両者が一歩目を踏み出した瞬間。


「やめなさい」

 

 二人の間にいつの間にか雨宮が立っていた。

 とってきたゼンマイを入れた籠を片手に持ったまま。


 しかし本能的に敵わないと感じた二人は戦う姿勢をやめる。


「いい子だ」

 

 今までの雨宮とは異なる風格。

 時雨は確かに威圧されたことを感じる。

 少女も同様に感じたのかもう戦うつもりはないようだ。


「…紫の方も一緒に来てもらいましょうか。」

 

 少女ははっと驚いたように目を見開く。

 雨宮は左手で少女の手を握り、時雨の手を右手で握る。

 

 雨宮に手をつかまれても少女は特段嫌がるそぶりはなかった。

 何か懐かしむような目で白い雨宮の手を見つめている。


 山菜は時雨に持たせて、細い山道を抜けて山荘に帰り着いた。


 窓から室内の明かりが漏れ出ている。

 

「あ、おかえり」

 

 るぅは何かが入っているバケツをそばに置いて雨宮に手を振る。



 散々動いた後のご飯はおいしかった。

 その後はみんなで片づけをする。


 少女はこの山荘の人たちとは顔見知りであるらしい。

 時雨の知らない話をしていた。


(この子…かな?部屋から僅かに感じた誰かの生活感…)

 

 時雨は洗った後の皿を、雨宮の指導の下片付けている。

 じぃさんは懐かしそうな顔をして少女と話をしていた。


(また後で聞いてみようかな)

 

 しばらくは二人のほうがいいだろう、と雨宮はじぃさんから距離を置くべく自室の方に戻っていった。

 時雨も邪魔したら悪いのだろうと思って自室に戻った。


 布団を出して敷いて、ごろんと大の字になって寝そべる。

 修行の内容を反芻しながら、時雨はゆっくりと目を閉じた。


 疲労のせいだろうか、その後気付かぬうちに眠ってしまった。



 ――――


 翌朝になって時雨は目を覚まし、身支度を整える。今日も雨宮との修行だ。

 昨日雨宮は時雨用の練習を思いついたと言っていたから今日からが本番ということだろう。


(ちゃんと身につけなきゃ)

 

 じぃさんに挨拶をして玄関口で待っていた雨宮と目くばせをする。

 その隣にはるぅと昨日の少女の姿もあった。


 同じく部道場で訓練するらしい。

 同じ場所で危なくないかと一瞬思ったが、アビスが暴れるまでもなく雨宮が鎮圧するので大丈夫だろう。



「冬樹、行こうか。」

 

 るぅは少女の手を引いて先に出発する。

 少女の名は冬樹というらしい。狐面を被っていて素顔は見えない。


 こくりとうなずいて、二人で玄関を飛び出していった。




 その後に続いて雨宮と時雨も出発する。


 道場は昨日と変わらない。

 異様に広い空間が内側にひろがっているため、もう何組も訓練しても余裕がありそうだ。


 体育館もしくは武道場らしい木の床の感触が、素足に伝わってくる。


「アビスをまず自分で出せるようになりましょう。今までは追い込んで無理やり発動という感じでしたが、それでは良くない。それができたら次のステップです。」


 時雨はこくりとうなずいて一応やってみる。

 前に何度も教官と訓練していた時に練習したものだが、全くと言っていいほど自由には出てこない。

 何かコツがあるかと聞いてみたところ、雨宮曰く…


「そうですね…丹田に力を入れるような感じでしょうか。」


 このあたりです、と説明してくれた。

 丹田とはへその下あたりのこと。

 あくまで感覚的な話らしいので具体的なイメージというものはないもののやってみるうちにだんだんと掴めるようになっていった。


 丹田の当たりに感覚があると思ったら突然渦のように激しく動き出して、時雨の意識はそこで途切れる。



 時雨はうつぶせになった状態で目を覚ます。

 雨宮は時雨の顔を覗き込んでいる。


「暴走したな。次は卓球のボールくらいの大きさで意識してみて。」


 時雨はすぐに起き上がってもう一度試す。

 何度も試行錯誤した結果、ある程度の大きさ、それこそ拳くらいの大きさを超えてしまうと暴走してしまうと分かった。

 いわば制御できる力の大きさの上限である。


(!でき…た!!)

 

 そこから数日もすれば卓球のボールくらいの大きさに維持できるようになった。

 その次は片方の腕だけ、もしくは片方の足だけの場所に移動させて開放するイメージで練習。


 うまくいけば腕、もしくは足だけにアビスを制御した状態でアビスの能力を使えるようだ。

 成功すればその部分だけが鎧のように変化する。


 出力は弱いものの破壊の力も扱うことができた。

 それからさらに数日間練習を続けていくと、だいぶ安定してできるようになった。


 修行開始から約2週間。


「このくらいできるようになれば大丈夫だと思いますよ。許容上限を破らなければの話ですが。」


 そう言ってくれたのでようやく安心できた。

 もう一度試してみるが特に問題はなし。


 時雨は制御できるようになったのがとてもうれしかった。

 これなら京に戻っても大丈夫だろう。


「ものにしたの?」

 

 冬樹が歩み寄ってくる。

 紫色の髪をなびかせて歩いてきた。


 山荘で服を変え体も洗ったらしくかなり綺麗な印象を受けた。

 狐面も手入れされて白い輝きを放っている。



「少し話をしよう。大事な話だ。二人のね。」


 顔は見えずとも真剣な声色。

 二人は一度武道場を出て話をすることになった。


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