表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
19/22

十九話

「時雨が神社の境内で意識不明。交戦の跡あり。そして神社周辺で気絶したものがかなり多いです。」

 

 颯がある屋敷の庭でひざまずいて報告した。


 庭は静かに整えられた枯山水。

 飛び石の上で報告した颯は、先ほどまで神社の周辺の調査をしたばかりだった。

 彼の視線の先にあるのは玉座の間。


 京の中でもっとも身分が高い皇族の方がいらっしゃるという場所だ。

 京の皇族とは昔大いに活躍した宮狐の一族である。

 しかしある事件をきっかけに、今ご存命なのはただお一人だけ。


 首領として京の管轄をなさっている桔梗様。

 つい先ほど起きた異変を颯を派遣なさって現状を把握今後どうするべきかを判断なさるところであった。


 桔梗様はただ紙に何かをお書きになって、颯へ手渡した。

 両手で受け取った颯はその紙に目を通す。


 彼の若草のような瞳が、少し見開かれた。




――――


「もう何日かは目を覚まさないと思われます。ただ命に別状はありません。」

 

 京の中央病院。以前にも時雨が運び込まれた場所だ。


 慌てて時雨の容態を聞きに来た美空は唖然とする。

 しかし美空は病室での面会はさせてもらえなかった。

 代わりに、一階の受付近くの面談室でヨモギから状態を教えてもらっていた。


「少なくともしばらくは安静にしておかなければなりません。」

 

 ヨモギは複数の診察で得た情報が入っている資料を美空に手渡した。



「あ…ありがとうございます」

 

 おずおずと美空はその資料を受け取る。

 きっとかなり重症なのだろう。下手に面会するべきじゃないのかもしれない。

 

 美空は自分を納得させようとするが、どうしても様子を見に行きたいという気持ちがあった。

 また無茶をした時雨が本当に無事なのかは自分の目で見ておきたかった。


 だが今日はいつになくヨモギが真剣かつ態度が冷たい。

 まるで自分を遠ざけようとしているかのようでどうしても居心地が悪かった。


「そ…そのそろそろ帰ります」


「はい。お気をつけて」

 

 美空は帰ることに決めてヨモギは淡々と返す。

 後ろ髪を引かれる思いをしながら帰る道のりは随分と長く思えた。


 今日は随分と厚い雲に空が覆われていて昼でも薄暗い。

 雨が降る様子はなさそうだが晴れる様子もほとんどない。

 陰鬱な空気を肌で感じながら、美空は自邸に帰り着いた。


(なんで…ヨモギさんあんな塩対応だったんだろう…?)

 

 玄関を上がって廊下を通っていつもの部屋についたら荷物を置く。

 時雨が心配でどうにも晴れない気分をどうにかすべく、美空はお風呂に入ることにした。


 廊下の途中で藍染の暖簾がかかっているところは2か所あるが、玄関から見て手前側は台所。

 奥側は脱衣所と風呂場だった。


 脱衣所は一人用くらいの大きさで二人が同時に着替えるにはすこぶる狭い。中は広いのに…

 時雨と二人で入るときは先に美空が入ることが多かった。


 脱衣所の扉はうち開きの木のドア。

 だいたい目線の高さ位のところにぼやけて見えるガラス窓がついている。


 ギィ…と音を立ててドアを開けて、中に入る。

 洗濯籠に脱いだ服をいれて、着替えを別のかごの上に置いておく。



 先にシャワーを浴びることにする。シャワー台のところには鏡が設置されているが、美空は鏡を見て驚く。



「なに…これ」

 

 美空の鎖骨付近に現れている綺麗な青色をした斑点。

 まるで北斗七星かなにかの星座のような配置で薄く輝いていた。


(汚れ…ではないね)

 

 何か表面についているわけでもないので洗っても取れず、ただの模様であることを理解するまで随分と時間がかかった。

 少なくともどうにもならないことだけは分かったのでとりあえず体を洗い終わり、湯船につかる。



 もし瀬戸香たちと一緒にお風呂に入るときは隠せばいいか、と考えた。

 美空は湯船につかりながらまだ晴れぬ気持ちを抱えたまま、風に揺れる紅葉の葉っぱごしに曇天を眺めていた。


 ――――



 その日の夜だった。

 突如として時雨が姿を消したのは。


 病院の個室で休ませていたはずなのに時雨は忽然として消えた。

 窓も開けず、ドアを開けた形跡もなし。


 恐らくは液状化を用いてどこかの隙間から脱走したのだろう。

 アビスの影響か、受けた外傷は比較的少ない。


 抉られた腹も折れた左腕もほぼ治りきっていた。

 しかし当分は目を覚まさないはずだった。



 ――――――――


 だが確かに時雨は走っている。

 月が明るく照らす、見晴らしのいい田園地帯。


ゲコゲコ…

 

 遠くから、近くから様々な河鹿の鳴き声が響いている。

 走る時雨の足音を聞いて黙り、通り過ぎた場所から順番に合唱を開始する。


 月の光を背にしてその黒さを強調する叢雲がゆっくりと形を変え、流れていく。

 湿っぽい空気が体の中に入っていくのを感じながらただ我武者羅に走る時雨。


「はあっ、はあっ…」

 

 息を切らし、とっくに走り疲れて足は重い。

 それでも走り続けた。



 なぜか?

 みんなを巻き込まぬためだ。

 アビスは自分が扱える力ではない。


 きっと暴走したら取り返しのつかないことになるだろう。

 薄らではあるが時雨は内側からアビスの力を見た。


(危険だ。危険極まりない力だ。)

 

 もしまたアビスが目覚めたらと考えるともう京にはいられない。


 少しでも遠くへ。


 自分が走っている場所がどこなのかわかりはしない。

 ただ闇雲に一定の方向へ走り続けた。


 もうすでに京の外だ。三時間半も走り続ければ、京から出てすぐ遠くに見えた山が見上げるほど近くに来ている。

 迷うこともなく時雨は山の中に入っていく。

 山の規模としてはとても大きいと言えるような山ではない。


(霧…?)

 

 辺りには少しずつ霧が出始めて、東の空はだんだんと明るくなり始めている。

 もうじき日が昇り始めることだろう。


 山道はかろうじて道っぽいものがあるくらい。

 小さな草がまばらに生える細かい砂を踏んで、傾斜のそこそこ強い斜面を上っていく。


 走り続けてきた足は山道を登るには重すぎる。

 次第に勢いを失い、その場にへたり込んでしまう。


 はぁはぁと荒い息を漏らし、不足していた酸素をここで初めて自覚する。

 感じていなかった酸欠が後になって時雨を襲うものだから、しばらくは立てない。


(ここは…)

 

 でもここまでくれば大丈夫だろうか。周囲の木々のおかげで捜索に来ても見つかりにくいだろう。

 京のみんなは優しいからきっと探しに来て、連れ戻そうとするだろう。

 でも京には戻れない。


(少しは休んでもいい…多分)

 

 焦る気持ちが少しずつ落ち着いてくきた。


 しばらくへたり込んでいた時雨の髪を、木漏れ日が優しく照らす。

 夕日とたがわぬほど赤みを帯びた日の出時の光はわずかに青い時雨の髪を紫色に照らし出していた。


(行こう)

 

 息を整えて、時雨は今度はゆっくりと歩きだす。

 しばらくは走るのは難しいだろう。


 周囲はすっかり青い葉に包まれている。

 だが、次第にその景色も濃くなる霧とともに白くなっていた。


(…?標高の高い方が霧が濃い…?)

 

 霧は木々の間から漏れる朝日を浴びて輝くもやだったのに、今ではすっかり辺り一面を雲のように覆ってしまった。


 見通しが悪くなってきたころ、構うものかと進む時雨のそばでガサガサと草が揺れた。

 草といっても低木くらいの大きさの木が密集する場所である。

 何かがいることは分かっても、その正体は分からない。


 (何?!)

 


 時雨は身構える。

 ザッ、という鋭く動いた影とともに、拳よりも少し小さいくらいの石が飛んできた。


 投石を液状化でやり過ごす。

 しかし霧が深い場所では相手の位置がつかみきれない。

 音を頼りにするしかない。


(次はどう出る?!)

 

 次も投石。

 投げられるたびにだんだんと速度を増している。


 相手の能力だろうか?

 状況を分析しようとする時雨を、背後から何者かが押さえつける。


(しまっ…?!)

 

 手足は完全に押さえつけられた。

 液状化すら発動できないくらい気付かぬ間に背後を取られた。


 

 おおよそ京の外で遭遇するとは思っていなかったほどの相手。

 あちらから至近距離に来たので相手の顔を拝むことができた。



 霧と変わりないほどきめ細やかな銀髪。

 頭から伸びている獣耳。


 そして一番目を引くのはその目。

 魚の目鷹の目とはこういうことをいうんだろう。

 黄金色の瞳と、青空のような青い瞳が並んでいる。


 猫の形質を持つまぎれもない京人の女の子。


 落ち着いた、そして細い声で少女は時雨に問いかける。


「誰なの。」


 ぐっ、と時雨をさらに強く固定する。

  液状化は一定以上力を加えられると発動しない。


 じっと細めているが、強い警戒を示す少女の瞳。

 時雨は恐らく勝手に山に入ったものだから侵入者として認識されているのだろうと思い至った。


「京から来た、時雨です。」


「何をしに来たの。」

 

 少女は少し警戒を緩めるが、拘束は解かない。


「…それは…」

 

 口ごもる時雨の様子を見て少女は厳しい目で見るが、苦悩する時雨の表情を見て少しだけ力を緩める。


「ゆっくりでいい。落ち着いて話して。秘密にしてほしいなら秘密にしとくから。」

 

 少女は時雨から手を離す。


 時雨は呼吸を整えてから、今までのこと、ここまで来た経緯を話した。

 少女は静かに聞いていた。



「なるほど。雨宮と同じようなにおいがするのはそういうことなのね。」

 

 少女は微笑んだ。

 時雨に同情するような、それともねぎらうような、そんな微笑みだった。


 時雨が雨宮という名前を聞いて思い出すのは教官の言葉。

 雨宮さんならどうにかしてくれるって。

 そう教官が言っていた。


 当てもなくただひたすらに走って辿り着いたこの場所。全くの偶然。

 時雨がそのことに何とも言えない感情を抱き、ぼうっとしている時に、少女は時雨に手を差し出す。


「きっと君の力になれる。雨宮だけじゃなくて、屋敷のみんなが。おいで。アビスに詳しい人がいるし、みんな強いから大丈夫。」


 少女にはもう警戒の色はなく、ただ迷子の子犬でも拾っていくかのような優しい目つきで、時雨を招待した。

 時雨は少女の手を取り、立ち上がる。


 ここならなんとかできるかもしれない。

 一人でずっと誰かを巻き込まないために生きていく必要はなかった。


 さみしい思いをしなくてもよかったのだ。

 時雨は一人ではなかった。一人ではいられない子だった。


 温かい少女に手を引かれて、時雨の頬に滴が伝う。


 日はいつの間にかすっかり顔を出しているようだ。

 未だに濃い霧の向こう側から、穏やかな日差しが時雨の目元を眩いほど照らした。


 ――――――


(山の上だけかなり整備されてる…)


 次第に道は舗装された石造りの道へ変わり、そのあとまた石段へと姿を変える。

 階段の両脇には黒い灯篭があって朝になったためか順番に明かりが消えていく。


 恐らくある程度明るくなれば自動で消灯する仕組みになっているのだろう。

 石段の数は50段あまり。

 階段一個一個は大きくはないため、上るのに苦労することはなかった。


「…」

 

 少女は時々時雨の方を振り返って状況を確認してくれた。

 気を使ってくれているのだろう。


 石段を上り終えると小さな門をくぐって、凝って作られた庭が姿を現す。

 円く剪定された松の木は、目線よりも少し下ぐらいのところで枝を展開していた。


(立派な庭…大きくはないけど手入れされてる)


 京ではあまり見ない剪定の仕方だったので時雨は後でじっくり見に来ようと思った。

 花壇の周囲には恐らくプリンを入れるようなガラスの容器が並べられている。

 そんなものを並べたら変な感じになるのではと思えるが、実際に目にしてみると案外馴染んでいる。


 門をくぐって正面に見えるのが家屋だが、見えるのは縁側と壁だけ。

 玄関はもう少し奥に進まないといけないようだ。


(うわ、大きい。)

 

 家屋の右側かつ傾斜に差し掛かる辺りには大きな桜の木が植えられている。

 京の中央広場と比べると流石に小さいが、見上げるような木の高さからしてかなりの樹齢であることは間違いない。


 また大きな違いとしてこちらの桜の木は降るような枝垂桜であるらしい。

 京とは少し違うようだが似ている感じがする山荘。


 庭のところどころでは遠くの街が見えた。

 少女に導かれて玄関にたどり着く。


 木で作られた横戸を開ける少女は、家に入ってすぐに家の中に声をかけた。


「おじき。この子ここに住ませてもいい?アビスの子。」



 奥から足音がして現れたのは初老くらいの男性。


 白髪におおわれてしわもかなり寄ってきていることからギリギリ初老かな?というくらい。

 しかし長命な京人という可能性もあって実際の年齢は分からない。


 だが彼の優しそうな目は自然と心を落ち着かせてくれる安心感があった。

 時雨をまじまじと見た後、じぃさんは声をかけてくれた。


「ああ、いらっしゃい。ここは君の家だと思って構わないからね。」


 

 くしゃっと笑う顔は、とても嬉しそうだった。

 初対面の相手にここまでしてくれる辺り、この家の人たちはとても優しいのだろう。


 時雨はありがとうございます、と深々と礼をする。

 少女は時雨の肩をついつい細く指でつついた。


「私のことは『るぅ』って呼んで。君のことは何て呼べばいい?」


「し、時雨。時雨って呼んで。」

 

 時雨は朝日を浴びた百合の花のような顔にどぎまぎしながら名前を名乗る。



 アビスは今は大人しい。

 理由は分からないけれど、ひとまずは安心できそうだと時雨は窓から景色を眺める。

 遠くに望む人間の街の向こうではたくさんの色とりどりの車たちが行き交っていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ