十五話 衝突
時雨にはわからなかった。
晴斗の父親を殺したのが、本当に京人なのか。
いつ男たちに自分の存在がばれたのか。
そして男たちが言ったことを確かめるための京人の歴史を学んでおかなかった、自分の知識不足。
その怠慢が、後悔が、時雨の思考を奪う。
優しく自分を受け入れた京が、人を殺めていたこと。
真っ白になる思考。
しかし目の前の状況は思考放棄を許さない。
時雨への殺気を隠す気もなく、雷の如き怒りが、拳が、時雨に襲い掛かってくる。
ドゴンッ!!
拳が時雨がいたところの床を、盛大に砕く。
(あっっぶなっ!!!)
時雨は冷や汗をかく。
彼は確実に人間だ。
だが、彼の身体能力はおかしい。
京人の中では基礎能力値の低い時雨とはいえ、完全に素の力で負けている。
拳を受ければ、けがは免れない。
人間でありながら、彼は京人の変わらぬ身体能力を持っていた。
この事実も時雨を混乱させる。
時雨は訳も分からぬまま少年に意識を向けざるを得ず、ひたすらに逃げ回っていた。
比較的広い部屋は走り回るには十分なのが救いかもしれない。
(…!!)
テーブル含め障害物も多く、敏捷で完全に負けていてもいくらか逃げようはあった。
時雨は逃げに徹する。
この少年を迎え撃っていいという気が全くしなかった。
何かがおかしい。
認めたくない。
違和感が常に引っかかっている。
ここに来るまでは人間に対してずっと怒っていたはずなのに。
水流操作と液状化を駆使して机やいすの足の間をすり抜け、タンスの下に隠れたりして器用に逃げ回る。
時雨に業を煮やした少年はまさしく雷となって、まるで今までは本気でなかったかのように速度を上げて襲い掛かってきた。
バチバチバチッ!!!
隠れていたタンスに拳が激突し、激しい音が鳴り響く。
直後タンスは黒焦げになって黒い煙を上げる。
今この瞬間、時雨は戦慄した。
この少年は、霊力を使っている!
いかにしてこの少年が霊力を手に入れたかはわからない。
だが、完全に時雨のアドバンテージなどないことが明確になる。
タンスの下から出てきた時雨という水流を待っていたかのように、雷が時雨を貫く。
ビリビリとひび割れるような痛みが走る。
液状化は解いてない。物理攻撃は時雨に基本通用しない。
だが雷撃は無効化できなかった。
「あぐっ!!」
その痛みに耐えかねた時雨の液状化が解けて、人の姿に戻った時雨はそのまま2、3回後転して向き直る。
地面に足を付く衝撃で後から痛みが来るのをこらえながら時雨は少年から目を離さなかった。
そして少年は激昂する。
「何しにきやがった!!」
少年から放たれるのは憎悪と憎しみ。
激しい怒りが空気を揺るがすように部屋の中を駆け巡っていく。
今にも時雨の首を引きちぎらんとするような鋭い眼光が、時雨をヘビに睨まれたカエルのように萎縮させる。
――――――――
霙は残されたタコを使って状況を本隊に報告していた。
時雨が完全に分断されたこと、そして数分ののちに襲撃されたこと。
「はぁっ…はぁっ…!」
息を切らす霙は、苦手な追いかけっこをせざるを得ない。
少年を焚きつけた男たちのうち、数人は霙に対して攻撃を仕掛けていた。
彼らが身に着けているのはパワードスーツ。黒を基本とした強化皮膚で身を守りつつ、京人に劣る身体能力を少しでも底上げしている。
さらに彼らが持つ銃は剣に使ったものとは異なるものの霊力を纏った弾丸で作られており、この銃撃だけは少なくとも霙を害しうる存在であった。
工場の中を駆けまわる霙は右も左もわからぬが、ただ接近されないように銃撃を遮る障害物を介しながら逃走を図る。
正直なところ霙は完全にじり貧。時間をかければかけるほど霙が不利になっていく。
幸いにも移動する途中で霙の持つタコが情報を放ち、美空に霙の座標を伝えることができた。
その情報をもとに、風が動く。
町の中でも遠くにいた颯は、2km離れたマンションの上から翔ける。
ゴゥッという空気を裂く音が響いた直後、弾丸よりも速く霙の付近の窓を突き破り、霙を回収した。
疾風の如きその速さは周囲にいた、霙含む誰の目にもとまらぬ速さ。
人間が何があったのかすら把握できないようなスピードで駆け抜けていった。
颯はわずかコンマ数秒の間にタコをつかんでいた霙を抱きかかえて上空まで戻り、霙を近くのマンションの屋上まで連れ戻す。
「無事か」
そう短く問いかけた颯に対して、状況を呑み込めないながらも霙は「っ!はい」と返事をして見せる。
無事を確認できた颯は霙を降ろし、美空に時雨の位置を確認する。
「時雨ちゃんの位置は正直分からない!まずタコを潜入させて探ります!」
とほかの召喚物:蝙蝠がタコを足でつかみ、颯が割った窓から建物の内側に入っていく。
美空は、青ざめた顔で工場の施設をにらみつけていた。
ゴロゴロ…
大きな音を立てて雷鳴が、雷が部屋の中を駆け抜けていく。
だが、その圧倒的な速さと力を前にして時雨はしのぎ切っていた。
液状化はパンチ部分は無効化できても雷は無効にはできない。
雷を纏った少年の体はとんでもなく速く動く。
それでも時雨はまだ倒れていない。
時雨はその理由をはっきりと理解していた。
(この子は戦い慣れていない!!)
体の使い方、戦術、駆け引き。
時雨が必死になって学んできたことが活きている。
対して、少年は完全な素人。
霊力の出力コントロールも体術も技も完全に練習していない。
ぶっつけ本番で使えているという点においては時雨よりもはるかに優秀かもしれないが、今この瞬間で時雨を上回ることはできない。
攻撃の動きは極めて単純。
霊力使用前の溜めがまだ大きく目立つ。
だから時雨よりいくら速くても、時雨にはうまく当たらない。
だが完全に回避できるかといわれるとそうではない。
彼の拳が少しだけ掠る。
流石に怒涛の連撃を繰り出されると相手の速さもあってすべて回避するのは難しい。
(捌ききれない…!)
液体となった時雨の体に電流が流れるも、すぐに体勢を立て直し、時雨は次の行動につなげる。
彼は確かに未熟だが、時雨もまた熟達した戦士ではない。
次第に動きに山を張ったりして攻撃を当てにくるようになる少年を前にして、時雨の余裕は次第になくなっていく。
長期戦は不利。
戦いの中で学び、そのまま実践に移していく彼のセンス。
間違いなく時雨よりももっと高い次元に行くような素質。
(…しょうがない…多分…!)
時雨は攻勢に出る。
大変心苦しいが、もう攻撃しないのは通用しない。
でなければやられるのはこちらだ。
連続で拳を放って硬直している少年の腹へ、二刀の小太刀で剣撃を叩き込む。
できれば切断はしたくないので、鞭の形にして思いっきり少年を殴りつける。
体重の乗り方は完全ではないが、見事にヒットする。
悪くない一太刀。
だが、硬い。
あまりに硬い感触に違和感を感じる間もなく、少し後ろに姿勢を崩した少年がお構いなしに蹴りを入れてくる。
すんでのとこでそれを回避した時雨は、数回後ろに軽快なジャンプを行って距離をとる。
攻勢に出たはいいものの効きが悪い。
そんな相手に対してできることは決まっている。
連撃。
一発でだめなら、何度でも攻撃。
「はああっ!!」
時雨は刀身を伸ばして中距離から少年に打撃を与えていく。
激しい波のような攻撃を繰り出す。
「おおおっ!!!」
少年はそれを複数回食らってよろめきつつも、強引にこちらに突進してくる。
ダメージなんてお構いなしに、少年は足に雷を纏わせて勢いを増し、時雨の目の前まで近づいてきた。
とっさに時雨は相手を斬るような勢いで剣撃を浴びせてしまう。
まずいと思った矢先に、時雨の腕に返ってきた反動が想定外の事実を伝える。
打撃に「変換された」。
さらなる違和感に硬直していた時雨を、目にもとまらぬ速さで少年は拳で数回殴って胸ぐらをつかみ、前方に向かって投げ飛ばす。
ガンッ!!
後ろの家具にぶつかって、上からたくさんの道具やらおもちゃやらが降ってくる。
時雨は至近距離の少年の動きに対応できず数発もろに食らい、一瞬意識が飛ぶ。
だが、間髪入れずに飛び蹴りをかましてきた。
勢いの乗った衝撃が否応もなく時雨に意識を引き戻してくる。
全身に痛みが走りながらも歯を食いしばって耐える時雨を、少年は時雨の上にまたがって押さえつけた。
彼は両手両足を抑えるために使っているので四肢は攻撃に使えない。
「あああっっ!!!!」
バチバチバチッ!!!
とさっきまでよりも激しく重い音が駆け巡る。
晴斗自身にさえダメージが通ってしまうのではないかというくらい、無理やり高威力の放電を放つ。
それでも敵を目の前にして手段を択ばなかった。
3秒間全力で放電した後は息を切らし、体のところどころがショートして黒い煙が立ち上る。
「はぁっ…はあっ…」
過呼吸気味になりながらも少年は時雨をにらみつけていた。
時雨は激しい雷撃に襲われたことで気絶していた。
だが京人は人間に比べれば回復が早い。
少年が息を切らしたままなのに対して、時雨は数秒で意識を取り戻す。
「…げほっげほっ」
せき込みながらも、時雨は言葉をつづる。
「加賀…くん…僕は分からないんだ…何が起こっていて、何が正しいのか…」
「君の憎しみの感情は分かるのに…辛い思いは痛いほど伝わってくるのに…そうなった経緯が…分からないんだ…」
「僕は…君と戦いたくない」
名前で呼ぶなと怒鳴り返そうとするも怒鳴る気力はなく、晴斗はただ時雨の言葉を聞くことしかできない。
時雨の表情があまりにも悲しそうで、精神的にも追撃を加えられなかった。
ダンッ!
荒い息のままどうすればいいか二人で分からなくなっていたところに、部屋の外から突如として銃弾が放たれる。
銃弾は、時雨ではなくまっすぐに晴斗に向かっていた。
「っ!!!」
キィィン!!
晴斗が反応するよりも早く、時雨は晴斗を手で後ろに突き飛ばして、反対側の手に持った刀で銃弾をはたき落とす。
その一瞬の動きに目を見張る晴斗と、銃を放った先ほどの男たちは少し驚いた表情をする。
男たちに対して、時雨は今日初めて激昂した。
「今っっ!!なんで加賀くんを狙ったんですか!」
時雨は怒りを隠しもせず男たちをにらみつける。
きわめて大人しそうに見えた時雨が見せる激しい怒りに、感情に晴斗は圧倒される。
自分にいくら危害が及んでも怒らなかった時雨はただ晴斗のためには怒った。
怒る時雨を見て男たちは少したじろぐが、すぐに銃を構え直した。
男たちは京人の脅威性を知っている。
「おい、加賀の坊ちゃん!どうしたそのザマは!守られてんじゃねぇか!仇にぃ!」
恐らく男たちの中でリーダー格にあるであろう大男は晴斗に煽りを入れる。
時雨の怒りを受けたうえで晴斗の感情を煽る男たちを見て、時雨は理解した。
この男たちが、晴斗の過去に付け込んで感情を煽って時雨と戦わせ晴斗が疲れ切ったところを狙おうとしたのだ。
京では起こりえない内部対立に、おそらく妬みの感情に驚愕しながらも時雨は相手から目を離さない。
実は時雨自身にも余裕はない。
晴斗に与えられたダメージは大きく、十人以上もいる武装した男たちを相手どるのは難しい。
しかも晴斗を守りながらとなれば尚更だ。
銃が剣に向けられたものと同じだとすれば、まず被弾は絶対に避けねばならない。
(どうする!?どう立ち回る!?)
時雨にとってかなり不利な状況。
時雨は素早く目を動かして男たちの陣形を見極めようとする。
男たちはそれを分かっている。
好機を逃す手はないと、全員で銃を構えた。
腹をくくるしかないと構えの姿勢をとった時雨。
相対する両者のさらに向こう側、男たちが入ってきた扉の方で短い声が響く。
「やめろ」
ドンッ!!!
声が響くと同時に晴斗をのぞく全員に重圧がのしかかる。
男たちは重圧に耐えきれずたちまち気絶して地面に倒れ伏す。
時雨もその重圧に押しつぶされそうになりながら姿勢を崩すも、意識までは失わなかった。
時雨は体を動かすこともできず、やがて地面に伏した。
その横を、声の主が走っていく。
そして、晴斗を抱きしめた。
「ごめんな、ごめんな…!私が不注意なばかりに!」
と、おいおいと泣き出してしまった。
晴斗はその人に抱かれて、ぎゅっとその人の服を掴む。
「おじさんが悪いんじゃない…俺が、もっとしっかりしてたら、あいつらに踊らされなければ…!」
悔しい思いが二人の中の間で交わされる。
動けなかった時雨はその二人の声を聞いて、たまらず無理やり体を動かした。
強引に押さえつけてくるような圧を強引に引っぺがすような勢いで体に力を入れると同時に、少しだけ藍く暗い色が時雨の周囲に浮かび上がる。
そして、何の音もなくはじけるように重圧から時雨は解放された。
「二人とも、悪くないです…自分を、責めないで下さい…」
重圧を払いのけてから少しよろめきながら、時雨は少し体を起こす。
体力の限界が近くありながらも時雨は二人に声をかけずにはいられなかった。
そのボロボロの様子を見て、少し目を見合わせた後で加賀親子は時雨に対して振り返る。
叔父の方の加賀は涙もろいのか顔をくしゃくしゃにしていて、少年のほうはずっと唇をかみしめていた。
加賀の叔父は時雨に対して頭を下げる。
「晴斗を守ってくれて…ありがとう…!」
涙ながらに精一杯の礼を一人の京人にした。
少年の両親が亡くなったこと。
これは少年の心に大きな罅を入れた事件であった。
本人は気丈にふるまうが、その傷の大きさは計り知れない。
当時幼かった少年は出来事を鮮明に覚えることはできず、そして叔父は叔父で少年に何が起きたのかの説明ができなかった。きっと傷をえぐってしまうから。
このことが周囲に利用されてしまったわけである。
この結果を受けて、二人はもう一度何があったのかについてもう一度話をしなければならない。
こんな状況を作り出さないために。
あと一歩間違えればたくさんの人が傷つくところだった。
そして今回の出来事で晴斗に降りかかった災難を排除してくれた時雨には、加賀は感謝せずにはいられなかった。
時雨は正直罵倒されると思っていたので感謝されたことに少し驚いてしまった。
でもその気持ちは受け入れて、叔父の方には頭を上げさせた。
「少なくともみんなが無事でよかったです」
そう時雨は微笑んだ。
周囲の男たちも無力化されただけで死んではいない。
多少少年を攻撃してしまいこそすれど、軽傷で済んでいる。
この事実がせめてもの救いだった。
「…ごめん。たくさん殴って」
少年は謝った。
感情をあおられたままに猛攻を加えたから。
少年には自分を守り、自分のために怒ってくれた相手が憎い仇の仲間とは思えなかった。
自分が騙されたのだということを固く噛み締める。
状況を顧みて安心している時雨は今この場の誰よりも傷ついていた。
体は既にボロボロ。服もかなり破れてしまっている。
襲ももう一度新調しなければならないだろう。
そんなボロボロの京人に、少年は謝罪の言葉を上げる。
自分がうまいこと利用されたこと。
その結果として時雨が受けたダメージ。
今回の出来事に対して、少年は自分の未熟さが原因であると、少年は感じずにはいられなかった。
「いいよ。まだすぐ治る範囲だから。加賀くん。また会おうね。今度はゆっくりクッキー食べながら話そう。」
時雨はそれだけ言う。
「ああ…うん…またな、時雨」
少年はそう返す。
やさしさに触れて。
少年はきゅっと締まるような辛い気持ちの中に、少しだけじ~んと、温かさが胸の内にこめられ始めていた。
時雨は、小さく少年に手を振って、そのあとは少し走って去っていった。
初めて少年が自分の名前を呼んでくれた。
時雨の胸の内はお日様の光を浴びた布団のようだ。
時雨はこの建物の中の道は分からずとも、少しでもあの親子をそっとしておくために少しだけでも離れようと走る。
「しぐれちゃあああああん!!!?」
走る時雨の元へ、空飛ぶエイの召喚物に乗った美空が大慌てで来た。
随分と心配したらしく、青ざめた様子の美空。
美空に無事だということを伝えようとして遅れて全身に激痛が走る。
そのままずっこけた時雨をすんでのところでエイがキャッチし、座布団よりもはるかに大きなエイの背中にのせた。
「何があったのこんなに!?痛かったでしょう?!」
美空が時雨の様子を見て慌てて質問する。
エイの背中の上で横にしてもらって時雨は先ほどの親子のことを思い出しながら。
「一番痛かったのは…僕じゃないかな…また、話そう。帰ってから落ち着いて話そう。今は…少しだけ休みたい。」
時雨はそれだけ言ってエイの背中の上で体の向きを変えた。
横倒しになって、時雨はじっとエイの背中とその後ろで流れていく灰色の壁の景色をぼんやりと眺めていた。
風を浴びて揺れる時雨の髪は、後ろにさらさらと流れる。
美空はその様子の時雨を見、今はあまり深く詮索できないなと感じてただエイの速度を速めて帰りを急ぐ。
できるだけ早く休ませてあげるために。
そして何より今後のために。




