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第二部 十四話 人間 

ここから第二部です。

 ジリリリリッと少し時代の古い電話の着信音が鳴り響く。

 時代にそぐわぬ電話からなる音は随分と大きく耳に響いた。

 黒い大きな受話器をとって30代くらいの男ははい、と少し太い声で答える。


『吉田、何だ昨日の報告書は。』

 

 持ち上げた黒い受話器から聞こえたのは静かながら怒った声だった。

 男はやれやれとばかりに首を小さく横に振って答える。


「なにって、この間の試験弾の報告書ですよ。」

 


 吉田と呼ばれたその男は背が高く体つきがかなりゴツい。

 


 彼はある事務所の所長であり、電話がかかってくる前までは所長室で人員の管理に不備がないかを確認している途中だった。


『吉田。あの試験弾はな…』

 


 吉田はさっさと終わらせてしまいたい作業を中断されたことに対していら立ちを募らせるが、通話相手はそのまま話を続けようとする。


「おいおい、説教なんかお前から受けるつもりはねぇ。 ってことで質問には答えたからもう切るぜ。あんたの声はあんまり聞きたくねぇ。弱虫が移りそうだ。」



 吉田は上司の説教が始まるとわかるや否や嫌悪感を隠す気もなく話を遮る。

 


 吉田は彼の上司を随分と嫌っている。上司は会社が隆盛を極めた大企業となったのに、かなり慎重派。


 その点ガンガン新しいことをしたい吉田からすればウマが合わないのは当然というべきか。



『電話越しとはいえ直接よくそんなこと言えるな…』



 受話器から聞こえてきた愚痴を無視してブツンと通話を切る。


 作業を再開しようとするも、使っていたペンがインク切れを起こして紙に溝を作るだけになってしまった。

 


 男はふぅと短く強めにため息をついて替えのインクを探しに、黒く高級なふかふかの椅子を離れて部屋を出ていく。




 カタカナのコの字になったデスクの上に残された資料には、「京人白書」と書かれた分厚い資料が残されている。

 その下に小さく書かれた会社名。



 MAXコーポレーション。


 この国で最も大きく、政府の援助を受けた研究機関を擁する大企業である。



 表向きは新技術に関する研究と開発。

 その裏では霊力に関する研究を行っている企業だ。



――――


 この国の人類の歴史において、京人の征服は悲願の夢であった。

 

 圧倒的な戦闘能力に加え、ここ百年の間に劇的に進歩した科学でも禄に解明できなかった不思議な力。


 京人さえ手中に収めれば、怖いものなしなのは間違いないとされてきた。

 

 今ある大国と互角以上に渡り合うことができる超人たちはかつて人類よりも先にこの列島に住み、怪人などのほかの地域では見られない脅威から幾度となく人類を守ってくれていた。


 最初は人類は協調の道を選んだ。

 

 だが京人の平和主義は人類の間で争いが始まると不便な性質と言わざるをえない。

 

 戦に加担しようとしない彼らに業を煮やした人類たちは、鉄器が生み出され始めたあたりで京人に戦争を仕掛ける。


 結果は惨敗。

 それから何度も大砲やら銃やらなにやら新兵器を生み出すたびに戦争を仕掛け、そして敗北し続けてきたのである。


 それでもなお味方にできたら、命令できるようになれば絶大な力を手に入れられるから。

 

 そう何度も権力を手にした者たちは大きく国家を動かしては京人に挑み続けた。

 

 そうして今なお権力者の夢として京人の征服は残り続けている。


 ――――



 時雨はその話について小耳に挟む程度で知っていた。

 数年前に美空が教えてくれたことがほとんどで、そもそもいきなり身分不明のまま現れた時雨は軽くしか教育を受けていない。

 

 読み書きこそできるが京における一般教養はところどころ欠けている。


 歴史上人間との間の抗争は毎度京側の圧勝に終わっているのは前述したとおり。

 その理由は時雨が森で起こしたことが如実に示している。

 

 圧倒的な力の差。


 霊力の含まれない攻撃や衝撃に対してめっぽう強い京人がほぼ負傷することはない。

 

 純粋な筋力も大きな猛獣と真っ向から勝負できるほど。

 当然全力でなくともある程度力を入れてはたけば人間の体など簡単にちぎれてしまう。


 それゆえに剣に撃ち込まれた弾丸は異質そのものだった。


 時雨が見たその弾丸には霊力が一切含まれていない。

 

 本来ならこの弾丸は皮膚を突き破ることすら困難なはずなのに、剣の腕を再起不能にしたことは京の至る所で話題になっていた。


 それから数日と経たないうちに人間に対する調査が行われることになり、複数のメンバーが動くことになる。


 時雨は広場の半分しか見えない空を見上げる。

 もう立派な桜の葉が生い茂っていて、そろそろ春も後半だということを告げていた。


 自分が邪魔になり得ることは分かっている。ただ友人の右腕が取り返しがつかないことになったことに対する複雑な気持ちはもやもやとしたままだった。


 せめて何か1つでも明らかにしたいというのが本音だった。


 剣にもまた言われてしまうだろう。

 なんでお前がそうまでするんだと。

 自分が怒る立場にないことくらいは時雨も分かってる。

 それに調査、それこそ未知に挑む際にはまだ経験不足であることも。



 それでも時雨の感情は一件絡まなければ収まりそうにもなかった。

 

 だから自ら直談判して調査メンバーに加わった。

 自分が弾丸を内蔵していた銃がどんなものか分かるからと売り込んだ。

 結局のところもっともそうな理由をつけてわがままを言った。


 それを一度は拒まれたものの、仕方ないとばかりに最終的には受け入れてもらった。


 その時に役立ったのが森から帰ってから手にした新しい天賦。


 液状化。

 霙と同じものである。これにより狭い通路の通過ができるようになり、探索や隠密行動が可能になる。

 既に霙が推薦されてメンバーに入っていたため、この系統は潜入調査において重宝されるのだろう。


 さらに時雨は水流操作も扱えるので、液状化しつつ高速移動も可能であることが大きい。

 剣と別れて以降ずっと練習し続けた甲斐があったと言えるだろうか。


 それから数日間の打ち合わせや役割分担、それに合わせた予行演習を経て一行は調査に出かけることになった。

 メンバーは少数に厳選されている。


 膳所

 美空

 霙

 見知らぬ先輩が1人。

 時雨


 そして今回は幹部も同行する。


 颯。 

 幹部の中で最も若手かつ最速の少年。

 時雨たちとの年齢差はたった3年。

 

 膳所よりも1個下だ。

 彼の活躍は京の中でも非常に有名である。


 僅か4年で幹部入りしたという過去最速記録を更新した神童と称されている。

 幹部入りというのはとても大きな功績であり、そもそも幹部足り得る身体能力を獲得するまでには普通20年はかかるもの。



 風系の能力に加えもともと突出した敏捷は圧倒的な機動力を誇り、目にも留まらぬ速さで戦うそうだ。

 武器は比較的短めの槍。

 

 低めの彼の身長に合わせて作られた非常に軽い特注品。

 刃の部分は黒く光り、ところどころに脈のような緑色の線が迸っている。素人が見るだけでも業物だと分かる代物だ。


 正直この人がついてくる以上は失敗しそうにないくらいの安心感がある。

 

 ただ、ここで安心しちゃいけないだろうと時雨は頬を叩いて気合を入れ直す。

 横で見ていた美空は不安げな顔で時雨の様子を見ていみたいだ。

 

 美空は時雨が参加すると聞くなり頑なに参加すると言い出した。彼女の能力も調査向きということで許可が下りたのは良かった。

 もちろんメンバーも美空に時雨について任せるつもりらしい。ルリマダラ怪人の時以降無茶することに定評がある子だと認識されてしまったことで監視役がいると思われているようだ。


「んん…まあ…そうか…」

 時雨は小さな声でつぶやく。


 いや、時雨とは実際に無茶をする子である。

 京に救われたからなのか、生来の性格なのか、保身という概念が非常に薄い。

 

 だからこそ犠牲を嫌う首領の方針からしたらなかなかの問題児であることには変わりがない。


 それに思い出すのは先日鍛冶師の人に手渡された護符。

 避雷の羽飾りと言うらしいそれは時雨の手に渡った途端輝き始めた。


 雷に対して一定の防御効果をもたらすという。

 なぜそれを渡されたのかは分からないけれど、大切に持っておくことにする。


 少なくとも今回役に立つことはないだろう。

 なぜなら今回時雨に言い渡されたのは、人間の町の施設内や裏道の探索だから。

 

 特に技術などが明らかになるような設備などは会社の方針と実態を考えれば基本的に隠された場所にあることが多いだろう。

 仮に場所が地下室だったとしても、通気口などを通って侵入できる時雨、そして霙辺りは頑強なセキュリティーを無視できる可能性が高い。


「交戦は特別な事情がない限り禁止だ。」

 颯が注意喚起する。


 隠密行動をするから当然と言えば当然だ。

 美空は時雨にタコの召喚物を付き添わせるつもりらしい。

 

 時雨と同様に狭いところを通り、タコ特有の体色変化周囲に同化し、隠密する。

 そしていざとなれば煙幕も出せるという適した選択だ。

 

 美空自身は付き添うことができないが、これで情報共有と意思疎通が可能になる。


 各々の準備ができたのを確認して、幹部の颯を先頭に京を出発する一行。


 風が揺らぐ。

 ザッ、という音が京の街の中ににかすかな足音が響いていく。


 下草に靴がぶつかり激しく揺れる。

 ある者は屋根伝い、ある者は地を駆けるなどそれぞれに適した方法で移動していくうちに京の外側に出る。


(…速い!!)


 霙は自らの足では考えられないくらいのハイペースに感覚的になれなかった。

 前方からぶつかってくる空気の塊に思わず目を細める。

 

 颯が追い風の加護を付けてくれているおかげで足の速さに自信がない霙も置いて行かれる心配がない。

 追い風がそれぞれに味方して素早い行動を可能にする。特に霙には強めに掛けてもらっているようだ。


 ふぅっ…と軽い音がして、景色が変わる。

 

 京の外側を覆う透明なベールを潜り抜け、森の中に出る。

 そして、もう後ろを振り返っても京は見えない。



 

 京の存在は隠されており、外側から認識することは霊力を使わない限りできない仕組みとなっている。

 

 その一方御影山は京とは違い隠されているわけではないので、入ろうと思えば霊力なしでも入ることができる。生きて帰ることができるかは別問題だが。


 移動すること5分弱。


 追い風の加護の効果はすさまじく、普段の時雨なら20分はかかるだろう距離をあっという間に通過する。


 次第に開けた土地へ変わり、大きく発展した人間の町が姿を現した。


「わあ…!」

 

 京の建物よりもはるかに高く、全面がガラス張りの高層ビルが並ぶ姿は圧巻だった。

 

 初めて都市を見る者たちが見慣れぬ景色に驚くのも束の間、これから自分たちが足を踏み入れる場所は未知の場所なのだと緊張感が走る。


 まだ町が遠く、人目が多くないうちに各自で持ってきた準備を始める。

 

 隠密効果を持つ羽織を、全員が装着することになっていた。

 

 今回参加するものの中には時雨を含め隠密の訓練を受けていないものも含まれており、その技術不足を補うために京の造部が制作した道具だ。


 自分の姿を見えなくするとともに、音を立てても周囲に聞こえなくなるなど優れた点を持つがかぶっている間は自分の天賦や能力が使いにくくなるという欠点もある。


 これはこの羽織に仕込まれた術式によるもので、主に使用者自身の霊力を利用して、周囲との簡易的な空間の断裂を生む効果を持つ。


 利用している間は独特な霊力の動きが発生する関係上、一番近くにいる自分の霊力の使用加減も非常にややこしくなる。

 

 慣れたら問題なく発動できるが、慣れないうちはやめておいたほうがいいらしい。



「ほんとだ難しい…」

 

 霙が半分羽織をつけた状態で液状化を発動してみてこぼす。


 一瞬液状になったかと思うと、いきなりもとに戻ってしまう。これでは能力を使用した状態を維持するのは難しいだろう。

 

 時雨は新しいことをぶっつけ本番で成功した試しなどほとんどない。

 

 霙の例も見て、大人しく慣れない人用の運用をしたほうがいいと判断した。


 隠密の羽織の袖に腕を通した後、それぞれの役割ごとに散会する。

 

 基本的には町の中を探索する形になる予定だった。


 足の速いものたちは町中をくまなく散策し、セキュリティを無視できる霙と時雨、そして美空のタコは目星をつけていた大きな建物の中を探る役割を負っていた。


 美空は町の中を移動しつつ召喚物を駆使して情報を探る。

 超音波を放つ蝙蝠、鼻の効く犬などを召喚した美空はくまなく情報を探すつもりのようだ。

 

 彼女が大きく成長して以降一緒に戦いの場に身を置くのはかなり久しい気がする。

 また背中が遠くなったような気がして、時雨は美空から目をそらした。



「…」

 

 そのまま黙り込んで人通りの少ない道を歩いて移動していく時雨は周囲の建物をにらみつけている。

 高い建物が自分を嗤っているように思えて仕方がなかった。


 自分たちの姿は周囲を歩く人たちからは見えないので、基本的にはぶつからないように気を付けて歩く。

 

 といってもこの街はどうやら「ベッドタウン」なる場所らしく、理由は分からないが昼間はほとんど人の姿が見えないらしい。

 たまに犬の散歩をしている人を見かけるくらいで、それ以外はほんとうに誰もいない街だ。


「ワン!!」

 

 それにしても犬は敏感だ。

 霊力に関与していない普通の犬なのに、隠密中の時雨に反応を示す。


 ぐるぐると低く唸って威嚇してきた。

 

 飼い主の方は困惑するばかりだが、あまり感覚の鋭い動物相手には近づかないほうがいいかもしれない。




 いつもと様子の異なる時雨を目の前にして、霙はどう声をかけてよいのかわからなかった。


――――――


 指定されていた場所「財団MAX管理所第一館」と赤く書かれた建物の看板を見上げる。

 一見そこらの建物と大差ないように見えるが、上から見ればわかりやすく建物が大きい。


 ここの様子を探るために時雨たちはいったん建物の周囲を見て回る。

 

 換気扇を見つけ次第そこから入り込む予定だ。

 正面玄関から入るとなれば何かしらの痕跡が付きやすいことに加え、そもそも自動ドアが反応しないという状態なのもあいまって別のどこかから侵入したほうがいい。


 (こっち側ではないか…)

 ひとしきり建物の周りを回ってようやく小さな換気扇を見つける。


 

 ここで二人とも羽織を素早く脱いで液状化して狭い隙間を通り、少しずつ進んでいく。

 

 いきなり部屋に出たらまずいので、出口がどこにつながっているかはきちんと確認しなければならない。


 (大丈夫そう…!)

 

 換気扇から通じる穴から部屋に出る。

 人の気配が全くないこの場所は、まさかのトイレ。比較的新しいとみられる壁やタイルの様子を見る。

 

 かなりよごれやすい場所のはずなのに非常にきれいな白色をしたタイルを見たが、特段異常らしいことも人の気配も感じない。


 京人の五感は人間よりもはるかに優れているが、耳を澄ましてもほとんど機械音しか聞こえない。

 本当に人がいるのかと思ってしまうくらいには静かだ。


バチッ…


 状況を確認し終わると、時雨は腰に差した水妖を伸ばして天井裏に通じる隙間に入り込ませる。


 できるだけ音は立てないように力加減をしたつもりだったが、うまくは行かなかったようだ。


 少しヒヤリとした。


 霙はそれに沿って液状化したまま進んでいく。

 時雨と違って霙は水流操作を持たないため、液状化したまま動いて天井にたどり着くのは難しい。

 

 霙がよくやっていた蹴りなども液状化する前に助走をつけて運動エネルギーを溜めているから蹴りとして成立する。



 先ほどの外から換気扇を経由して入ってくるまでの間は時雨が水流操作で霙を前進させていた。

 

 霙が天井裏に移動したところを確認した後、時雨も液状化と水流操作を駆使して天井裏まで移動する。


 (流石にちょっとホコリっぽい…)


 天井裏は配管やらいろいろなものが見えるが、基本的に天井は狭く幅も狭い。



 (早く移動しましょう)

 霙の合図と表情がそう訴えかけていた。


 時雨もその意見に同意する。

 二人が移動するにはほとんど関係ないものの、仮にここで戦闘になったら間違いなく面倒くさいことは明確だった。



 できる限り音を立てないように進む。

 狭い場所だが能力の使用はできる限り控えたほうがいい。


 液状化した際に大きな音を立てず移動の力を生み出せるのは時雨の水流操作のみとなってしまうため、下手に使いすぎると時雨がガス欠になってしまう。


(結構長いし分岐しないのかな…)

 

 二人でゆっくり這うように進んでいく。

 

 二人は周囲の音に聞き耳を立てるが、天井裏に入って以降情報を得られるもので有用なのは恐らく人の会話程度である。

 ただ部屋の中よりも機械音が大きいので、時雨たちでは内容までは聞き取れない。

 詳細な情報はタコがいろいろ収集してくれているようだ。美空を介して得たものは共有していくらしい。


(これは…)

 

 そこから数メートル進んだ後、ほかの部屋につながる通気口を見つけた。

 その先からは先ほどから聞こえていた人の声がする。


 2人程度だろうか?何か話していることはわかるが、やはりその内容が聞き取れない。

 

 エアコンの作動音が近くで聞こえるせいも大きいだろう。

 もう少し近づくべきかと考えた時雨は、少しずつ前進する。


 ((!!?))


 ちょうどその時何かのスイッチが押される小さな音とともに、天井裏がガタガタと動き始めた。

 

 先ほどまで壁だったものはスライドして配置が換わり、まるで天井裏そのものが何かのギミックであるかのようにコロコロと道も壁も姿と配置を変え、動き出したその経路上にいた二人は回避を余儀なくされる。


 霙は青ざめて、わずかながら「あっ!!?」と声を上げてしまう。

 咄嗟に口を覆う。

 

 運悪く時雨だけが足場を踏みはずしたのだ。

 地面にぶつかる前に液状化したはいいもののそのまま通気口を通して部屋の中に落ちてしまう。



 バシャーン、という盛大な音を立てながら落下した時雨は、落下した後にすぐに元の姿に戻ってしまう。

 液状化の持続時間は時雨の場合かなり短い。

 

 まだ不慣れなこともあってか5秒とちょっとという具合ゆえに、完全に時雨は施設の人の目の付くところで姿を晒してしまうことになった。


 (…しまった)

 驚いた表情でそんな時雨を見ていたのはひとりの少年。

 

 淡い水色のツンツンした髪に紫色の瞳。身長は時雨よりも高いが、美空と比べると少しだけ大きいくらい。

 年は分からないがほとんど同年代だろう。


 テーブルに座ってクッキーを食べていたその少年は、おずおずと


「…大丈夫か?」

 と手を差し伸べてくれる。


 時雨としてその挙動にドキリとした。

 本来なら人間の街に京人はおらず、そもそも液状化のような「能力」にあたるものは都市伝説的な扱いのはずである。

 

 当然それを目の当たりにすればかなり動揺したりするはずなのに、この少年はそのことは気にかけず。

 いきなり時雨が出てきたことに対する驚きと心配を見せてきた。


 瞠目する時雨に手を差し伸べていた少年は、


「あ…わりぃ、いきなり知らん人の手は握れないよな…」


 と気まずそうに後頭部を描きながらそっと手を引っ込めて時雨を直視しないようにしていた。


 

 少年の様子を見、時雨からみて彼はただ人間付き合いが苦手ではあってもただ優しい少年なのだろうとは感じた。

 

 もう目の前に出てしまったのだし、彼が友好的っぽいところが見えたので、いっそいろいろ聞いてみたほうがいいのかもしれない。


「…いや気遣いありがとう。」


 と立ち上がってじっとその少年を見る。

 時雨の言葉に少し驚いたように少年は時雨を見る。


 ラベンダーのような深く優しい紫の相貌が、こちらを見ていた。僅か数秒に満たない時間が経った後少年は「それならよかったけど…」と照れくさそうに視線をずらした。


「クッキー、食べるか?」

 照れくささを紛らわすように少し後頭部をかいた後、少年はテーブルの上にあるクッキーを指さす。


 白く平たくて丸い皿の上にのせられているそのクッキーたちは、ピンク色だったり優しいクリーム色、茶色や緑色など様々な色でひしめき合っていた。


 そのカラフルな食べ物を初めて見る時雨は、少し戸惑った。

 

 少なくとも先ほどまでこの少年が食べていたものゆえに、毒の可能性は極めて低い。

 罠であるとは思いにくかった。


「あ、ありがとう」

 

 時雨はより円滑に話をする意図もあって、少年の提案に乗っからせてもらうことにした。

 

 少年の座るテーブルの反対側の椅子を借りて、クッキーの山を目の前にする。


 少年はこういうことに慣れていないのか、そわそわとしていて落ち着きがない。もじもじとしている。

 

 変に思われていないかな、という思いが彼の瞳を通して口に出さずとも伝わってくる。


 自分は美空じゃない。瀬戸香じゃない。

 人と簡単に打ち解けていくようなことはできない。


 それでも。

 

 せめて美空たちにしてもらっていた空気作りを、時雨は見よう見まねでも実践する。

 

 時雨はそっと優しいクリーム色のクッキーを一つとって口に運ぶ。


 口に入れて噛んだ瞬間に甘みと少々の塩味を感じる。

 うまい。


 初めて食べるクッキーの味に驚いて思わず目を輝かせる時雨を見て、

 少年は安心したようだ。

 

 少年の吸うばかりになって気管支まで詰まっていた空気が、塊になって出てくる。


「おいしいね、これ」

 そう時雨は少年に笑顔で問いかける。


 その言葉を聞いて少年はやっと笑ってくれた。


 相変わらず照れ臭そうに、でもとても嬉しそうにくしゃっとした笑顔は、年相応の少年のそれであった。


「叔父さんが良く作ってくれるんだ。昔は父ちゃんが作ってくれてたんだけどな…」


 そう叔父のことを語った後で、少し切なそうな表情をする。

 

 うつむいた彼の顔に浮かぶ紫の瞳は、宇宙を反射させた揺れる水面のようだ。


「お父さん、今は忙しいの?」

 

 時雨は少年の変化に驚きながら問いかける。


「いや…父ちゃんは昔…死んだんだ。」


 時雨の質問に対して少し苦しそうな顔をして、少年は答える。

 時雨ではない、少し斜めの方向を見る少年。


 その様子を見て時雨はここで初めて対応を間違えたことを察する。


「っごめん…辛いことを話させちゃったね…」


 そう時雨も申し訳なさで謝る。下を向いてしまう。

 自分はやはり未熟だと、そう思わずにはいられなかった。


 家族の話、特に遺族の場合は相当デリケートな話になる。


 時雨は本当の親を知らない。

 

 だから時雨はそのことについて相当鈍感だった。

 そしていくらそうだとしても、自分の失態は見逃すことはできない。


 両手が甚兵衛に深いしわを刻む。


「いや、いいんだ。」


 うつ向いてしまった時雨に対して、少年はそんなに気にするなといった体で話す。

 本人はそうは言いつつも、その辛さは抑え込んでいるだけで隠しきれてはいないような気がする。


「…え…っと、その、そんなことよりさ、せっかく会ったんだ。君の名前を聞かせてくれよ。俺は加賀晴斗。」


 ぎこちなくて無理やりだと思われようと、少年は話の転換を図る。

 

 少なくとも久々にこんなに長く話ができた相手の名前くらいは知っておきたいという思いから、相手の名前を聞く。

 

 少年が宿すのは不器用ながらも偽りのない気持ちだけ。


「え…んと…時雨。時雨っていうの」

 時雨はつまりながらも答える。


「え、それ…苗字?それとも名前…?」

「うーん、名前かな。友達がつけてくれたの。記憶なくしてるから本名は分かんない。」

 時雨は困り眉になりながら、微笑んでみせる。


「…すまない、悪いこと聞いちゃった」

 

 少年は名前について問いただした後、あまり触れちゃいけないものに触れてとっさに謝る。


「僕もさっきデリケートなこと聞いちゃったし…お相子だよ」


 時雨は話が重くならないようになんとか発言する。


(話するの難しい…!)

 時雨は内心悲鳴を上げていた。

 ちょっと空気が硬い!

 今までどうやって会話してたっけ…!?

 

 時雨の対応が少し予想外だったのか、ぽかんとした顔をした少年は少し間をおいて、

「あ、ああ」とぎこちなく返事をした。


バァァァン!!!

 

 二人の会話が少しなごみ始めたところで盛大な音を立てて部屋の扉が開かれる。

 

 二人とも驚いて立ち上がり、そちらを見る。


「おう、加賀の坊ちゃん。ったくお前は随分と腑抜けてやがるなあ?そいつは京人だ。お前の父ちゃんを殺したやつの仲間なんだよ!」


 そう、大柄な、黒いスーツに身を包んだ男は叫ぶ。扉の前で声高にその情報を吐いたその男は、両手を横に広げ、天を仰ぐように大げさな挙動を取る。


「憎いだろう坊ちゃん!親の仇の仲間がお前に正体を隠して近づいてきた!今度は何を企んでいるんだろうなぁ!?」


 少年は視線を下に落としたまま、固まっている。

 わなわなと体は震え、握る拳は力に揺さぶられるようにひときわ大きく動き出す。


 少年は少しの凍り付くような時間が過ぎて、時雨に視線を戻す。

 少年の紫の瞳が、時雨をとらえた。


 先ほどまでの温和さが嘘のように、明確な憎しみと怒りを宿し、ただひたすらに熱いようで冷たい殺意が時雨を貫かんとしていた。


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