十三話 折れない心
右手がしびれているにも関わらず、激突した岩を砕いてしまうような体をしている怪人を一刀両断して見せた剣。
時雨にとって彼の実力は自分よりもはるかに高い次元にいるように思えて仕方なかった。
少なくとも剣技ではまず比較すらできないだろう。
彼の後ろで次第に顔を出した日の光が怪人を倒した後の余韻を引き延ばしている。
剣は「忘れてた」と言ってかるたを怪人に突き刺す。
怪人の半身が吸い込まれて、もう一方の怪人の体にもう一度突き刺して全部吸収させる。
他方剣も剣で時雨に感心している面もあった。
他を助けるために迷いなく戦うことができる精神になにより機転の利く対応。
ボディプレスといい突進といい、時雨の補助が無ければ剣の怪我はもっとひどかったことだろう。
最悪負けていたかもしれない。
剣は左手に残った重みをまるで大切に持っておくかのように握りしめる。
「時雨。今日からお前は俺の好敵手だ」
剣はそう時雨に宣言した。
その突然の言葉に対して目を丸くする時雨。
先ほどまで時雨のことなど知るかといわんばかりの態度が嘘のように、剣の態度が軟化している。
戦闘の時にいくらか補助ができたのが功を奏したのか、と半ば困惑しながら解釈する。
時雨には他人の心境を憶測するのは難しかった。
だが初めて時雨に向けられた剣の真摯な眼差しが、嘘偽りない言葉であることをまぎれもなく表していた。
剣は時雨に手を差し出してくれる。時雨は剣の手を取って立ち上がる。
時雨はようやく時雨なりに状況を飲み込めたことで、ようやくいい関係に気づけそうだと感じた。
そして剣に面と向かって。
「ありがと」
そう微笑んで返した。
剣は「ん゛っ」
とぎこちなく頬を赤らめてそっぽを向いてしまう。
そっぽを向かれてしまった時雨はあれ、そうでもないのかな…と少し落ち込んでしまった。
他方剣は剣で時雨の笑顔を何故か直視できなかった。
バクバクと心臓が鳴っているのが妙に恥ずかしくて時雨に気づかれないようにと内心で祈るだけ。
二人はその後怪人が現れる前に行っていた作業を終わらせて一旦周囲を確認することにする。
ここにもユメミズアオの姿は無し。
怪人が現れると姿を消していたシッキトンボも再びちらほら見られるようになってきている。
川辺の様子も緩やかな流れがあるのみ。
だが時雨はあることに気づく。
あれ、赤綱晶じゃない?
と指を指して剣に知らせる。
怪人が激突して砕けた岩の、おそらく内側にあったであろう赤い石の塊が顔をのぞかせている。
透き通るようで鮮やかな赤色をした石のとがった先端が日光を通して輝いて見えた。
まるで地上に出るのをずっと待ち望んでいたかのようにその結晶は図鑑で見たよりもはるかに鮮やかな色をしていた。
二人は急いで採掘用具を使って掘り起こしてその欠片、といっても片手では持てないような大きさのそれを箱に詰めていく。
後はユメミズアオだけ。
少しずつ夕方に近づいてきている。早めに行動した方がいいだろう。
ユメミズアオは夕方に活発に行動するが、日が暮れてしまうと忽然と姿を消す。
好機でもあるがそれを逃すと後がない。
急いで採取物の入った箱を抱えて森の中へ急いでいく。
枯れ葉の乾いた音を立てながら走っていく。森の中はすでに暗くなっており、周囲は見えづらい。
だがユメミズアオを探すときは暗い方がいい。
なぜなら彼らの羽、正確には鱗粉は暗闇で淡い翠色に光るからである。
そして虫網を刺しておいた樹液の出る木の周辺に来れば、そこはもう幻想的な風景が広がっていた。
百にも及ぶだろう数のユメミズアオが森の中を舞うようにゆったりと飛び、あるものは樹液に集まり、あるものは素早く森の中を優雅に飛び回っている。
ユメミズアオから発せられた光はほんのりと森の中を照らしているみたいだ。
二人はそっと彼らを脅かさないようにゆっくり動いて捕虫網を構え、息を合わせてそれぞれ別々のユメミズアオを捕らえる。
仲間が捕らえられた瞬間、たくさんいたユメミズアオはすぐにふっと姿を消す。
彼らの鱗粉の発光は任意らしく、逃げるときは無発光でひっそりと逃げていく。
これ以上は追跡できないが、捕まえたユメミズアオは手元にある。
捕まえられたユメミズアオも先ほどまでとは全く異なるほぼ黒といっていい濃い緑の姿に変わっている。
こちらが保護色となり、光るのはそれこそホタルのように互いを見つけやすくするためなのだろう。
パタパタと逃げようとするその子を優しくつかんだまま、互いに捕獲できたことを確認して虫かごの中にそっとしまう。
大きさとしては手のひらのほぼ同じくらいの大きさで、蛾の仲間の中でもそこそこ大きい方だ。
綺麗な姿が有名でこそあるが、苦手な人はそこそこ多い。
かなり大きくなった荷物をまとめて二人で運び、京への帰り道を目指す。
既に日は暮れかけている。早いところ帰還した方がよさそうだ。
夜中は比較的攻撃的または縄張り意識の強い動物たちが動き回るので、大きな荷物を持ったままの移動は少し危険である。
周囲を警戒しながら進むうちに、何やら会話が聞こえ始める。
他の任務に来た同僚だろうか。それこそ夜中の怪人などの討伐も少なくはない。
バスン
そう妙に軽い、しかしそれでいながら不快で不気味な音が鳴る。
そしてその音に反応した時雨の横で、剣が崩れ落ちる。
急に力なく倒れこんだかと思うと彼は突如として呻き出す。激しい痛みに悶えるように叫び、体を揺さぶりながら苦しみ始める。
明らかな異常事態に頭が真っ白になる時雨。
そこへ、ざりざり、と足音が近づき、ビカッと眩い白い光が時雨を照らす。
動物ではなく明らかな京人と変わらぬ足音に戦々恐々としつつ、血の気を失ったような白い目を見開いたまま、時雨は後ろを見る。
「アッハハハ!!効いてる効いてる!」
そう妙にハイテンションな若い男2人がガサガサと近くのツツジの葉を鳴らしながら現れる。
時雨は剣を庇うようにして前に立ち、様子を窺う。明らかに京人ではない。霊力の反応が全くない。その事実が示すのは彼らが京の外に住む人間であること。
思考が混乱する。人間が京人になぜ危害を加えた!?
そして何より。
何故人間が京人に危害を与えることができる?!
京人はその身体能力や特殊能力の強さから、外側の人間は全くと言っていいほど太刀打ちできない。
そもそも霊力を伴わない攻撃は怪人にも京人にもほとんど意味をなさないはずだ。
それが今、剣を苦しめるに至っている。
彼に一体何をしたのか。
「おい、何かかわいいのがいるぞ?こいつらには何してもいいって話だったよなぁ?」
そう一人の若い男が相方に声を掛ける。
一見大人しそうな茶色のマッシュの前髪の奥には興奮しているのか血走った目。
その様子に時雨は身の毛がよだつような感覚を覚え、採取したものを置いてでもすぐに剣を抱えて逃げようとした。
背を向けた時雨に向かって、中くらいの白い銃を構えた若い男は発砲する。
「ちっ外した?!」
一発目は当たらないが、それに驚いて向きを直した時雨にもう1発の弾丸が迫る。
京人である時雨にはその弾丸は視認できる。
だが、避けたら剣に当たってしまうことがよぎった時雨は一瞬判断に迷う。
その迷いが、時雨の隙を生んだ。
時雨の右の足首に銃弾が命中する。
ぐらっと足から力が抜けて立つことができなくなり、そのままへたり込んでしまう。
そして一拍遅れてくる強烈な不快感。
だが幸いにも剣のものほど過剰な反応は見られなかった。
しかし効力は十分で、時雨がへたり込んで歩けなくなったところに、若い男は歩み寄る。
「俺たちと遊ぼうぜ~かわいい子ちゃン!たっぷりかわいがってやるからさぁー!」
時雨の手をつかもうと手を伸ばしてくる。
気持ち悪い!
そう時雨は思った。その若い男の邪な目と雰囲気が、見え見えの害意が、臓物が煮えくり返りそうなほど気持ち悪い。
時雨は伸ばされてきた手を思わず強く打ち払った。
そしてべきゃり、と惨い音がして若い男の右腕、肘より少し前のあたりから腕がもげる。
「ぎゃああああああっ!?」
先ほどまで随分とえらそうにしていた若い男は情けない声で痛みに悶絶して叫び声を上げる。
地面をのたうち回り、溢れ出る血を当たりに撒き散らしながら足が空虚に振り回され始める。
もう一人の若い男もその光景に顔を真っ青にして、数歩後ずさりしたのちに全速力で逃げ始める。
そして時雨もまたその光景に恐怖と驚愕で目を見張り、瞳孔を収縮させていた。
まるでもろいおもちゃみたいに呆気なく人間の手がもげた。
なにより自分が腕をもいだという事実が恐ろしくて恐ろしくて堪らなかった。
体がすごく冷たくなる。息が浅く速くなる。
胃からせりあがってくるものを必死にこらえていた。
だが、その時雨に固まっている余裕など与えられない。
血の匂いと叫び声に誘われて現れた猛獣が、姿を現し始める。
大和虎。
大陸産の虎と比べて小さな体だが獰猛なハンターで、霊力の影響も大きく受けたその身体能力は並の虎を大きく上回る。
体色は緑色よりの黄土色。そこへ黒の縞模様が入る。色彩的にも森に紛れるような色になり、視覚に頼る相手に存在を感づかせない。
京人でさえ餌になりうるほどの脅威に時雨は慌てて剣を抱えて刀身を伸ばし、かつて竜を相手に逃げ回ったときと同じように木を伝って一気に加速して逃亡する。
流石に採掘した結晶は置き去りにするしかない。
だがまだ動ける獲物よりも効率が良く簡単に取れる餌が近くに転がっている大和虎としてはその時雨たちを追う必要はない。
そしてゆっくりと首をもたげて恐慌状態でほとんど声を出せない若い男を見据えた。
そして一秒もしない間に首を折られた若い男は、かすれた声で少しないた後ピクリとも動かなくなる。
大和虎はもう動かなくなった若い男をずるずると引きずって、暗い森の奥へと帰っていった。
――
他方、先に逃げ出した若い男は涙と鼻水と涎を垂らしながらひたすらに逃げ惑っていた。
手に持っていた銃を安心毛布のように固く握りしめながら、痛くなった肺を酷使して走り続ける。
方向も分からない。暗くて前どころか足元もほとんど分からない。
踏みつけられた枯れ葉の音だけが男の耳に響く。
ずるり。
泥濘んだ足場で転んだかと思うと地面にあった穴に滑り落ちていく。
直後若い男は飛び上がった。
熱い。
そして数秒遅れて体の表面から内側にヒリヒリとした痛みが浸透していく。
強い酸性を持つその液体は池のようにたまり、瞬く間に若い男の皮膚を、肉を溶かしていく。
慌てて外に出ようとするもつるつるとした壁はとても掴めるようなものではなく、登ることなど叶わない。
下半身に浸み込んでいく痛みが、男の思考など消し去ってしまう。
そしてグズり、と下半身が溶けて原型を留めなくなり、酸の池に沈み込んでいく。
声にならない悲鳴を上げながら溶けていく銃とともに奥底へと沈んでいった。
マヨイカズラ。
夜中にのみ、その罠のような花を展開する元食虫植物。
霊力を浴びたことにより酸と体の大きさが大幅に強化され、地を歩く大きな動物を餌とするように変化した要注意生物。
禁足地と呼ばれた森は、入り込んだ愚かな人間を逃さない。
静寂の森の中で、音のない悲鳴と慟哭だけが密かに響いていた。
時雨たちは何とか京の門まで辿り着き、倒れ込むように門の前に着地した。
足はもうほとんど使い物にならない。
右腕を負傷した剣を運べない。
幸い二人して倒れこんでいるところを見た門番たちがすぐに病院に連れていき、すぐに検査と治療が行われた。
時雨の方は軽症で、右足に霊力の乱れがあって一日は歩けない程度で済んでいた。
時雨は治療が終わって診察室を虚ろな目をしたまま出た。
慣れない松葉杖でぎこちない動きをする時雨が視線を上げると、美空が不安そうな顔で待っていた。
時雨の姿を見るなり美空は時雨に抱きついて溢れ出すように泣き出してしまう。
短期間の間に二度も怪我をしたことで美空は不安で不安で仕方がなかったようだ。
勢いよく抱きついて来た彼女を受け止めきれずに後ろに倒されてしまうが、彼女の温かみに今だけは何も考えず甘えていたかった。
怖かった。
そして何より、診察室を出る前に向こう側から聞こえた看護師たちの会話の内容がショッキングだった。
剣の右腕が再起不能だと。
そう聞いてしまった。
時雨はそのことが悲しくて悲しくて仕方がなかった。
自分よりも実力のある剣士が、そのようなケガをした。剣士としてやっていくことが困難になる致命的な怪我だ。
霙の足はまだ治るから良かった。
でも今回は違う。剣の右腕は治らない。
自分が一重に弱いせいで、身近な人が傷付いていく。
その事が悔しくて、とても嫌だった。
理由なんて分からない。
それでも、胸の奥でひたすらそのことを嫌に思う強い気持ちだけが時雨を締め付ける。
そして遅れて溢れ出すように感情がこみあげてきて、抱きしめてくれる美空の温かい胸の中で時雨は声を上げて泣いた。
剣の様子を見に行けたのは、それから3日後のことだった。時雨の心の内とは裏腹に空は清々しいほどの快晴。
日が昇り始めた午前9時。
少々湿っぽくなった風が、病院の入り口前に来た時雨の陽の光を浴びて少し青みがかった髪を優しく撫でた。
二重窓になったガラスの扉を引いて扉を開き、病院の建物の中に入る。
剣の病室は3階にあると聞いた。
無機質な白い床と壁の間を虚ろな目で歩く時雨の横を、他の人たちが通っていく。
「あれ、病室312ってどこだっけ…」
時雨は一人誰に聞くでもなく、無気力な声を漏らした。
時雨はもう松葉杖はいらない。
まだ多少の違和感はありつつも歩けるようになった時雨の耳に2人分くらいの足音が聞こえ始める。
少しの話し声とともに近づいてきていたその声の主は、曲がり角の先から現れた。
「時雨…?」
看護師にいろいろ話しながら相談していたその少年――剣は、時雨の姿を見て戸惑う。
今にも泣きそうな、しかも既に泣いたあとのある時雨の顔に驚いて剣はちょっと失礼、と看護師さんとの話を一度切り上げて時雨の話を聞くことにしたらしい。
その後何も言わず、剣は付いてこい、言わんばかりに少しこちらを見た後すたすたと歩き始める。
――
移動した先は2階の広い渡り廊下を利用した中庭。
それぞれ中くらいの木が列になって植えられており、その側にはパラソル状の屋根とベンチが設けられている。
一番近くの白いベンチに座る剣。
その隣に時雨は座る。
「…なんでお前が泣いてんだよ」
自分のことでもないのに自分以上に悲しむ様子を見せる時雨に、剣は戸惑っていた。
それに対して剣はどうも感情らしいことが出てこなかった。
それこそこの泣き虫に感情を持ってかれたんじゃないかと思うくらいに。
刀はもう握れない。少なくとも今までの形では。
剣が剣士を志したのはもう5年も前だ。父親にあこがれて少しずつ稽古を受けて。
ある程度大きくなってからは教官の訓練所に通うようになり、恩師にも出会えた。
剣士に対するあこがれも、こだわりもいっちょ前にあった。
「俺さ」
「うん」
短く切り出した剣の言葉に時雨が嗚咽混じりに相槌を打つ。
今日は空がきれいだ。
「渓葉の里に行くことになるんだ。医療とかその辺りの中じゃトップクラスのとこ。そこなら治せるかもしれないって。忙しいくせに親父が調べまくったらしい。」
きらきらと、万華鏡が、明るい太陽光を複雑に反射し始める。
「俺はさ、たとえ右腕が治んなくても剣士をやめるつもりはねぇ。片手でも剣を振るってやる。」
涙を拭いて目をこする時雨が、無言でうんうんと頷く。
ずっと空を見つめる剣にはその姿は見えない。
「片腕しか使えなかろうが、俺は必ず最強の剣士になってやる。」
声はもう震えている。しゃべりにくいったらもうこの上ない。
あぁ、きっと俺はカッコ悪い顔してんだろうな。
そう思って、分かっていて。それでもなお、剣は時雨に向き直る。
「だからなんでお前が泣くんだよ…!」
さらに勢いを増して泣き始めた時雨を見て、剣はまた愚痴をこぼす。
優しい風が、二人を慰めるように撫でていった。




