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【常世の君の物語】No.13:貴世 ~その夏、常陸国に降り立った貴世(きよ)を待ち受けていたものは――~  作者: 百字八重のブログ


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第三話:父の背中

あくる朝、貴世の父の船は荷物を大量に乗せて常陸国の港を出発した。

「ごらん、テン、海だよ」

貴世はテンを両腕で丁寧に抱きかかえたまま、船のへりから海を見やった。

船は港を出て、陸を右手に見ながら前進を続けている。

「テンは泳げるのかな」

さきほどから足元でうずくまり紐で遊んでいた弟の小次郎が貴世を見上げて尋ねた。

「あら、猫は水が苦手なのよ」

かたわらに立つ姉の智子が笑いながら言う。

「それにしては大人しいけれど」

智子に言われ、三人の視線がテンに集まる。

にゃあ。

テンはそう一声鳴くと、貴世の両腕をすりぬけ船室へと走って行ってしまった。

三人はそれを見やって、

「テンは人間の言葉が分かるのかしら」

と顔を見合わせるのだった。


この日は朝から快晴だった。

昼の食事を皆でとった後、貴世はひとり、船室の入り口に座り込んで外を眺めていた。

皮膚を焦がすような真夏の日差しが船全体を白く浮かび上がらせている。

午前中からせわしなく働いていた父の配下の屈強な男たちも、今は日差しを避けて船内にいた。

振り返ると、彼らが車座になっているのが見える。

よく見ると彼らが囲む中央には小さなお椀がある。

ひとりの男がそこへ何かを入れてころころとまわしている。

別の男が何か言い、それを受けて一同がどっと笑っている。

船に乗ればいつも目にするそんな光景を、貴世はもはやめずらしいとは思わない。

再び視線を外へ移ししばらくぼんやりとした後、貴世は父を探しに外へ出た。

特に用事はなかったが、なんだか父と話をしたい気分だった。

幾人かに父の行方を尋ねた後、貴世は船首で仁王立ちになり海を眺めている父を見つけた。

父の背中は大きい。

そんな父の背中に、貴世はいつだって抱きつきたい思いになる。

しかしこの頃は、いつかそんな父の背中を支えたいと思うようになっていた。

勿論それを直接父に言ったことはないけれど、いつか大人になったら、父の商売を手伝って父に認めてもらいたいと思うようになっていた。

「父上」

いつもは驚かせるように声をかけるのに、今日はなんだか声の高さを一段落として呼びかけてみた。

「お、貴世じゃないか。どうした」

父は貴世を見やって表情を和らげる。

「特に用事は無いんだけど」

貴世ははにかんで答えた。

「ははは、まぁいい。どれ、こっちへ来なさい」

父に促され、貴世は数段高くなっている父のところにまで登って行った。

「父上、この船はどこに向かっているの?」

貴世は仁王立ちに立つ父の右横に、重心を低くして両足を開いて立った。

「この船は京の都へと向かっておる。近頃流行りの京の西陣織の評判が良くてな。常陸国の品を京に届けがてらいくらか仕入れてこようと思っている」

父の顔はきらきらと輝いている。

それは決して水面に反射した太陽の光のせいだけでなく。

「僕も早く大きくなって父上のお仕事のお手伝いがしたいです」

貴世はこの時はじめて自分の小さな決意を父に打ち明けた。

父は目を丸くして、次に顔いっぱい笑顔にして答えた。

「ほう、それは頼もしいな。お前も十六か。では早く一人前になってもらわねばのう。テンもそう思うだろう」

父がそう言いながら視線を貴世の背後に向ける。

そこには二人をじっと見つめるテンの姿があった。

にゃあ。

テンは一声、そう鳴いた。

「テンも毛皮を着ているとこの暑さはこたえるだろう。どれ、船室の涼しいところへ行って水を飲ませてあげなさい」

父はそう言うと、貴世の肩をぽんと一度だけ叩いた。

それが何やら大きな仕事を任されたかのように思われて、貴世は途端に誇らしくなった。

「はい!」

貴世はうれしくなって、大きな返事をして立ち上がると、そのまま父に一礼しテンを抱いて船尾へと向かった。

波の音だけが聞こえている、そんな穏やかな航行であった。


そのころ、西念寺の裏手の小屋では、テンの持ち主であった礼郎が、母のたよりを前に困り果てていた。

二人ともたちの悪い咳をしながらの会話である。

「礼郎、テンがいないの。さっきから探しているんだけれど」

たよりは広い小屋の中に敷き詰められた布団を裏返してはテンを呼んでいる。

そんなたよりを自分の布団へ戻しながら、礼郎は大きなため息をついた。

「母さん、テンは人にあずけたろう。忘れたのか」

そう言って、礼郎は母の口に水を運ぶ。

その手をぐいと押しやって、たよりは眉根を寄せてなかば叫ぶように言った。

「テンを人にやった?なぜそのようなことをした。あれは私たちにとって特別な猫なのに!」

乾いた白髪の頭を振り乱し、たよりは目やにのたまった目を礼郎に向けた。

「わかったわかった。ああ、またそそうをしているじゃないか。おうい、来てくれ」

母の下の汚れを気にしながら、礼郎は入り口の方でかたまっていた数人の坊主を呼んだ。

はあいと返事がして、幾人かの人影が近づいてくる。

「あの猫はね、私たち娼のかわいい猫だったんだよ。みんなでかわいがってたんだ。それをお前は!」

たよりはその両腕でしっかりと礼郎の両肩をつかんでいる。

まなこは大きく見開かれ、きっと礼郎の視線をとらえている。

「ああ悪かった。でも、もらわれた方がテンにとっては幸せだろう。我々だって長くはないのだから」

礼郎はたよりの両目を見定めて、諭すように言葉をならべた。

その言葉がゆっくりと全身に染みわたっていくように、無言となったたよりの両腕から、ゆっくりと力が抜けていった。

同じころ、船室の隅で毛づくろいをしていたテンであったが、ほの暗い灯りに照らされて板壁に落ち二股に割れた尾の影を見たものは、誰ひとりとしていないのであった。



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