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【常世の君の物語】No.13:貴世 ~その夏、常陸国に降り立った貴世(きよ)を待ち受けていたものは――~  作者: 百字八重のブログ


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第二話:テン

小屋の表に扉は無く、ただ一枚の大きな布が、上方にわたる柱から垂れ下がっているだけであった。

「失礼します……」

貴世は、心の中でそうつぶやいて、そろりそろりと小屋の中へ入った。

小屋の内側は薄暗く、そこここで聞こえる咳のせいだろうか、なんとなく空気がどんよりとよどんでおり、歩くたびに何か嫌なものが体にまとわりついてくるようだった。

あまり長居したくはないな――。

貴世は入って早々そんなことを思いながら、猫の元へと急いだ。

果たして、猫はひとりの男性の枕元にちょこんと座っていた。

貴世が近づくと、猫は貴世を見上げて「にゃあ」と鳴いた。

その声を聞き、貴世は内心、ほっと胸をなでおろした。

すると、猫の頭をなでる手があった。

それは猫が座る枕元の、その枕の主であった。

それまでぴくりとも動いていなかった男とおぼしき老人が上体を貴世のほうに向けた。

貴世は、その老人の顔にかかるぼさぼさの頭髪の中に、鋭い眼光を見た。

猫が「にゃあ」と鳴いた。

老人は猫を手元にたぐりよせながら、大きく咳をした。

その咳はいかにも体の中から悪いものを出さんとする咳に思われたので、貴世は失礼とは思ったが、それを吸い込まないように両手で口をふさいだ。

そんな貴世の様子を目を細めて見やった老人が、口をひらいた。

「お坊ちゃん、こんなところに来るもんじゃない」

老人の口からか体からか分からないが、つんとすえた臭いが鼻をつく。

その臭いがあまりにも強烈だったので、貴世は顔いっぱいに渋面をつくった。

「おじいさん、大丈夫?病気なの?」

貴世は両手を口にやったまま、指の間からそれだけの言葉をひねりだした。

「ああ、そうだ。隣に寝ている俺の母も、同じ病気だ」

その言葉を耳にし、また隣に寝ているぴくりとも動かない老人の母親を目にした瞬間、貴世の体全体に、悪寒が走った。

頭の中で、ここにいてはいけないと、大きく警鐘が鳴る。

その響きをしっかりと認めながら、貴世は老人と見つめ合った。

やがて老人は胸元で撫でていた猫に視線をうつし、こう言った。

「この猫はテンという。俺が子供のころから一緒にいる」

「猫なのに『天』とは、大それた名前ですね」

貴世は自分でも的外れな感想を言っていると思った。

その貴世の言葉に、老人はふっと目で笑った。

「お坊ちゃん、テンに気に入られたみたいだね。どうだ、もらってやってくれないか。おじさんたちはもうじき死ぬ。テンには飼い主が必要だ」

老人に見えた目の前の男性は、自分のことを「おじさん」と言う。

案外見た目より若いのかもしれない。

病気のせいでふけて見えるだけなのかもしれない。

貴世は心の中でそんなことを思った。

「さぁ、おいき」

おじさんに促され、猫はするりと貴世の足元までやってきた。

「本当に、いいの?」

貴世がうかがうように尋ねる。

「ああ、いいよ」

それだけ言うと、おじさんは再び口を手で覆い、背中をまるめて咳をしだした。

その咳があまりに激しいものだから、貴世は怖くなってしまった。

「じゃあ、また」

貴世はそれだけ言うと猫のテンを抱き上げ、逃げるようにして小屋出て、来た道を戻った。


船に戻るとさっそく猫を抱いた貴世をめずらしがって雇われ人が声をかけてきた。

彼らの相手をしながら船室に入ると、最初に目のあった姉が、次に遅れて弟が飛びついてきた。

「なにその猫!」

「飼うの?飼うの?」

二人とも目をらんらんと輝かせながら猫に見入る。

「もらっちゃった。今から父上に飼っていいかお伺いを立ててこないといけない」

そういって貴世は苦い顔をした。

「あら、私も一緒に行くわ」

「僕も!」

二人の申し出を断る理由もなかった。

そういうわけで貴世たち三人と一匹は、揃って父を探しにでかけた。

幸い、父は船を出てすぐの桟橋の上におり、すぐにみつかった。

三人が近づくと、何やら他の男たちと難しそうな話をしている最中であった。

「ちちうえ!」

まずは弟が背後から元気よく声をかけた。

「お、何かな」

抱きついてきた今年十になる弟の小次郎と、その後ろにつらなる貴世と姉の智子を見とめて、父はそれまでの渋面をほどき、顔いっぱいの笑顔になった。

「貴世、その猫はどうした」

父はさっそく貴世の抱えている猫に言及した。

「村の大きなお寺があるでしょう?そこでもらったの。僕にもらって欲しいって言われて、受け取っちゃったの。ねぇ、飼ってもいい?」

貴世はひといきにまくしたてた。

「ねぇ、いいでしょ?食べ物なら港にいくらでも余った魚がいるし、手間はかからないわ」

智子も援護する。

「ねぇ、いいでしょ?いいって言って?」

小次郎は父の腰に抱き着き、下から見上げるような視線を送る。

「大将、飼ってあげましょうよ。かわいいじゃないですか」

「なぁに、俺たちも面倒見ますんで」

野太い声でそう言うのは、さきほどまで父と難しい顔で相対していた男たちである。

どうやら港の男たちらしい。

父は四方八方から詰め寄られ、まいったという風に片手で顔を覆い天をあおいだ。

「やったぁ!」

小次郎が満面の笑みで万歳をする。

「え?いいの?本当にいいの?」

智子は苦笑いである。

「ありがとう父上!」

貴世のこのひとことで、ついに父は「かなわんなぁ」と言って猫に手を伸ばした。

「あ!」

貴世が叫んだ。

「どうした、貴世」

父をはじめ、皆が貴世を見た。

「猫をもらったおじさんの名前、聞くの忘れちゃった」


西念寺の裏の小屋の「おじさん」は、名前を「礼郎れいろう」といった。

その礼郎に、近づく影が一つ、二つ。

「父さん、寝てなきゃだめじゃないか」

影の主たちは窓のそばまで起きだしていた礼郎を見とがめて言った。

二人とも十代で、頭を剃り上げ坊主の恰好をしている。

「ああ、もうそんな時間か」

手桶と握り飯を手にした二人の坊主は、意味ありげな礼郎を前にして顔を見合わせたが、とりあえず礼郎をいつもの寝床へと促した。

「あれ、テンは?」

若い方の坊主が言った。

二人は小屋の中をきょろきょろとみまわす。

「いない。客があってね、その子にあずけた」

礼郎は寝床にあぐらをかき、握り飯を受け取った。

咳をしながら、礼郎は一口、また一口と、握り飯をほおばる。

「あずけたって、一体誰に?」

礼郎の動きがぴたりとやむ。

「ああ、名前を聞くのを忘れたな。お前たちくらいの子だったよ。いや、もう少し若かったかな」

礼郎は首をかしげた。

「俺も母さんも生い先短い。テンより先に逝くかもしれん。だからあずけた」

言葉すくなに語る礼郎を前に、二人の息子は「そうでしたか」と神妙な顔つきである。

すると、隣でたちの悪い咳を小さく繰り返していた老婆が口を開いた。

「一緒にするんじゃないよ、礼郎。私は百まで生きるんだ」

この老婆こそ、礼郎の母、たよりであった。

「大人しくしてなよ、母さん。寿命が縮むよ」

礼郎は乾いた笑いとともに母をたしなめる。

「病人になってもおばあちゃんの口達者は変わらないね」

たよりにとっては孫となる二人の若者は、顔を見合わせて笑い合った。

「違いない」

礼郎は、目を細めてたよりと息子たちを見やった。

薄暗い小屋の中、方々から咳のするおよそ健全とは思えない空間の中で、いっときではあるが、彼らのいるところだけにやわらかな日差しが当たっているようであった。


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