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【常世の君の物語】No.13:貴世 ~その夏、常陸国に降り立った貴世(きよ)を待ち受けていたものは――~  作者: 百字八重のブログ


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第一話:貴世

一筋の涙が、頬をついと流れた。


皮膚をなでてゆく風は、夏の日差しを含んでなまあたたかい。

ここ常陸国に父の船が停留して、もう三日になる。

卸問屋である父は、今年十六になる貴世きよに、早く跡を継いでもらいたいと再三口にしている。

ねぼけまなこの目をこすりながら、そんな父の口調を、貴世はぼんやりと思い出していた。

「よく寝ていたねぇ」

声のする方を眺めやると、一つ年上の姉、智子が見下ろしていた。

「僕、どれくらい寝ていたの」

貴世がたずねると、智子はにんまりと笑って「いっときほど」と答えた。

とりあえず顔を洗おうと起き上がると、風上の方から港の喧騒が聞こえてきた。

貴世の乗っている船は、大の男が三十人は乗れる大きな商船である。

その船には、常陸国で父が仕入れた物品が所狭しと並べられており、今も雇人たちが忙しく行き来していた。

荷の上げ下ろしをする者、港で現地の者とおぼしき者等と語らう者、油を売っている者、その誰も彼もが真夏のするどい日差しを受けてきらきら輝いている。

貴世は思わず、目を細めた。

あたりには潮の香りが満ち、波が何かにあたって砕ける音がそこかしこから聞こえている。

今日も、穏やかに日々は過ぎてゆく――。

貴世はそんな日々に、少々物足りなさを感じながら、それでもすることがないのでこうして昼寝をしていたのであった。

時刻は午後の日差しが最も強くなる頃合いである。

この夏は、貴世にとって人生を変える特別な夏となるのであった。


顔を洗った貴世は、船内に入り少し胃袋を満たした後で、さて何をしようかと、とりあえず船を降りた。

すると一匹の三毛猫が、するりと貴世の両足の間に入ったかと思うと、くねくねと体をくねらせ右足に胴をこすりつけてきた。

「お、なんだ君は」

魚のあがる港に猫がいるのはめずらしくない。

貴世は慣れた手つきで三毛猫の両脇に手を入れると、そのまま顔の高さまで持ち上げた。

猫はされるがままに体から下をめいっぱい伸ばし、きょとんとした顔で貴世を見つめている。

にゃあ。

と、その猫が一声鳴いた。

貴世も真似をして「にゃあ」と言ってみる。

「残念ながら、食べ物はないんだ」

貴世は猫を地面にゆっくりと降ろしながらそう語りかけた。

その意味が分かったのか分かっていないのか、三毛猫は今度は左足にすり寄ると、長い尾を足に巻き付け、喉をごろごろ鳴らした。

「だから食べ物は無いったら」

貴世は屈んで猫の顎の下をなでてやる。

すると猫は少し離れ、意味ありげにゆっくりと貴世を振り返った。

「なんだい」

猫が見つめる。

「何か面白いものでもあるのかな」

猫は貴世を見上げると一声鳴き、時々振り返りながらゆっくりと歩きだした。

なんということはない夏の暑い午後である。

貴世は腰にかけた水筒に水が入っていることを確認すると、猫がいざなう旅にちょっとつきあってみたくなった。

「待ってよ」

猫は振り返り、振り返り、迷いなく歩いてゆく。

てんてんと続くその足跡を追いかけるように、貴世は歩みをすすめていくのであった。


道はいつしか港を離れ、漁村の家屋をいくつも通り過ぎ、やがて大通りに出たかと思うとその突き当り、ここいらで一等大きな屋敷にたどり着いた。

「ここは……」

たしか、ちらりと目に入った表の看板には、「西念寺」の文字があった。

父に聞いたことがある。

西念寺といえば、ここいらで一番の土地持ちの荘園で、ここいらで一番偉いのだとか。

そんな屋敷のような大きな建物を囲う土塀に沿って、猫はてんてんと歩いてゆく。

やはり時々、貴世を振り返りながら。

「待ってったら」

そう声をかける貴世を振り返ると、猫は土塀が途切れた箇所にある小さな木戸にするりと入って行った。

「え、ここに入るの?」

道は西念寺の表の門から伸びる土塀を直角に二度曲がった。

つまり、この木戸は西念寺の表門のちょうど裏側に位置していた。

「いいのかな」

貴世は周囲に人がいないのを確かめてから、そっと木戸に手を触れてみた。

すると木戸は、内側に少しだけ開いた。

木戸の内側は竹林になっているらしく、足元には色あせた笹の葉が幾重にも積まれているのが見えた。

「おじゃまします」

誰もいないが、一応ちいさく挨拶をして、貴世は木戸の内側へと身をすべらせた。

扉を閉めてしまうと、そこは外の雑多な雰囲気とは別世界であった。

足元を埋め尽くす枯れた笹の葉は幾重にも重なり風を受けて細かな音を奏でており、そこからすらりと何本もの竹が天を衝かんばかりに伸びていた。

頭上の竹の葉の間をすりぬけた真夏の陽光が貴世の体の上にまだら模様を作っていたが、今まで浴びてきた強烈な熱線とは裏腹に、ここにあって日差しはささやくようにかすかなものであった。

しばしその雰囲気にのまれていた貴世であったが、すぐにここへ来た理由を思い出し、あたりを見回し例の三毛猫を探した。

すると竹林の奥の方から、「にゃあ」と声が響いた。

笹の葉を踏みしめながら、急いでそちらに足を向ける。

竹林を抜けた先にあったのは、小さな小屋であった。

ここは寺のちょうど真裏に当たるはずである。

そんなところに、こんな小屋があるなんて。

表で見た豪華な屋敷の作りからは想像もできないほどみすぼらしい小屋である。

貴世はゆっくりと、まずは中の様子をうかがってみようと、上に開いた窓から中をのぞいてみた。

貴世は驚いた。

なんとそこには、人が並べられていた。

それも一人、二人ではなく、十人、二十人ほども。

「ここはいったい……」

よく見ると、彼らのほとんどがおそろしくやせ細り、耳を澄ませると素人でも分かるたちの悪い咳の音が聞こえてきた。

ここは、来てはいけないところなんだ――。

貴世は、反射的に自分の口に手をやった。

その時、また猫が「にゃあ」と一声鳴いた。

声のする方を見てみると、窓のすぐそばに寝かされている人の枕元に、例の猫はいた。

そして、なんと猫はもう一声鳴くや、視線を貴世に向けたのである。

貴世と猫はしばらくのあいだ見つめ合った。

「そこへ、入っていけと言っているの?」

貴世の小さなつぶやきが聞こえたのだろうか、猫は一声、にゃあ、と鳴いた。

貴世は意を決して小屋の表へと回った。


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