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放課後、校門で千春と別れを告げた。
校門から少し離れた場所に迎えの車は止まっていた。
女学校から家までは、車でないと帰れない。
家は小さな村にあり、女学校は遠く離れた町にあった。
天羽一族はこの村に古くから続く旧家である。
かつて天に住んでいた先祖がいたという。
そんな伝説が伝わる一族だった。
そして代々この村の医師を務めてきた。
だが、家を継ぐのは女と決まっていた。
女系家族だったからとも、天女が生まれるからとも言われる。
その真相は一族しかしらない。
車に妹達はいなかった。
どこかで遊んでくるのだろう。
「ただいま戻りました」
居間へと行くと母が座っていた。
「おかえりなさい。
舞子さんが戻ったわ。
支度を」
母は隣の部屋に向かって言った。
扉が開き、数人の召使が出てくる。
舞子は手を引かれその部屋へと入った。
「こちらにお着替えください」
一人の召使が着物を差し出す。
「これは…」
いままで見たことがないほどの豪華な着物だった。
桜の花びらが美しく舞っている。
淡い桃色の着物。
それでいて地味ではなく、金糸をふんだんに使っていた。
ただこの着物を見たとき、舞子は懐かしいと思った。
袖を通すことを嬉しいと思った。
舞子は自分の感情に戸惑い、躊躇した。
「お時間がありません。お急ぎ下さい」
召使達に手伝われながら着替えをすませる。
「よく似合うわ」
その着物は、舞子の美しい黒髪によく映えた。
母は嬉しそうな顔をして言った。
「母様、どういうことですか?」
「これは私が母から結婚するときに引き継いだ着物なのよ。
今度は舞子さんがこの着物を着てね」
母は舞子の質問には答えなかった。
「母様!」
「急な話だったのですもの。
悪かったと思っているわ。
これから婚約の儀をするのです。
先方がもうすぐ来てしまうの」
母は舞子を見て困惑げに言った。
やっぱり…!
「母様!私は結婚など…!」
「婚約の儀といっても顔合わせ程度ですから」
母は舞子を安心させるように言った。
「話すことが沢山あるのですが、後にしましょう」
どうやら婚約者が来たようだ。
玄関が慌ただしい。
「いらっしゃいませ」
母と共に玄関で迎える。
顔を上げるとそこには見知った顔があった。
「まさちゃん!」
近所に住む幼友達だった。
舞子は驚いた。
女学校に行ってからは会うことは稀だった。
「舞子さん」
母ににらまれて舞子はあわてて口をつぐむ。
その様子を見て、正志は微笑んだ。
「お久しぶりです。
申し訳ありません、母は急用で来られなくなりまして」
正志が頭を下げる。
「そうなのですか。
かまいませんよ。
さあ、上がってくださいな」
母が正志を居間に案内する。
舞子は黙って母の後をついていった。
久しぶりに見る正志は、びっくりするほど大人になっていた。
居間では母と正志が向かい合って座り、話をしている。
舞子は母の隣で、上の空で座っていた。
まさか相手が正志とは…
「舞子、どうした?僕では嫌?」
大人しい舞子を見て正志が言う。
「違うわ!少し驚いて…」
舞子はあわてて否定した。
そうだ、知らない誰かより、正志のほうがいい。
「そうか」
正志は嬉しそうに笑った。
その笑顔を見て舞子は緊張がほぐれた。
昔と変わっていない。
正志はよく笑う子だった。
いつもにこにこして、大人しく舞子の後をついて遊んでいた。
「それでは決まりですね。
舞子さんが卒業したら結納をあげましょう」
母がほっとした感じで言った。
「ではまた」
正志が席を立つ。
「ごゆっくりしていったら?」
母が正志に向かって言う。
「今日は舞子も驚いているようですから、また後日ゆっくりと」
舞子は正志の心遣いが嬉しく思った。
部屋を出て行く正志を、舞子は玄関まで見送った。
「驚いたのは本当だけど、まさちゃんなら嫌じゃないよ」
舞子は正志に向かって言った。
「ありがとう、僕も舞子となら幸せになれると思う」
正志はゆっくりと告げた。
本当は昔から舞子が好きだったんだ、と。
正志は照れて頭をかいた。
「…ありがとう」
なんだか舞子まで照れてしまった。
「じゃあ、またね」
「うん、また」
舞子は正志に手を振った。
正志の後姿を見送り、舞子は少し玄関に立っていた。
そして母の元に向かう。
「母様、どうしてもっと早く言ってくれなかったの?」
「急に決まったのですよ。
お話は前からあったのだけど、先方からぜひ、と言われてね」
悪かったと思っているわ、と母は言った。
「舞子さん、もう一つ話があるのよ」
母は真剣な顔で言った。
「これから話すことは大事なことだから、よく覚えておいてね」
いつにない母の真剣な様子に、舞子はひるんだ。
「この屋敷に離れがあることは知っていますね?」
舞子は頷いた。
戦国の世より続くこの家には、広い土地があった。
家屋敷の他に山もある。
その広大な屋敷の中に、離れがあった。
離れは隠されるように木々の影にひっそりと佇んでいた。
そこは禁忌の場所であった。
離れの入り口には大きな注連縄が吊るされ、何かを祀っているようだった。
そこに近づくことは許されていなかった、当主以外は。
ただ子供の頃は興味本位で近づくことが多かった。
近づくなと言われると近づきたくなる。
「あの離れには、神が居られるの。
この村に伝わる伝説を知っていますね?」
「天女が舞い降りて、この村に住みついたという?」
「そう、その話です。
その伝説は本当の話なのですよ」
「天女が存在すると?」
まさか、と舞子は笑い飛ばした。
「あの離れに住んでいるのです」
「神が?あの離れに?」
そうです、と母は言った。
「母様、一体何を言いたいのですか?」
「…長い間、この秘密を守るため、我が一族は血を繋ぐことを大事にしました。
だから舞子さん、あなたも女学校を卒業したら、この秘密を守るために結婚をするのです。
一族の血を絶やさないために」
やはり、結婚の話だったのか。
しかも、神が離れにいて守るだの、途方もない話まで。
「母様、私は信じられません。
離れに神がいるなどと」
「実際いるのです…
二度だけ、お会いしたことがあります。
離れに住まう男神と」
母はその話は恐れ多い、というように目線を下げた。
母の話は途方もなく、舞子は理解が出来なかった。
「時期がきたら、またお話しましょう」
理解を示さない舞子を見て、母は会話を終わらせた。
「部屋に、戻ります」
舞子は母の顔を見ずに告げ、部屋へと戻っていった。
頭の中がぐるぐるしている。
天女?そんな話が信じられるというのか?
舞子はため息をついた。そうしてベッドへと座り込む。
しばらくして、廊下を賑やかな足音がした。
「姉様!」
妹たち二人が部屋に入ってくる。
「どうしたの?早かったのね」
「姉様のことが気になって~」
清子が言った。
「綺麗な着物!どうしたの?」
頼子が興奮したように言った。
「母様の着物よ。貸してくれたの」
「どうして~?」
「大事なお話があったからよ」
「お話って?」
清子は興味津々だった。
「結婚の話よ」
「姉様、結婚するの!?」
頼子は驚いた顔をした。
「ええ、卒業したらね」
舞子の答えを聞いて、妹たちは騒ぎ出した。
「どんな人なの?頼子の知ってる人?」
「清子の知ってる人?」
舞子は妹たちを見た。
清子と頼子はどんな人と結婚するのだろうか?
「ええ、知っている人よ。
今度紹介してあげるから。
さあ、部屋に戻りなさい!
宿題があるのでしょう?」
「は~い」
舞子は二人を部屋から追い出した。
一人になりたかった。
今日は色々なことがあって、頭が混乱していた。
結婚の話、村の伝説の話。
舞子はベットに横たわった。
そして、いつしか眠りに落ちていた。




