第10話 最初のビジネスは成功
陸の目元から照れくさそうな表情が消え、実家のスーパーで兄の店舗経営を一番近くで見てきた「商人」としての真剣な眼差しへと切り替わった。
「はい。この薬の原材料には、上質な木炭と、自生する【胃整草】が必要です。その原材料の調達を、ライアスさんやエレナさんたちの住む『ヴェルデ村』に丸ごと委託したいんです」
「なに……! ライアスたちのヴェルデ村に、原材料の供給を……!?」
ボルツが思わず息を呑んだ。陸は手元の温かいお茶に視線を落とし、穏やかながらも筋の通った声色で言葉を続けた。
「あの村には豊かな森があり、上質な木炭を焼く技術と、自生する【胃整草】がたくさんあります。村のみなさんに『木炭の焼き上げ』と『生薬の採集・乾燥』を適正な工賃で依頼すれば、村に新しい特産品と継続的な収入が生まれます。僕を温かく迎えてくれた皆さんへの、一番の恩返しになると思うんです」
陸はそこから、頭の中で弾き出した生々しい流通計画を提示した。
「そして、開拓村から届いた木炭を使い、僕が秘伝の熱処理加工と調合を行って核となる『木炭』に仕上げます。製造の肝(コア技術)は僕が責任を持って守ります。その上で、ボルツ商会さんには『開拓村からと僕の家の木炭の定期輸送』と『保存用の密閉ガラス小瓶の供給』『出来上がった丸薬の回収』、そして『ロクスでの独占販売権』をお任せしたいんです」
陸が語ったのは、現代の流通機構とブランド管理そのものだった。 一次原材料の調達(開拓村)→ 仲介・定期輸送・資材供給(ボルツ商会)→ 秘伝の加工ブラックボックス化(陸)→開拓村での相上→回収と 独占販売(ボルツ商会)。
長年この街で商人として生きてきたボルツは、陸が提示した流通モデルと、企業秘密を堅牢に守る緻密な立ち回りに、口を半開きのまま呆然とした。
(な、なんという男だ……! 自分を救った貧しいヴェルデ村に産業を与えて救い、うちの持つ物流網と資材を組み込んで独占体制を築きつつ、薬の核となる製法は一切漏らさずブラックボックス化してみせる……! 19歳の若者が、思いつきで語れるような商売のスケールではないぞ……!)
「ハハ……ハハハ! 参った! 降参だ、陸殿……っ!」
ボルツは頭を抱えるように仰ぎ見ると、腹から響く豪快な笑い声をあげて陸の肩をバシバシと叩いた。
「素晴らしい! 誠実で、優しく、そして恐ろしいほど頭の回るお人だ! あのヴェルデ村に定期的な仕事と金が回るとなれば、親友の村長も跳び上がって喜ぶぞ! 流通の仲介も、小瓶の手配も、すべて我がボルツ商会が全責任を持って引き受けよう!」
「ありがとうございます、ボルツさん!」
「良し! では今回の仕入れ代金【20ゴルド(大金貨20枚=200万円相当)】、それに、ヴェルデ村への初回発注書、それと薬を入れるガラス小瓶50個をすぐに用意させる!」
重厚な金属音とともに、ずっしりと重い20枚のゴルドが陸の手へと手渡された。
手元に残る大金の重みと、自らの手で組み上げた「開拓村とロクスを繋ぐ強固なサプライチェーン」。 陸は胸の奥から湧き上がる確かな達成感に、そっと満足の笑みを浮かべるのだった。
ボルツから手渡された革袋には、黄金色に輝く20枚のゴルド(大金貨)が詰まっていた。
ずっしりとした手応えと重厚な金属音を聞きながら、陸の脳裏に、実家のスーパーで兄から耳にタコができるほど叩き込まれた防犯の鉄則が即座に蘇った。
(……待てよ。売上金の200万円相当を、このまま革袋に入れてジャラジャラ持ち歩くなんて……防犯上あり得ないぞ。スリや強盗に狙ってくださいと言ってるようなもんだ)
陸はアタッシュケースも金庫もない現状に強い危機感を抱き、目の前のボルツへ真剣な面持ちで尋ねた。
「あの、ボルツさん。これほどの大金を剥き出しで持ち歩くのは防犯上すごく危険だと思うんです。この街で、お金や荷物を安全に保管できる方法はありませんか?」
「ふむ……さすがは堅実な陸殿、防犯への意識も高いな」
ボルツは深く感心したように頷くと、店の奥の頑丈な棚から、金属の装飾が施された手のひらサイズの深緑色の革製ボックスを取り出してきた。
「それなら、マジックボックスを使うといい。生活魔法の技術を応用した保管箱でな。ウチは薬種問屋だが、品質管理も重要なのでマジックボックスも少しばかり置いてある。これはウチで扱っている中では最高級品で、小屋一軒分……家具や商品が丸ごと収まる特大容量だ。所有者の魔力を登録すれば、他人が開けることもできん」
「小屋一軒分……! そんなにたくさん入るんですか!」
「ああ。価格はちょうど10ゴルドだが……今手に入れた20ゴルドの半分で買える。大切な売り上げと荷物の安全を買うと思えば、決して高い買い物ではないはずだ」
10ゴルド。現代の価値にして約100万円という大金だ。だが、陸はふと手に持った革箱を見つめ、首を傾げた。
「あの、ボルツさん。これって所有者の魔力を登録するって仰ってましたけど……僕、魔法なんて使えませんし、自分に魔力があるのかどうかも分からないんですけど……大丈夫ですか?」
「ハハ、何を言っておるんだ陸殿。魔力と言っても、魔法使いのように火や光を生み出すような大層なものじゃない。この世界に生きる人間なら、誰だって生まれつき体の中に持っている微弱なものさ。箱にそっと手を触れて、呼吸を整えるだけで勝手に登録されるよ」
「はぁ……誰もが持ってるもの、ですか」
ボルツの説明を聞いてもいま一つピンと来なかった陸は、ボルツに悟られないよう、目元だけで宙に浮かぶ青いホログラム画面を呼び出し、心の中で静かに語りかけた。
(ZEUS。ボルツさんは誰でも持ってるって言ってたけど……地球から来た僕にも魔力なんてあるのかな? 検索して確認してほしいんだけど)
陸の問いかけに応じ、宙の青いウィンドウが瞬時に点滅し、脳裏に静かな声が響いた。
『——マスターの生体波動および本世界の物理法則を照合・解析します』
数秒のスクロールののち、分かりやすい回答が提示された。
『解析完了。回答します。本世界における魔力とは、超自然的な破壊力を生み出すエネルギーではなく、あらゆる生命体が微量に保持している個体固有の生体微弱電流……ならびに生体波動の総称です』
(生体微弱電流……?)
『そうです。本世界における魔力登録とは、現代地球でいう生体認証……指紋認証や顔認証と同等のシステムです。魔法を行使するための資質ではなく、個体を識別するための固有の鍵として機能しています。マスターの肉体にも問題なく存在しており、登録および作動に一切の支障はありません』
(なるほど……! 魔法を使うためのエネルギーじゃなくて、スマホの指紋認証とか顔認証みたいな生体認証と同じなんだな!)
ZEUSの検索結果によって、陸の疑問は一気に氷解した。 「魔法が使えない自分」に特別な魔力があるわけではなく、人間なら誰もが持っている個人の署名のようなものだと理解でき、陸は心底胸を撫で下ろした。
(それなら安心だ。鍵を失くす心配もないし、パスワードを忘れることもない。生体認証なら一番確実に防犯できるぞ)
陸は頭の中で実家のスーパーでの経験を素早く回転させた。10ゴルドという高額な耐久消費財を一括現金で購入するときこそ、最大の交渉のチャンスなのだ。
「買います! 10ゴルドでそのマジックボックスをいただきます」
陸は即答すると同時に、いたずらっぽく微笑みながら、ボルツの顔をまっすぐに見つめた。
「ただしボルツさん……10ゴルドという高額商品を一括現金買いするお得意様へのサービスとして、おまけを付けてくれませんか?」
「ぬ……っ!? お、おまけとな……!?」
ボルツが白髭をひくつかせると、陸は指を3本立てて、サクッと条件を提示した。
「はい。これから僕が調合する薬を入れるための保存用密閉ガラス小瓶100個と、薬草の重さを正確に量るための精密な調合用秤具。それに……このロクスの街と周辺の詳細な地図を、このボックスの付属品として代金に含めてほしいんです」
「むぐ……っ! 小瓶100個に精密天秤、さらに詳細地図だと……!?」
ボルツは思わず絶句した。小瓶や天秤は薬種店にとって原価の低い資材であり、地図も複写したものが店に置いてある。だが、それを10ゴルドの買い物の「おまけ」としてちゃっかり要求してくる陸の商談術に、ボルツの目が見開かれた。
(な、なんてちゃっかりした若者だ……! 一見おとなしそうな顔をしておいて、10ゴルドという大金の買い上げを盾に、粗利の出る周辺資材を丸ごとサービスさせようというのか……! 商人の血がしっかり流れておる……!)
「ハハ……! 参った、参ったぞ陸殿! 10ゴルドの即金客にそこまで言われたら、断る理由がどこにもないわ!」
ボルツは豪快に笑い声をあげると、奥の棚から高級感のある真鍮製の精密天秤と、羊皮紙に綺麗に描かれたロクスの詳細地図、そして木箱に詰まった透明度の高い密閉ガラス小瓶100個をゴソゴソと抱えてきた。
「よし、持って行け! これらはすべて、10ゴルドのマジックボックスの購入特典だ!」
「ありがとうございます、ボルツさん! 助かります!」
陸は満面の笑みで礼を言うと、箱の金具にそっと手を重ねて所有権を登録した。 蓋を開け、残りの10ゴルド、開拓村へ発注する木炭や生薬の書類、そしておまけでもらった100個の小瓶と精密天秤、地図を次々と投げ入れていく。すると、まるで吸い込まれるようにすべてが小さな箱の中にスッキリと収まっていった。手元に残ったのは、日常使いのための小銭と、手のひらサイズの軽い箱だけだ。
(よし……! 100万円分の買い物のついでに、調合道具と小瓶、地図までタダで手に入ったぞ。これで強奪の心配も、面倒な身分手続きも要らない。万全の防犯対策と準備ができたぞ!)
実家仕込みのちゃっかり交渉を成功させた達成感に胸を撫で下ろし、陸は宿屋についてボルツに尋ねた。
「あの、ボルツさん。この街で安心して泊まれるおすすめの宿屋はありませんか? あ……高級なホテルみたいなところじゃなくていいです! 高いところは落ち着かないので……手頃な値段で、とにかく安全で清潔なところがいいんです。それと、普段着の衣服が買える場所も知りたくて」
「なるほど、手頃で安全と清潔さが第一か。相変わらず地に足がついた若者だな」




