第98話 10年後の農場
「万国博覧会」という歴史の特異点から、さらに十年の月日が、地底の穏やかな時の流れと共に過ぎ去っていった。
かつては不毛の岩場であり、死の霧が漂っていた地下五十階層。そこを起点としたテオの農場は、今や周辺の上下十数階層にまでその勢力を拡大し、異世界において類を見ない規模の超巨大な「地下立体・共生都市圏」へと発展していた。
その場所は、世界中で『深淵の聖域』、あるいは『黄金の食卓』と敬意を込めて呼ばれ。人間、エルフ、ドワーフ、獣人、精霊。そしてかつては「敵」とされていた魔族たちが、当たり前のように隣同士で家を建て、同じ職場で汗を流し、同じ食堂で笑い合う、この星で唯一の「理想の多種族共存社会」を実現していたのである。
地上の各国の王たちは、もはやここを「攻略対象のダンジョン」とは見ていない。世界の調和を保つための経済・文化のハブであり、いかなる戦争をも抑止する「究極の平和の中枢」として、公式な不可侵条約を結んでいる。
「こらーっ!! 待ちなさーいッ!! お父さんの大事な苗代に、泥んこで入っちゃダメでしょ!!」
「アハハハ!! ポチ、もっと速く!! 逃げろー、お父さんが怒ったぞー!!」
昼下がりの、柔らかな光に包まれた農場の青畳の庭。そこには、風のように走り回る元気な子供たちの影があった。
風を切って走る、ティアを彷彿とさせる透き通るような銀色の髪をなびかせた活発な女の子。テオの穏やかな瞳をそのまま受け継ぎ、植物と対話するように優しく花に触れる黒髪の男の子。そして、リルのように小さな可愛らしい角が生えた、お菓子が大好物な甘えん坊の末っ子。
テオの子供たちだ。……母親が誰で、どのような家族構成なのか、公的な戸籍を調べれば役人は頭を抱えるだろう。……が、そんな些事はこの農場では誰も気にしない。とにかく、賑やかで、愛情に溢れ、毎食のおかずの取り合いが絶えない、この世界で最も幸せな「大家族」であることに間違いはなかった。
「…………まったく。最近のガキんちょどもは、元気すぎるわい。わしの神聖な精錬工房にまで平気で忍び込んできおって。危うく、最新型の『全自動・草むしり刀』の試作機が子供用のおもちゃにされるところじゃったわ」
十年前よりもさらに髭が伸び、今や完全に地面を掃くまでになったガントンが、縁側に腰を下ろして、リルが淹れてくれた熱い煎茶を啜りながら、目を細めて子供たちの姿を眺めていた。
「メンテナンス作業、全行程完了。……予備電力、正常。子供たちの『見守り・安全教育モード』へ移行シマス。……危険予測、計算上ゼロ。……幸福指数、現在測定不能……上限値ヲ突破シマシタ」
改造に改造を重ねられたメイド・ゴーレムのロボも、相変わらず現役のエースとして農場を支え続けている。最新のファームウェアには、子供たちをあやすための「変形・メリーゴーランド機能」や、母親たちの愚痴を永遠に聞き続ける「共感チャットボット・プラス」も追加されていた。
ふと、庭の奥にある広々とした芝生に目をやれば。
かつて世界を恐怖に陥れた最強の古代龍「ダイヤちゃん」が、午後の陽射しを浴びて、気持ちよさそうに巨大な鼻提灯を膨らませて昼寝をしていた。その、山のように巨大な背中は、今や子供たちの格好の「アスレチック・パーク」と化しており。背びれが滑り台にされ、尻尾がシーソーにされていても、ダイヤちゃんは不平一つ漏らさず、たまに尻尾をパタパタと降って、子供たちの安全を(無意識に)守っていた。
かつての殺伐とした、一歩間違えれば死が待っていたダンジョンの深淵。
そこは今。子供たちの無邪気な笑い声と、ポチの喜び走る足音。そして、テオのログハウスのキッチンから漂ってくる、お出汁の効いた美味しそうな「家族の匂い」で、隅々まで満たされていた。
かつての農夫が撒いた「希望の種」は、十年という歳月を経て、もはや神話の女神でも成し遂げられなかった、誰にも壊すことのできない「不変の幸福」へと、その枝葉を天高く広げていたのである。




