第95話 ティアの告白
万博という空前絶後の祭典が幕を閉じ、心地よい脱力感と静寂が農場を包み込んだ、その日の深夜。
テオは一人、ログハウスの最上階にあるテラスで、天井を彩る蒼白なヒカリゴケ――月明かりに似た穏やかな光を眺めながら、涼しい夜風に当たっていた。
ここ数ヶ月、立ち止まる暇さえなかった怒涛の出来事を振り返り、温かいハーブティーを一口含んで吐き出したその時、背後の扉が「ギィ……」と微かな音を立てて開いた。
そこに立っていたのは、ティアだった。
普段の彼女は、魔王をも一喝する圧倒的な威厳と、高貴な美しさを纏っている。しかし今の彼女は、どこか幼い少女のような雰囲気を漂わせ、白い頬は耳の先までリンゴのように赤く染まっていた。……お酒を飲んで顔が赤くなる体質ではないはずだが、彼女は視線を泳がせ、白い指先を所在なげにもじもじと動かしている。
「…………テオ」
「うん? どうしたの、ティア。こんな時間に。もしかして、万博の打ち上げで食べすぎで、お腹でも壊した?」
「違うわ、馬鹿! ……少し、真面目な話を……したくてな」
テオは、彼女の醸し出す普段とは決定的に違う「特別な空気」を感じ取り、ティーカップをそっとテーブルに置いた。ティアは彼の隣に音もなく歩み寄ると、木製の手すりに寄りかかり、遠く暗闇の中で安らかに眠る広大な畑を見つめた。
夜風が。彼女の長い銀色の髪をさらさらと揺らし、そこから微かに甘い薬草の花のような香りがテオの鼻腔をくすぐる。
「我は…………元々は『ダンジョンコア』という、無機質なシステムの意志に過ぎなかった。……ただ魔力を地脈から供給し、迷宮の生態系を維持し、侵入者を冷酷に排除するだけの、魂のない機械の一部のような存在だった。感情なんて、農業を効率化する上でも、国を統治する上でも、不要で邪悪なバグだと思っておったのじゃ」
「そうだね。初めて会った時の君は、本当に怖かったよ。目が合った瞬間に、命の火が消されるかと思った」
「ふふ、すまぬ。……だがな。……あの日、お主がこの深淵に落ちてきて。……凍えていたお主の手に、無理やり小さな種を握らせてから。……我の世界は、劇的に変わってしまったのじゃ。灰色で、ただ数値が変動するだけだった虚無の世界に、鮮やかな色がつき、芳醇な味がし、そして……言葉にできない温もりが生まれた」
ティアは、ゆっくりと、しかし決意を込めてテオの方へと向き直った。
そして。少し震えるその瞳で、テオの瞳を真っ向から見つめた。その黄金色の瞳の中には、かつての冷酷な支配者の面影はなく、ただ一人の「恋する少女」としての熱い光が、溢れんばかりに揺らめいていた。
「……我は、お主といれば退屈しない。お主の突拍子もない提案に振り回されるのが、いつの間にか、生きていく上での一番の楽しみになってしまったのじゃ。……これからもずっと、千年、万年の時が過ぎても。お主の隣で、お主の育てた瑞々しいトマトを食べていたい。……お主が作るご飯を囲んで、ポチやみんなと一緒に、下らない話で笑っていたい」
「ティア……」
「……つまり、その……あ、あ、ああもう!! 回りくどいのは我の性分に合わんッ!! ……す、す、好いておるのだッ!! テオ!! お主のことが、狂おしいほどに好きなのじゃ!!」
それは、誇り高きダンジョンの守護者が。一人の女としての矜持をすべてかなぐり捨てて放った、魂の咆哮だった。
「……伴侶にしてくれとは言わん! 我にふさわしい地位を用意しろとも言わん! ……ただ、ずっと。……ずっと死ぬまで、我の隣にいて欲しいのじゃ。……これは命令ではない。魔力による制約でもない。……我が人生で初めてお主に頼む、『一人の女』としての……心からのお願いじゃ」
精一杯の、不器用すぎる告白。
いつもは強気で傲慢、何事も力でねじ伏せてきた彼女が、初めて見せたデレ一〇〇%の、等身大の弱さを孕んだ表情。
テオは、その愛おしさに胸が爆発しそうなほど熱くなるのを感じた。
彼は優しく微笑むと、寒さで震えているのではない、期待と不安に、そして熱烈な愛に震えるティアの両手を、自分の大きな掌でそっと包み込んだ。
「……ありがとう、ティア。……僕も、ずっと同じ気持ちだったよ。君がいない人生なんて、もう想像もできない。……君こそが、僕の人生の最高で唯一無二のパートナーだよ。これからもよろしくね」
「………………。ッ、う……う、うわぁぁぁぁぁぁぁッ!! テオぉぉぉぉッ!!」
ティアは、堰を切ったように、テオの胸の中に、その小さな体を勢いよく飛び込ませた。
泣いた。生まれて初めての、心からの嬉し涙を流した。
かつては絶対零度のように冷たかったと言われるダンジョンコアの体が、テオの素朴で力強い体温によって、ゆっくりと、しかし確実に温められていく。
蒼い月光が降り注ぐ深夜のテラス。
二人の影は、永遠を誓うかのように、一つに重なり合っていた。




