第94話 宴のあと
未曾有の古代龍騒動という、博覧会の歴史どころか世界の存亡にさえ関わりかねない大トラブルを「特大おにぎり」一つで力技の解決に導いた後。ダンジョン万国博覧会『D・EXPO』は、その後大きな事故もなく、むしろ「一頭の古代龍を胃袋で屈服させた伝説の主催者」を一目見ようとする更なる客足に支えられ、大熱狂のうちに一週間の全日程を無事に閉幕させた。
最終的な来場者数は、延べ十万人を優に突破。地底空間で生まれた総取引金額、いわゆる経済効果は、もはや算出さえ困難な天文学的な数字となり、エリナの持つ魔導計算機が計算終了と同時に火を噴いて爆発したという逸話まで生まれた。
テオの名は、今やただの「追放された農夫」などではない。古代龍を手懐け、最強の魔王を友人として食卓に招き、不毛の地の底を世界一の黄金郷に変え、数万人の空腹を満たした究極の救世主……。すなわち『農神』として、人間界・魔界双方の歴史教科書に、文字通り最上級の敬意と共に刻まれるレベルで高名になってしまったのである。
吟遊詩人たちは競って「テオの開拓譚」を謳い、王都の闇市場では、従業員の隙を突いて撮影されたテオの「クワを構える姿」のブロマイドが、金貨百枚という異常な高値で取引されているという噂さえあるほどだ。
「……だから、本当に『農神』なんて呼ばれるのは辞めてほしいんだよ。……僕は、自分が食べたい野菜を育てて、それを誰かにお裾分けするのが好きなだけの、ただのどこにでもいる……ちょっとだけ運が良くて、しぶといだけの農民なんだからさ」
豪華に装飾された執務室を辞し、自分たちが本来暮らすべき控えめな(それでも以前よりは数倍立派になった)ログハウスのテラスで、テオは深い溜息をついた。
「諦めるのじゃ、テオよ。……『事実は小説よりも奇なり』とはよく言ったものじゃが、お主が実際に成し遂げたことは、神主すらも裸足で逃げ出すほどの『神話の創造』そのものなのじゃからな」
ティアが、万博の成功を祝して開けられたヴィンテージワインを贅沢に飲みながら、可笑しそうに笑った。
「そうですわね。テオ様、サインを求める各国の貴族の行列が、また入り口の転移ゲートまで続いていますわ。今日だけで千三人目。……腱鞘炎にならないよう、最高級の疲労回復ポーションをロボに用意させましたから、さっさとペンを握ってくださいまし」
エリナが、以前のような冷徹なビジネススマイルではなく、優しさと少しの呆れが混ざった美しい微笑みを浮かべながら、特製の万年筆を差し出してきた。
しかし、そんな祭りの後の、耳鳴りがするような熱烈な喧騒も。月日の経過とともに、少しずつだが、本来の「静寂」へと着実に落ち着きを取り戻していった。
巨大なパビリオンは解体、あるいは常設の教育施設や共同住宅へと魔改造され、散らかった装飾やゴミは、ロボ率いる掃除専門のゴーレム部隊によって、塵一つ残さず「分別」され、農場の素晴らしい堆肥へと生まれ変わっていく。
テオは、余った大量の祝祭用食材を使って、激務を全うした数百名のスタッフ全員を集めた、大規模な内輪の慰労会を開いた。そこにはもう、種族の対立も、過去の引愛もなかった。あるのは、ただ一つの「美味しいものを作る」という誇りを共有した、チームとしての連帯感だけだ。
徐々に、いつもの穏やかな日常が、農場に戻ってこようとしていた。
だが。……みんなの心の中には、以前の「ただ生き延びること」を目的としていた時期とは決定的に違う、確かな変化が芽生えていた。
以前のような、明日を憂う漠然とした不安はない。
そこにあるのは、「自分たちが、自分たちの手で、この場所を作り上げたのだ」という、揺るぎない自信と。誰かを幸福にしたという深い達成感。そして何より、明日は今日よりももっと素晴らしいものになるという、汚れなき『希望』。
この場所なら、どんなに硬い岩盤も耕せる。
このメンバーなら、どんなに強大なドラゴンとも(おにぎり一本で)仲良くなれる。
その確信が、テオと仲間たちを繋ぐ目に見えない絆を、ダイヤモンドよりも強く、大地の根よりも深く、太く結びつけていた。
テオは、夕暮れに染まる愛おしい畑をバルコニーから見つめ、大きく一度、深呼吸をした。
肺いっぱいに広がる、湿った土の香りと、成長し続ける命の匂い。
「……うん。やっぱり、ここが僕の場所だ。一番、落ち着くよ」
テオは、自身の汚れた掌を見つめ、静かに、そして確かな歩みで、明日の朝のための準備(苗植え)を始めるのであった。




