第92話 テオの切り札
「硬いもの(地面)なら、耕せばいい。……それだけの話だよ」
テオの放った言葉は、この世界の魔法理論や戦闘技術の常識から見れば、あまりにも支離滅裂で、狂気じみた飛躍に聞こえただろう。
しかし、彼にとっては極めて真面目な正論だった。この十年、追放されてからこの深層で一人、孤独に、けれど情熱を持って土を弄り続けてきた彼が行き着いた、唯一無二の、そしてシンプルな真理。
すなわち、「いかに強固な存在であろうとも、それが『大地(物理的な質量)』の延長線上にある限り、僕のクワの対象外ではない」という、究極の農耕哲学である。
ガントンが心血を注いで打ち込み、テオの身体の一部となった【至高の農具:ハイパー・ファンタスティック・ファーミング・ホー・マークⅡ】が、彼の全魔力を吸い込み、鈍い銀色の不気味な光を放ち始めた。
発動するスキルは、今や伝説となった『対象への完全防御無視』、そして……地学の法則さえも書き換える強制的な環境変化スキル、『超進化・土壌改良』だ!
「………………せいッ!!」
ダンッ!!
テオが、裸足に近い作業靴で泥の地面を強く蹴り上げた。
風魔法の補助も、重力軽減の魔道具も使っていない。ただ下半身の強靭なバネだけで、彼は山のような龍の、その遥か高みにある顔面の高さまで、一瞬で弾丸のように跳躍したのである。
「耕作開始……!! そりゃあぁぁぁぁぁッッ!!」
空中で駒のように体を一回転させ、遠心力を乗せたクワの刃が、古代龍の鼻先、最も堅牢な鱗が重なるポイントを正確に捉え、振り下ろされた。
カゥンッ……!!
それは、攻撃の衝突音というにはあまりにも軽やかで、小気味よい、どこか懐かしい響きだった。
魔王の極大魔法さえ反射し、勇者の聖剣さえ飴細工のようにへし折った、絶対無敵たるダイヤモンドの鱗。その鉄壁の守護に、テオのクワは、まるで熟したリンゴにナイフを当てるかのように、一切の抵抗なくスッと吸い込まれるように突き刺さった。
そして。テオが、長年の経験で培った精密な手首の返しで、大きく土を掘り起こすようにそのクワを引き抜くと――。
ボコッ! パラパラボコォッ!!
信じられない光景が、会場の全員の網膜に焼き付いた。
あの宝石のような、不壊のはずの鱗が。テオがクワを当てた場所から、まるで昨夜の雨で適度に湿った、ふかふかの『腐葉土』のようにボロボロと崩れ去り、無惨に剥がれ落ちたのだ。
鱗が取り払われたそこから現れたのは、ダイヤモンドの輝きを一切持たない、赤ん坊の頬のようにプニプニとした、柔らかく無防備な皮膚(しかも鮮やかなピンク色)であった。
「ギャ、ギャオォォォォォォォォッッ!?!?!?」
古代龍が。神話の時代から一度たりとも「痛み」を知らなかった究極の超越種が、生まれて初めての奇妙な感覚に、言葉にならない悲鳴を上げた。
それは単純な苦痛というよりは、全身の細胞が「耕され、改善されている」という根源的な屈辱……。あるいは、全自動マッサージ機に無理やり放り込まれたかのような、抗いようのない「くすぐったさ」に近い恐怖だったのかもしれない。
「まだまだぁ、終わらないよ!! ここも、層が厚すぎて通気が悪いぞ! ここも、魔力の混ざり方が酸性に偏りすぎてて良くないじゃないか!!」
テオの猛攻は、止まることを知らなかった。
彼は龍の巨大な体表を、まるで見慣れた自宅の畑であるかのように縦横無尽に駆け回り、目にも留まらぬ速さでクワを振るい続ける。
「この鱗(土)は栄養が偏ってるな! 中和して、窒素分を追加してやるッ!」
ザクッ! ボコッ!!
「ここは水はけが致命的だ! 野菜が腐っちゃうだろ! しっかりとした畝を作ってやるから感謝しろよな!!」
ガッ!! ズボッ!!
龍の顔面、首筋、そして巨大な胴体。
テオが通り過ぎた後には、かつての無敵の輝きなど微塵もなく、ただただ「通気性が良く、水はけも良好で、野菜の苗を植えたら最高の育ちを見せそうな」ふかふかの土壌(皮膚)の列が出来上がっていく。
これは、もはや戦闘ではない。強制的な『天地開闢・リフォーム』だ。
龍は。自分という存在そのものが、単なる「耕されるべき対象」へと格下げされていく得体の知れない恐怖に戦慄し、文字通り情けなく後ずさりした。
最強生物が、一人の、泥だらけの農夫に怯え、震えている。
その神話すらも置き去りにした不条理な光景を前に。アレクたち勇者パーティは、持っていた武器を地面に落とし、ただただ口をあんぐりと開けて、テオの勇姿を天を仰ぎ見守るしかなかったのである。




