第9話 大家と店子
「うむ! うむ! なんと芳醇な甘み……! これが野菜だと!? 信じられん!」
結局、ティアラローズ――通称ティアは、僕が差し出したトマトをあっという間に3つ、ぺろりと平らげてしまった。
最初は毒見だなんだと警戒して、小動物のように匂いを嗅いでいたのが嘘のようだ。小さな口を大きく開けてかぶりつき、ジュワリと溢れる果汁も気にせず、夢中で咀嚼している。
その見事な食べっぷりは、深淵を統べる高貴なご令嬢というよりは、ただの腹を空かせたワンパクな子供そのものだった。
足元では、巨獣フェンリルのポチが「くぅ~……」と情けない声を出しながら、ティアの足元と僕の間をせわしなく行ったり来たりしている。
見かねて僕が4つ目を差し出すと、ティアが奪うようにそれを手に取り、半分に割ってポチに放ってやった。
「ほら、ポチ。お主も食え。……美味いぞ」
「ガフッ! ムシャムシャ!」
主従揃って、トマトの虜である。完全に餌付け完了だ。
一通り食べ終わり、ようやく満腹になったのか、ティアは満足げなため息をついて地面にペタンと座り込んだ。
優雅な銀髪が少し乱れ、口の端には赤い種がついている。
僕が汚れていない手ぬぐいを差し出すと、彼女は「ふん」と鼻を鳴らしつつも、大人しくそれで口元を拭いた。
「……ふぅ。まあまあであった。褒めてやろう」
「それはどうも。お口に合ってよかったよ」
「それで? 貴様、名はテオと言ったな。なぜこのような深層にいる? 人間が単独で辿り着ける場所ではないぞ」
お腹が満たされて少し冷静になったのか、ティアは改めて僕を値踏みするような視線を向けた。その真紅の瞳には、鋭い理知的な光が戻っている。
僕は簡単に事情を説明した。勇者パーティを追放されたこと。地上に戻る術がないこと。そして、ここで生きていく決意をしたことを。
「ふむ……。追放、か。人間というのは愚かな生き物だな。これほどの『創造』のスキルを持つ者を捨てるとは」
ティアは呆れたように肩をすくめた。
彼女の目には、同情というよりは、純粋な理解不能といった色が浮かんでいる。破壊に長けた者はいくらでもいるが、無から有を生み出す力を持つ者は稀少だということを、彼女は本能的に理解しているのだ。
「そこで、ティア。名乗りついでに、大家さんである君にお願いがあるんだけど」
「大家? 我がか?」
「うん。ここは君の家なんだろう? そこに勝手に畑を作っちゃったわけだし。正式に居住許可をくれないかな?」
僕が切り出すと、ティアは腕を組んで、わざとらしいほど深刻に悩み始めた。
「むむむ……。本来なら、人間ごときを我が聖域に住まわせるなどあり得ないのだが……。穢れが広まるし、美観も損なうし……」
チラッ。チラッ。
彼女の視線が、僕の顔ではなく、後ろのトマトの苗(まだ青い実がたくさんついている)に何度も吸い寄せられている。わかりやすい。
「もちろん、ただでとは言わないよ。家賃を払う」
「な、なに!? 家賃だと!?」
「うん。僕がここで作った野菜を、毎日差し入れるよ。どうかな?」
その瞬間、ティアの表情がパァァァッと輝いた。
が、すぐに「ゴホンッ」と咳払いをして、無理やり真顔に戻る。
「……ふ、ふむ。まあ、悪くない提案だ。貴様の手入れがないと、この味は出せないと言ったな?」
「そうだよ。僕の魔力を込めて育てているからね。僕がいなくなったら、このトマトはすぐに枯れちゃうよ」
「なっ……! それは困る! ならば仕方ない! 我の眷属であるポチを手懐け、我に極上の貢物をしたその度胸と手腕に免じて、特別にッ! ここの居住を許可してやろう!」
ビシッと指を突きつけて宣言する姿は、あくまで尊大だが、どこか幼くて憎めない。
「ありがとう、大家さん」
「うむ。ただし! 条件があるぞ!」
ティアは人差し指を立てて、もったいぶって言った。
「家賃として、毎日そのトマトを……そうだな、3つ献上せよ! もし一日でも怠れば即刻追放、もしくはポチの餌だ!」
3つ。
僕は拍子抜けしてしまった。僕の【成長促進】と【豊穣】のスキルがあれば、この一角だけでも毎日50個は収穫できる。
「3つでいいの?」
「なっ……少ないか!? 貴様、もしや出し渋るつもりか!?」
「いや逆だよ。少なすぎるってこと。……じゃあ、毎日10個にするよ。それならどう?」
「じゅ、10個ぉぉぉッ!?」
ティアが仰天してのけぞった。
「ば、馬鹿な!? そんなに払えるのか!? 破産しないか!?」
「大丈夫だよ。僕の農場を甘く見ないでよ。これからもっと種類も増やすつもりだし」
「種類も……増える……だと……?」
ティアがゴクリと喉を鳴らした。
彼女の中で、僕の評価が『不法侵入者』から『重要保護対象(専属シェフ)』へと劇的にランクアップした音が聞こえた気がした。
「わかった! 契約成立だ! 毎日10個、忘れずに納めるのだぞ!」
「了解。これからよろしくね、ティア」
こうして、大家と店子(僕)の不思議な契約が成立した。
ティアは壁の奥へと消えていったが、一人残された僕は、焚き火の前で不思議な温かさを感じていた。
すぐ隣に、僕の作った野菜を楽しみにしてくれている誰かがいる。
「また明日」と言い合える相手がいる。
それだけで、この冷たいダンジョンの空気が、少しだけ優しくなった気がした。
「よし、明日はもっと気合を入れて手入れをしなきゃな」
僕は、ティアが勢いよく食べた後に残ったトマトの種を拾い集めた。
明日はもっと美味しいトマトを作って驚かせてやろう。
そんな新しい目標ができたことに心を弾ませながら、僕は土の寝床に潜り込んだ。




