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第8話 最初の収穫と餌付け

 へたり込んだフェンリルの鼻先を、僕はクワの柄で軽く叩いた。

 ペチッ。


「ダメだよ、畑に入っちゃ。ここはトマトのベッドなんだから」

「クゥ~ン……」


 フェンリルは完全に戦意を喪失していた。

 上目遣いで僕をチラチラ見ながら、尻尾をパタパタさせている。

 さっきまでの殺気はどこへやら、今はただの巨大な犬にしか見えない。

 どうやら僕の【威圧】が効きすぎて、完全に「群れのボス」だと認識されたようだ。


「よしよし、わかればいいんだ。怪我はないか?」


 剛毛に覆われた頭を撫でてやると、フェンリルは目を細めて気持ちよさそうに喉を鳴らした。

 なんだ、意外と可愛いじゃないか。


「名前がないと不便だね。……ポチでいいかな」

「ワンッ!」


 気に入ったらしい。伝説の魔獣につける名前としてはあんまりだけど。

 その時だった。


「な、ななな、何を手懐けているのだーっ!!」


 頭上からヒステリックな絶叫が聞こえた。

 見上げると、岩陰から一人の少女が飛び出し、空中に浮いていた。

 銀色の髪、真紅の瞳。透き通るような白い肌。

 年齢は12、3歳くらいに見えるが、その身から溢れ出る魔力はポチ以上だ。

 彼女は真っ赤な顔をして、震える指で僕とポチを指差していた。

 どうやら彼女こそが、一連のイタズラの犯人であり、ポチの飼い主だったようだ。


「そいつは我の最強の眷属だぞ!? 神殺しの牙を持つフェンリルだぞ!? なんでそんな、近所の駄犬みたいな扱いを受けているのだ!?」

「え? だって、撫でてほしそうだったし」

「そんなわけあるかー! ええい、こうなったら我が直接手を下してくれる!」


 少女の手のひらに、禍々しい闇の魔力が収束していく。

 特大の攻撃魔法だ。直撃すれば僕も畑も消し飛ぶだろう。


「待って! 話し合おう!」

「問答無用! 消えろ、不法侵入者め!」


 交渉決裂。魔法が放たれようとした、その瞬間。

 ふわり、と。

 畑の方から、甘く濃厚な香りが漂ってきた。


「んっ……?」


 少女の鼻がピクピクと動く。

 殺気立っていた表情が、一瞬で緩んだ。

 僕も振り返る。

 そこには、これまで育ててきたトマトが、たわわに実っていた。

 ダンジョンの豊富な魔力と、僕のスキルによる【成長促進】の効果で、通常よりも大きく、真っ赤に熟している。

 まるでルビーのような輝きだ。


「……なんだ、その匂いは」

「トマトだよ。ちょうど今、食べ頃になったみたいだ」


 僕は一番大きな実をもぐと、少女の方へ差し出した。

 少女の視線がトマトに釘付けになる。喉がごくりと鳴る音まで聞こえた。

 彼女は警戒しながらも、本能には抗えないようで、スルスルと降りてきた。


「……毒が入っていたら殺すぞ」

「入ってないよ。僕が丹精込めて作った、世界一美味しいトマトさ。ほら」


 少女はおっかなびっくりトマトを受け取った。

 そして、恐る恐るガブリとかじりついた。

 果汁が口いっぱいに広がる。


「…………ッ!!」


 少女の赤い瞳が、驚愕に見開かれた。


「ん~~~っ!!」


 言葉にならない声を上げて、彼女は猛スピードでトマトを平らげた。

 口の周りを真っ赤に染めながら、恍惚とした表情を浮かべる。


「あ、甘い! なんだこれは……フルーツか!? いや、それ以上に濃厚な生命力が……魔力が満ちていく……!」

「美味しい?」

「……ふん! ま、まあまあだな! だが、もう一つだけなら食べてやってもいいぞ!」


 顔を真っ赤にして強がる少女。

 でも、その瞳は「もっとくれ!」と訴えていた。

 どうやら、胃袋という急所を的確に射抜いてしまったらしい。


「僕はテオ。農業スキルしか持っていない、ただの農夫だよ。君は?」


 僕が努めて穏やかに問いかけると、少女は乱れた銀髪を直しながら、精一杯の威厳を込めて胸を張った。もっとも、口の端にトマトの果汁がついているせいで、威厳は台無しだったけれど。


「……ふん。我を指して『君』とは無礼な。……まあよい。我が名はティアラローズ・アビス・ディザスター……! この深淵を統べ、理を管理する偉大なる迷宮の主であるッ!」


 仰々しい二つ名が飛び出してきた。


「ティアラローズ……アビス……ええと?」

「長いわッ! ……ティアでよい。特別にそう呼ぶことを許してやる。感謝するがいい!」


 そう言って、彼女は少しだけ照れくさそうに顔を背けた。

 チョロいけれど、自称・迷宮の主。

 これが、僕と相棒ティアとの、本当の出会いだった。




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