第77話 転移ゲートの設置
魔王との国交が樹立され、旅館『深淵楼』の評判が大陸全土を駆け巡るようになると、もはや無視できない「物理的な障壁」が一つ、農場の発展を阻むようになっていた。
それは、ここが地下五十階層から五十五階層という、人類未踏の死域にあるという厳然たる事実だ。
現在の主な移動手段は、徒歩による数週間の決死の探索か、あるいは超高速だが衝撃の強すぎる『ポチ便(フェンリル宅急便)』の利用のみ。これでは、リゾートを楽しみたい一般の富裕層や、足腰の弱い老齢の貴族、さらには平和に買い物を楽しみたい魔族の奥様方は、一生かかってもこの楽園に辿り着くことができない。
「よかろう。わしに良い考えがあるぞ。……というか、わしが一番困っておるのじゃ」
最近、公務(魔界の統治)を側近に押し付け、週に二、三回は「リルの安否確認」という名目で農場に遊びに来ている魔王アスタロトが、酒を片手に提案した。
「わしの魔王城の玉座の間と、この農場のリビングを直通で繋ぐ『恒久型転移ゲート』を作ろうではないか。そうすれば、リルが『パパ、今日はシチューができたよ』と言った三秒後には、わしが食卓に並べるからのぅ。……あ、ついでに人間界の方とも繋いでやってもよいぞ?」
「お義父……じゃなくて、魔王様、公私混同が激しすぎます。でも、確かに王都の冒険者ギルドや王宮と直結できれば、流通の効率は飛躍的に上がりますね」
こうして、史上空前の魔導土木プロジェクトが始動した。
ティアが持つ最古の空間魔法【ゲート・コネクト・オリジン】をベースに、魔王アスタロトが提供する、国一つを百年養えるほどの天文学的な魔力を動力源として注ぎ込む。さらに、ロボが三次元的な空間座標の歪みを一ミリの狂いもなく演算・補正することで、かつてない規模の『安定・恒久型・超長距離転移ゲート』が、わずか数日で完成を見たのである。
農場の中心部に位置する、広大な来客用広場。
そこに設置されたのは、伝説の黒岩を削り出して作られた、威厳溢れる二つの巨大な石門であった。
右側の門は、禍々しくも美しい紫の魔力が渦巻き、魔界の中枢・魔王城へ。
左側の門は、温かな白金色の光が明滅し、地上の人間の都・王都第一ギルドへと繋がっている。
「第一回、深層テレポート開通式! テープカットを行います。……スイッチ、オン!」
テオが、少し照れくさそうに特製の大きなハサミ(ガントン作)で真っ赤なテープを切り、制御レバーを引き下げた。
シュゥゥゥ……、パシュゥゥゥン!!
虚空が震え、空間が物理的な音を立てて歪み、鏡のように滑らかな光の渦が同時に生まれた。その直後であった。
ドババババババババッ!!
まるで決壊したダムから水が溢れ出すかのように、転移の光の中から、叫び声を上げる人々が洪水のように押し寄せてきた。
鎧をガチャつかせた冒険者、計算尺を握った丸眼鏡の商人、最高級のドレスを纏った貴族の令嬢、そして角や翼を隠そうともしない魔族の観光客たち。
「うおおお! 本当に……本当に三秒で着いちまった! ここが伝説の、野菜が宝石のように輝く農場か!」
「空があるぞ! ここは地下五十階層のはずなのに、なんで太陽が二つも……あ、あれはテオ様が設置した魔導熱源機ですか!」(※疑似太陽:テオ調節済み)
「温泉はどこだ! 露天風呂はあっちか! おーい、整理券、百二十番を確保したぞぉ!」
あっという間に、農場の静かだった通りは、テオが前世の記憶に微かに持っている「休日の繁華街」を彷彿とさせる、身動きの取れないレベルの大混雑となった。野菜の直売所には長蛇の列ができ、旅館『深淵楼』のロビーは予約キャンセル待ちの客で溢れかえり、ポチは人だかりに驚いて屋根の上へと避難する始末。
「……ちょっと、便利にしすぎて、やりすぎたかもしれないね」
テオは顔を引きつらせ、額の汗を拭った。これではスローライフどころか、「世界で最も忙しい観光地のオーナー」である。プライベートという概念が、文字通り踏み荒らされようとしていた。
彼は即座に、警備担当のロボと、機嫌の悪そうなティアの魔力障壁をフル稼働させ、自分たちの居住区へと続く裏道に「無許可侵入者は堆肥にします」という看板を設置し、物理的な立ち入り制限を設けるしかなかった。
便利さは幸福への近道だが、同時に平穏への遠回りでもある。テオは。世界と直結された自らの家を眺め、喜び半分、溜息半分で今日の収穫(という名の接客)を始めるのであった。




