第74話 宴会と和解
お風呂から上がった魔王アスタロトは、旅館『深淵楼』の畳敷きの大広間に通された。
そこには、テオが腕によりをかけて作った色とりどりの料理が並んでいた。採れたての『極生枝豆』、聖水の如く澄んだ湧き水で作った『冷奴』、高級魔鳥コカトリスのモモ肉を香ばしく焼き上げた『ネギ間焼き鳥』、さらにはサクサクの夏野菜の天ぷら。中央には、ガントンが秘蔵していた魔界の烈酒と、テオが醸造したばかりの自家製ビールが置かれている。
魔王は、身体に対して明らかにサイズが数段階小さい(本人いわく「タイトでセクシーじゃ」)浴衣を無理やり着こなし、畳の上であぐらをかいている。その姿は、世界の覇者というよりは、温泉旅行で羽目を外しすぎた気のいいおじさんに見えなくもなかった。
「……パパ。これ、持ってきたぞ」
宴が盛り上がり、ガントンとアスタロトが「鍛冶と破壊」について意気投合し始めた頃、リルがおずおずと、一つの皿をパパの前に差し出した。
それは、見るからに不格好なオムライスだった。
卵はあちこち破れて中の赤いケチャップライスが覗いているし、端の方は少し黒く焦げている。お世辞にもプロの料理とは言えない、素人の習作だ。
しかし、その上には赤いケチャップで、不器用な、だが一文字一文字に力を込めた筆致で『パパへ』と書かれ(字は左右に激しく歪んでいるが)、小さなハートマークが添えられていた。
「これ、テオに教わって……私がさっき厨房で一生懸命作ったんじゃ。……崩れておるし、味も保証せんが。……嫌なら食べなくてもいいぞ」
リルは顔を真っ赤にしながら、そっぽを向いてボソボソと言った。
魔王の手が、ピタリと止まった。
世界を滅ぼす魔剣『ラグナロク』よりも、はるかに重く価値のあるものを手渡されたかのように、彼の強靭な指先がガタガタと震え始めた。
「こ、これは……、リルが、このわしのために……。わしのためだけに、火傷をしながら作ったというのか……!?」
彼は黄金色に輝くスプーン(これもガントン特製)を、震える手で握りしめた。これまでに食べた魔界の最高級食材、天使の心臓や古龍の肝をも上回る衝撃が、彼の喉を、胸を、そして魂を突き抜けた。
一口、その不恰好なオムライスを静かに口に運び、ゆっくりと咀嚼する。
「う、うぐっ……! うぉぉぉ……!!」
「ど、どうじゃ? やっぱり不味いか? 焦げ臭いか?」
「う、美味いッ!! 世界一美味いぞぉぉぉリルゥゥゥ――ッ!! 全次元、全宇宙を回っても、これほどまでに慈愛に満ち、力強く、そして尊い味がするものなど存在せんッ!! パパは、パパは今、幸福の極致におるぞぉぉぉッ!!」
魔王アスタロト、号泣。
その目からは、地底湖の水位を数センチ上げるのではないかというほどの、滝のような涙が溢れ出した。涙がオムライスに降り注ぎ、余計な塩分が足されている気もするが、彼は一切気にせず、むせび泣きながら最後の一粒まで、皿を舐める勢いで完食した。
「ふん、泣くなと言っておるだろキモパパ! 恥ずかしいではないか!」
リルはそう毒づきながらも、パパが自分の料理を心底喜んでくれたことに、隠しきれない満面の笑みを浮かべていた。
その微笑ましい(?)光景を眺めながら、ガントンとティアは呆れ顔でビールを煽り、エリナは「ああ……親子の絆って素晴らしいですねぇ……」と、ハンカチで目元を押さえてボロボロと涙を流している。
テオは安堵のため息をつき、静かにコップの水を一口飲んだ。どうやら、武力衝突による地上の滅亡という最悪のバッドエンドは、一皿のオムライスによって完全に回避されたようだった。
「テオよ。……改めて、礼を言う。娘を、リルをよろしく頼む。どうやら、わしはあの子の幸せを願うと言いつつ、一番の邪魔者だったようだな。……見守る。わしも今日から、『見守る活動家』の総帥として、魔界からあの子の自由を後押ししてやるとしよう」
「いつでも遊びに来てください。お父さんなんですから。客室はいつでも開けておきますよ」
「うむ。……ところで、最後に一つ相談があるのだが」
「なんです?」
「この『枝豆』と『自家製ビール』、あとできれば『和風オムライスのタレ』、業務用サイズで持ち帰りできんか? 魔界の四天王たちに自慢してやりたいんじゃ」
自分の感動を部下たちにも自慢したい。そんなちゃっかりした魔王の姿に、テオは苦笑しながら、「お土産セット」の用意を仲居ロボに命じるのであった。農場に、本当の意味での平和な夜が訪れた瞬間だった。




