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第72話 テオの仲裁(物理)

「農場で!! 勝手に!! 喧嘩をするなぁぁぁぁぁ――ッ!!!」


 その怒号は、地下55階層の岩壁を揺らし、魔王アスタロトが放った絶望の咆哮さえも真っ向から押し返して響き渡った。

 テオは逃げなかった。恐怖で足をすくませることも、エリナの結界の後ろに隠れることもなかった。彼はむしろ、自らを飲み込もうとする漆黒の斬撃『ハルマゲドン・スラッシュ』に向かって、大きく一歩を踏み出した。

 その手には、ガントンが農場の伝説的な素材をすべて注ぎ込み、神話級の鍛冶技術を駆使して打ち直した地上最強の農具――【ハイパー・プラチナ・ファーミング・ホー・マークⅡ】が、青白い燐光を放ちながら握りしめられていた。


「ここは、僕たちが毎日汗を流して、大切に育ててきた家なんだ! そこにあるトマト一本、土の一粒に至るまで、僕たちの思い出が詰まってるんだよ! それを親子喧嘩の八つ当たりで壊すなんて、絶対に……絶対に許さない!!」


 テオは全身の筋肉に魔力を爆発させ、クワを高く掲げ、極大の斬撃が鼻先に触れるその刹那、一切の迷いなくそれを振り下ろした。

 複合スキル発動。

【耕作・土壌改良(対象の異物化・軟化)】

   +

【究極・害虫駆除(敵対エネルギーの相殺・消滅)】

   +

【豊穣の守護者(農場内ダメージ無効化)】!!


 カィィィィィィィィィンッ!!!!


 耳を劈く、金属音とは次元の異なる「概念が砕ける」ような音が響いた。

 信じられない光景だった。魔王が放った、国を滅ぼすとまで形容された漆黒の奥義が、テオの振り下ろした「クワ」によって、豆腐のように真っ二つに叩き斬られたのだ。

 切り裂かれた闇の斬撃は、テオの側を掠める瞬間に光の粒子へと分解され、ただの心地よいそよ風となって農場の草花を揺らすだけで霧散していった。


 訪れたのは、張り付いたような静寂。

 魔王アスタロトの真紅の瞳は、これ以上ないほど見開かれ、握っていた魔剣『ラグナロク』が微かに震えている。


「な……な、なんじゃと……!? この我が、全魔力をもって放った一撃を……、ただの人間が、ただの『クワ』で……受け止めるどころか、叩き伏せたと申すか!?」

「ただのクワじゃない。これはガントンさんの情熱と、僕の執念、そして大地への感謝が詰まった、僕の命そのものだ!」


 テオは激しく荒くなる呼吸を整えながら、クワを力強く地面に突き刺した。そして、3メートルの巨人である魔王を、正面から真っ直ぐに睨みつけた。

 その背中には、愛する場所を守り抜くという、神をも畏れぬ揺るぎない覚悟が漲っていた。ティアもエリナも、その圧倒的な「農夫」としての威厳に言葉を失い、ただ呆然と立ち尽くしていた。


「魔王様。あなたは確かに強いかもしれない。でも、自分の力を誇示するために、誰かが一生懸命作ったものを壊して平気な顔をする人を、僕は認めない。そんな人に、リルを連れて行く資格なんてないよ!」

 テオの鋭い叱責。魔王はしばらくテオを凝視し、その後にリルの顔を見た。リルは、テオの背中に隠れながらも、初めて見る「自分のために戦う大人」の姿に目を輝かせていた。


 やがて、アスタロトは重いため息をつくと、手にしていた魔剣を鞘へと収め、全身から立ち上らせていた威圧感をふっと消し去った。

「……ほう。人間にしては、いや、この世界のいかなる種族と比較しても、とんでもない気概と腕前を持っておる。……気に入ったぞ。そのクワ、後で詳しく見せろ」

「……まずは、壊したトマト畑に謝ってください。それから、話し合いましょう。拳ではなく、言葉で。ここは旅館『深淵楼』です。お客様として応対させていただきます」

「ふん、魔王に泥を食らわせるとは。……よかろう、面白い男じゃ。一度くらいは、その『話し合い』とやらにつきあってやろうではないか」


 テオの不屈の勇気(と、少し理不尽なまでの最強農具の出力)が、世界の崩壊を寸前で食い止めた。地上の人々が知る由もない、地下55階層での偉大なる勝利。農場に、奇妙な静けさと折衝の時間が流れ始めた。


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