第71話 親子喧嘩
「帰らんと言ったら帰らん! 私はここで、生まれて初めて自分の手で泥にまみれて野菜を育て、自分の足で走ってお風呂に行く生活を手に入れたんじゃ! 魔王城のような何不自由ない金色の檻には二度と戻らん!」
「ならん、断じてならんッ!! こんなカビ臭くて湿っぽい薄汚い穴倉で、我が誇り高き愛娘を泥にまみれさせて農奴のように働かせるわけにはいかんのじゃ! 魔王城で毎日世界最高級のケーキを食べ、三時間おきに着せ替え人形のようにフリフリのドレスを変えて、パパの膝の上で暮らすのじゃぁぁぁッ! それが至高の幸せじゃろうがァ!」
「それが嫌だと言っておるんじゃボケパパァ! 勝手に私の部屋に入ってきて、私の脱ぎたてのパンツを嗅ぐな変態パパ! 気色悪い!」
「変態ではないッ!! それは魔王という高次元の存在のみに許された、至高にして究極の愛情表現……名付けて『ドーター・ブレス・ヒーリング』だ! 貴様の残り香こそが、我が魔力の源泉なのだ!」
会話の内容は、もはや救いようのない低レベルな中学生の親子喧嘩そのもの。しかし、そこで起きている物理現象は、人類史上最悪の天変地異クラスであった。
魔王アスタロトが怒りに任せて絶叫するたびに、空間を切り裂く衝撃波が発生し、周囲の岩壁を粉砕していく。対するリルも、手加減なしの血筋全開の闇魔法【ブラック・ディザスター】を乱射し、「来るな! パッパうざい! キモい! あっち行け!」と叫びながら応戦する。
ドガァァァァァァン!!
魔力と魔力の激突地点から、黒い火花が散り、テオが心血を注いで育ててきたトマト畑の北側が無惨にも吹き飛んだ。土煙が上がり、未熟な緑色のトマトが宙を舞う。
さらに、ガントンが徹夜で仕上げたばかりの、断熱効果抜群のビニールハウス(高価な魔石ガラス製)が、その圧力に耐えきれず木っ端微塵に粉砕された。
「やめろぉぉぉ――ッ!! 私の! 私の『深淵楼』がぁぁぁッ! 新築したばかりの客室の畳が、まだローン(建築費としての高級魔石千個分)がまるまる三百年分残ってるんですぅぅぅッ!!」
エリナが、かつて聖女と呼ばれた面影も失い、髪を振り乱して地面を叩いて泣き叫びながら悲鳴を上げる。彼女にとって、この旅館は人生のすべてを賭けた事業なのだ。
「トマトが……! 今週出荷予定だった、完熟の『フルーティ・サン』たちが……! ……許さん。このはた迷惑な馬鹿親子、まとめて私の領地から追放してくれるわッ!」
ティアも蒼い炎を瞳に宿し、杖を限界まで振るって最高位防御魔法【エンシェント・シールド】を展開するが、本気になった魔王の魔力の奔流の前では、さしもの古代種ドラゴンの結界もじりじりと削られ、ガラスのようにひび割れ始めていた。
「ええい、邪魔じゃ有象無象どもめ!! 貴様らのような下賎な農夫やトカゲや守銭奴がいるから、純真無垢なリルが悪い遊びを覚えて惑わされるのだ! こんな下品な農場など、一粒の灰も残さず消し飛ばしてくれるわッ!」
アスタロトは業を煮やし、ついに魔剣『ラグナロク』を両手で力強く握りしめ、頭上高くに掲げた。
刀身に、周囲の光と音さえも飲み込むような、漆黒に圧縮された極大の闇の魔力が収束していく。重力が歪み、地面が浮き上がる。
それは、一撃で、たった一撃で巨大な都市ひとつを跡形もなくえぐり取り、更地へと変えると言われる魔王の最終奥義。
「これでおさらばだ! すべてを無に帰せ! 『真エターナル・ハルマゲドン・スラッシュ』!!」
放たれた極大の斬撃波。それは空間を上下に切り裂きながら、進む道筋にあるすべての農作物を黒い粒子へと分解し、叫び声を上げるテオたちの方へ向かって、圧倒的な死の速度で飛んできた。
あまりの威力に時間の感覚さえも歪み、逃げることさえ許されない絶望の数秒。
農場の、そしてテオたちの命運は、今まさに潰えようとしていた。




