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第68話 旅館建設

 温泉が湧き、サウナが整い、卓球台とマッサージ機能まで揃った。もはやここは単なる農場の一部ではなく、一つの完結したエンターテインメント施設としての体を成していた。

 となれば、次に必要となるのは「余韻に浸りながら眠る場所」だ。日帰りはもったいない。お湯と食事を楽しんだ後、ふかふかの布団に沈み込む贅沢こそが、リゾートの完成形である。

 そんなテオの熱意に押され、地底湖を一望できる断崖を削り、本格的な宿泊棟が建設されることになった。


 旅館の名は、深淵の地を優雅に照らす楼閣という意味を込めて、『深淵楼しんえんろう』と命名された。

 テオの記憶の中にある日本の「老舗旅館」をベースにしつつ、エリナの洗練された美的センスと、ガントンのドワーフ建築技術が融合。

 建材には、ダンジョン深層で育った芳醇な香りを放つ漆黒の「霊木」を使用。壁は職人芸で磨き上げられた白磁の岩を敷き詰め、照明には淡いオレンジ色に明滅する火石を水晶で覆った「魔導行灯あんどん」が採用された。

 客室は全室から地底湖のパノラマビューが楽しめ、さらにベランダには源泉かけ流しの個室露天風呂を完備。内装は畳(ダンジョンイグサの代用品をテオが栽培した)の香りが漂う和室で、中央には高級バイソンの毛皮を贅沢に敷き詰めた寝床が用意されている。


「この施設の経営と接客、そして全体の統括――私が女将おかみを務めさせていただきます!」


 エリナが自ら立候補した。

 実は彼女の実家は王国でも屈指の大商会。幼少期から帝王学だけでなく、接客の極意や経営戦略を徹底的に叩き込まれている「美貌の戦略家」でもあったのだ。彼女はテオから「和食と日本の作法」について講義を受けると、あっという間にその本質を理解した。

 聖女の穏やかな微笑みと、大商会の令嬢としての冷徹な計算高さ。この二つが融合したとき、彼女は最強の女将へと変貌を遂げた。


 和装――テオがマジックバッグから取り出した数少ない知識と素材を元に、ガントンが魔法の糸で織り上げた特製『着物』に身を包んだエリナは、一同が息を呑むほどに美しかった。

 帯をきっちりと締め、乱れのない所作で歩く姿。特に、普段は聖衣で見えなかった白く細い「うなじ」が覗く様子は、筆舌に尽くしがたい色香を放っている。


「いらっしゃいませぇ。ようこそ、『深淵楼』へおこしやす。……テオ様、私のこの姿、いかがですか? 似合っておりますでしょうか?」

 はんなりとした上品すぎる口調。それでいて視線には熱い想いが混じる。こんな出迎えを受けたら、どんな荒くれの冒険者も、あるいは一国を統べる国王ですら、財布の紐を緩めて長期連泊を決意するだろう。


 スタッフ構成も盤石だ。

 仲居頭にはロボ。着物を着用し、帯に扇子を差し、機械の腕で一度に十人分のお膳を運ぶ。

 マスコット兼「牛乳運び係」にはリル。本人は「魔王の娘がなぜこんな低俗な仕事を……!」と文句を言っているが、着物の裾を慣れない足取りで踏まないよう気をつけながら、「牛乳はいらんかー! 風呂上がりの至福じゃぞー!」と元気いっぱいに廊下を走り回っている。その健気な姿に、既に(仮想の)常連客はメロメロだ。

 番頭兼総料理長はテオ。地元の新鮮すぎる野菜と魔獣の肉を振る舞う。

 ガントンはボイラー室の管理人でありつつ、一番の「酔っ払い客(自腹)」としてカウンターに居座っている。


「完璧だ……。これでいつ魔王が乗り込んできても、まずはチェックインさせて骨抜きにできるぞ」


 テオたちは完成した『深淵楼』を見上げて満足げに頷いた。

 たった一つの、しかし致命的な問題は、ここが地下55階層という「人類未踏の地」であり、ここまで自力で辿り着ける客は世界に十人もいないということだが……、

「まあ、そのうちどこかの命知らずが来るだろう。あるいは、ティアの転移魔法で拉致……じゃなくて招待すればいいしな!」

 テオたちは極めて楽観的だった。明日からは、自分たちが自分たちをもてなすというシュールなプレオープン期間が始まるのである。


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