表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

60/84

第60話 混浴外交

 その夜、地底湖の波音が心地よく響く中、農場特設の露天風呂『深淵の湯』は幻想的な雰囲気に包まれていた。

 リルはすっかり農場の生活に、というよりは、この奇跡の湯と湯上がりのコーヒー牛乳の虜になっていた。魔界にも灼熱のマグマ風呂や、魔導式サウナは存在するが、この優しく、それでいて魔力を芯から活性化させる黄金の湯は、彼女の傷ついた(あるいは拗ねた)心を癒やすのに十分すぎるほどの効能があった。


「はぁ~……たまらんのう……。魔界を捨ててここに来て、本当によかったのじゃ。極楽じゃ~……」


 夜の入浴タイムは、女性陣(ティア、エリナ、リル)だけの貸切時間だ。

 露天風呂から見上げる「空」には、テオが配置を工夫したヒカリゴケが本物の星空のように瞬き、湯面には幻想的な青白い光が反射している。湯船に浸かりながら、誰にも邪魔されないガールズトークに花が咲く。


「へぇ、魔王様ってそこまで過保護なんですか。信じられません」

 エリナが、リルの白く細い背中を、ダンジョン特産のスポンジで優しく洗い流しながら驚嘆の声を上げた。

「うむ、酷いぞ! あやつは自分が魔王であることを忘れておる! 私が朝起きたときから『リルたん、お顔を拭いてあげようね』と這い寄ってくるし、洗濯物も『これは世界一尊きリルの衣類……パパの魔力で一点の曇りもなく洗い上げるのだ!』と言って、私のパンツまで一枚一枚丁寧に魔導洗浄して干しおるのじゃ! しかも干すとき、それを聖遺物のように拝んでおって……キモいのじゃ! 耐えられん!」

「それは……。愛情の方向性が、少し、いえ、かなり独特というか、完全に暴走してますね。引くわー」


 ティアも頭にタオルを乗せて湯船の縁で脱力しながら、しみじみと同意した。

「我も昔、ドラゴンの親父に『外の世界は毒と嘘で満ちているから巣から一歩も出るな』とうるさく言われてな。毎日、秘宝の山の上で数えることしかさせてもらえなんだ。有力者の娘というのは、どこも過保護な親を持つと苦労するものじゃな」

 種族や住む世界は違えど、高い位にある者の跡継ぎとしての孤独と悩みは共通らしい。「家出」をしたリルに、ティアはどこか自分と重なる部分を感じていた。


「でも、リル様。それは裏を返せば、それだけ深く深く愛されているということの証拠でもありますよ。贅沢な悩みです」

 エリナが少し寂しげな笑みを浮かべて言った。

「私なんて、聖女としての魔力の適性がなければ、教会ではただの使い捨ての道具、あるいは政治の道具として扱われるだけでしたから。親の顔すら知りません。……パパにそんなに必死に追いかけられるリルのことが、少しだけ羨ましくもあります」


「エリナ……」

 立ち上る湯気の中に、少しだけしんみりとした空気が流れる。

 だが、リルはそんな空気を嫌うように、お湯をバシャバシャと激しく叩いて、明るい声を上げた。


「あー! 湿っぱい話はなしじゃ! 今は温泉と、この後飲むキンキンのコーヒー牛乳を楽しむ時間なんじゃ! ほら、エリナ、もっと強く擦らんか! そこじゃ、肩甲骨の裏じゃ! ティアも、少しはお湯をかき混ぜろ! 温度が下がっておるぞ!」

「はいはい、おひいさま。本当に注文が多いんですから。でも、そんなワガママ言えるお相手がいるのも、幸せなことですよ」

「う、うるさい! ティア、お主こそお湯をぬるくするな! 魔族は45度の熱湯が基本じゃと言っておろうが!」

「そんな温度、エルフや人間がはいったら茹でダコになるわ! 42度が至高の適正温度じゃ!」


 お湯を掛け合い、笑い声が静かな地底空間に響き渡る。

 岩の壁を隔てた向こう側(男湯)では、テオとガントンが小さくなって体育座りをしていた。

「……なんか、あっちから凄い熱気と殺気を感じるのう。女の付き合いというのは命がけじゃな」

「うん、ガントンさん。……今ここを覗いたら、たぶん魔王に殺される前に、あの三人に分子レベルで消滅させられる気がするよ……」


 二人はひそひそと囁き合いながら、早く上がってビールを飲もうと心に決めた。

 ともあれ、リルの頑なだった警戒心は、温かいお湯と、自分を一人の少女として扱ってくれる仲間たちとの会話で、氷が溶けるように少しずつ解きほぐされていった。

 冷え切った親子の絆も、いつかこのお湯のように温かく結び直される日が来るかもしれない。今はまだ、迷える家出娘のささやかな、そして温かい休息の時間。

 農場の夜は、柔らかな湯気と、未来への微かな希望と共に更けていくのだった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ