第6話 見えないイタズラ
命の水と、ヒカリゴケによる光源。そして、粘土質の土を固めて作った安全な寝床。
人間としての最低限の文化的生活基盤を確保してから、数日が経過した。僕のダンジョン開拓生活は、少しずつだが軌道に乗り始めていた。
朝、ヒカリゴケの光で目覚め、ろ過した水を飲み、顔を洗う。
それから、トマトの種を植えた畝の手入れをする。
【至高の農具】で土の通気性を良くし、適切な湿度を保つ。まだ芽は出ていないが、土の中では確実に生命が育まれているはずだ。
そんな、孤独だけれど充実した日々を送っていたある日のこと。
奇妙なことが起きるようになった。
最初は、ただの自然現象だと思った。
ある朝、僕が寝床から這い出すと、入り口の前に握り拳大の石が三つ、絶妙なバランスで積み上げられていたのだ。
「……なんだこれ?」
昨夜寝る前には絶対になかったものだ。
天井から偶然落ちてきて、偶然積み重なった? いや、そんな確率は天文学的数字だろう。まるで「賽の河原」のような、どこか不気味で、しかし同時に子供の積み木遊びのような微笑ましさも感じる造形だ。
またある時は、汲んでおいた水桶がひっくり返されていた。
「うわっ、貴重な水が!」
慌てて駆け寄ると、溢れた水で地面が泥沼になっていた。
最初は地震でも起きたのかと思ったが、桶の底には明らかに何かの『足跡』のような泥汚れがついていた。小さい。まるで人間の子供のようなサイズだ。
「小動物……かな? それとも、そういう魔物?」
さらに、畑仕事をしていると、背後から視線を感じることが多くなった。
振り返っても誰もいない。ただ、岩陰で何かがササッと動く気配がある。
そして極めつけは、トマトの種を植えた畝の周囲だ。
「……これ、バリケード?」
ある朝、畑に行くと、畝を取り囲むようにして、小枝や小石が綺麗に並べられていたのだ。
その配置は明らかに人為的で、「ここから先は立ち入り禁止!」と主張しているようにも見える。
しかも、その作りが妙に丁寧で可愛らしい。枝の長さが揃えられていたり、綺麗な色の石がアクセントに使われていたりする。
敵意というよりは、「ここは私の場所なんだからね!」と地団駄を踏んで抗議しているような、そんな必死さと幼さを感じさせた。
「ははぁ……なるほど」
僕は一人で納得して頷いた。
これはきっと、このダンジョンの「先住者」の仕業だ。
魔物というよりは、精霊や妖精の類かもしれない。自分の縄張りによそ者が入り込んで、勝手に更地にして畑を作り始めたのが気に入らないのだろう。
「ごめんねー、ちょっとだけ場所を貸してもらうよ。君の遊び場だったのかな?」
僕は虚空に向かって、努めて優しく語りかけてみた。
返事はない。
ただ、遠くの岩陰のさらに奥で、空気がビクッと震えたような気配がした。
「怒らないでよ。僕はここを荒らすつもりはないんだ。むしろ、緑いっぱいの素敵な場所にしたいだけなんだ。美味しいトマトができたら、一番に君にお裾分けするからさ」
僕は言いながら、バリケードとして置かれていた小枝をそっと端に寄せた。
そして、代わりに川原で拾って磨いておいた、キラキラ光る石英の欠片を並べてみた。
「これ、お近づきの印。綺麗でしょ?」
バリケードを、花壇の柵のようにリメイクしてみせる。
すると。
コツン。
天井の闇の中から、何かが落ちてきて僕の脳天に当たった。
「痛っ……」
見上げても、もちろん誰もいない。
だが、その落下物は明確な意思を持って投げられたものだった。
まるで「ふん! 誰が貴様なんかに懐くものか! 調子に乗るな人間!」という捨て台詞が聞こえてきそうなタイミングだった。
僕は足元に落ちたそれを拾い上げた。
それは、どんぐりのような形をした木の実だった。
表面はツヤツヤとしていて、ずっしりと中身が詰まっている。
投げて攻撃してきたにしては、あまりにも殺傷能力が低く、しかも美味しそうだった。
あるいは、これも何かの植物の種かもしれない。
「……ぷっ、あはは」
僕は思わず吹き出してしまった。
なんだか、拗ねた子供がお気に入りのオモチャを投げつけてきたみたいだ。
僕はその木の実を服の袖で丁寧に拭うと、大切そうにポケットにしまった。
「ありがとう。これもお守りにするよ。……仲良くしようね、名も知らぬ大家さん」
誰もいない空間に向かって、僕はニッコリと微笑んだ。
やはり返事はない。
だが、岩陰の奥からは、なにやら「グヌヌ……」とか「気味が悪い奴め……」といったような、当惑と悔しさが入り混じったような気配が漂ってくる気がした。
孤独なダンジョン生活。
話し相手もいない、完全な隔離空間。
でも、こうして見えない『誰か』とコミュニケーション(一方的な勘違いかもしれないが)が取れるだけで、僕の心は驚くほど軽くなっていた。
見えないルームメイト。
その正体が、この階層最強の存在にして、世界を滅ぼしかねない厄介なご令嬢であると知るのは、もう少し先の話である。




