第5話 光を求めて
不意の襲撃者であった大コウモリたちを退け、当面の生命線である水を手に入れて、僕は再び拠点としている開拓予定地へと戻った。
魔物を撃退し、一時の安全は確保した……かに思えたが。この深層領域において、僕を真に追い詰めている根本的な問題は、いまだ解決していなかった。
それは、巨大な垂直空間であるこのアビス(深淵)を満たす、澱みのように包み込む「暗闇」だ。
人間にとって、完全に光のない生活は、じわじわと精神を蝕んでいく。
天井の見えない広大な空間が四方に広がっているはずなのに。今はただ、その虚無が重い沈黙となって僕の肩にのしかかっている。時間の感覚は失われ、見えない闇の奥から何かが這い寄ってくるような幻想に怯え……。やがて、心そのものが腐り落ちていくような恐怖。
勇者パーティがいた頃は、魔法の明かりが常に周囲を照らしていたから気づかなかった。光がある、ただそれだけのことが、どれほど人間の魂を支えていたことか。
「何か、明かりになるものは……」
僕は視覚強化(これも本来は野菜の出来栄えや病気を見抜くスキルだ)を使って、目を凝らした。
焚き火をするための木材はない。燃えるものといえば、さっき倒したコウモリの死骸くらいだが、さすがにそれを燃やすのは気が引ける。
もっと安定的で、優しい光が欲しい。
そうして周囲を観察していると、あることに気づいた。
天井の高いところに、微かに青白く光る群生がある。
「あれは……ヒカリゴケだ」
ダンジョンの湿った岩場に自生する発光苔。
地上でも高級なインテリアや、ランプの代用として使われることがあるが、ここにあるのは特別明るい変種かもしれない。
闇の中で蛍のように瞬くその光は、今の僕には希望の灯火に見えた。
問題は場所だ。地面から5メートル以上高い天井の窪みに張り付いている。
「届かないな……」
石を投げれば落とせるかもしれないが、衝撃で粉々になってしまうだろう。
壁を登る? 足を滑らせたら怪我じゃ済まない。回復手段のない今、骨折でもしたら終わりだ。
「……まてよ」
僕は手元のクワを見つめた。
さっきの戦闘で、【耕す】や【剪定】の応用力を知った。
僕の魔力がクワを通して対象に干渉できるなら、遠くのものを傷つけずに「収穫」することもできるんじゃないか?
高枝切りバサミで果物を採るように。
「やってみよう。【高所収穫】!」
クワを天井に向けて突き出す。
魔力を糸のように伸ばし、クワの先に「見えないアーム」を作るイメージだ。
本来は高い木の上の柿やリンゴを、ハシゴを使わずに採るための技術。
お爺ちゃんに教わった時は「横着するな」と笑われたっけ。
シュッ。
魔力の刃が天井に届き、苔の根元を優しく撫でた。
岩肌から苔を剥がす感触が、手元に伝わってくる。
ボトッ。
剥がれ落ちた苔の塊が、ふわりと落ちてくる。
僕はそれを脱いだ帽子で優しくキャッチした。
「やった! 成功だ!」
手の中にある苔は、ぼんやりとだが確かな光を放っていた。
青白い幻想的な光だ。
熱はなく、冷んやりとしている。
僕は空になったポーションの瓶(捨てずに持っていた)を取り出した。
中に少量の泥と水を入れ、そこに苔を植え付け、即席のテラリウムを作る。
瓶の蓋をする前に、少し息を吹きかける。
すると、苔は呼吸をするように明滅し、柔らかい光で周囲を照らし始めた。
即席の「苔ランタン」の完成だ。
「綺麗だな……」
暗闇の中に灯った小さな光。
それは冷たいダンジョンの闇を、少しだけ優しい空間に変えてくれた。
この光があれば、夜も怖くない。
トマトの成長も見守れる。
顔を近づけると、青白い光が僕の顔を照らした。
「よし、これで夜の作業もできるぞ」
僕は苔ランタンを寝床の横の岩の上に置いた。
その光を頼りにして、トマトの種の植え付け準備を始める。
土をより細かく耕し、畝を作る。
生活の基盤が、少しずつだが整っていく。
その様子を、岩陰からじっと見つめる「視線」があることには、作業に夢中な僕はまだ気づいていなかった。




