第4話 招かれざる客
命の水を確保し、ようやく人心地ついて立ち上がった、その直後のことだった。
静まり返っていた広大なダンジョンの通路に、バサバサという不快かつ湿った羽音が不気味に響き渡った。
一つじゃない。複数だ。
「……ッ!」
僕は反射的にクワを構え、壁際に身を寄せた。
天井の闇から、赤い光がいくつも灯る。
ジャイアントバットだ。
翼を広げれば1メートルは優に超える大コウモリ。鋭い牙には麻痺毒があり、集団で獲物を襲って生き血を啜る厄介な魔物だ。
その数、五匹。
「キシャァァァッ!」
先頭の一匹が金切り声を上げ、急降下してきた。
速い!
矢のようなスピードで、僕の首筋を狙ってくる。
「うっ……!」
足が震える。
僕は農民だ。戦士じゃない。
今まで魔物が出れば、戦うのは勇者アレクや戦士ガストンの役目だった。
僕はいつも後ろで震えているか、結界の中で皆の帰りを待ちながら料理をしているだけだった。
剣なんて握ったこともない。持っているのは、このボロいクワだけだ。
(戦えるのか? 僕に。これで?)
迷っている暇はなかった。
コウモリの鉤爪が、目の前まで迫っている。
死ぬ。
そう思った瞬間、体の中で何かが弾けた。
恐怖よりも先に、「邪魔だ!」という感情が湧き上がったのだ。
せっかく見つけた水場を、これからの生活を守らなきゃいけない。
農家にとって、畑を荒らす獣はすべて「敵」だ。
「くっ! あっちに行けぇぇッ!」
僕は無我夢中でクワを振り上げた。
剣術の心得なんてない。ただの素振りだ。
でも、無意識のうちにスキルが発動していた。
「【害虫駆除】ッ!!」
ブンッ!
空気を切り裂く鋭い音。
クワの軌跡に沿って、目に見えない衝撃波が走った。
本来は畑に近づくカラスやモグラを威嚇して追い払うためのスキル。
だが、今の僕が込めた魔力と殺気は、それを凶器へと変えていた。
バヂィン!!
鈍い音ではない。何かが破裂するような湿った音がした。
空中でクワの風圧に直撃したジャイアントバットが、まるでハエ叩きで叩かれた蚊のように弾け飛んだのだ。
そのまま壁に激突し、ピクリとも動かなくなる。
「えっ……?」
僕自身が一番驚いて、自分の手を見つめた。
今の、一撃で?
ミスリルの剣でも数回斬りつけないと倒せない魔物を?
「キシャァッ!?」
仲間が瞬殺されたことに驚いたのか、残りの四匹が空中で動きを止めた。
その隙を見逃さなかった。
いや、体が勝手に動いたのだ。
一度スイッチが入った農家の本能は止まらない。
彼らは今、明確に「排除すべき害虫」として認識されていた。
「そこだ! 【剪定・枝打ち】!」
二匹目が逃げようと背を向けた瞬間、クワを投擲した。
回転しながら飛んだクワは、正確に翼の付け根を断ち切る。
「邪魔だ! 【除草・なぎ払い】!」
落ちてきたところを、戻ってきたクワ(どういう原理か手元に戻ってきた)で横薙ぎにする。
三匹、四匹と、風圧だけで吹き飛ばされていく。
残った最後の一匹は、完全に戦意を喪失し、悲鳴を上げながら闇の奥へと逃げ去っていった。
「はぁ……はぁ……」
静寂が戻った洞窟で、僕は荒い息を吐きながら膝をついた。
手の中のクワが、熱を帯びているように感じる。
心臓が早鐘を打っている。
(僕のスキル……もしかして、魔物にも効くのか?)
いや、効くどころか、特効レベルだ。
アレクたちは言っていた。「農業スキルなんて役に立たない」と。
でも、違う。
ここはダンジョンだけど、僕がここを「自分の畑」と認識すれば、侵入者はすべて「害虫」や「雑草」になる。
そして僕のスキルは、それらを効率よく排除するために特化していたのだ。
「これなら……生き残れるかもしれない」
僕は立ち上がり、倒したコウモリの残骸を見つめた。
恐怖は消えていた。
代わりに湧いてきたのは、この過酷な環境を生き抜くための、理不尽なくらい強い自信だった。
僕はクワの泥を払い、強く握り直した。
その重みが、今は頼もしく、温かく感じられた。




